殉真裂士
齊暦八九八七年。
ミロは絶望していた。
丘の断崖から遠く見る城壁の街は炎上している。
祖母のため、薬草を採ろうと、五キロメートル離れた聖なるハルカリオンの丘に来ていた。
凄まじい炎で、八千人の住む城都が紅蓮に包まれ、その炎の高さは五十メートルの城壁を凌ぎ、悠に百メートルを超えるかのように見えた。
聖なる都が燃えている。
父母も姉兄も友人もあそこにいるのだ。
猛火の凄まじい勢い、濛々たる黒煙が上がっている。
壊滅、皆尽という言葉が相応しい。
阿鼻叫喚が、ここまで聞こえてくるかのようであった。
誰一人生き残れないであろう。ミロはなすすべもなく(いったい、彼女に何ができたであろうか)、茫然と佇むだけであった。
いつの間にか、その隣に一人の騎士が立っている。
「遅かったか。しかし、絶望はない」
ミロは驚き、見上げた。
背の高い騎士は女性であった。彼女はミロを見下ろし、
「ヘレニアの娘か」
聖都ヘレニア、それは今、灰燼に帰そうとしている。泣きながら、ミロは応え、
「はい、そうです。あれが私の街です」
「絶望はない。人は皆生きようと渇望している。渇望がなければ、絶望などしない。絶望は生きたい渇望の顕われだ。真の絶望は存在し得ない。
見ていろ」
「待ってあなたはどこへ」
「むろん、ヘレニアだ」
「皆死んでいます、騎士様のお心には感謝申し上げますが、あなたのお命まで」
男装の女性騎士は高らかに笑った。
「この私がか! たかだか五千の兵士相手に命を落とすなど。あり得ぬ。
このジョルジュ・サンディーニが」
騎士は髪長き女性であった。兜からあふれ流れる辛子色の瀧髪。女性騎士は颯のように疾走し、龍旗のように髪靡かせる。
その速さたるや、眼にも止まらぬほど。
白い龍馬が突如あらわれ、併走した。ジョルジュは龍馬に飛び跨る。数秒で城壁に達し、垂直の壁を駆け上った。
「我こそは殉真裂士ジョルジュ・サンディーニ、命惜しくば消えよ」
激しい動揺が装甲した兵士たちを襲った。
将校すら叫ぶ、
「裂士だ、殉真裂士だ、やばい、逃げろ、いや、俺は逃げる、お前らは好きにしろ」
神の恩寵を受けて裂士となった者は人を遙かに超える異能を持つ。神速で移動するジョルジュは数秒で一千人を斬殺した。五千の兵も十数秒。
消えよと言いながら、逃げる余裕を与えない。神がごとき理不尽。
一瞬で聖なる城都ヘレニアを滅ぼした猛勇の大豪傑たちも、木の葉よりも儚い。
「助かった」
聖都王ジーグラムはジョルジュの前に膝曲突いた。もし、彼女がくるのが数分遅れていたら、王宮深く侵入していた傭兵たちに殺されていたであろう。もはや王の対面もなく、泣き縋らんばかりであった。
ジョルジュは睥睨のまなざしで王者を見下ろす。
「しかし、いかに強剛ゴーラムの傭兵たちの攻撃があったとは言え、このように一瞬で壊滅するとは油断にも程があるかと思うが」
「停戦を結んだばかりで」
ジョルジュは歎息した。古来、休戦や停戦後の奇襲などありふれている。このような権力者の下にいる民が哀れでならない。世襲は後継者が決定しているため、安定を招くが、同時に破滅をも招く。
世襲や選挙制など、さまざまなやり方があるが、結局、どこか何かが上手くいかない。どのような体制を取っても、必ず何かが上手くいかないのだ。
ジョルジュの時給は1万デナリオン(1デナリオンは約68ドル、58ユーロ)だが、一時間を超えたことはかつて一度しかない。