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戦闘機と一体化した男

とある航空ショーに奇妙な航空機がデモンストレーション飛行している。よく見ると、翼がたわんでカラスみたいに羽ばたくのだった

1.ジャーナリストは奇妙な戦闘機を見る

戦闘機が文字通り羽ばたいている。それもバッサバッサと大きな音を立てて。最初幻を見ているのかと思ったがそうでもないらしい。その証拠に、私以外の人間もあの戦闘機をただ呆然と眺めている。


誰かが「主翼を人工筋肉で覆っているって話は本当だったのか・・」と思わず漏らしている。普通ああいった動きを戦闘機でやるならジェットノズルを真下に向けて実現するものなんだがな、と彼は続けた。それきり黙って見ている。

戦闘機は羽ばたきを辞めたかと思うと今度は翼を絶妙な角度に撓めて半径3m程度の螺旋を描いて降下する。時々カラスがふざけてやるあの動きだ。その後地面すれすれになるまで降下した辺りで今度は一転、まるでロケットの様に急上昇した。まさかこのまま宇宙まで突き進んだりするんだろうか、などと考えていたが流石にそこまで無茶はしないらしい。十分に高度を稼いだあと、ジェットノズルを真下に向けたままノズルの推力を落とすことで機首を上に向けた姿勢のままで空中停止した。絶妙なバランスを保って空中での姿勢を維持しているのだろう、側面からのスラスターやら主翼やら尾翼やらがせわしなく動いている。何故だかその様子を見ていて昔サーカスで見た綱渡り芸人のことを思い出した。こいつはサーカスだ、戦闘機のデモ飛行なんぞじゃないな、となんとなしに私は口走る。

ふいに戦闘機は右と左の主翼を広げたかと思うと、今度は軸を全くぶらさずに駒の様にクルクルと回転しながら降下した。主翼を上手く撓ませ、機首を中心に回転する様にスラスターを吹いているのが見えた。まるでバレリーナの舞でも見ているかの様だ。バレリーナが美しいのは顔じゃなくてその動きなんだ、と言っていた奴が大学の同期にいた。能や歌舞伎と同じさ、動きで魅せるんだよ、と解った様な解らない様なことを言う奴だった。その時はインテリぶった奴だなあ、くらいにしか思っていなかったけれど、今実際に戦闘機なんて無骨極まりない機械にいい動きをされて見惚れている自分がいる。ああ、あの時あいつが言いたかったのはこういうことなんだなと今さらの様に気づいた。

会場が水を打ったように静かだった。ここから1km以上離れた会場の外にいる地元農民たちの声が聞こえてくる。私には彼らの言葉は解らないが、なんだあれは?という風なことをいってるのだろう。誰もが好むと好まざるとに関わらず、その動きに魅入ってしまった。最早あの戦闘機のデモ飛行を見た後では、生半可な動きでは会場の注目を集めるのは不可能だ。


私はパリ航空ショーにいつも参加している。これはいってみれば世界の航空宇宙産業ショーみたいなもので、ありとあらゆる企業が最新型の戦闘機やらロケット、民間航空機をこの会場で展示している。会場のあちこちでは各国の航空機メーカー、軍隊、航空会社の人間どうしでなにやら話し合いをしていることからも解る様に、このショーは巨大な商取引の場でもある。

一応航空宇宙ジャーナリストとして業界の片隅で物書きをしている商売柄、こういうショーにも毎年顔を出しておくことにしている。尤もジャーナリスト云々の方は口実に過ぎなくて、実は最新型戦闘機やらヘリコプターが飛んでいるのをこの目で見たいだけなんだけれども。自腹を切ってこういう催しに参加すると結構手痛い出費になるんだが、まあそこは色々と情報を仕入れることもできるしね、などと自分に言い訳をしては毎回参加するのだった。

