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齊暦八九八七年

 ジャン・〝アンニュイ〟・マータはBar(バル)で青い酒を啜っていた。


 手にしているそれは金製の古びた小さなカップ。

 短いステムがついていて、食前にシェリー酒を注ぐ型だ。ステムを人差し指と親指とで挟み、中指を添える。傾けてすっと呑む。骨董らしく、金も宝飾も燻したような剥落感があった。


 砂岩を積んだ乾いた家がならぶ、小さな村である。わずかな灌木だけで、岩だらけの山岳地帯、整備の悪い街道が通り抜けている。


 Bar(バル)とは立ち飲みの酒場、誰もが気軽に一日一度は立ち寄る。イギリスのパブやイタリヤのバールのようなものだった。村の男たちも一日に一度は来る。軽食もあった。

 カウンターのスツール席は別料金だ。朝夕に、男たちは軽く立ち寄って呑む、雑談しながら。仕事に行く前に職人が飲むジョッキを二度目の朝食と呼んでいた。そういう職人たちは、バルの中にあるキーのついたロッカーに自分のジョッキを保管していた。


 アンニュイはこの二週間、気前よくチップをはずんで毎日スツールに坐っていた。 

 流れ者には愛想のない土地柄だが、亭主は彼を丁重に扱っている。

 だから、チップをはずまなくては申し訳ないと彼は思っていた。


 彼の持つ特徴あるカップは彼の私有物だ。カップを持ち込んで飲む主義であった。いくら無敵の彼も毒殺にはやられる可能性がある。カップは毒があれば器の内側の色が変わる仕様であった。アンティークだが、なかなかの技ものだ。


 そして、今日もカウンターの同じ場所で、彼はスツールに坐っているのであった。


 スツールはかなり坐面の位置が高いもので、背丈があって脚の長い彼が坐っても爪先が触れるのみ、床上一フィート半にあるバーにブーツのヒールを置く。

 そんなに坐る位置が高くても、長い髪は床につきそうであった。

 髪はシルクのように滑らかに燦々とした明るい金髪で、本当に一反のシルクのようで、櫛目が見えず、さらさらと軽い。


 顔立ちは人間主義の理想を追究して黄金期にあった古典時代の大理石の彫刻のように完璧に整い、毛穴もない艶やかさで白皙、双眸は爽やかなパステルの青であった。

 柳のようなしなやかさ、流璃で、細くたおやかで、まるで、女性である。


 それゆえか、侮る愚か者が稀にいた。〝アンニュイ〟を知らぬ者などいないはずだが、時折、どうしようもないやくざ者か、無知で低級な傭兵くずれか、何も気がつかずに、いちゃもんをつけてくるのだ。


 その日も四人の傭兵らしき愚連ががさつに笑いながら唐突に店に来て「酒を出せ」と喚き、そのうち一人がアンニュイに気がつくと、 

「おい、見ろよ、綺麗な姐ちゃんだと思ったら、どっこい、男じゃねえか。胸糞悪い、女々しい野郎だ。一丁前に剣を佩いてやがる、どこぞのぼんぼんか」


 そして、アンニュイの腰にぶら下がる剣を見遣る。金や螺鈿や貴石が象嵌され、金の線彫など細工の繊細さから高貴な御方か名のある騎士と察しがつくにも拘らず、

「おめえにはもったいねえや、よこしな」

 手を掛けようとする。


 それを見ていた亭主は真っ青。あろうことか殉真裂士に手を出すなんて。

 アンニュイはつぶやくように、

「一つだけ、言っておく。この剣に触れたら、お前の手は切り落とされる」

 凄みのあるセリフだが、声はやや低くも掠れて優しく、か細い。


 一瞬、男の手止まってあぜんとしたが、すぐに苦笑い混じりに苦々しくも憤った表情となり、

「ふ、精一杯の強がりか、臆病者が」

 触れた、いや、触れようとした直前、手首が落ちた。血が噴くが、アンニュイの服を汚さぬよう巧みに手首の向きが反対側に、アンニュイに背を向けるような体制に向き変えさせられている。


「うがあああああ」

 狭いバルのスツールに坐ったまま、眼にも留まらぬ速さで抜剣し、切り落としてまた剣を鞘に収めたのだ。全く剣筋が見えなかった。 

 だが、男の仲間たちは実戦経験から来る武者の勘で覚る、凄まじいスピードで斬られたのだと。

 動いた軌跡に、金の霧が漂っていた。


 手首を切られた男は蹲り、歯を食い縛って悶え、動けない。他三人は一人が後退りし、二人が憤って一歩前に出た。

「てめえ」

「この野郎」

 アンニュイは席を立たなかった。

「一応、言っておく。ここまでにしないと、お前たちは死ぬ。私は既に警告した。それでも向かって来るなら、死を了承したと解す」

 一人はビビって、フリーズするが、もう一人は逆上激怒し、

「何だと、てめえ、舐めんな」

 抜剣し、振り被ったかと思う間もなく、何か強力な力で弾かれたかのように、半開きのドアから外へ吹き飛び、人通りのない裏路地でようやく縦裂きに真っ二つになって、血飛沫とともに左右に斃れた。


 最初に後退りしていた漢は既に逃げの体勢だったので、「ぅわああ」と半ば泣きながら叫び店を飛び出したが、もう一人は「ひえええええ」と魂が抜けたような声で腰が抜けしゃがみ込んで失禁し、立てなくなってしまった。


 アンニュイが亭主に向かって、

「すまぬ、店を汚してしまった」

「いえ、アンニュイ様、こんな場所ですから、流れ者や荒くれが多くて、血が流れるのはときどきあることです」

 それを聞いて、失禁男が叫ぶ、

「アンニュイだって! そいつを先に言っておくれよっ!」


 殉真裂士は一瞥したのみで、あとは亭主に丁重に謝り、金貨を置いて出て逝った。



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