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第2話:Platina Data

主題歌:プラチナデータ サウンドトラック

https://youtu.be/4hIwaygRiXs

コンスタンティンが拘束され、王都が「英雄」の裏切りに震撼した、あの公開処刑から数週間。 エラーラ・ヴェリタスは、獣病院の地下研究室で、一人、焦燥に駆られていた。

彼女は、勝利したはずだった。 自らの「論理」は、コンスタンティンの「偽りの正義」を完璧に暴き、社会的に抹殺した。カインの命を対価に、自らの「カルマ」も、清算したはずだった。


だが、エラーラの心には、予期せぬ「ノイズ」が発生していた。 「罪悪感」と、世の人間が呼ぶ、非論理的なバグだった。

それは、コンスタンティン断罪の数日後、アカデミーから訪ねてきた、一人の若い研究者のせいだった。


「あなたが、コンスタンティン卿を……殺した!」


若者は、エラーラにそう詰め寄った。

彼は、コンスタンティンが掲げた「法による秩序」という「理想」だけを、狂信的に信奉していた。


「彼は、王都の唯一の希望だった! あなたの『論理』が、その希望を殺したんだ!」


エラーラは、いつものように、彼を「完璧に」論破した。


「非論理的だ。貴様の信じた『希望』は、最初から存在しない『虚無』だ。彼が破滅したのは、彼自身の『非論理』のせいだ。それが、真実だ」


若者は、自らの信仰を、エラーラの完璧な「真実」によって、木っ端微塵に破壊された。 そして、その日の夕方。若者は、アカデミーから姿を消した。

エラーラは、その報告を聞いても、表情一つ変えなかった。


「……ふん。論理の負荷に耐えられなかった、脆弱な思考回路だ。淘汰されるべくして、淘汰されたにすぎん」


そう、呟いた。

だが、その夜から、エラーラは、悪夢にうなされるようになった。

彼女は、初めて「罪悪感」を覚えたのだ。

自らの「論理」が、魔術でも呪詛でもなく、ただの「論理」だけで、人を死なせた。 その、予期せぬ「カルマ」に。


「……やり直す、か」


エラーラは、決意した。


「この『バグ』は、観測に値しない。最初から、リセットする」


時間転移魔術を使う。すべてのカルマの元凶。コンスタンティンに、あの「呪詛」の理論を渡した、あの瞬間に、戻るために。


その瞬間。 ガタン、と、背後で物音がした。


「誰だ!」


振り返るよりも早く、麻袋が、頭から被せられた。


「ぐっ……!」


抵抗する間もなく、後頭部に、鈍い衝撃。

エラーラ・ヴェリタスは、気絶した。


・・・・・・・・・・


……冷たい。

石の感触。 エラーラは、拘束された状態で、目を覚ました。 そこは、どこかの薄暗い地下室だった。魔導ランタンのか細い光が、湿った壁を照らしている。


「……目が覚めたか。『論理の魔女』」


スピーカーから、変声機を通した、ねっとりとした声が響いた。


「な、何者だ、貴様……!」


「私は、裁定者だ」


声は、続けた。


「エラーラ・ヴェリタス。貴様は、その『論理』という名の刃で、コンスタンティンを死に追いやった。そして、貴様には、その『罪の意識』が、まるでない」


「……」


エラーラは、即座に、状況を分析した。


(アカデミーの若者の、関係者か? いや……この声、このやり口……ただの、独善的な……)


「面白い」


エラーラは、拘束されたまま、不遜に笑った。


「貴様は、私に『罪の意識を持て』と言う。だが、その論理は、既に破綻している」


「なに?」


「コンスタンティンは、自らの『非論理』によって破滅した。つまり、私とは無関係の、自己完結した事象だ」


エラーラは、声の主に、完璧な論理を叩きつけた。


「そして! 貴様は、そのどちらとも全く無関係の第三者だ! 完全に無関係の貴様が、なぜ、私に『罰』を与える権利がある? 私怨ですらない! それは、ただの独りよがりだ! 私を論破してみろ!」


スピーカーの向こうで、犯人が、息を呑むのが分かった。


「詭弁だ!」


「詭弁ではない! 論理だ!」


エラーラは、叫んだ。


「そして……警告してやる! もし貴様が、その非論理的な『正義感』で、私を殺す、などということをしたら、その瞬間、貴様は、貴様が言うところの、私と同じ、『罪人』になる! その『カルマ』は、必ず、貴様自身に降りかかるぞ!」