とりわけその年は聞き捨てならない噂が飛び交っていた。アメリカの航空機メーカーが全く新しいコンセプト、それも空戦の概念をひっくり返す様なシロモノを作り上げて今回の航空ショーでデモ飛行するというものだ。こういう類の噂は大部分が与太話なので普段無視してしまうのだけれど、今回はそういう訳にもいかなかった。なにしろWikiLeaksに暴露された国防総省の公電の中で言及されていた次世代戦闘機とその噂の内容がピタリと一致していたからだ。暴露された公電には「空戦の概念を変える次世代航空機」だの「人工筋肉を使用した主翼」、「人間と戦闘機との融合」だのといったまるでSFとしか思えない文言ばかりが並んでおり、あろうことか既に試作機が完成してしまっているとすら書いてある。私は是非とも噂の真偽を確かめたいと思った。一体どんな戦闘機なのかと業界中が蜂の巣を突いた様な騒ぎになるなかで、噂の通りに今回の航空ショーでその次世代航空機のデモ飛行が行われたという訳だった。


例の戦闘機は既にデモ飛行を終えて滑走路に降りたってしまっている。気の早い連中が既にYoutubeやらBaido、ニコニコ動画といった動画投稿サイトにあの戦闘機のデモ動画を投稿していた。明日中には世界のトップニュースを飾るだろう。一方会場にいる連中の関心は、あの戦闘機の動きがどうのといった話題から既に外れていた。「何処」の「誰」がこんな化け物染みた戦闘機を作ったのか、あのデモ機の制御プログラムは何処で開発されたものなのか、いつ頃実戦に投入される目途がつきそうなのか。重要なのはそういう点だ。各国や各メーカーの連中は、今頃そういう情報を探り当てる為に色々と情報集めをしていることだろう。無論、この私も色々な筋にあたってなんとかあの戦闘機について情報を引き出そうと懸命になったうちの一人だった。


どこの航空機かというのは明白だった。アメリカのBR、ボーイング=ロッキード社製と会場のパンフレットに記載されていたからだ。しかし、ではBRの誰が作ったのかについては、皆目見当もつかなかった。そもそもあれはなんという名前なのかすらハッキリしない。こんなのは長いことこの業界に生きてきて初めての経験だった。普通は何処の誰が作ったものでいつ頃市場に出回るか程度のことであれば、業界の中の人間であれば簡単に掴めてしまうものだ。

程なくして奇妙な噂が流れてくる。あの戦闘機は実は無人機ではなく、有人機らしい、というモノだった。あり得ない、私は最初そう思った。あんな曲芸染みた飛行を有人で出来る筈がない。機体の歪み云々以前に中身となる人間が衝撃に耐えられない。大体あの戦闘機は駒のように回転するなどという芸当をこなしている。もしも中に人間が乗っていたら遠心力のせいでパイロットのクビが折れてしまうだろう。

私はそう思って一旦はその噂を無視することにしたものの、何故か気になって仕方なかった。大体何故そんなすぐに嘘と解る様な噂が流れたのか?こんな噂の出所は一体どこのだれだ?何を根拠にこんな噂を流したのか?独自にこの噂の出所を追う気になったのは他にも理由があった。あの戦闘機についての手がかりが全く掴めないのだった。


例の戦闘機が実は有人機だったという噂は実は大会の整備士の間で広まっていた。実際整備士たちに聞いてみると、例の戦闘機はデモ終了後、有人機を整備するバンカーの中に収容されたのを見たという証言が後を絶たなかった。手がかりがつかめた。もしも有人機であり、尚且つあんな機動の中でパイロットを生存させるとなると何か特殊なからくりが必要になる筈だ。もしかしたらBR社があの戦闘機について詳細をひた隠しにしているのも、その特殊なからくりを公開する訳にはいかないからなのかも知れない。しかしだ。

「だとしたら何故あんな目立つ場所でデモ飛行などしたのかという点で疑問は残るな」と私はパリ航空ショーの会場近辺にある安宿で独りノートPCを開きながらごちた。近辺といっても、会場から車で40分程の距離にある。もう少し近くに宿を取りたかったが、目ぼしい所は大手メーカーだの、大会関係者だの、各国のVIPや軍人だのが押さえてしまっているのでそこくらいしか余ってなかった。お蔭で夜ともなると、隣の部屋でカップルがありあまる若さを爆発させている音やら雄叫びやらを聞かせれる羽目になる。なんとも妙な所に泊ってしまったもんだとこぼしながら、気分なおしにタバコに火をつけてインスタントコーヒーを呑んでみる。

