第10話:介入する探偵!
銃声の喧騒が遠のき、奇妙な静けさが支配する行政庁舎に、エラーラは足を踏み入れた。
ガラス張りの執務室で、壮年の男が分厚い台帳と格闘していた。エラーラの侵入にも関わらず、彼は一度鋭い視線を向け、その瞳に敵意ではなく、純粋な「知性」が宿っているのを確認すると、興味を失ったかのように再び手元の書類へ視線を落とした。
「……海賊の仲間は、お望みの『結果』へ向かったようだが」
エラーラは執務室の入り口で足を止め、静かに言った。
「フン……私は『過程』に興味があってね。この島を、この社会を動かしている仕組みそのものに」
長は顔を上げないまま、乾いた声で応じた。
「『過程』だと? ……海賊にしては、随分と物好きなのだな。いや……」
彼はそこで初めて顔を上げ、エラーラを真正面から見据えた。
「君は、あの海賊共とは……ふむ。なるほど?……異世界の転移者、と見るべきか」
「話が早くて助かる」
エラーラは肩をすくめた。
「この街の様子を見た。富裕層の島というには、あまりにインフラが脆い。需要と供給のバランスが、破綻を通り越して『存在しない』ように見える。特に……食料だ」
エラーラは核心を突いた。
「彼らは漁がうまくいかないと嘆いていた。 ……彼らはなぜ、『獲る』以外のことをしない? なぜ貯蔵しない? なぜ栽培しない? 管理漁業や畜産という概念は、この世界に存在しないのか?」
その言葉に、長は深い、深い溜息をついた。
「……存在はする。概念としては、な。だが、彼らには実行ができない」
「できない? 物理的にか?」
「精神的に、だ。エラーラ殿、君には理解できんだろうが、サメ人間という種族は……『未来』という概念を極端に毛嫌いしている」
長は席を立ち、窓の外に広がる、無秩序だがかろうじて機能している街を見下ろした。
「……彼らの本能が、その『待つ』という行為を『敗北』と断じるのだ」
エラーラは眉をひそめた。
「敗北?」
「そうだ。この社会の価値基準はただ一つ、暴力による『強奪』だ。」
長は自嘲するように笑った。
「畜産や栽培は、『未来』に投資する行為だ。つまり、『奪う』ことを諦めた弱者の行為に映る。ゆえに、誰もやらない。結果、資源は乱獲され、枯渇する。実にシンプルで、救いようのない理屈だ」
エラーラは絶句した。それは社会システム以前の、知的生命体としての根源的な欠陥だった。
「この島は、機能しているのか?維持……できているのか?」
「それは……」
長は言葉を詰まらせ、執務机の一角を指差した。そこには埃をかぶった端末と、山積みの支払い停止通知書があった。
「もう、死にゆくしか、ないのだ。……我々はもう、労働者に対価を支払えなくなっている」
「資源の枯渇が原因か」
「そうだ。かつては、有り余る資源を暴力で奪い、それを『結果』として分配することで秩序を保っていた。だが、奪うべき資源が尽きた。すると、どうなる? 」
「つまり、経済が破綻した」
「ああ。労働者は『今、腹を満たす食料』しか求めない。だが、その食料もない。我々行政は、もはや、単なる暴力の抑止力でしかない。この社会は、既に……死んでいる」
長は窓に額を押し当てた。
「余った人口を、食わせられない労働者を、どうすればいい? 答えは一つしかなかった。……彼らを、この世界から『廃棄』する。彼らが憧れる異世界……君たちが言うところの『地球』という場所へ、送り込むしかない、と」
エラーラは、今度こそ言葉を失った。
あまりにも悲惨な現状。だが、彼女が絶句したのは、その悲惨さに対してではなかった。
(……過程を疎かにし、暴力だけに頼った。ただ、それだけだ。それだけの理由で、知性を持つ種族が、これほど巨大な社会システムを、自らの手で崩壊させたというのか……)
それは、彼女の知的好奇心と論理的思考にとって、侮辱的ですらある愚かさだった。
エラーラは静かに、しかし凍てつくような声で、長に最後の問いを投げかけた。
「……長よ。暴力以外に、この社会を立て直す解決方法はあるのか?」
長の瞳が、一瞬、強く輝いた。
彼はゆっくりとエラーラに向き直り、その顔には深い悲しみと、しかし矛盾するような、確かな希望の色が浮かんでいた。
彼は、はっきりと答えた。
「──ない。」
その声は絶望に満ちているはずなのに、なぜか、解放されたような響きを持っていた。
エラーラは、全てを悟った。