「……うるさい、うるさい、うるさい!」


犯人は、エラーラの論理に耐えきれず、絶叫した。


「貴様のその『口』を永遠に黙らせてやる! 貴様には反省が必要なのだ!貴様の論理が正しいと言うのなら、そこから脱出して見せろ!」


エラーラが拘束されていた台座が、音を立てて動き出した。


「第一のトラップだ!」


壁から、無数の、高速で回転する、鋭利な刃が、迫ってきた。


「ぐ……!」


エラーラは、必死に、その刃の「回転の論理」を見抜き、隙間を計算する。

身を捩る。

だが、計算が、わずかに狂った。

刃の一つが、彼女の左腕を、肩口から、容赦なく切断した。

凄まじい激痛と、噴き出す鮮血。


「は、はは……! どうだ! 痛いか! 苦しいか!」


犯人の、興奮した声が響く。


「ぐ……う……!」


エラーラは、片腕を失いながら、血の海を這い、次の部屋へと転がり込んだ。


「第二のトラップだ!」


床が、瞬時に、高熱を帯びた。


「ああああッ!」


「私の特製、融解の錬金術だ!」


床の敷石が、赤熱し、ジュウ、と肉の焼ける音が響く。 エラーラは、熱で焼け爛れる足を、必死で動かし、壁に設置された「論理パズル」を、片手で、猛烈な速度で解いていく。


「が……あ……!」


足の感覚が、もうない。骨まで溶けそうだ。 パズルが、解けた。 目の前の、脱出口が開く。


「……は……は……」


エラーラは、もはや、原型を留めていない、焼け爛れた下半身を、残った右手だけで引きずり、出口へと向かう。


「第三のトラップだ! 貴様の、その『論理の脳』を、焼き切ってやる!」


出口の先、最後の通路。その先には、外の光が見える。 だが、その通路には、致死量の電撃を放つ、魔導結界が張られていた。

それは、罠ですらなかった。


「突破不能…ここまで、か……」


エラーラは、自らの死を、論理的に、予測した。

だが、 エラーラの瞳が、最後の光を放った。


「……私の、実験は……まだ、終わっていない……!」


彼女は、残った右手を、自らの腹部に突き立てた。 数週間前、あの通り魔に刺された、あの古い傷口に。


「ぐ、おおおおおっ!」


彼女は、自らの体内に、まだ辛うじて残っていた「魔力回路」の、最後の残滓を、物理的に、引きずり出した。 そして、その、血に濡れた魔力の「線」を、目の前の、電撃結界に、投げつけた。


凄まじい閃光。エラーラの、生体魔力回路が、結界とショートし、空間の魔術封印そのものを、一時的に、破壊した。


「なっ……!?」


犯人の、驚愕の声。

その、一瞬の隙。 エラーラは、最後の力を振り絞り、脱出口へと、転がり出た。 そこは、どこかの、廃工場のようだった。 エラーラは、切断され、溶解され、感電した、ボロボロの身体で、床に、横転した。

そして……動かなくなった。

息が、絶えた。


「……」


静寂。そこへ、マスクを被った犯人が、ゆっくりと姿を現した。

彼は、エラーラの「死体」を、足で蹴る。


「……死んだ、か」


犯人は、マスクを外し、歪んだ、達成感に満ちた顔で、天を仰いだ。


「見たか! これが、天罰だ! 『論理』など、無力! 貴様は、その罪を、自らの『痛み』で、償ったのだ! 『正義』は、執行された……!」


だが、 その時、床に転がっていたはずの「死体」が、か細い声で、呟いた。


「……だ……から……やめろと……言ったのだ……」


「……は?」


犯人は、エラーラがまだ生きていることに、驚愕した。 エラーラは、血の泡を吹きながら、最後の力を振り絞り、犯人を、見上げた。


「……貴様は……私の『警告』を……無視した……」


「な、何のことだ……?」


「……『カルマ』は……論理的だ、と……言った、はずだ……く……来るぞッ……!」


「…?」


犯人は自らの行為に満足し、雑踏に紛れようと路地裏へ駆け込んだ。

まさにその時。別の通り魔──焦燥しきった無差別な犯行者──と正面から激突した。


「邪魔だ!」


その通り魔は、恐怖と混乱から、持っていた刃物を無造作に突き出す。


「ぐっ……!?」


犯人は、自分が仕掛けたわけではない、全く無関係な第三者による暴力に腹部を刺され、その場にうずくまった。

痛みに耐えかね、よろめきながら大通りへ戻った瞬間。

高層ビルの窓清掃をしていた作業員のゴンドラが、突風にあおられ、取り付けたばかりの巨大な窓ガラスに激突した。


バリィィン!


