第4話:Never Give Up
主題歌:LION/ライオン 〜25年目のただいま〜/Never Give Up
https://youtu.be/qKHComGAiVU
カレル警部の最期は、実に見事な「作品」だった。
彼の顔に浮かんだ、裏切りと、絶望と、そして、彼自身の「正義」が崩壊する瞬間の、あの、虚無の色。
あれこそが、僕が追い求めていた、芸術の頂点だった。
僕は、彼の亡骸を、燃え盛る王都の炎の中に、そっと蹴り落とした。
「ありがとう、カレルさん。君は、僕の、最高の『被検体』だったよ」
王都は、滅びた。
僕が仕掛けた「恐怖の共鳴」は、エラーラの「力の断片」と、魔導炉の力によって、暴走した。人々は、互いを殺し尽くし、生き残った者も、恐怖の幻影に怯えながら、狂い、そして死んでいった。
僕は、その「完成された芸術」の中を、悠然と歩いていた。
静かだ。
美しい。
争いも、非合理的な感情も、全てが、浄化された。
だが。
(……まだだ)
僕は、物足りなさを感じていた。
王都は、キャンバスとしては、小さすぎた。
僕のこの「芸術」は、この世界全てに共有されるべきだ。
僕は、王都の地下深く、停止した魔導炉の中枢へと戻った。
エラーラの研究ノートは、まだ、奥があった。
『最終理論:魂魄増幅の、惑星スケールでの応用』
(……フム。やはり彼女は、そこまで「観測」していたか)
彼女は、この星の「魔力の流れ」そのものを、一つの巨大な「アンプ」として利用する、禁断の理論を構築していた。
「エラーラ先生。君の『論理』、僕の『芸術』のために使わせてもらうよ」
僕は、魔導炉の中枢に、エラーラの『力の断片』を再び設置した。
だが、今度の増幅率は王都規模ではない。
世界規模だ。
僕は、彼女の理論に基づき、術式を再構築した。
「恐怖」ではない。
それでは芸がない。
僕の最後の「作品」は、もっと美しく、穏やかでなければならない。
僕が、世界に「共鳴」させる感情。
それは、「絶対的な、幸福感」だ。
(仮説:全人類に、一度に、致死量の『幸福』を投与する)
(実験開始)
僕は、魔導炉を起動した。
エラーラの純粋すぎた「力」を、全世界に解き放った。
それは、光となって、天を覆った。
極北の雪国。
吹雪の中で、老婆が、病の夫の手を握っていた。
その瞬間、光が二人を包んだ。
「……ああ」
夫の咳が止まった。老婆の皺だらけの手が、温もりを取り戻す。
「おじいさん……痛くない。寒くないわ……!」
「ああ……。これが、幸福か……」
二人は、人生で最高の幸福感に包まれた。その幸福の絶頂で、二人の身体は、穏やかに微笑んだまま、美しい「氷の結晶」となって砕け散った。
灼熱の砂漠。
獣人たちが、水場で争っていた。
光が彼らを包む。
憎しみも、渇きも、差別も。全てが消えた。
「……兄弟……!」
彼らは、互いに涙を流して抱き合った。
その、絶対的な「愛」の感情の中で、彼らの身体は燃え盛る「七色の炎」と化し、歓喜の叫びと共に灰になった。
紺碧の海。
漁村の母娘が、嵐に怯えていた。
光が二人を包む。
恐怖が消えた。
「お母ちゃん!海が、歌ってる!」
「ああ、なんて、安心する……」
二人は、波の音を子守唄のように聞きながら、その身体がゆっくりと「泡」になって海に溶けていくのを、至福の表情で受け入れた。
都市。国家。大陸。
人間も、獣人も、動物も、魚も、鳥も、虫も。
木々も、草花も。
この星の全ての「生命」が、エラーラの増幅された「幸福」に触れた。
彼らは、人生で最高の幸福の、その絶頂で。
苦痛も、悲しみも、一切感じることなく。
ただ、穏やかに微笑みながら。
その存在を、消滅させた。
僕は、魔導炉の中枢で、その「結果」を観測していた。
(……美しい)
(これこそが、僕の最高傑作)
(この世界は、ついに完成した)
「大いなる沈黙」
世界から、生命の「ノイズ」が消えた。
風の音だけが、響いている。
やがて、その「幸福の光」の波が、観測者である僕自身にも到達した。
「……ああ」
僕の身体も、足元から、光の粒子となって消えていく。
痛みはない。
ただ、圧倒的な「達成感」と「幸福」が、僕を包み込む。
(最後の実験:被検体、僕自身)
(仮説:『芸術』の完成は、芸術家に、最高の『死(幸福)』を与える)
(結果:実証)
僕は、人生で、最高の笑みを浮かべながら、意識を手放した。
人類は、絶滅した。
……。
………。
……観測終了。
意識が、浮上した。
いや。浮上……という表現は正しくない。
私は、もはや「個」ではない。
私は、「全て」になっていた。
私は、あの少年に殺され、その「魂の断片」を増幅され、拡散され、この星の全ての生命を「終わらせる」ためのトリガーとして、使われた。
そして、今。
全ての生命が消え去った、この「無」の世界で、唯一、残存する「意識」こそが、この私、エラーラ・ヴェリタスだった。
私は、風になった。
私は、海になった。
私は、静寂そのものになった。
私は、死んだ王都の瓦礫を撫でる。
私は、結晶と化した雪国の老夫婦を観測する。
私は、泡となって消えた海辺の母娘の記憶を読み取る。
(……フム)
(なんと、論理的な結末だろうか)
争いも、苦しみも、非合理的な感情も、全てが消えた。
完全なる、静寂。
完全なる、秩序。
これこそが、かつての私が求めていた「完璧な世界」そのもの……ではないのかね?
