コーヒーのおかわりはいかがですか!
今回の調査対象は、街角にある古い喫茶店「白昼夢」。
ここを訪れた客が、その後、強烈な既視感に襲われるという。
「閉鎖空間における、局所的な時間回帰現象か。なるほど?……実に典型的な怪異だねぇ」
私は、そのありふれた現象に少し退屈しながらも、データ収集のため、その喫茶店へと足を踏み入れた。
私が窓際の席に腰を下ろすと、ウェイトレスが、一杯のコーヒーを運んできた。
そして、カップがソーサーに置かれた、その瞬間。
コツン……という、低く、しかし、確かな響き。
私は、その音を……知っていた!
カップに描かれた、小さく、少し色褪せた青い矢車菊の花。
私は、その模様を……知っていた!
鼻腔をくすぐる、深い焙煎の、わずかな酸味を帯びたブレンドの香り。
私は、その香りを……知っていた!
窓から差し込む、午後の終わりの陽光。
私は、その光を……知っていた!
スピーカーから微かに流れる、物悲しい旋律の古い流行歌。
その歌詞の、すぐ次の瞬間に、年老いた歌手が、微かに息を吸い込む、その間さえ。
ウェイトレスが、私に背を向けて三歩目を踏み出した時、床板が小さく、軋む音を立てることすらも。
その全てを、私は、寸分違わず「知っている」。
いや、違う。
知っているというよりは、これから起きる現実を、私の脳が、寸分の狂いもなく、完璧に「予測」しているのだろう。
この、【非論理的】で、しかし……絶対的な確信。
私は、強烈なデジャブの渦の中で、自らに起きている現象を冷静に分析した。
直後、世界がほんの一瞬、白く明滅した。
気づくと、手元のコーヒーは消え、先ほどと同じウェイトレスが、カウンターでコーヒーを淹れ直している。
壁の古時計の針も、数分前に戻っていた。
「なるほど?周期は約三分か」
この現象が数回繰り返され、私は自らの仮説が正しかったと確信する。
これは、数分間を周期とする、完璧な時間ループだ。
「なるほど?完璧すぎて、面白みに欠けるがね」
私は、この完璧なループシステムのバグを探すため、意図的にイレギュラーな行動を開始した。
ループがリセットされる直前、私は、テーブルの上の砂糖壺を、わざと数ミリだけ横にずらしてみたのだ。
世界が白く明滅し、ループがリセットされる。ウェイトレスはカウンターに戻り、時計の針も巻き戻る。
しかし!
私は、目の前の光景に眉をひそめた。
砂糖壺が、ずらされた位置のまま、そこにあるのだ。
「は?……完璧な時間回帰ならば、全ての物理状態が初期化されるはずだが?」
次のループでは、羽ペンでナプキンに小さな点を一つだけ書いてみた。
リセット後、その点も、消えずに残っていた。
私の脳内で、警鐘が鳴る!
これは、私が知るどの時間回帰現象とも違う!
デジャブの「感覚」は続いている!
しかし現実は、僅かに、何かが「ずれはじめて」いる!
私の完璧だったはずの仮説に、少しずつヒビが入り始めていた!
そしてついに、その時は訪れた!
ループの周期が短くなってきたのだ!
ウェイトレスがコーヒーを置き、リセットされるまでの時間が、数分から、数十秒へ。
彼女がコーヒーを置く。
「お待たせいたしました」
そして、世界が明滅する。
だが、今度はリセットが起きなかった!
テーブルの上の一杯目のコーヒーはそこにある。
そして、カウンターに戻ったはずのウェイトレスが、再び、二杯目のコーヒーを手に、こちらへ歩いてくる。
「お待たせいたしました」
二杯目のコーヒーが、一杯目の隣に置かれる。
そして、三杯目、四杯目…。
テーブルは、コーヒーカップで埋め尽くされた。
ウェイトレスは、もうテーブルに置く場所がないと判断したのか、あろうことか、すでに置いてあるカップの上に、二段目となる新しいカップを、器用に重ね始めた。
「ちょっ!?……待ちたまえよ!」
熱いコーヒーがソーサーから溢れ、テーブルに広がる。
そして、五杯目、六杯目……。
タワーのように積まれたカップの山が、ぐらりと傾き、その全てが、私の白衣めがけて、盛大にぶちまけられた。
「わっ!」
自らの仮説が、これ以上ないほど滑稽な形で覆されたという事実に、私の思考が沸騰する!
私はコーヒーまみれのまま立ち上がり、目の前の光景を前に、戦慄と、しかし、それを遥かに上回る歓喜と共に、叫んだ!
「これは、デジャブなどではない!」
「時間回帰じゃあない!現実の上書き……違う!これは……同じ瞬間を延々と『複製』し続ける、暴走した生産ラインだ!」
店内には、今や何十人もの同じ顔をしたウェイトレスが現れ、全員が私のためのコーヒーを手に、こちらへ迫ってくる。
だが、もう謎は解けた。
この怪異の行動原理は、「完璧な一杯を提供する」という一方通行の「奉仕」。
このループには、終了コマンドが設定されていないのだ。
無数のウェイトレスが、じりじりと私に迫り、新たなコーヒーを置こうとする。
その中心にいる、最も実体に近い、オリジナルの亡霊であろうウェイトレスが、またコーヒーを差し出す。
「お待たせいたしました」
その瞬間、私は観測をやめ、初めて、「客」として、そのウェイトレスの目を見た。
そして、穏やかに、しかし、明確な意志を持って告げた。
「ありがとう」
『ありがとう』。
その完璧な「受容」と「感謝」の言葉。
それが、亡霊が待ち望んでいた停止コマンドだった。
彼女の「もてなし」は、完了した。
ウェイトレスの亡霊は、驚いたように目を見開いた後、満足したように、湯気のように消えていった。
店内には、静寂が戻る。
私のテーブルの上には、最初の一杯目だった、すっかり冷え切ったコーヒーだけが残されていた。
私は、研究日誌を取り出した。
「結論。初期観測において、時間回帰現象と酷似したパターンを示すが、ループが不完全であることから、その正体は、特定の事象を物理的に『複製』する怪異であると断定。……初期仮説の誤りは屈辱的だが、それ故に、最高のデータだ。この私に、誤算をさせたのだからねぇ」
私は、次の興味深い「現象」を求め、びしょ濡れの白衣のまま、静かになったカフェを後にするのだった。




