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第1話:観測者の結論!

俺は、正義を信用しない。

俺の名はカイン。

「紅蓮会」という、古くから腐臭を放つ看板を背負って生きている。


数年前、俺たちのシマで細々と薬草屋を営む老夫婦がいた。新興の「金秤会」を名乗る連中に脅され、店先に呪詛の込められた汚物を撒かれ、追い詰められていた。

俺たちは連中を半殺しにして追い払った。老夫婦は、俺たちの手を握って感謝した。

俺の行動は、正義だった。

だが、駆けつけた警備隊が魔導手錠をかけたのは、俺たちの方だった。


「より強い者が、正義だ。」


そう言い放った男の顔を、俺は忘れない。

聖騎士長、コンスタンティン。

知的で、怜悧な銀縁の眼鏡の奥に、凍てつくような青い瞳。市民からは「正義の守護者」と英雄視されている男。


あの時、悟ったのさ。正義とは、強い者が弱い者の骨を砕くための、都合のいい鉄棍でしかない、と。

だから、俺が今ここで生きている理由も、大層な正義のためじゃねえ。

俺自身の人生など、とうにどうでもよくなった。

だが、守らねばならないものが、たった一つだけあった。


「カインさん……あの子、やっと寝た」


事務所の奥、仮眠用のソファで、疲れた顔の男が息子の寝顔を見つめている。

ルーク。俺が拾った弟分だ。

いや、拾ったなんて綺麗な言葉で片付けられるもんじゃない。俺が、あいつの人生をめちゃくちゃにして、この泥濘に引きずり込んだんだ。


あいつは元々、塔の一室で古文書を写す、平凡な魔導写本師だった。ただ、致命的なまでに、優しすぎた。

数年前、金秤会の連中と揉めた俺が、連中の追撃を振り切ろうと路地裏に逃げ込んだ。偶然、そこはルークのアパートの前だった。

俺の喉笛にドスが突き立てられようとした瞬間、何の得にもならないのに、あいつは俺の前に飛び出し、身代わりになった。

鈍い音。

ルークの腕から噴き出したのは、赤い血ではなかった。黒く、おぞましい魔力の奔流だった。


「ぐ……あ……あああああっ!」


ルークの腕に刻まれたのは、ただの刃傷ではない。「呪詛」だった。

右腕の皮膚の下を、まるで生きた蛇のように黒い紋様が走り、その魔力回路を根こそぎ焼き切っていく。

ルークの腕は、二度と精密な魔導筆を握れなくなった。


あの呪詛の術式が、どこから来たのか。

俺は、裏の魔術師に大金を払い、その残滓を調べさせた。

そして、吐き気を催すような真実にたどり着いた。


「……エラーラ・ヴェリタス」


獣病院に巣食う、王都随一の天才魔導研究者。

そして、その呪詛は、元はと言えば、あの聖騎士長コンスタンティンが、数年前にエラーラに「公的に」依頼して作らせたものだった。


・・・・・・・・・・


「チェックメイトだ、コンスタンティン。貴様のその『秩序』への執着は、思考を硬直させているぞ!」


アカデミーの陽光あふれる研究室。エラーラ・ヴェリタスは、魔導チェスの駒を叩きつけ、勝ち誇ったように笑った。


「はは、一本取られたな、エラーラ君。君の思考の跳躍には、いつも驚かされる」


コンスタンティンは、心底楽しそうに投了した。彼は、エラーラがこの王都で唯一、その「論理」を対等に認め合える男だった。二人は、この混沌とした街を、法と秩序によって再構築するという理想を共有する、知的な友人だった。