そうだ、この戦闘機でイマイチよく解らないのは、秘密があったとしてそれを隠し続けたいのか公開したいのかよくわからない点でもあるんだ。もしも会社としてなんとしても隠し通さねばならない秘密があるのであれば最初からデモ飛行などしなければいい。にも関わらずデモ飛行を、それも世界中の注目を望んで引きつける様な飛行をしたのはなんでなんだろう。

コーヒーを飲んでから、なにか変な舌触りに気づく。余りに考え事に集中していたために、タバコの吸い殻がコーヒーの中に丸ごと入っているのに気が付かなかったのだった。私は思わずコーヒーカップの中身を窓から捨てた。


2.整備士のぼやき

僕にとってこの戦闘機の整備をしていて一番嫌な瞬間は、少佐をこの戦闘機へ搭乗させるときだ。別に少佐が個人的に嫌いだとかそういう問題じゃない。空軍からボーイングに出向してきたテストパイロットが多少気分屋で気難しい性格なのもまあ良しとしよう。僕が嫌なのは、少佐を戦闘機に「搭乗」させる手続きそのものだった。ついさっきまで人間だった筈なのに徐々にモノの様になっていくその過程が見ていて吐き気がするってことだ。

まず少佐をマットの上に寝かせてシャツとトランクス以外は全て脱いで貰う。そして彼の体から義手を外す。まず右手。それから左手。一度「痛くはありませんか?」と聞いたが「いや、義手だしね、これ」と言われて妙に気まずかった。それ以来、この手続きをするときには、自分から少佐に話しかけない様にしている。無造作に転がっている右手と左手はそう言われない限り義手とは解らない位精巧なのに、少佐の腕から外されてマットの上に置かれた途端に生気を失って物体そのものになる。ピクリとも動かないその腕はうっかり触ってしまわないようにさりげなく距離を保ちながら僕らは作業を続ける。


次に少佐の両足を取り外す。これも右足、左足の順。こうなるともう、少佐は自分独りで起き上がれなくなる。後ろから体を支えてあげて、寧ろ袋といった方が良いような形をしている耐衝撃スーツを少佐に着せる。着せるというよりも袋の中に入れる、と言った方が正しいかも知れない。

最後に耐衝撃ポッドの中に少佐を収容する。ポッドの中には酸素を含んだ粘性が極めて高い液体で満たされている。この粘性のある液体がパイロットの身体を保護するらしい。これがないと少佐の体は戦闘機の機動のせいでミンチになってしまうというからなんとも凄まじい動きをする戦闘機だと今さら呆れてしまう。液体の中の酸素濃度、二酸化炭素濃度などをチェックした後に少佐を沈める。もしもポッド内で酸素や二酸化炭素などの循環が上手くいかないとやはり少佐は死んでしまう。だから僕らは少佐を沈めてから10分待つことにしている。10分経って生体データが全て正常値を指していれば、無事ポッド内の循環系統は作動しているものと見做す。この間、僕ら整備班に出来ることは何もない。パイロット医療班が整備班を押しのけて少佐の生体データを血眼になって見つめ続ける。この10分間が異常に長い。


作業は再び医療班から整備班に引き継がれる。少佐の脳波をポッド制御系に接続して「少佐、お体に異常はありませんか」とポッドに付属しているキーボードに文章を入力すると「異常なし。すべて正常」とポッド上のディスプレイに文章が表示される。

この瞬間から耐衝撃ポッドが少佐の体そのものとなる。ポッドを戦闘機の中に格納してパイロットの搭乗手続きは終わる。この間は時間にして20分も無い筈だが、何時間にも感じられる。まるで人間をバラバラにして機械の部品にしてしまっている様な感じがするから。そういう事を他の整備士に言うと、僕は神経が細いだの、お前は色々と考え過ぎなんだだのと言われてしまう。しかし僕は知っている。実は皆同じことを考えていると。大体他の連中の目を見れば解る。誰一人として少佐の両手両足に目を向ける奴らはいない。医療班の連中は別だ。連中は仕事柄こういう人体を構成する部品を見てもあまり抵抗を感じないらしい。僕には真似出来そうにない。


