400歳生きたおばあちゃん
「おばあちゃんってほんと死なないよねー」
「死なない死なない。あと百年は生きるっしょ」
そんな不謹慎かと思われる会話は、私とお兄ちゃんのいつものふざけた雑談だった。
今日、おばあちゃんが四百歳になった。
さすがにこの馬鹿げた数字はいつ途絶えるのか、誰にも分からないので、ここ数年は誕生日を毎年盛大に祝っている。
家に住んでいるのはおばあちゃん、父、兄、私──夕焼波打の四人家族で、かなり幸せな方の家庭だと思われる。
お母さんは幼い頃私を産んで死んでしまった。でも、昔からしわしわのいつぽっくり亡くなってもおかしくないおばあちゃんが、私の面倒を見てくれた。勿論、兄の皺男も、父の笑久保もだ。
お父さんは最近リモートワークが主な活動で、家にいるから安心。お兄ちゃんとケーキを買いに自転車を走らせて、春にしてはいささか暑い風を浴びていた。
「私が今年で七歳だからー、えっ、おばあちゃん一体何年生きてるの!? 何世代だっけ? テレビ出れるんじゃないの!?」
「その会話毎年やってるだろ。ばーちゃんはもう世に出せない年齢の域を越えてるんだよ。あがり症だし、まともに喋れなくて入れ歯がもにょもにょしちゃってるし」
だとしても、おばあちゃんの歴史は凄すぎる。四百歳って。いやいや。あはは。
私が幼い頃はスロースペースだがかなり喋ってはお茶の間をどっかんどっかんさせてたかなりのおちゃらけ者だ。因習村にいた時の話や、異端者として扱われてた時代の話をされた時は、さすがに胡散臭くて聞き流していたけれど。
おばあちゃんは面白く、明るく、時に人生にシビアで、優しい。
私も将来的にはおばあちゃんみたいなお茶目さんになれたらな、なんて思ってたりもする。
────キキッーー。
お兄ちゃんが急ブレーキを押して、自転車を止める。
「もーお兄ちゃん、急ブレーキ押すのやめてよ」
「悪い」
ふと、お兄ちゃんがフードをかぶってうつむき、自転車を駐輪場にそそくさと移動させる。
たまにお兄ちゃんは挙動不審になるが、理由は分からない。
「何立ち止まってる! 早く行くぞ!」
小声で怒るお兄ちゃんに久しぶりに驚き、私も急いで自転車を止めた。
ケーキ屋さんに入ると、アンティークな装飾が目立ち、ちょっとリッチなケーキ達が謙虚に上品に並んでいるのが分かる。この店はここ数年の行きつけで、どうやらおばあちゃんの思い出のお店らしい。
「あ……! キャロットケーキあったよ!」
私が大きいホールのを指差す。
おばあちゃんはこれが大好物なのだ。
「よし、買ってくるから、波打は外で自転車見てろ」
「うん」
私は何でわざわざ自転車を見ていなくちゃいけないんだろう、と思いながら「紅茶クッキーも買ってね」と、一言置いて店から出た。
◇◇◇◇
「お兄ちゃん、フードもう被らなくていいの?」
歩いて自転車を動かしながら、まだ明るい空の下の帰り道、つい気になって聞いてしまった。
「いや、うん。虫がいたからさ」
「ふぅん」
「……なあ、波打もさ、無理しなくていいからな」
そんな悲しい声を聞くのは初めてで、ふと顔を見る。お兄ちゃんの顔は、綺麗だった。
「何で?」
「大丈夫なら、それでもいいのかもしれないけど。俺は大丈夫じゃなかった時に、頼れる人がいなかったから。波打は俺に頼っていいからな」
「分かった分かった」
「なんだそれ」
「お兄ちゃんは私が大好きなんだね」
「はぁっーー……もういいよ」
──家に帰ると、やけに静かだった。
「ただいまー!」
「靴揃えろー」
リビングに行くと、お父さんがソファーに座って神妙な顔つきをしており、飾り付けされたリビングには本日の主役はいなかった。
「お父さん……? おばあちゃんは? 和室にもいないけど……ケーキ買ってきたよ!」
お父さんは縁無し眼鏡の下で、何か液体の様なものを流していた。それは涙だった。
お兄ちゃんは何かを察した顔をして、お父さんの近くへ行く。
私は何が何だか分からなくて、聞こうとするが、さえぎられる。
「お兄──」
「──ばーちゃん死んだのか!?」
「!」
「え……? ちょっと」
そこでやっとお父さんは顔を上げて、こう言った。