「それにしても、君の理論は素晴らしい」


コンスタンティンは、チェス盤をリセットしながら、話題を変えた。


「だが、いかに優れた法があっても、それを執行する『力』が伴わなければ、混沌は消せない」


「力、ね。警備隊の剣や魔術では不足だと?」


「不足だよ。ただ、我々は、殺したいわけじゃない。無力化したいんだ」


コンスタンティンは、窓の外の雑然とした王都を見下ろし、真剣な目でエラーラに依頼した。


「エラーラ君、君の天才的な頭脳が必要だ。凶悪な魔導犯罪者を、殺さずに、しかし二度と悪事ができなくする方法はないだろうか?」


「……ほう?」


エラーラの目が、純粋な好奇心に輝いた。


「秩序のための非殺傷兵器か。面白い!」


「君の力が借りたい。我々が共有する、理想の正義のために!」


エラーラは、彼が語る「正義のための力」という理想に、心から共感した。彼への深い信頼の証として、その研究に着手し、数週間後、完璧な術式「呪詛」を彼に引き渡した。


「これで王都の非論理が、少しはマシになる」


そう言って笑うエラーラの顔に、何の疑いもなかった。

それが、彼女が蒔いた「カルマ」の種だとは、その時のエラーラは、知る由もなかった。


コンスタンティンは、その「平和利用」のための呪詛を、自らが裏で操る「金秤会」に横流しし、敵対ギルドを潰すための非人道的な兵器として悪用していたのだ。

そして、そのエラーラの「理想」の最初の犠牲者が、俺の弟分、ルークだった。


「ヤクザの抗争に首を突っ込む危険人物」


そんな噂が広まるのに、時間はかからなかった。職も、アパートも失った。真っ当に生きようとしていた男の居場所は、俺が纏う血の匂いが、すべて、奪い去ってしまった。

俺はあいつに何度も詫びて、カタギの世界に戻そうとした。だが、行くあてのないルークは、ただ虚ろな目で「俺にはもう、何もないから」と呟くだけだった。あいつを俺の隣に置くことだけが、あいつを生かす唯一の方法だと、そう信じるしかなかった。


