第4話:疾走する賢者!
「……フム。これは?」
魔導犯罪捜査課のオフィス。エラーラは、リュウが彼女のデスクに無造作に放り投げた、冷たく重い鉄の塊を眺めていた。
「ボスからの『お達し』だ。持ってけ」
それは、火薬式のスタンダードなリボルバーだった。
「……銃? 原始的な化学反応で金属片を射出する、前時代的なオモチャじゃないか。ワタシの『魔術』があれば、こんなナマクラは不要だがねぇ」
エラーラは、油の匂いがするそれを、汚れたものでも触るかのように指先でつついた。
「うるさい。王宮から通達が出たのよ」
キョウコが、魔力アレルギー用の軟膏を塗りながら言う。
「近頃の魔法犯罪の凶悪化に伴い、現場に出る『全捜査員』は、対魔法装甲を貫通し得る『物理的装備』の携帯が義務付けられた。……アンタも、『捜査員』よ」
「よっ、センセイ! カッコいッスよ!」
ケンが、無邪気に囃し立てる。
エラーラは、この日一番の深いため息をついた。
「……白衣のシルエットが崩れる。第一、重い。非効率だ。……ああ、最悪だ。ワタシの繊細な嗅覚が、この鉄臭さで鈍ってしまう」
文句を言いながらも、彼女は渋々、そのリボルバーを白衣の下のホルスターに収めた。
その直後、署内の警報ベルがけたたましく鳴り響いた。
「緊急事態だ!」
ボスのクラタが、受話器を叩きつける。
「旧魔導大学の塔が、何者かに占拠された! 王都全域の魔力供給が、不安定になっている!」
タワーの最上階。
一人の男が、複雑な魔導装置のコンソールを操作していた。
「……聞こえるか、エラーラ。君の愛する、その『便利な』魔術は、今日ここで終わる」
彼は、魔力の「乱用」を憎んでいた。
「人々は魔法に頼りすぎ、怠惰になった! ワシは、この王都の魔力を一度『ゼロ』に戻す!『魔力無効化爆弾』で、すべてをリセットする!」
「魔力無効化爆弾!? バカな!」
アイダが、真っ青な顔でデータをめくる。
「もしそれが作動すれば、王都中の治癒魔法は止まり、防壁も消滅、流通もすべて停止します!」
「フム……」
エラーラは、窓の外で不規則に明滅する魔導灯を見ていた。
「……この独特の周波数。間違いない、ゼインだ。あの男、まだあの非現実的な理論を諦めていなかったのか」
「センセの知り合いッスか!?」
「知り合い、というか……ワタシが『非論理的だ』と学会で叩き潰した、哀れな男さ」
エラーラが、冷ややかに言った。
「だが、厄介だねぇ。あの男の理論は、一つだけ正しい。彼の装置が作動すれば、この王都は『魔術が使えない』ただの石の箱になる」
「おしゃべりはそこまでだ!」
リュウが、リボルバーのシリンダーを回す。
「行くぞ! ヤツを止める!」
オールドタワーのロビー。
リュウ、ケン、キョウコが突入する。
「そこか!」
ケンが、階段を駆け上がろうとするゼインの背中を見つける。
だが、ゼインはコンソールを叩いた。
「《トラップ、起動》」
「うわっ!」
ケンが踏み込んだ床から、魔力の衝撃波が迸る。ケンは壁に叩きつけられ、足を負傷して動けなくなった。
「ケン!」
「アタシが行く!」
キョウコが、別ルートで回り込もうとする。
「《マグネティック・ケージ》」
ゼインの第二のトラップ。キョウコの警棒や装備が、凄まじい魔力磁場で壁に吸い寄せられ、彼女自身も身動きが取れなくなる。
「クソッ、体が……!」
「小細工を!」
リュウ一人が、ゼインに肉薄する。
「終わりだ、ゼイン!」
リュウが、対魔術用の特殊弾をリボルバーで撃ち放つ。
だが、弾丸はゼインの手前で、カラン、と力なく床に落ちた。
「な……!?」
「無駄だ、刑事」
ゼインは、不気味な笑みを浮かべていた。
「このタワーは、すでにワタシの『魔力無効化フィールド』の中だ。お前たちの『魔法』は、もう届かん!」
ゼインは、隠し持っていた鉄パイプで、リュウの腕を強打した。
「ぐあっ!」
リボルバーが手から滑り落ちる。リュウもまた、戦闘不能に陥った。
「……やれやれ。だから脳まで筋肉の刑事くんたちは……」
エラーラが、コーヒーの入った水筒を片手に、遅れて現場に到着した。
「ゼイン。君の実験は、ここで終わりだ。その非効率な爆弾を、ワタシが解体してやろう」
エラーラが、解析魔術を発動しようと手をかざす。
……しかし。
何も起こらなかった。
「……フム?」
エラーラは、もう一度試す。だが、魔力が指先に集まる感覚が、まったくない。
「ハハハ! 気づいたか、エラーラ!」
ゼインが、タワーの奥の扉に後ずさりしながら高笑いする。
「君のその魔術も、このフィールドの中では、ただの空虚なポーズだ! さらばだ!」
ゼインは、重い鉄の扉の向こうへと消え、内側から厳重に鍵をかけた。
「……マジかよ、センセイ」
