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【10位】異世界《探偵》エラーラさん  作者: 王牌リウ
異世界《探偵》エラーラさん 吐きだめの魔獣
146/159

第1話:強襲する殺人者!

エラーラ・ヴェリタスは、王立図書館地区の片隅にある、常連のカフェの窓際で、その不規則な雨音を観測していた。

彼女の白衣は、この薄暗い店内でも、彼女だけの知性のスポットライトであるかのように、鈍い白さを放っていた。

ウェイターが、完璧な所作でコーヒーを置く。


「……ふむ、悪くない『秩序』だ。許容しよう」


「……はあ」


ウェイターは、いつも通りの『観測者』の言葉に、曖昧に頷き、立ち去った。


彼女が、コーヒーに口をつけようとした、その瞬間だった。


ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリッッ!!!


それは、音ではなかった。

それは、鼓膜と、頭蓋骨と、胸の中の魔導回路そのものを、直接『削る』ような、絶対的な『不快』の波動だった。


「……!?」


エラーラが音源を観測するよりも早く。

カフェの正面を覆っていた、分厚い強化魔導ガラスが、まるで黒板消しで文字を消すかのように、瞬時に『削り取られ』、微細なガラスの粉塵となって、店内に噴き出した。


「「「ぎゃあああああああっ!!」」」


店の中の『秩序』が、一瞬にして『混沌』に変わった。

ガラスの霧の向こう、豪雨の闇の中から、『それ』は、音もなく現れた。

純白の、無表情なウサギの仮面。

エラーラよりも頭ひとつ分は高い、屈強な体躯。

そして、その両手には、およそ人間が携行するとは思えない、長大な工業用の魔導ヤスリが握られていた。

ヤスリの表面は、錆びか、乾いた血か、あるいは削り取られた金属片か、赤黒く、おぞましい色に変色していた。


(……なんだこいつはッ!)


エラーラの論理が、未知の脅威を分析しようと、フル回転する。

だが、『それ』は、エラーラの思考よりも、速かった。

ヤスリウサギは、エラーラという『標的』を視認した瞬間、一切の躊躇なく、床に倒れた客も、高級なテーブルも、椅子も、その存在の全てを無視して『直進』してきた。


ガガガガガガガッ!!


エラーラの手前にあったテーブルが、まるで発泡スチロールのようにヤスリで削られ、木屑となって宙を舞う。


「魔導防御ッ!」


エラーラが、本能的に、両手を交差させ、魔導回路を最大出力で起動させようとした。

その、刹那。


「!」


声にならない絶叫が、エラーラの喉を突いた。

時間が、引き伸ばされる。

鋼鉄のヤスリが、エラーラの交差した腕の防御を、紙のように削り裂き、その勢いのまま、魔導を操る全ての人間にとっての『心臓』である、魔導回路の中枢を、正確に、深く、貫いていた。

ゴリッ、ゴリッ、と。

ヤスリが、エラーラの白衣の下、肋骨と皮膚の狭間で、意図的に捻られた。


「がっ!?」


それは、ただの物理的な痛みではなかった。

自らの『論理』そのもの。

世界と繋がる『手段』。

エラーラ・ヴェリタスという存在を定義する『秩序』そのものが、胸の中で、ゴリゴリという不快な摩擦音と共に、暴力的に粉砕されていく感覚だった。

魔力が、胸の傷口から、急速に漏出していく。

魔法が、使えない。

彼女の『秩序』は、この『不条理』の前には、起動することすら許されなかった。

ヤスリウサギは、無言でヤスリを引き抜くと、血を噴き出して崩れ落ちるエラーラに、とどめを刺そうと、再びヤスリを振り上げた。

エラーラの隣の席にいた紳士が、恐怖に腰を抜かし、金切り声を上げた。


「ひぃッ! た、助け……!」


ヤスリウサギは、その『音』に反応した。

エラーラよりも近く、より『やかましい』サンプル。

ターゲットが、変更された。

紳士は、何の抵抗もできず、その屈強な腕に掴み上げられ、床に押さえつけられた。

そして、その顔面に、ヤスリが置かれた。


「や、やめ……が……」


ゴリリリリリリリリリリリリリリッッ!!


「わああああッ!」


エラーラは、床に倒れたまま、目の前で繰り広げられた光景に、戦慄した。

それは『殺害』ではなかった。

それは、エラーラの理解を超えた、冷酷な『加工』だった。

紳士の顔は、ヤスリの往復運動によって、目も、鼻も、口も、皮膚も、骨も、全てが『平ら』になるまで削り取られ、原型を留めない『滑らかな肉塊』へと、数秒で変貌した。

ヤスリウサギは、その『仕上がり』に満足したかのように、無言で立ち上がると、再び、エラーラに向き直った。


(……やられる!)


エラーラは、魔導回路を失った、ただの『物理的な肉体』として、床を転がった。

純粋な、論理ではない、動物的な『生存本能』だけが、彼女の体を動かしていた。


(……痛い…痛い痛い痛い!)


エラーラは、カフェの分厚い大理石のカウンターの裏に身を隠す。

だが、無意味だった。

ヤスリウサギは、再び『直進』する。

エラーラが隠れたカウンターを、『障害物』と認識せず、凄まじい音を立てて『削りながら』貫通してきた。


ガガガガガガガガガッ!!


(……この『バグ』は! 『最短距離』の『加工さつがい』という『秩序』にしか従っていない!)