(そうか。この男もまた、『過程』を積み重ねてきたが、暴力が『過程』を踏み躙り、『結果』を食い荒らすこの社会に絶望し……そして、待っていたのだ。この膠着した状況を破壊する、知性による、更なる『暴力』を)
エラーラは長から視線を外し、警備員たちを一瞥した。彼らが、自分という「規格外の暴力」を認識していることを確認する。
そして、彼女は長に向き直り、ありったけの魔力を解放した。
紫電の魔力が空気を震わせ、行政庁舎の空気が圧迫される。警備員たちが、目に見える圧倒的な力の奔流に驚愕し、腰を抜かした。
光の中心で、エラーラは静かに立っている。
魔力の光が広がり、部屋のすべてを照らし出す中、長は、その圧倒的な「暴力」の顕現を前にして、安堵したかのように目を閉じた。
「……降参だ」
長は言った。
武力でしか解決できない、武力でしか秩序を作れない、この悲惨な社会だからこそ。
彼は理解したのだ。
誰よりも強い武力を持ちながら、誰よりも「過程」の重要性を理解する知性を持ったエラーラという存在こそが、この世界に必要な唯一の「答え」であると。
エラーラは魔力を収束させながら、静かに告げた。
「すまない……」
長は、憑き物が落ちたような穏やかな顔で、首を横に振った。
「…いいのだ。」
翌日。
エラーラという、たった一人の女が、その身に宿す「魔力」という名の正体不明の暴力によって、富裕層の島の中枢である行政区を一夜にして掌握した。その一報は、瞬く間に島全土を駆け巡った。
街は未曾有の大混乱に陥る……かと思いきや。
広場という広場、通りという通りは、歓喜の雄叫びを上げるサメ人間たちで溢れかえった。
「すげえぞ! あの女、一人で庁舎を乗っ取りやがった!」
「昨日のあの光を見たか! あれこそ本物の『力』だ!」
「新しい支配者だ!」
彼らは、旧支配者である長の失脚を喜んだのではなかった。長の政治手腕や苦悩など、彼らにとってはどうでもいいデータだった。
彼らはただ、自分たちの理解を超える、圧倒的な「新たなる暴力の台頭」そのものを、本能的に歓迎し、喜んでいた。希望に満ちているようで、その実、エラーラの目には、あまりにも異常な光景として映った。
行政庁舎の一室。エラーラは窓からその熱狂を見下ろし、隣に立つ「長」に静かに告げた。
「フム……データ上は理解していたが…想像以上だねぇ。彼らの思考回路は、実に興味深い」
「これが彼らの本質です。エラーラ殿。彼らにとって『暴力』は希望そのものなのです」
長は、もはや悲壮感ではなく、ある種の諦観と覚悟を宿した目で答えた。
「ほう。それで、あのロドンとかいう海賊たちはどうなったかね?」
「拘束を解きました。今、こちらへ向かわせています」
ほどなくして、異世界転移マシンという安易な「結果」を求めて突撃し、あっけなく守備隊に捕らえられていたロドンと海賊たちが、バツの悪そうな顔でエラーラの前に引き立てられてきた。
「エラーラ。てめえ、一体……」
「見たまえよ、ロドン君!私はこの島の『過程』という名の実験系をすべて掌握した。そして、君たちが盲信している『暴力』というパラメーターの頂点に立ったわけだ!」
エラーラは、集まったサメ人間たちとロドンたちを前に、行政庁舎のバルコニーに立った。
そして、革命が始まった。
エラーラは、表向き、この世界の絶対的な支配者として君臨した。
彼女の改革は、サメ人間の本質を逆手に取った、冷徹かつ論理的なものだった。
まず、エラーラは最も深刻な「食料問題」という変数に着手した。
彼女は飢えたサメ人間たちを島の最大の広場に集めさせると、その中央で、天に向かって魔力を解放した。
「君たちが観測したいのは『結果』かね? よろしい、くれてやろう。」
凄まじい魔力が渦を巻き、雲を呼び、次の瞬間、広場には文字通り「食料の雨」が降った。海から汲み上げられた無数の魚が、空から降り注いだのだ。サメ人間たちは狂喜乱舞し、奪い合った。
エラーラは、彼らが貪り食う様子を冷ややかに見下ろしながら宣言した。
「だが。この現象は再現性がない。明日はないと思ってもらおうか!」
どよめきが広がる。
野次が飛ぶ中、エラーラは不適な笑みを浮かべた。
「更なる『結果』が欲しいかね? ならば、私の設定した『過程』に従ってもらおう」
「これより、この島に『畜産』と『栽培』と『管理漁業』という新しい変数を導入する。私という『最大の暴力』で担保する、新しい『結果』を導き出すための『過程』だ」