そのルークに、数年前、光が差した。セリアという女だ。

あいつが腹の底から笑うのを、俺は初めて見た。

やがてセリアは身籠り、あいつの息子が産まれた日、ルークは病院の廊下で、赤ん坊のように泣きじゃくっていた。

俺が奪ったあいつの人生に、ようやく新しい色が塗り重ねられていく。その光景が、俺にとっての唯一の救いだった。

だが、俺がその光さえも、自らの手で握り潰すことになる。


あれは、あの子が生まれてまだ数ヶ月。抗争が最も激化していた、冷たい雨の日のことだった。

「金秤会」の幹部を、俺が消した。

その報復で、街は戦場と化した。

敵の魔導車に追われながら、俺は銃撃を繰り返していた。カーチェイスの末、敵の魔導車の車輪を、俺が放った迎撃の魔術が撃ち抜いた。

コントロールを失った魔導車が、甲高い金属音を上げて敷石の歩道に乗り上げた。

その先に、誰かがいるのが見えた。

俺は、自分の目を疑った。

そこに立っていたのは、退院したばかりのセリアと、赤ん坊を抱く……ルークだった。


「危ない!」


俺の叫びは、鋼鉄が肉を轢き潰す轟音に掻き消された。

ルークは、立ち尽くしていた。

その足元には、もはや人間の原型を留めていない、かつてセリアだったものが、転がっていた。

ルークの腕には、奇跡的に無傷だったあの子が抱かれている。


「ルーク……」


俺が絞り出した声に、何の反応も示さない。その虚ろな瞳は、魂が完全に肉体から抜け落ちてしまったかのようだった。

俺が殺した。

俺が、裏社会に生きた「カルマ」が、俺が放った「魔術」という形で、ルークの人生から光という光を、最も残忍な形で根こそぎ奪い取ったのだ。

セリアの簡素な葬儀が終わってから、ルークは変わった。

ルークは、俺を一度も責めなかった。だが、その瞳から光は消え、ただ黙って、事務所の隅であの子をあやしている。

その感情の死んだ横顔と、決して交わることのない視線。その沈黙が、どんな罵声よりも深く俺の臓腑に突き刺さっていた。



その日、俺は組の仕事で、数時間、事務所を空けていた。

ルークが、たった一人であの子と留守番をしているはずだった。

俺が事務所に戻った時、そこにいたのは、ルークとあの子だけではなかった。


「……コンスタンティン卿?」


なぜ、聖騎士長が、ヤクザの事務所に一人でいる。


「カイン君、久しぶりだね」


コンスタンティンは、あの日のように、理知的で、冷たい笑みを浮かべていた。彼は、怯えるあの子を抱きしめるルークの肩に、優しく手を置いていた。


「ルーク君と、少し、未来の話をしていたところだよ」


「……何の話だ」


「君の『カルマ』の話さ」


コンスタンティンは、俺の目を真っ直ぐに見た。


「ルークの妻を殺したのは、カイン君、君の抗争のせいだ。そうだね?」


コンスタンティンは、理知的で、「救い」に満ちた口調で、ルークに囁いた。


「私に協力しろ、ルーク君。カインという『悪』を断ち切るんだ。そうすれば、君の息子の未来と真っ当な生活を、私が保障しよう」


聖騎士長は、ルークに「正義」という名の、最も甘美な毒を差し出していた。


「法と秩序の世界に、君たち親子を導こう」


ルークは、腕の中で眠る息子の寝顔と、コンスタンティンが差し出した「救い」の手を、震えながら見比べていた。

ルークは、俺を裏切る。

俺は、直感した。


コンスタンティンが事務所から去って数日。

王都アステルは、地獄に変わった。

ルークがコンスタンティンに流した情報により、「紅蓮会」の拠点は、聖騎士長コンスタンティン直属の警備隊による「浄化作戦」によって、叩き潰された。

俺たちの組は、壊滅した。


俺は、血反吐を吐きながら、警備隊の包囲網を潜り抜け、アジトの一つである、打ち捨てられた酒場の地下室に転がり込んでいた。

俺は、壁に背を預け、冷たい酒瓶に残った液体を喉に流し込んだ。

その時だった。

地下室の扉が、軋んだ。

俺は、魔導銃を構えた。


「……カインさんか」


入ってきたのは、組の数少ない生き残り、サガンだった。その腕には、ルークの息子が、ぐったりと眠るように抱かれていた。


「……サガン。お前も、無事だったか。その子は……ルークは、どうした」


サガンの顔が、悔しさと悲しみで歪んだ。


「ルークさんは、死にました」


「……なに?」


「ハメられたんです。コンスタンティンは、最初から、ルークさんごと『紅蓮会』を潰すつもりだった。あいつは、用済みとして、『正義の塔』で……始末されました」


頭を鈍器で殴られたような衝撃。

あいつは、裏切り、そして……裏切られたのか。


「ルークさんは、これを俺に、託しました……!」


サガンが、懐から一つの小さな魔水晶を取り出し、俺に転がした。

俺は、震える手で、その『記憶の魔水晶』を掴んだ。

魔力を込めると、ルークの最後の記録が、空中に浮かび上がった。

そこに映っていたのは、血だらけで、やつれ果てたルークの顔だった。


『カインさん……すまない……俺は、あんたを裏切った。あの子の未来のために……』


映像が切り替わる。

隠し撮りされた、コンスタンティンの執務室。コンスタンティンが、「金秤会」の頭目と、魔導薬の取引について話している。


「……『霊素ダスト』か。いい儲けになる。警備隊の輸送路を使えば、足もつかん」


『奴は……聖騎士長の皮を被った、俺たち以上の、外道だったんだ……!』


ルークの声が、悲痛に震える。


『カインさん。俺は、俺の全てを奪った、あの呪詛のことを調べた。あれを作った女が、獣病院にいる……! 名前は、エラーラ・ヴェリタス……!…この魔水晶には、コンスタンティンの悪事の、すべてが記録ってる。だが、奴の『聖印』で固くロックされている。俺には開けられない。だが、呪詛を作り上げた、エラーラ・ヴェリタスなら……!』


