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男装の麗人

 ジョルジュ・サンディーニは齊暦八九六七年生まれ、古く由緒正しき伯爵家の令嬢であった。代々武勇の誉れ高き名家は男の子を欲したが、生まれなかった。


「ねえ、その剣、貸してよ」

 五歳の少女に言われて、騎士は苦笑いした。

「お嬢様、重くて、貴方様にはとても持てませんよ」

 少女は頬を膨らませ、顔を真っ赤にして、激怒、

「バカにしないで、あたしわ、サンディーニ家のジョルジュよ!」

「あ、危ない」

 剣を持った瞬間に、鉄の重さに少女は倒れてしまった。

「ああ、言わんこっちゃない」

「今のはちょっと失敗しただけよ、見てなさい、今度は」

「ああ、お嬢様、どうか、私が責められてしまいます」

 成長するまで何度そのセリフを聞いてきたことだろう、その度に自分のせいで他人が叱責される理不尽を学んだ。『彼らは悪くないわ、あたしが悪いのに、何で? 理不尽だし、気分悪い』

 ある日、遂に、烈火のごとく怒った。

「黙れ、私が悪いのよ、文句は私に言いなさい。言えないなら、言うな。さあ、言いなさい。言え! その代わり、是非は剣で決する、それが部門の倣い」

 そう叫んだのは十二歳の頃。狂気のような練習修練の時期であった。


 そうやって過ごすうち、十四歳になる頃には気性激しく、剛たること武人そのもので、顔立ちは凛として美しく、白皙の皮膚、烈火を放つ(ふた)つの眸、豊かな辛子色にも、溌剌としたシャンパーニュ色にも見える髪を太陽のように輝かせ、戦の神に愛でられしことあからさまなる神的な剣技の手腕を身につけ、勇猛果敢なる百戦錬磨の(おとこ)の戦士顔負けであった。


 しかも、代々この家に受け継がれる頑固で思い込みの激しい質ゆえ、客観的な視点を持てなど持てず、他者の衷心からの助言・忠告・憂慮など、さらさら省みることもなく、恐れることも屈することも知らない猪突。

 ある意味、風車に向かうドン・キハーテのようであった。


 また、その齢で既に身の丈六尺に近く、見栄えも華々しきこと、過去数多の英雄に比しても、何ら遜色はなかったが、父もまた一族特有の頑迷さで、ちっともそんなことを認めようとはしない。


「ジョルジュは、どこだ」

 伯爵は帰ってくるなり、出迎えた家令に外套を預ける間も惜しみ、尋ねた。

「さきほど、家庭教師のアミュ夫人がお見えになって、今日は六脚韻ヘクサメトロスのお勉強をされております」

「ふん、見なければわからぬ」


 令嬢の部屋は空であった。

「思ったとおりだ」

 外庭に出る。離宮の傍らまで行くと小さな森があった。その中に木々に囲まれた小さな人工の泉がある。泉の周りは芝で、テニスコートほどの広さがある広場になっていた。

「えい」

「ぁう」

 男は長い棒を落とした。

「早く拾え、かかって来い」

「ああ、お嬢様、どうかご勘弁を」

「何、もう参ったか、いや、そんなはずはあるまいよ、サム。お前はただの庭師ではない。かつては戦場を駆けた武者であった。戦闘士であった。

 だから、お前を父は雇ったのだ。庭の警護も兼ねて」

「いいえ、実際、参りました、確かに降参いたします。それに、こんなところを伯爵様に見られでもしたら、私めは処罰を受けてしまいます。どうかご容赦、ご勘弁を」

「何を言うか、私が命じたのだ。命に遵ったお前に罰が下されようはずもない」

「そこがお嬢様のお考え違いなのでございます。世の中とは、人の心とは、そういうものではないのです、ああ、何とご説明申し上げたら、ご納得いただけるのでしょうか。

 私めは庶民、鳥の胸の産毛よりも軽い、儚い存在でございます。

 何か不都合なことがあれば、私めの立場・境遇など、簡単に吹き飛んでしまうのです。ご一考・ご配慮などいただけようはずもなく、悪しきことは、全部私めのせいとなってしまうでしょう。

 申し訳ありませんが、高貴な方々とは、そのように、お耳の小さな方々なのでございます」

「何、お前は父を愚弄するか、公正な裁きがないと言うか」

「いや、いや、滅相もない。しかし」


 そこへ伯爵が割って入って来た。

「ジョルジュ、何をしておるか」

 烈火のごとく真っ赤になって怒る父伯爵。

「父上、剣の修行をしておりました。我らが祖先は武士。我が家は軍神を祀り、私は武門の家の生まれでございます。誇り高きクシャトリヤ(武士階級)の流れを汲む家系です。我が家に男がない以上、私が武を継ぐしかありません」