エラーラは、その圧倒的な魔力を使って、大地を強制的に耕し、異世界から持ち込んだ作物の種子を植える「過程」を見せつけた。
「この種子を育て、管理し、『未来』に収穫するという『過程』を完遂した個体にのみ、私は『結果』としての対価を分配することにしよう」
彼女は次に、捕らえた魚の一部を生きたまま巨大な生簀へと移す。
「略奪という短絡的な手法は、いずれリソースを枯渇させる。実に非効率だ。この生簀で魚を育て、増やし、『未来』に備える『過程』を管理する個体にも、優先的にリソースを割り当てることにするよ」
もちろん、サメ人間たちからは猛烈な反発が観測された。
一人のサメ人間がエラーラに掴みかかろうとした。
エラーラは、その男を魔力の衝撃波で数十メートル吹き飛ばし、壁に叩きつけた。
「勘違いしてもらっては困るねぇ」
絶対零度の声が響き渡る。
「君たちのその旧来の価値観は、たった今、私が破壊した。いいね? 『奪う』だけの短絡的な暴力は、私の前では、無意味だ」
彼女は広場に集う全ての者たちを見据えて、宣言した。
「これからの環境で『最強』と定義される個体は……それは『未来』を予測し、『過程』を管理・実行できる個体だ。目先の『結果』に群がるだけの個体は、私の実験系においては『弱者』と定義しよう」
それは、彼らの本能に根差した価値観、「強さこそが正義」を逆手に取った、恐るべき実験だった。
「奪う力」ではなく、「未来を管理する力」こそが「強さ」であり、「報酬」に繋がるのだと、絶対的な暴力によって強制的に刷り込んだのだ。
エラーラは、この改革の「種」を植え終わると、再び行政庁舎に戻った。
彼女は、一連の革命を呆然と見届けていた「長」に向き直った。
「……エラーラ殿。あなたは……」
「私は探究者だ。……さて。私はこの世界の『絶対的な暴力』という名の触媒として、表向きの支配者であり続けよう」
エラーラは、改革の実行プランが記された分厚い仕様書を長のデスクに置いた。
「だが、私は『過程』の『管理』という雑務は好まなくてね。この社会は、再び君に委任することにしようじゃあ、ないか」
「私に……?」
「ああ、そうだ。私は『暴力』を行使し、君の『過程』の実行を保証した。君は私の『暴力』を背景に、『過程』を積み重ね、この社会に新たな『結果』を観測させてくれたまえ。……実験の始まりだ。」
長は、エラーラという絶対的な抑止力を手に入れた。もはやサメ人間の「過程への軽視」や「暴力による強奪」を恐れる必要はない。それを為そうとする者は、エラーラという神にも悪魔にも等しい暴力によって排除されるのだから。
長は、深く、深く頭を下げた。
「……御意に」
エラーラは、変わりゆく街を静かに見下ろした。
サメ人間たちの熱狂は、まだ続いている。「最強の暴力」が自分たちの未来を保証してくれるという、短絡的だが純粋な希望に満ちていた。
(フム……『過程』を拒絶する培養基に、『過程』の種子を植えてみたわけだ。これがどう育つか、実に興味深い実験じゃないか)
エラーラは満足げに頷くと、庁舎の屋上に一人で立った。
彼女の足元に、異世界を繋ぐ複雑な魔法陣が展開される。
「さて……私の研究室でも、中断している実験が山積みでね。……そろそろ戻るとしよう」
眩い光が弾け、白衣の探究者は、サメ人間の世界から消えた。
残されたのは、絶対的な「暴力」の記憶と、託された「過程」の種。
悲惨な社会に訪れた、強制的な革命であった。
・・・・・・・・・・
一方その頃、地球では。
「解決策」として地球に送り込まれていたサメ人間たちは、突如として帰還できなくなった。
元いた世界へ帰る術は、どこにも存在しなかった。
「『イケメン・ムーブ』をしたらサメから襲われない」
かつて、その不可解な世界でだけ機能していた「設定」は、何の意味もなさなくなった。
彼らを縛っていた奇妙な抑止力が消え去った時、サメ人間たちはその本性を剥き出しにした。彼らは、人間社会という新たな「漁場」で、本能のままに「強奪」を開始した。
この果てなき戦いの末に、人間側は「一応の勝利」を掴んだ……とされている。
決め手となったのは、皮肉にも「過程」を重視した人類側の組織力だった。
「過程」を嫌うサメ人間たちは、皮肉にも、地球という星で「過程」こそが全てという、現実を思い知らされたのだ。