そこで、記録は途切れていた。

俺は、魔水晶を強く握りしめた。


ルーク。

あいつは、俺を裏切った。

そして、その裏切った相手が、俺たち以上の「悪」だと知った。

あいつは、俺を裏切った「カルマ」を、自らの命と、この「証拠」を引き換えにして、清算しようとしたのだ。

そして、その最後の希望を、俺に託していった。

俺は、冷え切った地下室で、立ち上がった。


「俺が戻るまで、この王都の一番深い穴に隠れろ。……もし、三日経って俺が戻らなければ、その子を連れて、王都から消えろ。二度と戻るな」


「カインさん!? まさか、一人で……!」


「これは、俺の『カルマ』だ」


俺は、懐に、ルークの形見をしまい込んだ。

ルークの腕を焼いた、あの呪詛。

そして、その開発者「エラーラ」の名。

あいつは、俺を裏切った「カルマ」を、命で払った。

なら、俺も、払わねばなるまい。

セリアを殺し、ルークを死なせた、俺自身の「カルマ」の、最後の清算を。

俺は、霧雨が降りしきる、灰色の街に出た。

向かう先は、ただ一つ。


・・・・・・・・・


獣病院の二階は、異臭が充満していた。

焦げた薬草と、動物の体臭、そしてオゾンの刺激臭。

俺は、警備の魔導結界を叩き割り、その研究室の扉を蹴破った。


「うるさいぞ! 今、げっ歯類の魔力覚醒に関する、人類史上最も重要なデータを採取中なのだ! 貴様らのような下等生物の相手をしている暇は……」


白衣をまとった、褐色の肌の女。エラーラ・ヴェリタス。

その女が、驚きに目を見開くより早く、俺は魔導銃の銃口を、その濡れたような唇に突きつけていた。


「てめえがッ!てめえが作った、あの呪詛が!」


俺の声は、自分でも驚くほど、冷たく、低く響いた。


「俺の弟の腕を奪い、女房を死なせ、弟も殺した!てめえは…てめえはッ!」


「……」


「すべての元凶は、てめえだ、エラーラ・ヴェリタス!てめえを今ここで、殺す!」


だが、エラーラは、銃口を突きつけられても、動じなかった。


「……ほう。私の過去の研究が、貴様らのような下等生物の抗争に使われたと?」


その口調は、まるで他人事だった。


「それがどうした。私が作ったのは理論だ。それをどう使おうが、それは使った人間の問題だ。私には関係ない」


「関係なくはねえだろうがッ!」


俺は、銃口を、さらに強く押し付けた。

だが、その時、俺の脳裏に、ルークの最後の言葉が蘇った。


『だが、あの『魔女』なら……!』


俺は、舌打ちし、銃を降ろした。

そして、懐から、ルークが遺した魔水晶を、実験台に叩きつけた。


「…弟は、死ぬ前に、こう遺した。『あの魔女なら、コンスタンティンの聖印ロックを破れる』、と」


「……コンスタンティン?」


その名を聞いた瞬間、エラーラの表情が、初めて変わった。


「奴は、あんたの理論を盗用し、麻薬の密売にまで悪用している」


「……ほう。あの男は! 私の理想を、こんな非論理的な形で悪用していたとは!」


その瞳が、純粋な「知的好奇心」と、自らの理論を汚されたことへの「侮辱」によって、危険な色に輝いた。


「面白い! 実に、興味深いデータだ!」


「開けられるか」


「当然だ!だが……」


エラーラは、俺を値踏みするように見据えた。


「これだけでは『英雄』コンスタンティンを倒すには足りん。奴が公衆の面前で、『正義』の皮を脱ぎ捨てる瞬間。その『決定的データ』が必要だ」


「……どうしろと」


「貴様。もう、死ぬ気だろう。ならば、自ら『餌』になる気は、あるかね?」


エラーラの口元が、残酷なまでに美しく吊り上がった。

俺は、弟の最後の「信頼」が、この女の「好奇心」という、最も非論理的なものに委ねられたことを悟った。


「……あの子を守れるなら」


「よかろう。」


エラーラは、高らかに宣言した。


「貴様が『餌』となり、コンスタンティンの『本性』を暴く、その『最期の瞬間』を観測させてもらう。その映像と、この魔水晶を合わせれば、完璧な『論理的証拠』が完成する!」


