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エラーラ・ヴェリタス/ERROR la VERITAS  作者: 王牌リウ
エラーラ・ヴェリタス短編集3 日常篇
142/206

第1話:賢者の助手!

「もうやだ! なんだよ、この新しい『魔力共振』の理論って! 難しすぎる!」


ゴウは、エラーラから渡された真新しい教本を、診療所の床に叩きつけた。


「父さんが教えてくれた、古い詠唱の方がずっと簡単だし、ちゃんと火だって点く! こんな新しいやり方、必要ないよ!」


ゴウは、自分が慣れ親しんだ『古い知識』を盾に、理解が追いつかない『新しい知識』を、苛立ちと共に拒絶した。


「フム。実に興味深い」


研究室の階段から、エラーラがゆっくりと下りてきた。彼女は、ゴウが投げ捨てた教本を拾い上げる。


「キミは今、自分の古いデータセットが『快適』だという理由だけで、より効率的な『新しいデータセット』の学習を放棄した。それは『柔軟性』の欠如だ」


「柔軟性?」


「ああ。古い考えに固執する者は、新しい危機に適応できず滅びる」


エラーラは、教本をパラパラとめくりながら続けた。


「新しい考えだけを妄信し、古い考えが持つ『価値』を捨てる者も、また同じように滅びる。最も危険な『在り方』とは、どちらか一方しか選べない、『硬直』した思考そのものだよ」


ゴウは、不満そうに口を尖らせた。


「…俺には、関係ないよ」


「いいや、大いに関係がある」


エラーラの瞳が、ゴウを射抜いた。


「かつて、一人の少女がいた。彼女は、この世界を『古い理屈』で救おうと必死だった。彼女は、自分の『正しさ』を信じ、たった一つの『新しい考え』を拒絶した。…そして、その『硬直』した正義感で、この世界を、滅亡させたのさ」


・・・・・・・・・・


かつて、この世界は『灰色の腐敗』と呼ばれる、未知の病に侵された。

大地は活力を失い、草木は灰色に枯れ果て、人々は生きたまま石のように硬くなって死んでいった。

それは、あらゆる治癒魔術も、聖職者の祈りも通用しない、完全な絶望だった。

誰もが諦め、世界の終わりを悟る中、王国の若き大司祭である『少女』だけが、古代の聖典を手に立ち上がった。


「『灰色の腐敗』は、我らの堕落に対する、神の怒りがもたらした『呪い』である! 聖典によれば、神の呪いを浄化できるのは、選ばれた聖職者が行う、究極の『聖光の儀式』のみである!」


人々は、彼女のその絶対的な自信と、『古い理屈』に最後の望みを託した。

だが、一人だけ、異を唱える者がいた。

王宮魔術師ギルドの、無名な研究者だった。

彼は、禁忌を破って『灰色の腐敗』で死んだ者を解剖し、一つの『新しい事実』を発見していた。


「お待ちください、大司祭!」


研究者は、儀式の準備を進める少女の前に駆け寄った。


「これは『呪い』ではありません! これは、魔力に反応して増殖する、未知の『菌類』です! 生物学的な病なのです!」


研究者は、必死に懇願した。


「『聖光の儀式』はダメだ! これに高純度の魔力を与えれば、病は悪化します! 必要なのは魔法ではなく、あの『北の洞窟』に自生する、特定の『苔』をすり潰した、物理的な『中和剤』なのです!」


