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ヴェリタスの最終定理1:魔導士エラーラ・ヴェリタスの日常【改修中】【2位】  作者: .
短編:成長する天才【ドラマ】

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第1話:成長する天才(1)

俺のオフクロは……まあ、敬虔で、少しばかり過保護な魔術師だった。少なくとも、その肉体が魔力の残滓となって大気に溶け、石畳の染みになるまでは。

あの日、王都へ続く街道沿いの雑踏で、オフクロは俺を見つけると、何かに怯えるように古びたローブの裾を翻して駆け寄ってきた。普段なら優雅に紡がれる詠唱のための唇が小刻みに震え、必死に何かを伝えようとしていたのを、俺は見逃さなかった。

だが、言葉という言霊が意味を成す前に、オフクロの全身に刻まれた防護の魔術回路が、警告色である赤黒い光を放ち、不気味に明滅した。


「ガ、ア……ッ!?」


次の瞬間、オフクロの体は大きく痙攣した。まるで、見えざる巨人の指に摘ままれ、無理やり操作されるマリオネットのように。

首を、人間の骨格ではあり得ない角度でグルグルと回し、杖を持つ手をバタバタと振り回し、体内から溢れ出る魔力の火花を散らしながら、じわじわと俺に迫ってきた。

瞳孔が限界まで開ききり、マナの色彩を失った虚無の目。喉から迸ったのは、もはや、人間の発音できる呪文ではなかった。


「ジュデゥアアア!ユ。ブギギギギ!魔力が?……美味しいですね?ヌゥピ!ドォム?ダ?思考遮断!違うかな?イーボ!ブヌゥゥゥ!ア。………!?」


奇怪な絶叫と共に、オフクロは吸い込まれるように、暴走する大型魔導車の列へ、その身を投げ出した。

鈍い衝撃音と、魔力障壁が砕ける音。

王都の憲兵団は、これを「粗悪な回復薬の乱用による魔力中毒」として事務的に処理した。だが俺には分かっていた。

あれは病ではない。オフクロは何者かに、その精神の根幹ごとハッキングされたのだ。


俺はガタの来た錆びついた「魔導二輪車」を飛ばし、オフクロが生前忌み嫌っていた実家のある北方の極寒の地、ノースエリアの寒村へ向かった。

鉛色の空と、骨まで凍てつく吹雪が肺に重くのしかかる。視界を奪う白銀の世界。だが、俺の脳裏にはオフクロの最期の目が焼き付いて離れない。

この村には、全ての答えがある。そんな不吉な予感が、寒さとは別の震えを俺の体に走らせていた。


村に足を踏み入れた瞬間、違和感が俺を包囲した。

静かすぎる。生活音がしない。

すれ違う村人たちは、まるで精巧なゴーレムのように、一定の歩幅、一定のリズムで歩いていた。彼らの視線は俺を捉えているようで、透過している。虚ろな視線を背中に浴びながら、俺は村で最も大きな屋敷――「導師の館」へ向かった。

屋敷の奥、異様な幾何学模様が描かれた祭壇の前に、そいつはいた。

闇に溶け込むような漆黒の法衣を着た、痩せこけた男。


「母親のことか」 


男の声は、耳の鼓膜を震わせるものではなく、脳の海馬に直接響く粘着質な「念話」だった。


「あの女は、我らの大いなる『統合思念計画』を、個という不完全な器である我が子に伝えようなどと血迷った。個への執着は、大いなる調和を乱すノイズに過ぎない」


男の目が、ゆっくりと黒い魔力で染まっていく。あの目だ。オフクロが最期に見せた、虚無の目。

男は懐から小さな水晶瓶を取り出した。中で、脳髄液のような白濁した粘液にまみれた、指先ほどの白い「思考蟲」が、グジュグジュと蠢いている。


「この蟲は、人の脳内魔力野を揺り籠とし、その『自我』という非効率なノイズを喰らう。代わりに、完全なる論理と調和を与えるのだ。あの女は、その完璧な接続からお前を、不合理な愛というバグのために奪い返そうとしたのだ。愚かなことだ」