彼女は、俺の肩を、まるで貴重な実験動物を扱うように、ポンと叩いた。


「私の『カルマ』の清算に、貴様の『命』、使わせてもらうぞ!」


・・・・・・・・・・


俺は、獣病院の異臭立ち込める研究室を出た。


エラーラ・ヴェリタス。

あの女だけが、コンスタンティンという「秩序の化物」を理解し、そして、殺せる。

霧雨が、俺の血と汗で汚れたスーツを濡らしていく。

俺は、サガンが待つ、古い教会の地下室に戻った。


扉を開けると、サガンが息を呑んで立ち上がった。その腕の中では、俺の弟分が遺した息子が、何も知らずに眠っていた。


「……カインさん?」


サガンの不安げな声。

俺は、懐から重い革袋を投げ渡した。俺が持っていた、ありったけの金だ。


「三日経って、俺が戻らなければ、その子を連れて、この王都から消えろ」


「カインさん……!」


「もしも、だ」


俺は、サガンに最後の指示を出した。


「もしも、俺が死に、街の『魔導ヴィジョン』で、聖騎士長コンスタンティンの『罪』が暴かれたら……その時は、獣病院の狂人、エラーラ・ヴェリタスを訪ねろ」


「あの『魔女』を……? なぜ」


「あの女は、俺の『債権者』だ。」


俺は、眠る息子の額に、一度だけ、そっと触れた。

温かい。


「……生きろよ。」


それは、誰に言うでもない、俺自身の、最後の願いだった。


アジトを出た、その時だった。

路地の影から、警備隊の魔導鎧が、音もなく現れた。


「カイン! お前を、聖騎士長の名において拘束する!」


抵抗は、しなかった。


「……コンスタンティン卿に、会わせろ」


俺が吐き捨てると、隊長格の男が、醜悪な笑みを浮かべた。


「もちろん。聖騎士長閣下は、『正義の塔』で、お前を待っておられる」


「……!」


男は、俺の意識を奪うために、魔導棍を振り上げた。


・・・・・・・・・・


腐臭と、血の匂いで、意識が覚醒した。

ここは、「正義の塔」の最上階。コンスタンティンの執務室だ。

俺は、床に転がされていた。

そして、目の前には、玉座のような椅子にふんぞり返る、コンスタンティンの姿があった。


「来たか、カイン。素晴らしい目だ。絶望と、憎悪と、そしてわずかな『贖罪』の色。実に、私の『正義』を執行するにふさわしい」


コンスタンティンは、知的で、怜悧な笑みを浮かべていた。

その隣には、椅子に縛り付けられた、サガンたち「紅蓮会」の生き残りがいた。

そして。

コンスタンティンの足元。小さな椅子に、俺の……ルークの息子が、震えながら座らされていた。


「……!」


俺は、身を捩ろうとした。だが、手足に力が入らない。全身の魔力回路が、一時的に麻痺させられている。


「カインさん……!」


サガンの呻き声が聞こえた。

コンスタンティンは、立ち上がり、芝居がかった仕草で、息子の頭を撫でた。


「お前たちの信じた男が、どのように『カルマ』を清算するのか。お前たち全員に見せてやろう」


彼は、俺の前にゆっくりと歩み寄ると、魔導銃の銃口を、俺の右膝に当てた。

銃声が響き、俺の膝が、砕け散った。

激痛が、背骨を駆け上がる。


「カイン」


コンスタンティンは、俺の髪を掴み、顔を上げさせた。


「お前は悪人だ」


その青い瞳は、恍惚とした「正義」の光に満ちていた。


「お前は、弟分のルークの女房、セリアを、お前の抗争という、カルマで殺した」


魔導銃の弾丸が、左膝を貫いた。


「そして、お前は、その弟分のルークをも、絶望の淵に追いやり、死なせた」


コンスタンティンは、息子に向かって、優しく語りかけた。


「坊や。君は何も悪くない。悪いのはすべてこの男だ。可哀想な君のために、私が代わりに、この悪党に『罰』を与えなくてはな」


コンスタンティンは、そばに控えていた屈強な部下たちに向き直った。


「この哀れな子供の心が晴れるように……『罪』に見合うだけの、『罰』を与えてやれ」


部下は、醜悪な笑みを浮かべた。

男たちは、工業用の巨大な「魔鋼断ち」を手に取った。

その鉄の顎が、まず俺の右手の小指に向けられる。


「があっ!」


指の付け根から、ぶちりと嫌な音を立てて小指が切断される。

痛みというより、脳が理解を拒む信じがたい光景だった。

男たちは、楽しげに、薬指、中指と、ゆっくりと時間をかけて俺の指を一つずつ断ち切っていく。


シャンデリアの影。そこに紛れ込んだ、エラーラの使い魔である、小さな金属製の虫の姿を、俺は霞む目で捉えていた。


(観測しろ。これが、俺のカルマだ)