エラーラは、裏口へ向かって、必死に床を這った。

胸の傷口から、魔力と共に、大量の血液が溢れ出し、床に赤い軌跡を描く。


冷たい雨の降りしきる裏路地へ転がり出た瞬間、エラーラは、第二の絶望と直面した。

路地の反対側から、灰色のコアラの仮面を被った屈強な女が、『直進』してきた。

その手には、建造物すら粉砕する、解体用の巨大な魔導ハンマーが握られている。

ハンマーコアラは、路地に山積みにされていた魔導廃棄物のコンテナも、逃げ遅れた通行人も、金属製のフェンスも、一切避けようとせず、真正面からハンマーで『粉砕』しながら、エラーラという『標的』に迫っていた。


バキィッ! ドゴォンッ! グシャッ!


金属が、紙くずのように叩き潰され、舞い散る。

通行人だった『サンプル』は、原型を留めない『混沌』の染みとなって、壁に塗りつけられた。

圧倒的な『質量』の暴力。


(……二匹……! 『仲間チーム』だったのか! なぜ!? データベースに無い! 観測データが! 思考が! 足りない!)


エラーラは、迫り来る二つの『不条理』に挟撃された。

エラーラは、最後の力を振り絞り、横道の、ゴミが散乱する隙間へと飛んだ。

直後、エラーラがさっきまでいたアスファルトの地面が、ハンマーコアラの一撃で陥没し、小さなクレーターになった。

だが、その衝撃波だけで、エラーラの体は数メートルも吹き飛ばされた。


「が……ッ!」


背中を、雑居ビルの硬い壁に強かに打ち付ける。


血の味が、喉の奥からせり上がってくる。


ヤスリウサギが、削り取ったカフェの壁の穴から、エラーラを『磨く』ために、ゆっくりと『直進』してくる。


ハンマーコアラが、粉砕したクレーターの向こうから、エラーラを『叩く』ために、重い足取りで『直進』してくる。


二人とも、一切の言葉を発しない。

ただ、雨音と、自らの破壊音だけを響かせ、エラーラを、完全に『削除』しようとしていた。

エラーラは、霞む目で、周囲を観測した。

魔導は使えない。体力も尽きかけている。


(……『論理』が通じないなら、『物理』か!)


視界の端。

彼女が叩きつけられた雑居ビル。そこは、外壁の修復工事中だった。

屋上から、ゴンドラ作業用の太いロープが、一本、すぐ手の届く場所に、無造作に垂れ下がっていた。


(……これに賭ける!)


エラーラは、血反吐を吐きながら立ち上がると、雑居ビルの非常口へ飛び込んだ。

直後、エラーラがいた壁面を、ヤスリが削り、ハンマーが粉砕した。


ドン! ゴリゴリ! ドン! バキバキッ!


凄まじい破壊音が、エラーラの背後、階下から迫ってくる。

二人は、エラーラが使った非常階段を『上る』のではない。

エラーラのいる階へ、最短距離で、床を『叩き割り』、壁を『削りながら』、物理法則を無視したかのように、垂直に追いかけてくる!


(……なんという『効率的』だ! 奴らは、ただ『直進』してくるだけか!)


エラーラは、胸部の激痛に、何度も床に倒れ込みながら、錆びた非常階段を駆け上がった。

魔力が失われていく。寒い。

だが、科学者としての『矜持』が、彼女を突き動かしていた。


(……死ぬものか!こんな『不条理』に、私が!)


屋上のドアを蹴破る。

冷たい豪雨が、血まみれの白衣を叩く。

すぐそこに、あのロープの固定金具があった。

階下からは、屋上の床そのものを突き破ろうとする、ハンマーの強烈な衝撃音が、断続的に響いている!

エラーラは、震える手でロープを掴むと、躊躇なく屋上のフェンスを飛び越えた。

ロープが、魔導回路を失ったただの「生身」の手のひらの皮を、容赦なく削いでいく。凄まじい摩擦熱と、肉の裂ける痛み。

ビルの壁面に何度か叩きつけられながら、数秒で地上の路地裏に、無様に叩きつけられた。


「……っ……ハァ……ハァ……ハァ……」


全身が、鉛のように重い。胸の奥が、焼けるように痛い。

だが、撒いた。

エラーラは、よろめきながら、大通りへと転がり出た。

一台の魔導タクシーが、雨の中、ゆっくりと近づいてくるのが見えた。

エラーラは、最後の力を振り絞り、車道へ踏み出し、血まみれの手を上げた。


「止まれ!」


だが、タクシーの運転手は、雨の闇の中から、突如として現れた、血まみれの白衣の女を見て、パニックに陥った。


ドンッ。


タクシーの車体は、エラーラの体を、無慈悲に、しかし中途半端な速度で撥ね飛ばした。

アスファルトに再び叩きつけられたエラーラ・ヴェリタスは、しかし、意識を失わなかった。

彼女は、ゆっくりと、折れた腕と、折れた肋骨を引きずりながら、立ち上がった。

雨に濡れた彼女の銀髪が、顔に張り付く。

その隙間から覗く、観測者の双眸は、もはや知性や好奇心の宿していなかった。

そこにあったのは、自らの『論理』を蹂躙され、ただ『生存』という物理法則のためだけに起動した、剥き出しの闘争本能。

鬼の形相だった。


「ひッ……!」


運転手は、撥ねた相手のその『目』を見て、金縛りにあった。

エラーラは、タクシーの助手席のドアを、壊れるほどの力で引き開けると、運転席に転がり込んだ。

血まみれの手が、運転手の震える服を、鷲掴みにする。


「王都警察へ直行しろ!急げ!」


それは、懇願ではなかった。

魔導回路を失ったエラーラが、その口から発した、純粋な『物理的な脅迫』だった。


「『命令』だ!」


タクシーは、恐怖に絶叫する運転手を乗せ、雨の王都を、警察署に向かって疾走した。

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