「てめえが、やったのか。」


短剣を握りしめる俺の手のひらは、恐怖と殺意でじっとりと濡れていた。男は、そんな俺を見て愉しげに唇を歪める。


「お前は母親から、極めて適合率の高い蟲の因子を受け継いだ。お前は生まれながらにして、我らの、ネットワークの一部だ」


いつの間にか、広間の入り口に村人たちが集まっていた。

錆びた農具や、魔力を帯びた杖を手に、あの瞳孔の開いた目で俺を見つめている。

その瞳には個人の感情がない。怒りも憎しみもない。ただ、共有された一つの「異物排除」という事務的な意思だけが、ゆらゆらと揺らめいていた。


「さあ、選ぶがいい。ここで我らの演算の一部となり、永遠の安寧を得るか。あるいは」


男はすっと凍てつく戸口を指さした。


「──ここから逃げるか。我らは合理的だ。無駄な殺生や追跡のリソースは割かない。さあ、選べ。……もっとも、その選択さえも我々の計算の内だがな」


俺は導師に背を向け、屋敷から走り出した。

村人たちが道を開ける。誰も俺を止めない。ただ、あの虚無の目で、俺の逃走という「データ」を見送っているだけだ。その無関心さが、どんな罵倒よりも恐ろしかった。


気づけば、俺は燃料の尽きた魔導二輪を捨て、北の海が荒れ狂う断崖「嘆きの岬」に立っていた。

眼下では、鉛色の波が絶えず岸壁を削り取り、轟音を上げている。

頭の中で、羽虫の羽音のようなノイズが聞こえ始めていた。ブーン、ブーンという耳鳴り。

蟲が、目覚めようとしている。俺の脳味噌を喰らい、俺を「俺ではない何か」に書き換えるために。

逃げたかったのではない。

俺は、確かめたかったのだ。

今、この瞬間の「恐怖」が、俺自身のものなのか。それとも、蟲が見せている幻覚なのか。

導師は言った。「選択さえも計算の内」だと。

ならば、生きようとすることも、死のうとすることも、全て奴らのシナリオ通りなのか?

これは、俺の意思なのか。それとも──。

俺は、空と海の境界線を見つめながら、ただ一つの決意を固めていた。



・・・・・・・・・・・



「……身元は?」


灰色の空の下、カレル警部はレインコートの襟を立て、口元の煙草に火をつけた。紫煙が北風に攫われていく。

波打ち際、岩場に打ち上げられた水死体の周りには、既に規制線が張られている。


「アルド・レイン。24歳。王都のしがない魔導具技師です。母親がつい先日、事故死したばかりでして」


部下の報告を聞きながら、カレルは遺体の前にしゃがみ込んだ。

高い場所から叩きつけられたことによる損傷は激しい。だが、カレルの鋭い観察眼は、ある一点に釘付けになった。

青年の頭部。砕けた頭蓋の隙間から覗く脳組織に、奇妙な変色が起きていた。

魔力の暴走痕ではない。まるで、脳そのものが別の物質に「置換」されようとしていたかのような、白く繊維質な変異。


「自殺か?」


カレルは自問する。

状況証拠は自殺を示している。母親の死にショックを受け、発作的に身を投げた。論理的な推論だ。

だが、カレルの「刑事の勘」――長年の経験が蓄積した直感アルゴリズム――が、警鐘を鳴らしている。

遺留品である青年の魔導録音石に残された最期の言葉。


『これは俺の意思なのか』


そして、母親の死に際における奇妙な言語。


『ジュデゥアアア……思考遮断……』


カレルは立ち上がり、鉛色の海を見つめた。

思考する。論理を積み重ねる。

もし、彼が何者かに操られていたとしたら?

いや、魔法による精神操作なら、術者が死ねば効果は切れる。あるいは魔力の残滓が検知されるはずだ。ここにはそれがない。

ならば薬物か? 検死官はシロだと言った。


「……分からん」


カレルは苛立ち紛れに、吸い殻を携帯灰皿に押し込んだ。

考えれば考えるほど、思考の袋小路に突き当たる。

彼の頭脳は、王都の秩序を守るための「常識的な論理」で構成されている。

だが、この事件は、その常識の外側にある。

常識という器では……処理できない。


(俺の頭じゃ、ここが、限界だ。)


カレルは認めざるを得なかった。

凡人である自分には、この不可解な死の裏に潜む真実にはたどり着けない。

論理の向こう側にある真実を暴くには、同じく「常識の外」にいる存在が必要だ。

毒を以て毒を制す。狂気を以て狂気を解く。

カレルの脳裏に、一人の女の顔が浮かんだ。

ボサボサの銀髪。白衣。珈琲。そして、世界を解体し記述し直すような、傲慢で天才的な瞳。

カレルは懐から通信用の魔導石を取り出した。

親指で起動式をなぞる。

苦虫を噛み潰したような顔で、しかし確信を持って、彼はその名を呼ぶ準備をした。

この非合理(エラー)を解くには、彼女の真理(ラ・ヴェリタス)が必要だ。


「……ああ、俺だ。カレルだ。……また死体が出た。いや、ただの死体じゃない。お前の好きそうな、とびきり『非合理』な、死体だ」


通信石の向こうで、ガチャンと何かが倒れる音と、嬉々とした声が聞こえた気がした。

カレルは小さくため息をつき、空を見上げた。


「頼む。……力を貸してくれ、エラーラ・ヴェリタス!」

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