ケンが、うめき声を上げる。
「魔術がなけりゃ、あんた……」
「ただの白衣の女、か」
エラーラが、動かない自分の指先を見つめた。
爆弾のカウントダウンを示す魔導計が、赤く点滅を始めている。
(ゼインの『無効化爆弾』は、魔力を消すだけではない。その過程で発生する膨大な『負の魔力』が、街の地下水脈と反応し、数万人の命を奪う『猛毒の瘴気』に変わる。それを知っているのは、ゼインの論文を唯一、最後まで読み解いたエラーラだけ。爆弾の停止には、ゼインが持つ『物理的な停止キー』が絶対に必要だ)
「……チッ」
エラーラは、白衣の裾を翻した。
「刑事くんたち。ボスには、『ワタシが走る羽目になった』と、莫大な賠償金を請求しておけ!」
エラーラは、負傷した三人を残し、ゼインを追って走り出した。
「ハァ……ハァ……!」
エラーラは、タワーの裏口から飛び出したゼインの背中を追って、王都の裏通りを走っていた。
「待て、ゼイン! その爆弾は……!」
「うるさい!」
ゼインも、学者崩れで体力はない。だが、狂気が彼を走らせている。
彼は、エラーラを妨害するために、路地裏のゴミ箱や屋台を、手当たり次第に倒していく。
「この……!」
エラーラは障害物を飛び越え、ショートカットのために細い路地に入る。
角を曲がった瞬間。
ゼインが、物陰からエラーラに向けて、魔術ではない、原始的な「クロスボウ」を構えていた。
「!」
ヒュン!と、矢がエラーラの頬を掠める。
(殺す気か! あの男!)
ゼインが、次の矢をつがえようとする。
その瞬間、エラーラは、ホルスターの『それ』を、半ば無意識に引き抜いていた。
「……なっ……非効率な!…だが!」
エラーラが放った銃弾は、狙いなど定まっておらず、ゼインの足元の石畳を砕いた。
だが、その轟音と衝撃に、ゼインは怯んだ。
「ひっ!」
ゼインは、再び逃げ出す。
エラーラも、自分の撃った銃声に耳を鳴らしながら、後を追う。
(うるさい! 汚れる! まったく、最悪だ!)
数分間の追跡の末、ゼインは、古い教会の廃墟に飛び込み、その重い扉に内側から鍵をかけた。
「ハァ、ハァ……ゼイン! 開けろ!」
エラーラは、分厚いオーク材の扉を叩く。爆弾の起動まで、あと3分。
「いやだ! ここで、すべてを終わらせる!」
中から、ゼインの狂った声が聞こえる。
(魔術は使えない。扉は、物理的に厚すぎる……!)
エラーラは、自分が握りしめているリボルバーに視線を落とした。
(……こいつで? まさか。こんなもので、この扉が……)
いや、と彼女は首を振る。
(扉を破壊する必要はない。……こういう原始的な鍵は、その機構もまた、原始的だ)
エラーラは、扉の『鍵穴』のあたりに、銃口を押し当てた。
「ゼイン! 君の理論は、前提が間違っている!」
そして、躊躇なく、引き金を引いた。
轟音が響き、銃弾が木材を、そして内部の原始的な錠前そのものを粉砕する。
エラーラは、煙の上がる銃口で、壊れた扉を押し開けた。
祭壇の前。
ゼインが、爆弾の起動キーに手をかけようとして、呆然と立ちすくんでいた。
「……なぜだ。魔術なしで、なぜ……」
「言っただろう。君は、前提を間違えている、と」
エラーラは、銃口をゼインに向けたまま、静かに言った。
「ワタシは、『魔術師』である前に、『研究者』だ。……道具は、選ばん」
そこへ、けたたましいサイレンと共に、負傷を引きずったリュウとケンが、肩で息をしながらなだれ込んできた。
「センセイ!」
「エラーラ!」
リュウは、ゼインがまだ爆弾を諦めていないのを見て、叫ぶ。
「動くな! 動けば撃つ!」
エラーラが銃でゼインの動きを止め、リュウとケンが飛びかかってゼインを取り押さえた。
「確保!」
エラーラは、その場で爆弾の停止キーを操作し、カウントダウンを止めた。
夜が明け始めた王都。
教会の外の階段で、エラーラは一人、座り込んでいた。
その手には、火薬の匂いがこびりついた、空のリボルバーが握られている。
(……まさか)
彼女は、自分の手を見つめた。
(この、前時代の遺物が……ワタシの命を救い、王都を救い、事件を解決に導いた……?)
魔術こそが万能。
物理など、原始的な蛮族の行為。
そう信じていた彼女の論理が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
「フム……」
エラーラは、空になったリボルバーを、カチャリ、と弄んだ。
「……データは、多いほどいい、か。なるほど。これもまた、一つの『解』だ」
彼女は立ち上がり、白衣についた硝煙の汚れを、忌々しそうに、しかし、どこか不思議な感慨と共に、払い落とした。
「……ああ、コーヒーが飲みたい。ただし……最悪な味の豆でも、今は、我慢してやろう」




