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第6話:異世界難民!

私の名はエラーラ。私の全ての行動原理は、ただ一つ。「知的好奇心」。


そして今、私の目の前で繰り広げられているのは、前代未聞の壮大な社会実験だ。

数ヶ月前まで、この「セントラル・メトロポリス」は、実に古典的な「対立」で満ちていた。気位の高いエルフの魔導院と、実利を重んじる人間の商業ギルド。頑固なドワーフの工房と、野性的な獣人の労働組合。彼らは互いを牽制し、蔑み、時には小競り合いを繰り返していた。実にありふれた、予測可能な平衡状態だ。

だが、『大流入』…あの忌まわしき『トラック』なる謎の装置によって魂を汚染され、選別された「最低品質のサンプル」…彼ら『異世界転生者』の大量流入が、その全てを変えた。

あれほど犬猿の仲だった種族たちが、共通の「理解不能な不快物」を前に、一時的な共闘関係を築きはじめたのだ。

この現象こそ、『大流入』がもたらした最大の、そして唯一の「益」かもしれんねぇ。

だが、この「共闘」は、問題の根本的解決にはなっていない。むしろ、問題を特定の場所へと「圧縮」しているに過ぎない。


そして、『第一次抗争』は、実に些細な、しかし必然的な「嫉妬」から始まった。


ある晩、アンダーシャフトの一角で、獣人の一家が、ささやかな収穫祝いを開いていた。乏しいながらも、彼らが汗水流して稼いだ金で手に入れた黒パンと、香草焼きのネズミ。彼らは輪になって踊り、笑い合っていた。

それを、バラックの闇から、飢えた転生者が覗いていた。


「…チッ。なんで俺たち異世界転生者様が合成栄養バーを奪い合ってる時に、あの『亜人』どもが、美味そうなモン食って笑ってんだよ」


「ムカつく…理不尽だ。あいつら、ただの背景(モブ)だろ?」


「なあ…あれ、奪おうぜ。『当然の権利』だ」


彼らの行動原理は、ただそれだけ。「怠惰」と「嫉妬」。


「うおおお!食い物よこせ!」


数人の転生者が、棍棒を手に、獣人たちの宴に殴り込んだ。


「ヒッ!」


「や、やめろ!」


宴は阿鼻叫喚の地獄と化した。転生者たちは、抵抗する老コボルトを殴り倒し、子供が握りしめていたパンを奪い、ネズミの丸焼きに貪りついた。


「ハハハ!楽勝だ!」


「ザマァみろ、獣が!」


この騒ぎは、都市警備ゴーレムの出動によって鎮圧された。転生者たちは拘束されたが、アンダーシャフトの住民たちの心には、消えない憎悪の火が灯った。


「奴らは…『災厄』だ…」


私の観測によれば、この「第一次抗争」の主犯たちは、数日で釈放された。実に興味深い。この都市の法体系は、「異世界からの侵略者」を裁くように設計されていなかったのだ。牢獄はすでに、彼らのような軽犯罪者で飽和していた。


この「軽い処罰」が、彼らに最悪の学習を施した。


「なんだ、大したことはない」


「捕まっても、どうせすぐ出られる」


そして、彼らは「逆恨み」を始めた。

廃棄プラント跡地のゲットーで、釈放された粗暴な男が仲間たちに叫ぶ。


「あのクソ獣どもが通報しやがったせいで、俺たちは酷い目にあった!」


「そうだ!あいつら、俺たち『選ばれた人間』をナメやがって!」


「警備隊もだ!俺たちを捕まえやがった!」


彼らの歪んだ被害者意識が、悪意の「団結」を生んだ。元の世界で法規範の意識が欠如していた者たちが主導し、断片的な知識を持つ者たちがそれを「支援」し、カルト的な集団が形成され始めた。

彼らは自らを『解放者』と名乗り、ゲットーを拠点に、より組織的な犯罪…すなわち「報復」を計画し始めた。


「あいつらに思い知らせてやろう。俺たちを怒らせたことを後悔させてやる」


『第二次抗争』は、冷酷な悪意によって引き起こされた。

彼らは、第一次抗争で抵抗した獣人たちが、アンダーシャフトのどの水路の水を飲んでいるかを突き止めていた。

そして、元の世界の知識…実に浅薄な化学知識と、ゲットーに廃棄されていた工業用薬品、そして自らの排泄物を混ぜ合わせ、致死性の「汚染源」を作り上げた。


「フフフ…これが私の『知恵』だ…」


「この世界の愚かな者たちに、科学の力を見せてやる…!」


深夜、彼らはアンダーシャフトの水源地に忍び込み、その「汚物」を投入した。

翌朝、アンダーシャフトは、再び地獄と化した。

水を飲んだ多くの獣人、ゴブリン、そして人間の貧民たちが、高熱と嘔吐で苦しみ始めた。特に抵抗力のない子供や老人が、次々と命を落とした。

これはもはや「強奪」ではない。無差別な「悪意の発露」だ。


「奴ら…許さん…!」


獣人の労働組合が、ドワーフの工房から盗み出した武器で武装を始めた。これまで転生者を「面倒な浮浪者」としか見ていなかった人間の市民たちも、ついに恐怖と憎悪を剥き出しにした。