「おばあちゃんなら二階の寝室で寝てる。お前達が外に出かけてから、ああなってしまった。まだどこにも連絡していない。すまない。今は何も考えられない。最後に、顔くらい見てやってくれ……」
「っ……!」
どうして。
「波打!」
私の名前を呼んだお兄ちゃんは二階へどたばた音を立てて上がる。私も早く追いつかなきゃと、おばあちゃんに会わなくちゃと、寝室へ向かう。
「ばーちゃん!!」
「おばあちゃん!!」
その顔はどうしようもなく安らかだった。
しわしわの顔には優しい笑顔。大きな手にはホクロ。そして、不恰好な寝相。しかしいつもの癖で少し口を空けていたのが、私には何故か心が痛くて、ぎゅっとなってしまった。
頭が真っ白どうこうではない。何故、こんな事に。
「お兄ちゃん、どうしよう」
「うるさい、自分で考えろ」
そう厳しく言う兄の顔はひきつって、噛み締めて、とにかく大粒の涙をボロボロこぼしていた。
「──ばーちゃんはな、四百歳ってのは嘘なんだよ……」
「え?」
耳を疑うと同時に、納得までできてしまった。
「本当は九十一歳」
「…………」
何故。何故そんな嘘を?
「お前が保育園あんまり行けなくて、入院続きでいつ死ぬか分からない状況だった時に、ばーちゃんのお金でお前は退院できたよな」
「それと、何が関係あるの?」
「違う、波打が退院した日は四月一日。エイプリルフールだった。午後にお前が嘘みたくまた体調不良にならない様に、俺が勝手に新たな嘘をついたんだ。家族ぐるみで。そのふざけた嘘のおかげで、今日までなんとか生きれてた」
私には訳が分からなかった。そんなの、意味不明だよ。それに、お兄ちゃんもおばあちゃんもお父さんも嘘つきだから、そんな大胆な嘘に気づけなかった。私も馬鹿なやつだ。
「だから、これは普通の出来事で、生きてりゃよくあることなんだよ。お前は末っ子だから、これから俺と父さん、あるいはお前が愛した誰かしらも、失う事になる」
「なっ、何で! 何で今そういう事を言うの!?」
「お前に世の中の厳しさと冷たさを先に教える為だ! 小学校で今楽しくやれてるみたいだけど、そんな簡単に続く訳がないんだって!!」
「何それ! 酷い! お兄ちゃんが楽しくないだけでしょ!?」
「──楽しいワケあるか!!」
そんな大きい声、初めて聞いた。
「あのな、俺はガッコー行ってないんだよ。俺が何でいつも家にいるのか、考えた事もない癖に!」
「!」
私の顔を見て、お兄ちゃんは少し諦めた顔で、続けた。
「お父さんが学校に行かなくていいって言ってくれたから、今は行ってないんだよ……。ばーちゃんはそんなんで負けるなとか、問題起こしてでも行ってこいって口うるさかったから、俺はそういうところが、正直ウザかった」
「……お兄ちゃん」
「まあ、死んでも別に、よくあることだし、ほんと、せいせいするよな。俺はもう社会復帰できないおかしな連中の仲間入りだし、ばーちゃんの遺産でなんとか生活するのもアリだ──」
──パチン! と、お兄ちゃんの頬を叩いた。
「お兄ちゃん……!」
「何だよ! いってぇな!」
「お兄ちゃんはおかしくないよ!!」
「っ! っ……」
私はお兄ちゃんに抱きつく。
「学校で何があったかは知らないけどさ、お兄ちゃんが今日外で変だったのもなんとなく分かったつもりだよ。でも、おばあちゃんの事を悪く言ったり、そういう事を言うのは、違うじゃん!」
「………」
「だから! 今はおばあちゃんの前では、そういうのはやめよ」
「……うん、悪かった」
私達はおばあちゃんの手を取り、ぐしゃぐしゃの顔をしながら泣きました。医者と救急車が来るまでのその時間は、とにかくおばあちゃんの顔を見てなくちゃと、ハッピーバースデーのあの曲を口ずさみながら、噛み締めていたのでした。
──ピンポーン。
こんな時くらい、無視してもいいよね。
──ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンピンピンピンピンポーン。
聞き覚えのある痛快なピンポンに、私達は物凄い形相と覇気を纏って玄関へ進む。
ピンポン連打ダッシュのクソガキだ!!!!