男たちは、左手にも同じ工程を繰り返した後、魔力を帯びた鉄パイプを持ち出した。

轟音と共に、俺の手首が砕かれる。骨が皮膚を突き破り、ありえない方向に曲がった。

だが、拷問は終わらない。肘、上腕と、関節という関節を執拗に叩き潰していく。

これが、俺の「自業自得」。

セリアを殺した、俺のカルマの清算。

男たちは、俺の両腕を原型がなくなるまで破壊し尽くした。

次は脚だ。

膝の皿は砕かれ、脛の骨はへし折られ、最後に付け根から切り落とされた。

もはや俺の体は、ただの肉の塊だった。痛みは、もうない。

コンスタンティンはゆっくりと立ち上がった。


「見ただろう。これが悪人に下される正義の鉄槌だ。私は、この街のいかなる悪も、許さない!」


その顔には、使命感を達成したかのような、静かな恍惚が浮かんでいた。

そして、その聖職者のような顔のまま、静かに俺のそばに歩み寄ると、その冷たい銃口を俺の額に押し当てた。

最後の銃声は、俺自身の頭蓋の中で響いた。


カインの肉体が、「正義の塔」の最上階で、コンスタンティンの「正義」によって、ただの肉塊へと変わっていく。


その一部始終を、シャンデリアの影に潜む、エラーラの使い魔である金属製の虫が、冷徹に、完璧に「観測」していた。


獣病院の地下研究室。

エラーラは、薄暗い魔導モニターに映し出されたその「結論」を観測し、歓喜の笑みを浮かべていた。

彼女にとって、カインの死は「贖罪」でも「悲劇」でもない。ただの、予測通りに進行した「実験結果」だった。


・・・・・・・・・・


数日後。

王都アステルの中心、王城前広場。

聖騎士長コンスタンティンが、稀代の悪党ギルド「紅蓮会」を壊滅させ、王都に真の秩序をもたらした「英雄」として、国王から勲章を授与される式典が、厳かに行われていた。

王都中に設置された、巨大な「魔導ヴィジョン」が、その高潔な姿を生中継している。

集まった数万の民衆が、彼の名「コンスタンティン」を、熱狂的に叫んでいた。

コンスタンティンは、誇らしげに胸を張り、演説のクライマックスを迎えた。


「王都の市民諸君! 私の『正義』は、法そのものだ! この街に、いかなる混沌も、いかなる悪も、私は決して、許さない!」


民衆の熱狂が、最高潮に達した、その瞬間。

王都中の、すべての魔導ヴィジョンが、暗転した。

民衆がざわめく中、コンスタンティンの背後にある最大の魔導ヴィジョンに、ノイズと共に、新たな映像が映し出された。

そこは、「正義の塔」の、あの執務室だった。


『見ただろう。これが法を犯す悪人に下される正義の鉄槌だ』


『正当防衛ってやつだよ』


民衆は、息を呑んだ。

映し出されたのは、彼らの英雄であるコンスタンティンが行った、地獄の「処刑ショー」だった。

民衆の熱狂は、恐怖と嫌悪の悲鳴に変わった。

映像は、無慈悲に続く。

そして、画面は切り替わり、ルークが遺した魔水晶のデータが映し出された。

コンスタンティンが、「金秤会」の頭目と、「霊素ダスト」と呼ばれる違法な魔導薬の密輸について、冷徹に指示を出している、決定的な証拠だった。


「……悪魔だ」


「俺たちを、騙していたのか!」 


「殺人者!」


聖騎士長コンスタンティンの「カルマ」が、彼が最も誇りとしていた「大衆の支持」という名のギロチンによって、彼自身の首を落とした。


「な……違う……これは、悪党が仕組んだ、罠だ……!」


コンスタンティンは、壇上で見苦しく叫んだ。だが、もう誰も彼の「正義」を信じない。

警備隊の中から、カレル警部が進み出て、呆然と立ち尽くすコンスタンティンの肩に、重い手を置いた。


・・・・・・・・・・


獣病院の地下研究室。

エラーラは、コンスタンティンが拘束される映像を観測していた。


「実に論理的な結末だ! 私の『理想』を汚したサディストの末路としては、完璧なデータじゃないか!」


彼女は、満足げに立ち上がった。

彼女の「論理」は勝利したのだ。

彼女は、気分が高揚していた。


「……ふむ。祝杯が必要だな。」


エラーラは、上機嫌で白衣を羽織った。

外は、いつの間にか、土砂降りの雨になっていた。

彼女は、獣病院の表口から、雨の夜の街へと足を踏み出す。いつもの警戒心は、勝利の高揚感によって、完全に麻痺していた。