「あいつらは『病原菌』だ!駆除しろ!」


「第二次抗争」…この水源汚染は、都市の機能を完全に麻痺させた。

都市評議会は、エルフの魔導院と人間のギルドが、数百年の対立の歴史上初めて、共同で緊急事態を宣言した。


「全転生者の即時拘束、およびゲットーの武力鎮圧を決定する!」


だが、遅すぎた。

ゲットーに集結した転生者たちは、すでに狂気の淵にいた。


「やはりだ!この世界の奴ら、最初から俺たちを排除する気だったんだ!」


「俺たちをこんな世界に送り込んだ『何か』も、俺たちを迫害する『土着民』も、全部敵だ!」


「もういい…もう全部、壊してしまおう…!」


彼らの「憎悪」が臨界点を超えた。

都市の警備隊と、各種族の混成による「市民防衛軍」が、ゲットーへの包囲網を完成させようとしていた、その時。


『第三次抗争』…それは、彼らの「半数」による、破滅的な攻撃だった。

ゲットーにいた転生者のうち、もはや正気を失い、憎悪と絶望に支配された「半数」…数千人が、都市中枢部への最後の攻撃を仕掛けた。

彼らは、第二次抗争で味をしめた「爆発物」…盗み出した魔導エネルギーのコンデンサーや、工業用薬品を詰め込んだドラム缶を抱え、都市の各インフラ拠点へと散開した。


「うおおお!俺は『トラック』に殺されたんだ!だったら次は、お前らが死ぬ番だ!」


粗暴な男が、中央市場のど真ん中で魔導コンデンサーを起爆させる。


「これで…これで私も、『物語の登場人物』になれる…!」


知性の発達が遅れた転生者が、警備ゴーレムの足元で、訳もわからず爆弾のスイッチを入れる。


「こんな理不尽な世界なんかに、私の『理想』が負けてたまるか!全員、道連れだ!」


現実逃避的な嗜好を持つ者が、都市の浄水場の城壁に、特攻を仕掛ける。

メトロポリスは、火の海に包まれた。

これはもはや「抗争」ではない。一方的な「破壊」であり、「憎悪の飽和」だ。

インフラは寸断され、魔導炉は暴走し、都市の半分が瓦礫と化した。人間も、エルフも、ドワーフも、獣人も、区別なく死んだ。

そして、生き残った全ての住民の心から、転生者に対する「共存」や「憐憫」といった感情は、永久に消え去った。

そこに残ったのは、ただ一つの、冷徹な合意。


「異世界転生者は、『汚物』だ。一匹残らず『浄化』する」


フム…。

私は、半壊した研究室のバルコニーから、鎮圧という名の掃討戦が続く都市を見下ろす。

実に、実に非効率で、醜悪な結末だ。システムそのものを道連れに自爆することを選んだか。

だが、私の知的好奇心は、まだ満たされていなかった。

あの転生者たちが、狂乱の中で、あるいは絶望の中で、共通して口にした言葉。


『トラック』


彼らはそれを、自分たちをこの世界に送り込んだ「何か」…ある種の神格、あるいは選別の儀式のように呼んでいた。これが彼らの行動原理の根幹にある「特権意識」の源泉である可能性が高い。


私は、魔導障壁を展開し、廃棄工業プラント跡地へと単身で転移した。そこは、地獄という陳腐な言葉すら生ぬるい惨状だった。


都市防衛軍による報復と、転生者同士の最後の共食いが、この場所を「文明の墓場」に変えていた。

私は、そのゴミ山で、かろうじて息をしている一人の転生浮浪者に近づいた。彼は、私を見ても、もはや逃げる気力もないようだった。その目は、飢餓で濁り切っている。


「フム…サンプルよ。一つ、実に興味深い質問がある」


私は、観測対象を刺激しないよう、冷静に問いかける。


「お前たちが、神聖な儀式のように口にする『トラック』とは、一体何だ?それは、お前たちを選別した神の名か?」


転生浮浪者は、私の言葉を理解するのに、しばらくかかった。やがて、その濁った目に、一瞬だけ…憎悪とも、あるいは郷愁ともつかない、奇妙な光が宿った。


「……とらっく…?」


彼は、壊れた喉で、かすれた声を絞り出した。


「…ああ…あれは…神なんかじゃ、ねえよ…ただの…鉄の、箱だ…道路を…走る…デカい…鉄の箱…俺は…飛び出して…それで…」


フム。

私は、全てを理解した。


彼らをこの世界に送り込んだのは、神でも、運命の選別でも、高尚な儀式でもない。

ただの「事故」。

元の世界における、実に非効率で、実に愚かな「不注意」による「死」。

彼らの特権意識の根源は、単なる「事故死」という、実に下らない事実だったのだ。


この世界の法則に適合しない、質の低いサンプルが大量に流入した理由は、彼らが「選ばれる」べくして選ばれたのではなく、ただ「不用意に死んだ」からに過ぎない。


「フフフ…」


私は、こみ上げてくる笑いを抑えられなかった。


「ハハハハハ!そうか、そうだったのか!なんと滑稽な!…なんと、面白い!」


この壮大な社会実験の根底にあったのは、壮大な悲劇や神の意志などではなく、ただの「雑な死」の積み重ねだったとは!


私の知的好奇心は、今や、この世界のシステムそのものへと向かっている。

こんな「バグ」を、意図的にこの世界に送り込み続けている「システム」とは、一体何だ?


そして、その『トラック』なる「鉄の箱」が走る世界とは、一体、どれほど非効率で、どれほど愚かな法則で満ちているのだろうか?


「…実に、観測しがいのあるテーマじゃないか!」


私は、燃え盛るゲットーを後にする。私の次なる研究対象は、決まった。

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