少佐を収納した戦闘機はあと3時間後には空を飛ぶ。それに備えて今のうちに飛行前の機体検査を済ませておく必要がある。少し離れてから眺めてみると、本当にこの戦闘機が異様であることが解る。その戦闘機にはキャノピ(風防)が無い。そもそもこれは無人機、或いは遠隔操縦機として配備される予定だった機体を無理やり有人機に改造したものだった。だから少佐が格納されている耐衝撃ポッドは戦闘機のウェポンベイに仕舞われている。もともと人間なんて載せるつもりなかったから、武器庫くらいしかパイロットを突っ込むところが無かったらしい。別に機体を制御するデータは直接パイロットの脳内に転送されるとはいっても、見ていて気持ちのいいものじゃない。

そして人工筋肉で覆われたまるで生き物みたいな主翼と尾翼。触ってみるとほんのりと生暖かく微妙に動いている。恐らく主翼を覆っている人工筋肉が少佐の脳波によって無意識に動かされているからだ。内部から人間の脳波で直接操縦できる戦闘機、その機動性能はまさしく空戦そのものを変えてしまうだろう。でもそれはパイロットである少佐をまるで戦闘機の制御OSみたいに扱って得られたものだ。ありゃあ少佐本人がその気だからまだいい様なものの、明らかに人権侵害だ。もしも障碍者団体辺りでも嗅ぎつかれたら偉いことになる。このチームの解散どころじゃ済まない、下手したらウチの会社の経営陣が責任をとって全員クビってことも有りうる。まあ、僕は下っ端の技術屋だからどうでもいいけど。

「どうしてこんな人体実験もどきの生体兵器に関わりを持っちまったんだろう」呟きながら僕は今さらの様に後悔する。横に居た整備士仲間から「おい・・」と小声で小突かれた。声が少し大きかった様だ。しかし構うものか。

もう遅い。何もかも手遅れだ。デモ飛行は後少しで行われる。あの戦闘機の驚異的な機動を一目でも見れば世界中の注目を引くことになるだろう。そして僕らはひと時の栄光の後で、激しく世間から糾弾される様になるだろう。


機体の検査はもう終わってしまった様だった。今ならまだ間に合う、と思った。今ならまだ手遅れじゃない。例えば機体に小細工をして機体の歪みゲージをわざと大き目にみせてしまうとか、或いは機体の制御OSにバグ染みた動きを仕込んでおくこととかは今なら出来る。そして散々手間取らせた挙句に、今日のデモ飛行は停止に・・、駄目だ、それでは駄目だ。少佐が納得しない。あの少佐は一度やると決めたことはどんな代償を払ってでも必ず実行する。そして自分自身の保身の為に今日のデモ飛行を妨害する様な人間を、少佐は絶対に許さないだろう。少佐は自分自身を実験台に使ってまで今日のデモ飛行を実現に漕ぎ着けた男なのだから。あんな男を敵に回すべきじゃない。

僕は諦めにも似た心境で機械的に整備場の方付けをした。そして少佐の格納された、いや既に少佐と一体化した機体が滑走路を走り出して離陸する様を見届けながら、一体何が少佐をここまで突き動かしているんだろうと暫く考え込んでいた。


空を飛ぶことに執着心を燃やしているんだということは解る。それも新型戦闘機の実験台になってまでだ。整備士だの医療チームの連中は皆「あの人はよく解らないよ」と口ぐちに言いながらもあの人に付いていく所を見ると、やはり周りを感化させていく不思議な才能を持ってるんだろう。-ああ、なんて悪趣味な。少佐は早速パフォーマンスをしている。それにしても戦闘機の翼をバタつかせてのホバリングってのはどうだろう。確かに人工筋肉のアピールには持って来いのやり方だけれども。それにしたってこんなやり方しなくてもいいだろうに。少佐はその後もカラスみたいに螺旋を描いて降下したり、かと思うとロケットの様に急上昇といった芸当を連続している。これじゃハッキリ言ってデモ飛行でもなんでもない、単なるサーカスだ。新しく芸を覚えた芸人が、その芸を皆に披露したくてたまらなくなって大通りでいきなり初めてしまう様な大道芸だ。少佐は多分嬉しくて仕方ないんだろう。こうやって再び空を飛べるという喜び、そして戦闘機を操縦するのではなく、戦闘機と一体化して自分自身が大空を飛べているという喜びを体中で表現したいんだろう。結局あの人は単に空を飛びたいから飛んでいるんだ。そして今日のこのデモ飛行はそのことを皆にアピールしたいからやっている、それだけのことだ。