人通りのない、裏路地。

近道のため、エラーラがそこを通り抜けようとした、その時だった。

路地の影から、一人の男が、ふらふらと現れた。

みすぼらしい格好。焦点の合わない、濁った目。

コンスタンティンが密輸していた、あの「霊素ダスト」に酩酊した、ただのジャンキーだった。

男は、エラーラとすれ違いざま、その目が、エラーラの白衣のポケットから覗く、高価そうな魔導筆を捉えた。

そして、次の瞬間。

何の脈絡もなく、男は、錆びたナイフを、エラーラの腹部に、深々と突き立てた。


「……?」


エラーラは、足を止めた。

腹部に走った、熱い衝撃。

自分が、刺された?

誰に? なぜ?

エラーラの脳が、高速で「論理」を検索する。

コンスタンティンの残党か? いや、タイミングが合わない。カインの仲間の報復か? いや、動機がない。

これは、なんだ?

この、あまりにも……「非論理的」な、暴力は。


「……うひ……」


通り魔は、魔導筆を奪うこともなく、満足したように、甲高い笑い声を上げながら、土砂降りの雨の闇へと消えていった。

エラーラは、その場に、崩れ落ちた。

敷石の上に、雨水と、彼女自身の血が、混じり合っていく。

魔力回路に力を込めようとするが、腹部の激痛と出血で、思考がまとまらない。

人通りは、ない。

ただ、冷たい雨が、彼女の体を打ち続ける。

沈黙。

雨。

そして……雨。


(……非論理、的だ……)


意識が、遠のいていく。

カインも、ルークも、コンスタンティンも、皆、何かしらの「理由」があって死んだ。

だが、自分は?

すべてを「論理」で勝利した、この自分が?

こんな、何の「理由」もない、ただの「ノイズ」によって、死ぬというのか?

その時だった。


「……エラーラ?」


雨音の向こうから、聞き覚えのある声がした。

この獣病院の家主である、アリアだった。夜間の往診の帰りだろうか、彼女が、傘を落とし、血まみれで倒れるエラーラに駆け寄ってきた。


「エラーラ!? しっかりして! 今、治癒魔術を……!」


アリアが、震える手で、エラーラの腹部に掌をかざす。

だが、エラーラの瞳は、虚空を見つめ、焦点が合っていなかった。呼吸も、浅く、不規則だ。


「……ダメ……もう、血が、流れすぎて……」


アリアは、その圧倒的な「死」の気配に、絶望した。エラーラの死を、確信した。

だが、

その、エラーラの虚ろだった瞳が、ゆっくりと、焦点を結んだ。

彼女は、アリアを見ていなかった。

雨が降りしきる、この非論理的な「空」を見ていた。

エラーラの脳裏に、カインの死、ルークの死、コンスタンティンの破滅、そして今、自分に向けられた「全く無関係な悪意」が、一つの「線」として繋がった。


(……そうか……)


(……そうだったのか……!)


カインは、彼の「カルマ」によって死んだ。

コンスタンティンも、彼の「カルマ」によって破滅した。

そして、私は、「呪詛を開発したカルマ」によって、すべてを失おうとしている。


(これが……! これこそが、この世界の……「真の『論理』……!)


その瞬間、エラーラの瞳に、絶望ではなく、恐ろしいほどの「知的好奇心」の光が、宿った。

彼女は、覚醒した。


「……は……」


血反吐が、雨に混じって流れ落ちる。


「……はは……はははは!」


か細い、しかし、いつもの、あの甲高い高笑いが、雨音の中に響き渡った。


「す…ばらし……い…けつろん……だ……!」


「エ、エラーラさん!?」


アリアが、その狂気的な姿に怯える。


「さわるなァ!……」


エラーラは、アリアの治癒の手を、荒々しく振り払った。

彼女は、よろめきながら、腹部の傷を、自らの左手で鷲掴みにし、強引に立ち上がった。


血が、指の間から溢れ出す。


「く!……ぐぬうぅぅ!……私のォ…研究はァ……!」


エラーラは、獣病院の方向ではない、王都の闇へと、一歩、足を踏み出した。


「……まだ、終わっでいなぁいぃぃぃっ!!!」


エラーラは、腹を押さえ、自らの血の跡を引きずりながら、土砂降りの雨の闇へと、笑いながら、消えていくのだった。

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