それは、聖典には記されていない『新しい考え』だった。

だが、少女は、その『新しい考え』を、神への『侮辱』として一蹴した。


「黙りなさい、異端者!」


少女の声は、氷のように冷たかった。


「神の試練を、ただのキノコ風情と一緒にするとは! あなたのその『新しい考え』こそが、人々を惑わせる悪魔の囁きだ!」


少女は、自分の『古い理屈』が『絶対善』であると信じて疑わなかった。

彼女は、その『柔軟性』の欠如した正義感で、研究者を異端者として投獄し、彼が発見した『中和剤』のデータを、すべて焼き捨てさせた。


そして、運命の日。

少女は、国中の聖職者と魔術師を集め、彼らの魔力のすべてを束ね、空を覆い尽くすほどの、最大級の『聖光の儀式』を敢行した。

黄金の光が、世界中に降り注ぐ。


「見よ! これぞ神の御業! これぞ、我らの『古い理屈』の正しさの証明だ!」


少女は、勝利を確信して叫んだ。

だが、それは浄化にはならなかった。

『灰色の腐敗』にとって、高純度の『聖光』は、地上で最も効率の良い『肥料』でしかなかった。

大地が、歓喜の叫びを上げた。

菌類は、その莫大なエネルギーを吸収し、瞬時に、爆発的に進化を遂げた。

灰色の触手が、儀式の中心地である王都から溢れ出し、音を立てて空を覆った。それは、数時間のうちに、大陸のすべてを覆い尽くした。

人々は、悲鳴を上げる間もなく、灰色の塵に変わった。

文明も、森も、海も、すべてが均一な灰色の世界へと『浄化』された。

少女は、一人だけ生き残った。

彼女が立っていた祭壇だけが、奇跡的に腐敗を免れていた。

彼女は、灰色の風が吹く、完全に滅亡した世界で、一人立ち尽くし、震える声で呟いた。


「…なぜ? 私は、聖典の通りに…古い理屈の通りに、完璧にやったのに…」


・・・・・・・・・・・・


ゴウは、エラーラの話を聞き終え、息を飲んだ。


「そ、そんな…ただの『思い込み』で、世界が…。…でも、エラーラさん、それは、ただの寓話だよね? その『少女』って奴が、馬鹿すぎただけだ」


ゴウは、その残酷すぎる結末を、作り話として処理しようとした。

だが、エラーラは、静かに首を振った。


「馬鹿、か。フム、そうかもしれないね。彼女は傲慢で、硬直していた。自分の『古い理論」こそが、唯一の真実だと信じて疑わなかった」


エラーラは、窓の外を見つめ、まるで遠い過去を思い出すかのように、金色の瞳を細めた。


「その『少女』の、本当の名はね。…エラーラ・ヴェリタス、という」


「え…?」


ゴウの思考が、停止した。


「な、なに言ってるの…エラーラさん……それって…」


「そう。キミが今、目の前にしている、この『私』の、はるか昔のサンプルのことだよ」


「!!!」


「私は、あの『聖光の儀式』を実行した。私は、灰色の菌類が世界を覆い尽くすのを、あの祭壇の上で観測した」


「じゃあ…じゃあ、なんで今、世界は…!」


ゴウが叫ぶと、エラーラは、実に面倒くさそうに、そして当然のように、しれっと告げた。


「ああ。あの後、私は禁忌とされている『時空間座標の巻き戻し』の魔術を起動させたからねぇ…フフフ、もちろん、世界を『復元』するためという、実に効率的な実験さ」


「じ、時間を…巻き戻した…?」


ゴウは、恐怖で震え始めた。

この人は、平然と世界を滅ぼし、平然と時間を巻き戻したというのか。


「そ、それって…」


「フム。もちろん、これが『最初』ではない。この世界は、君の知らないうちに、何度も、何度も、破滅と復元を繰り返している。私は…どうやら、この世界に巣食う、観測不能な『バグ』そのものらしい」


その時、エラーラは、自分の告白が、目の前の少年にとって許容量を超えたストレスを与えていることを観測した。ゴウは、恐怖と混乱で、真っ青になって震えている。

エラーラは、ふっと表情を緩めると、珍しく、ゆっくりとゴウに近づいた。

そして、その震える小さな体を、ぎこちなく、しかし優しく抱きしめた。


「…私の研究に付き合わせて、すまないねェ、ゴウくん。キミにまで、私の『失敗データ』を背負わせるつもりはなかった」


「え…あ…え…?」


ゴウは、エラーラの腕の中で、完全に硬直した。彼女の柔らかな胸の感触と、いつもと違う優しい声に、顔がカッと熱くなる。

彼は、その照れを隠すために、必死でいつもの口調を取り繕った。


「な、なんだよ! 急に! べ、別に、エラーラさんが俺に抱きつきたかっただけだろ! そういう口実で!」


「……。」


ゴウは、反撃の言葉を待った。

「フム、キミの体温上昇のデータは実に興味深い」とか、いつもの調子で返ってくるはずだった。

だが、エラーラは、何も言わなかった。

ただ、ゴウを抱きしめる腕に、ほんの少しだけ力を込め、その瞳は、ゴウの頭越しに、世界の『真実』を見つめているようだった。

その、あまりにも重い『沈黙』が、ゴウの心を突き刺した。

ゴウの、強がりの笑顔が、凍りついた。


(…嘘だろ…)


エラーラが、何も言わない。

それは、彼女の寓話が、彼女の告白が、すべて、恐ろしい『事実』だったと、ゴウが悟った瞬間だった。

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