すると玄関のドアは前開で、既にお父さんがクソガキ共を追いかけていた。私達は外へ出て、キャロットケーキをガキ共に投げる(おいおい……)お父さんを見てしまった。そのケーキは私達がおばあちゃんの為に買ったものだったので、複雑ではあるものの、まあナイスだよお父さん。と少し内心グッドポーズをしていた。
◇◇◇◇
思えば私達家族は恵まれてはいない家庭だった。おばあちゃんは昔から喉がコヒューコヒュー鳴っていて、頭も揺れていた。かかりつけ医がいたそうだが、そこらへんは関与していなかったのであまり詳しくない。
お父さんはかなりやつれたサラリーマンだし、お兄ちゃんは不登校児で、将来に希望が見いだせなかった。私は常に虚弱で死にかけてたし。今は身体的には元気もりもりだが、悩みは積もる程ある。
あれから小学校を卒業し中学生三年生になって、家庭でも学校でも色々あり、それなりに頭を抱えつつ、生きている。
おばあちゃんの葬式は派手だった。
おばあちゃんの好きなロックが流れるわ、おばあちゃん偏った人望でかなり大騒ぎしたのはまあまあ良い思い出だ。
というか、四百歳の嘘を家族ぐるみでつかれたのは、いまだに許せないし、腑に落ちない。
私の復活が嘘にならない様に、ビッグな嘘で上書きした、と、捉えている。が、本当に腑に落ちない。
今はお兄ちゃんはぼかろぴぃ? とやらを趣味でやりつつ、工場で働いている。工場は正直人間関係が大変らしい。どこでもそうだろと言われてしまえばおしまいだが、あのお兄ちゃんがそう言いつつも奮闘しているのは、とても褒め称えられる事だ。
働く全員がそうであるのだろうけれども。
お父さんは、まあ特に変わらず。皺が増えたかな。
「波打!」
お兄ちゃんだ。
今日はおばあちゃん──夕焼龍住魔似愛出美嚨の命日だ。おばあちゃんの下の名前を知ったのはあのお葬式の時が初めてで、お坊さんが名前を読み上げる時は吹き出してしまった。ごめんなさい。でもさすがにずるいよ。
私は放課後の教室から逃げる様に作業着姿のお兄ちゃんに抱きつき、墓参りに出かけるのだった。
よくあることとか、いつ死ぬか分からないとか、お兄ちゃんの言う事は正しいのかもしれない。私だって、いつまた病に苦しめられるか分かったもんじゃない。
当たり前だけど、私達家族はそれらをよく噛み締めている。こっぱずかしいけれど、生き急ぐっていうか、早いうちに大好きな人達へ愛は伝えておくべきものだ。難しい時もあるけれど、やはり、後悔したくない。それを上から言うのは心底嫌だけれど。
そういえば、私の名前をつけてくれたのはおばあちゃんらしく、やはり名前はしっかりつけた方が良いと悟ったのか、この二文字はかなり素敵な名前なのだな、と大切にしている。
『波打』
波を打つ。それはまるで、鉄は熱いうちに打て、と言われているみたいで、いつもその字面を見ると急かされている気分になる。
波、とあるのでお前のペースで、だが時に早くその鉄を打て、と言われている様にも思える。
おばあちゃんがたくさんくれたプレゼントの中で、この名前が私にはとてつもなく強力なお守りだ。
たくさんの元気をくれたおばあちゃん。
大黒柱で無愛想なお父さん。
絶賛奮闘中の大好きなお兄ちゃん。
私も、波を打つ様に皆を支えにいくよ。