第16話:無限の手紙!
私の名はエラーラ。私の全ての行動原理は、ただ一つ。「知的好奇心」。未知の現象、未知の法則、そして、未知なる人間の狂気。それらは全て、私にとって最高の研究対象に他ならない。
その日の朝、私の研究室の扉の下から、一枚の羊皮紙が滑り込まれていた。差出人不明。実に不気味な筆跡で、凡庸な詩が綴られている。
『影は影を呼び、二つの枝に分かれる…』
文末には、ご丁寧にルールまで記されていた。「この手紙を受け取った者は、24時間以内に、全く同じ文面の手紙を、新たに二人へ、差出人を書かずに送らなければならない。破れば、影に飲まれる」。
「フム…自己増殖する情報ミーム、か。実に単純で、実にエレガントな拡散システムじゃないか。だが、脅迫文のセンスはゼロだねぇ」
呪いなど、私にとっては観測対象でしかない。私は、この「システム」が人間の心理にどう作用するかという、実に面白い社会実験を開始することにした。
最高の観測サンプルとして、私は全く対照的な二人を選んだ。一人は、非科学的なものを蛇蝎の如く嫌う、石頭の老学者バルド。もう一人は、私が時折利用する珈琲屋の、噂好きで快活な娘リナ。
「さあ、観測対象君たち。最高のデータを提供したまえよ」
私は、完璧な複製を二通作成し、ほくそ笑みながら、匿名で彼らに送りつけた。
私の実験は、当初、実に興味深いデータを提供してくれた。
石頭のバルド君は、予測に反し、この手紙を「悪質な悪戯」と断定。名探偵気取りで、インクの成分分析や、街中の聞き込みといった、滑稽なほど真剣な「捜査」を開始した。
一方、リナ君は、予測通り、恐怖に震えながらも、すぐに友人二人へ手紙を送った。だが、彼女の噂好きの性格が、事態を加速させた。「あの手紙、本物よ!送らなかった人が、影に飲まれたんだって!」などという、実に独創的な尾ひれをつけて。
おかげで、街は、一夜にしてパニックに陥った。
数日後、私が街の様子を観測しに出かけると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
道という道が、おびただしい数の同じ手紙で埋め尽くされているのだ。まるで、灰色の雪が降ったかのように、羊皮紙が路上に降り積もり、人々はそれをガサガサと踏み分けながら歩いている。広場の噴水は、手紙で完全に詰まり、水ではなく、インクの滲んだ羊皮紙を虚しく噴き上げていた。郵便配達員は、街角で白目を剥いて倒れている。
「フム…指数関数的増殖の、美しい可視化だねぇ。だが、景観としては最悪だ」
私が、このカオスな光景をなおも楽しげに観測していた、その時までは。
研究を終えて自室に戻ると、扉が異様に重い。鍵を開け、渾身の力で扉を押すと、次の瞬間、凄まじい勢いで、雪崩のように、おびただしい数の「呪いの手紙」が私めがけて殺到してきた。
「うわっ!?」
部屋は、足の踏み場もなかった。私の貴重な研究資料も、精密な観測機材も、全てが、同じ文面が書かれた羊皮紙の海に埋もれている。どうやら、回り回って、何百通もの手紙が、私自身に送りつけられてきたらしい。
「チッ…!私の研究室が、くだらない紙屑の山に埋もれるとは。実に、実に非効率だ!」
自分の研究の邪魔をされたことで、私の興味は「観測」から「駆除」へと、完全に切り替わった。
「仕方ない。後始末の時間と行こうじゃないか」
私は、この呪いのシステムの、根本的な欠陥を突くことにした。
「この呪いは、『受け取った者』が『次の二人』に送ることで拡散する。ならば、街中に存在する全ての手紙の宛先を、たった一つの標的…すなわち、この呪いの『発信源』に書き換えてやればどうなるかねぇ?」
私は、自らが受け取った最初の手紙を魔術的に解析し、その微弱な魔力の痕跡を辿る。そして、この呪いの発信源が、街の片隅の廃墟に巣食う、孤独な詩人の亡霊の仕業であったことを突き止めた。
「やあ、三流詩人君。君の詩は、実に独創性がなく、退屈だ。だが、その拡散システムだけは、実に興味深かったよ」
私は、姿を現した亡霊を嘲笑うと、街全体を覆う、巨大な「宛先変更」の魔術を発動させた。呪いの手紙が持つ魔術的署名を感知し、その宛先を、強制的に「詩人の亡霊の霊的座標」へと書き換える、広域介入魔術だ。
その瞬間、街の至る所で、奇妙な光景が繰り広げられた。
バルドが、リナが、街中の人々が、呪いの手紙を複製し、宛先を書こうとすると、無意識のうちに、ペンが「廃墟の亡霊様」と書き殴ってしまう。そして、その数千、数万という呪いの手紙が、一斉に、亡霊自身へと殺到した。
『影は影を呼び…』『影は影を呼び…』『影は影を呼び…』『影は影を呼び…』
「うわああああああああああああああああ!」
亡霊は、自らが作り出したルールに、自らが囚われた。受け取った数万通の手紙に対し、その倍の数を、24時間以内に送らなければならない。その無限のタスクに、亡霊の精神は耐えきれず、システムは過負荷を起こす。彼は、自らが書いた詩の断片を絶叫しながら、呪いの奔流に飲まれ、ショートするように消滅した。
街に平和が戻る。人々は、「何か不吉な手紙が流行っていた」というぼりやりとした記憶だけを残し、日常に戻っていった。
私は、自室に山積みになった手紙を、巨大な火球の魔術で一瞬にして灰に変え、後片付けを終える。
研究日誌を取り出した私は、満足げにペンを走らせた。
「結論。自己増殖する情報ミーム怪異は、その指向性を外部からハッキングし、全ての出力を発生源へと還流させることで、システムに無限ループを発生させ、過負荷により自壊させることが可能である。フム…実に美しい解決策だったじゃないか」
私は、自らが引き起こした大騒動の後始末に、少しだけうんざりしながらも、その完璧な解決策の美しさに、ご満悦な笑みを浮かべるのだった。