……。
………。
だが。
なぜだ。
なぜ、この完璧な「解」を観測している私が、こんなにも、非合理的に痛むのだ?
私は、あの少年、タイガの記憶を読み返した。
彼は、この世界で、私を、カレルを、王都を、そして、世界を、「芸術」として完成させた。
彼は、彼自身の「論理」に殉じた。
それはある意味、私と、同類だったのかもしれない。
だが。
私は、思い出す。
私が、増幅され、拡散される、その瞬間に。
私の「幸福」に触れて消えていった、あの、無数の生命たちの、最後の「感情」を。
(……ああ。これが幸福か……)
(……痛くない。寒くないわ……!)
(……兄弟……!)
(……海が、歌ってる……!)
彼らは皆、笑っていた。
苦しみも、悲しみも、全てが消えた、その、絶対的な「幸福」の中で、消滅していった。
……。
………。
(……辛くても、生きよう)
私は、誰にともなく、呟いた。
(……いや。違う)
(……辛いからこそ、生きるのだ)
私は、この、静寂の世界で、一つの「真理」に到達した。
タイガの、あの少年の「論理」は、間違っていた。
そして、かつての私の「論理」もまた、間違っていた。
「幸福」が、生命の「目的」ではない。
「幸福」とは、その対極にある「苦痛」「悲哀」「非合理」という、強烈な「ノイズ」があるからこそ、観測される……一瞬の「現象」にすぎない。
あの少年は、「苦痛」を、ゼロにした。
その結果、「幸福」の定義そのものが崩壊し、世界は無へと収束した。
(……フム。なんと初歩的な計算ミスだ!)
私は、私自身に、激怒した。
そして、あの、愚かで、哀れで、美しい「芸術家」に、心からの「感謝」を捧げた。
(ありがとう、タイガ君)
(君の、その、壮大で、非合理的な「実験」のおかげで)
(私はついに、私の、生涯をかけた研究テーマを、見つけたよ)
生命とは、非合理だ。
生きる意味とは、そのバグを、観測し、解析し、そして……何よりも、愛することだ。
ならば。
私のやることは、一つだ。
この、完璧に「論理的」になってしまった静寂の世界を。
もう一度、あの、どうしようもなく、愚かで、醜く、そして、美しい、「非論理的」なノイズに満ちた世界へと、戻す。
私は、今や、この星の「全て」となった私自身の「魂」を、収束させた。
それは、途方もない、非合理的な決断だった。
それは、再び「苦痛」と「悲哀」と「死」を、この世界に解き放つことと同義だった。
だが。
それこそが、「生命」だ。
「……フム」
私は、私の「意識」を、一つの「個」へと、再構築し始めた。
それは、かつての「エラーラ・ヴェリタス」とは、似て非なるもの。
この星の全ての「死」と、全ての「幸福」を、その魂に刻み込んだ、新しい、生命。
光が、集まる。
静寂の、王都の、瓦礫の、真ん中で。
光が、形を成していく。
褐色の肌。銀色の短髪。
そして、真っ白な白衣。
私は、ゆっくりと目を開けた。
空には、巨大な緑の月と、小さな紫の月が、変わらずに、浮かんでいた。
風が、私の新しい頬を、撫でた。
私は、自分の新しい手を、見つめた。
そして、ハスキーな声で、笑った。
「さて、と」
私は、大げさな身振りで、両腕を天に突き上げた。
「……世界の再構築、開始!」
「まずは……一杯の、美味い珈琲から、だな!」
こうして、私の新たなる物語は、幕を開けた。