デモ飛行自体は大成功だったらしいことは周りの雰囲気でよく解った。大歓声など一つも無かった。皆が信じられないものを見つめるときの様な目つきであの奇妙な機体をただただ見つめていた。例えるなら幼児が初めて車や飛行機を見るときの目つきに近い。いい年した中年男やら若い女やらが感情の抜け切った視線で上空を見つめている。皆何も喋らないのは多分なんと表現すればよいか解らないせいだと思う。フェンスの向こう側で何か地元の農民が騒いでいた。フランス語で「なんだ!あれは!」だの「神様!」だのと騒いでいる。本当ならそういう反応を期待していたんだがな、と思ってから僕自身がいつの間にか少佐に影響されているのを自覚する。


少佐の戦闘機が滑走路に降りてくるのが僕にも見えた。そろそろバンカーに帰らないといけない。漸く落ち着きを取り戻した連中が何処の誰がこんな化け物染みた戦闘機を作ったのかを調べる為に奔走している。そういう連中に”実はあれ、僕たちが作ったんだけどね”と言ったらどういう反応を返してくるだろうと思って少し愉快になった。横にいた同じく整備の仕事に就いているらしいつなぎ服の男が「遠隔操縦するにしてもどうやってあんな複雑な操縦をするってんだ・・」となど呟いている。おいおい、有人機だよあれは、勘弁してくれよ、遠隔操縦であんな動き出来る訳ないだろう。それに無人機で実現するにしたって、あそこまで複雑な操縦は今のところ不可能だ。そう思っているとそのつなぎ服の男が呆気にとられた様な顔をしてこちらを見ている。まずい、どうやら思考が外に洩れてたみたいだ。僕はそっぽを向いてから少佐の戦闘機が格納されたバンカーに向かう。


3.少佐は両手両足を失ってもなお、空を飛ぶ

いよいよだ。いよいよ俺の願いが叶う日が来た、と少佐は思った。事故で両手両足を失ってパイロットとしての道を絶たれてから、長い間切望していた空を飛ぶという夢が今まさに実現しようとしている。


バンカーから出て滑走路に出る。自分の目は頭の上に二つしかない筈なのに、何故か上下左右全てを視認出来ている様な感じだ。多分トンボや複眼の昆虫にはこんな風に世界が見えているんだろうか。それに両手両足の義手を乗る前に外した筈なのにまだ残っている。錯覚ではない。自分の右手にあたる神経系を右の主翼に、左手の神経系は左の主翼に接続したからだ。両足も同様で、機体後方に斜め方向に延びている二つの尾翼のうち右の尾翼は右足の神経系に、左の尾翼は左足のそれに接続されている。実際に俺の体がこの戦闘機のウェポンベイの中にあるとかそんなことはどうでもいい。今、俺の感じていることだけが全てだ。俺は空気の質感や太陽光の明るさ、機体の外から見える景色をまさにこの脳で直接感じている。この瞬間、俺は人間ではなく、航空サイボーグとなってこの機体と一体化している。


さあ飛ぼうと念じると、機体内のエンジンは途端に唸りをあげた。パイロットをしていた時代にコクピットの中で感じていたのとは違い、エンジンの出す低周波音、振動、熱量とも明らかにクリアに感じられる。頭の片隅がチクリとする合図があった。管制塔から「離陸を許可する」という意味の信号が送られてきたのを、制御OSが通知してきたのだった。そこで俺は「これより発信する」という信号を送り返す。それにしてもこんなにも感覚が違うものなのか、と改めて驚く。


滑走路から離陸した後はまず通常通りに飛行して高度を稼ぐ。太陽がまぶしい。それに空気が薄くなってきたのを感じる。すると自動的にこの戦闘機の制御OSがエンジンに注入する燃料と空気の割合を変化させた。