粉々になったガラスが、真下にいた犯人の頭上へシャワーのように降り注ぐ。無数の切り傷が全身を走り、彼は血まみれになって歩道に倒れた。


その直後、けたたましいブレーキ音。

落下してきたガラス片に驚き、ハンドル操作を誤った乗用車が、歩道に乗り上げてきた。車は、うずくまる犯人を的確に跳ね飛ばす。


「がはっ……!」


犯人の体は宙を舞い、道路工事現場のバリケードを突き破って、地面に打ち付けられていた鉄製の杭の真上に落下した。鋭い杭が、彼の体を下から貫く。


だが、苦しむ間もない。

その工事現場は、舗装作業中だった。先ほどの車がバリケードに突っ込んだ衝撃で、クレーンで吊り上げられていた熱した魔導アスファルトの入ったタンクがバランスを崩した。

ゴトリ、と留め金が外れ、灼熱の黒い液体が、串刺しになった犯人の上から降り注いだ。


もはや、そこにあるのは人としての原型を留めていない「何か」だった。

そして、大渋滞を引き起こしたその現場に、ブレーキの壊れた魔導タンクローリーが突っ込んできた。


魔導タンクローリーは、杭と魔導アスファルトと犯人の残骸をまとめて轢き潰し、横転。積載していた高濃度の可燃性液体が、周囲に漏れ出す。

全てが、ほんの数十秒の出来事だった。


その惨状を見下ろす高速道路の橋の上。

ドライバーが、吸い終えたタバコを窓からポイ捨てした。

赤く燃える小さな火種が、ゆっくりと……回転しながら落ちていく。

それは、漏れ出した可燃性液体が作った水たまりの、ちょうど真ん中に着地した。

次の瞬間、世界から音が消え、閃光がすべてを白く染め上げた。

凄まじい大爆発が起こり、タンクローリーも、車の残骸も、杭も、アスファルトも、そして犯人だったものも、すべてが区別なく分子レベルにまで分解され、業火の中に消滅した。


「……」


エラーラは、それを見届けた。 彼女の論理は、またしても、勝利した。 だが、エラーラ自身も、もう、助からない。 血を失いすぎた。身体も、もう、動かない。


(……これが……私の、結論、か……)


エラーラは、最後の、最後の力を振り絞った。 彼女が、あの地下室で、自らの魔力回路を犠牲にして、魔術封印を破壊したあの一瞬。 彼女はすでに「術式」を起動させていた。禁断の魔術。 「時間転移魔術」。


(……か、ん…そく……かい……し……!)


エラーラの、ボロボロになった身体が、淡い、青白い光に包まれ、粒子となって、消えていく。


・・・・・・・・・・


アカデミーの一室。


「エラーラ君、君の天才的な頭脳が必要だ。秩序のための非殺傷兵器として、君の力が借りたい」


かつて、唯一信頼していた、友人の、コンスタンティンが立っている。


エラーラは、すべての「未来」を、知っている。

エラーラは、ゆっくりと立ち上がり、魔導チェス盤の前に立つと、コンスタンティンの駒を、指で、弾き飛ばした。


「……コンスタンティン」


彼女は、かつての、完璧な笑顔で、彼を見据えた。


「貴様のその『依頼』は、あまりにも……」


「非論理的だ」


「え、エラーラ君!? どこへ……!」


彼女は、コンスタンティンに背を向け、アカデミーの研究室を、そのまま、後にした。


エラーラの体は、光に包まれた。

そして、元いた時間へと向かった。


・・・・・・・・・・


エラーラは、土砂降りの雨の中を、歩いていた。


滝のような豪雨。 雷鳴が地を割り、稲妻が灰色の雲を瞬時に引き裂く。

あの日。自らが死んだ日と同じ、土砂降りの雨だ。


「……フ…」


雨音に紛れ、微かな笑い声が漏れた。

雨が、彼女の身体を、白衣を、容赦なく打ち付ける。

エラーラは、天を仰いだ。 空から降り注ぐ無限の水滴が、彼女の顔を洗い流していく。 彼女の口元には、あの地下室で見せた不遜な笑みでも、アカデミーで見せた完璧な笑顔でもない、静かで、絶対的な笑みが浮かんでいた。

彼女の論理は勝利した。 彼女の実験は、成功したのだ。 世界がどれほどの非論理で彼女を殺そうとも、彼女は常にその一歩先を行き、全てを計算し尽くす。


びしょ濡れになった白衣の裾を引きずり、エラーラ・ヴェリタスは、彼女一人のために用意されたかのような嵐の中を、自宅の、あの獣医病院の方向へ。

絶対的な勝者として、確かに、歩き始めた。

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