「誰がそのようなことをお前に命じたか。誰が期待したか。お前は美しく賢く気高い乙女となって、良き猛々しき夫を迎え、我が家を興す。それが務めだ。

 女が男になれるわけでもあるまいし、あろうことか男のなりをして、何と奇天烈なことをしておるのか。

 おい、庭師サム、貴様、こんなことをするために雇ったのではない。なぜ、やめさせぬか。貴様は馘だ」

「ああ、お嬢様、ほら、ごらんなさい、こんなことになってしまった、大変なことに。ああ、こうなるとわかっておりました、我々の運命など、貴方様方にとっては、吹けば飛ぶようなものです。お嬢様の気まぐれのせいで、私めは破滅、罪のない妻も子も犠牲、ああ、何て理不尽な、ああ、神様、私めは妻と幼い子とを抱えて路頭に迷うのです、いったい、どうしたらよいのでしょう」

「父上、彼は私の命令に従ったに過ぎません。彼が命令に逆らえましょうか? できるはずがない。正しきお裁きを」

「ええい、うるさい。そのような小賢しきことを」

「父上、いかに父上とは言え、それは理不尽です」

「父の言うことを聞かぬお前にそのようなことを言う資格があるか。黙れ、言うことを聞いておれば良いのだ」

「侮辱だ、いかに父とは言え、赦せん」

「赦せなければ、何だ」

「私も武人。堪え難き侮辱。しかし、尊属を敬うは人倫の道」

「武人だと? お前は女だ」

「縁なき衆生は度し難きかな」

 そう言って背を向けた。

「何だ、どこへ行く」

「もはや、父でも子でもない、去るのみ」


 実際、彼女は出奔した。

 軽量な鎖帷子の上に革鎧を着て、二本の剣を佩き、派手なつば広の帽子をかぶって颯爽とロング・ブーツで鐙を踏み、龍馬に跨った。サムにはある限りの宝飾を渡して、「すまぬ。これで暫し凌げ」

 実際,それは一生慎ましく暮らせるほどの価格になる財であった。


 傭兵部隊の本部。副隊長のバローゾは好色な笑みを浮かべ、

「へへへ、お嬢ちゃん、ここは貴族の遊び場じゃないんだぜ。冗談も大概にしな」

「ふん、女だからって馬鹿にするなら相手になるぞ」

「女だし、ガキじゃねえか。とは言え、夜のお相手ならしてやってもよいぞ。さぞかし処女だろうな」

 どっと起こる、下卑た笑い。ガサツで汚れた荒くれども。囲まれている。

「なるほど」

 ジョルジュは睥睨の眼差しで男どもを見下す。そして、

「ぅわあ?」

 三人の男たちの革ベルトが切られ、三本の剣が落ちた。男たちはゾッとする。

 眼にも見えず留まらず、回避も構えも抵抗もする余裕がなかった。しかも、厚く頑丈な革を切りながら、その下の衣類や皮膚にはかすり傷もない、神技であった。尋常ではない速さだ。

「結構だ。他へ行く」

 それでも、次々断られるが、

「お前が有名なジョルジュ・サンディーニか。あちこちの傭兵隊を荒らしているそうだな。よし、うちで雇おう。契約書を読め。良ければ、明日、出発する。ほら、これだ」

 そう言って、軽石で表面を粗くして羽ペンで書き込んだ羊皮紙を差し出す。


 最初の戦場は激戦地の前線だった。

 傭兵隊三十人、敵はフロレンッチェ王国の義勇兵二千人だった。王は戦意を喪失していたが、愛国者が立ち上がったのだ。

「いいか、スパルタクスの本隊は後方二キロの地点にいる。俺たちの仕事は前線を荒らしてさっさと引き上げ、追って来た奴らをスパルタクス帝国の兵が潰す。そういう作戦だ。帝国はいつも金払いがいい。てめえら、抜かるなよ。次の契約金に差し障りがあるからな」

 それを聞いてジョルジュは鼻尖でせせら笑ったが、何も言わなかった。

「おい、何がおかしい、新入りのお嬢ちゃん」

「別に」


 戦闘が始まると、ジョルジュは真っ先に突っ込み、二分も経たぬうちにその神速で数十人以上を屠った。

 その余りの凄まじさに敵は追って来ない。むしろ、後退した。

「バカやろう、作戦が台無しだ」

「ばかだと?」

 ジョルジュその小隊長を縦裂きに両断した。真っ二つだ。敵も味方も震え上がった。非難する味方もいない。凍りついている。

「ふ、くだらん」

 そういうと敵陣へさらに突っ込み、十数分のうちにさらに百人以上の兵を斬る。

 豪傑があらわれ、

「やあ、やあ、我こそは天下に名を轟かせる英雄、戦場では一騎当千と謳われたるブルート・サンタクルス様よ、思い上がりたる小僧、我が膂力を冥土への土産に見よ」

 と言い終わらぬうちに何の抵抗もできず、真っ二つ。

 英雄剛腕を名乗るものが数人裂かれると、敵は恐れて後退し、陣形を崩し、上位の者の命令に従う者もなく、我先にと逃げ出し、義勇隊は潰走した。

 かくして、ジョルジュ・サンディーニの名は天下に知れ渡る。




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