既に高度5000mだ。地表は既に良く見えないが、じっと目を凝らすと観客たちが俺の体を見ているのが解る。さてここからがパフォーマンスの見せ所だ。俺は自分の両腕に神経を集中する。右の腕と左の腕を一緒に動かして鳥の様に羽ばたかそうとすると、実際に人工筋肉で覆われた左右の主翼が羽ばたいた。訓練通りにできた。地表にいる人間どもは既にこの時点で俺の方を呆然と注目している。尻のあたりにあるジェットを吹かすのを辞めて翼の力だけで高度を維持してみせる。さながら鳥になった様な気分だ。

こんな事位で驚かれては困る。早く次のパフォーマンスに移らないと。両手を上手く捻るイメージで主翼を撓ませた。カラスや鳩が時たまやる、螺旋を描いて回転しながらの降下だ。この飛び方は主翼の形に注意しないとすぐに機体が失速してしまう。実際デモ飛行前の訓練で何回失敗して地表と激突しそうになった。これだって生身のままなら相当酷いGが掛かってしまったのだろうが、既に今はもう何も感じない。まあ半径3mの円を描く様に回っているので多少目が回りそうになるが仕方ない。幸い今回は上手くいっている。いいぞ、何もかも恐ろしく都合良く運んでいる。

予定していた地点へ地表スレスレまで降下した後で、今度はありったけのエンジン推力で以てロケットの様に垂直上昇してみせた。飛行機の様に空を飛ぶのとロケットの様に垂直に上昇するのとでは全然感覚が違う。翼を使って空を飛ぶのは自分もこの大空の一部になった様で、なんやら泳いでいるのにも似た感覚に陥るがロケットの様に上昇しているときには自分自身の体すら大気中の異物となった感じしかしない。

再び高度5000mに到達した辺りで尻の辺りのジェット推進を自重と同じ位にしてそのまま空中に停止する。ここでバランスを崩すと空中に停止できなくなるので細心の注意が必要だ。機体の制御OSをフル稼働させながら何とか空中でそのままの姿勢を保ち続ける。・・5秒、いや3秒だったかも知れない。兎に角一瞬空中で静止することが出来た。今度は再び地表に降りる番だ。一旦ジェットの推進力を自重よりも若干弱めに落としてから、右手と左手の神経に集中して主翼を上手く撓ませる。・・出来た。こうすると機体をクルクルと回らせることが出来る。この技は以前バレリーナの舞を鑑賞していたときに思いついたものだ。

最後に地表に近くなったところで姿勢を立て直して通常通り滑走路へと降下する。もう思い残すことは何もない。俺は両手両足を切断してパイロットとしての経歴を捨てた代わりに、天空の世界を自分の体で駆け巡った人類初のサイボーグとなった。


デモ飛行が終って機体をバンカーの中に格納する。これから俺は段々と戦闘機から人間に戻っていくわけだ。まずは耐衝撃ポッドと機体の制御系システムとを切断する。既に神経を切断しているのだからもう主翼や尾翼は動かせないはずなのに、いまだにその感覚だけは残っている。なんなんだろうな、これは、と以前医療班の一人に聞いてみたら、ああそれはそういうもんなんですよ、脳が感覚を記憶している為に起こる幻覚の一つです、と説明してくれた。そういえば交通事故に遭って両手と両足を無くしてからも暫く足がイテェなあとか腕が痒いとかいう感覚を覚えていたなあ、と俺がいうと、まあそういうもんなんですよと返された。

生身の体とはこんなにも心細いものなのか、と今さらながらに感じていると、途端にウェポンベイから耐衝撃ポッドが引き抜かれるのを感じる。今の所まだ何も体に異常はないけれども、やはり医療チームの連中は手順に従って俺の体の心拍は正常か、血圧はどうかなどというデータを逐一調べるんだろう。ついにポッドが開かれて俺の体は外に出る。


ようやく空を飛べた。しかも自分自身で飛べた。これから色々と面倒な問題に対処しなきゃならないだろう。例えばこんな脳波で動かす戦闘機なんてのは非人道的であるという様な的外れな非難に対処することとか。

しかし、取りあえず今は、これ以上なく満ち足りた気分だ。それだけは確かだった。

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