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第3話「道標」

 セントリアの街並みは、まさに活気に満ちていた。


 大通りを行き交う人々、賑やかな商人の掛け声、遠くで響く楽器の音――全てがミリアにとって心地よい故郷の光景だ。


「ねえ、ルーク!まずは篝火に行こうよ!」


 ミリアはそう言うと、嬉しそうにネメシス――いや、今は「ルーク」と名乗っている彼の手を引いた。


「篝火……お前の働き口だったな」


「うん!ここの料理は絶品なんだよ!それに、助けてくれたお礼もしたいし」


 ミリアの目は輝いていた。


 ネメシスは感情を持たないながらも、彼女のその表情が何を意味するのかを理解していた。


 単純な感謝の気持ち……あるいは、自分に対する罪悪感からの償いなのかもしれない。


――――――


 篝火と呼ばれる酒場は、セントリアの商業区に位置していた。


 木製の看板に刻まれた焔の紋章が店の名を示している。


 扉を開けると、芳ばしい料理の香りと酒の匂いが鼻をついた。


「おかえり、ミリア!」


 店内に入ると、恰幅の良い中年の男――店主のガラルが笑顔で迎えてくれた。


「行方不明だって聞いてたから、心配してたんだぞ。生きて帰ってきてくれて本当に良かった」


「……うん。あたしも本当にダメかと思った。でも、この人に助けてもらったの」


 ミリアが隣のネメシスを指差すと、ガラルは驚きの表情を浮かべる。


「そうか、お前さんが命の恩人か。ありがとよ、助けてくれて」


「礼なら必要ない」


「まあまあ、そう言わずにゆっくりしていってくれ。今日は俺の奢りだ!」


「やったー! ほら、ルークも座って!」


 ミリアが無邪気に笑いながら席に座ると、ネメシスもそれに倣って腰を下ろした。


 料理が次々と運ばれてくる。


 香ばしい肉の焼き加減、野菜の新鮮な風味。


 ネメシスにとっては食事そのものに対する興味はないが、それでも空腹を満たすという点では必要な行為である。


「どう? 美味しいでしょ?」


「……食べられないことはない。」


「それ、普通に美味しいってことでしょ?」


 ミリアはケラケラと笑った。


 食事をしながら、ミリアは時折ネメシスの方を見ては、何かを確認するような視線を送っていた。


 その目はどこか不安げで、けれども彼に対する信頼も含まれているように感じられる。


――――――


 腹ごしらえを済ませた二人は、篝火を出て中央区へと向かっていた。


「そういえば、ルークは冒険者登録してないんでしょ?」


「ああ。必要なことなのか?」


「セントリアで安全に過ごしたいなら、身分を証明するギルドカードはあった方がいいよ。怪しまれずに行動できるし」


「……そうか。案内しろ」


「任せて! もうすぐそこだから!」


 ミリアは元気よく先を歩いていく。


 ネメシスはそれを冷静に見守りながら後を追った。


――――――


 冒険者ギルドは、白亜の建物で構成されていた。


 入り口には「冒険者ギルド セントリア支部」と記された大きな看板が掲げられている。


 中に入ると、様々な装備を身にまとった冒険者たちが賑わいを見せていた。


 彼らの笑い声や怒声が入り混じり、独特の喧騒を生み出している。


「こっちこっち! 受付はあっちだよ」


 ミリアに案内されながら、ネメシスは受付へと歩みを進めた。


「ようこそ、冒険者ギルドへ。冒険者登録をご希望ですか?」


 受付の女性がにこやかに微笑む。


「……ああ」


「では、お名前と職業を記入してください」


 ネメシスは渡された紙に書き込む。


「ルーク。職業は……剣士だ」


「確認いたしました。ルーク様ですね。冒険者登録が完了しました」


 女性は微笑みを浮かべながら、ネメシスにギルドカードを差し出す。


「このギルドカードにはランクが記載されています。今のところ『Eランク』ですが、依頼をこなして実績を積めば昇格も可能です」


「ランク?」


「はい。ギルドでは冒険者の実力を6段階のランクで評価しています。Eランクが最も低く、Sランクが最も高いです」


「ちなみに、フレアエルドの特定地域への依頼は『Cランク以上』でなければ受けられません。ご注意ください」


「なるほど」


「冒険者として活動する予定がなくても、ギルドカードを持っていれば身分証明として利用できますのでご安心ください」


「分かった」


 ネメシスは簡潔に答え、ギルドカードを受け取った。


「ちゃんとギルドカード貰えたね!これで色々と安心だね!じゃあ早速依頼に―――」


 ミリアは嬉しそうに笑う。


「…あくまで、身分を証明するためのものだ」


 ギルドカードを受け取り、一息ついたとき―――。


「おい、あれってミリアじゃねえか?」


 背後から嫌な声が聞こえた。


 ミリアの表情が一瞬で強張る。


 その目は怯えている。


「へえ、生きてたのかよ。てっきり魔物の餌になってるかと思ってたぜ?」


 嘲笑を含んだ男の声。振り返れば、三人の男がこちらを見下すように立っていた。


「お前たち……」


 ミリアは低い声で呟いた。


 彼らはかつてミリアとパーティを組んでいた仲間。


 だが、魔物に襲われた際、自分たちだけが生き延びるために彼女を囮として見捨てた者たちだった。


「何しに戻ってきたんだ? また俺たちに助けてもらおうってか?」


「見捨てられて当然のクズが何しに来たんだ?」


「さっさとこの街から出て行けよ。お前みたいな無能がいても邪魔なだけだ」


 次々と浴びせられる罵倒。


 周囲の冒険者たちも興味を引かれたのか、ちらちらとこちらを見ている。


 ミリアは拳を握り締めていた。


 しかし、反論する言葉は出てこない。


 胸の奥で渦巻く悔しさと悲しみが、声を封じ込めてしまっている。


「言いたいことはそれだけか?」


 突然、ネメシス――ルークが静かに口を開いた。


「……なんだ、てめぇ?」


「こいつの知り合いか?」


「関係ないなら引っ込んでろ!」


「お前たちがどうしようと勝手だが、俺の邪魔をするなら消えろ」


 ネメシスの目は冷たく光っていた。


 まるで、感情のない刃物のように鋭い瞳。


「な、なんだよ、その目は……?」


「チッ、行こうぜ。こんな奴に構ってる暇はねえ」


「せいぜい、お前もその女みたいに死なないように気をつけるんだな!」


 男たちは捨て台詞を吐きながら立ち去っていった。


――――――


「……ありがとう、ルーク」


 ミリアは力なく呟いた。


 震える声と共に、目には涙が浮かんでいる。


「助けたつもりはない。お前が弱いだけだ」


「……わかってる。でも……あたし、今までずっと……自分が無力だったから、見捨てられたんだって思ってた」


「事実なのだろう」


「……うん。でも……それじゃダメだよね。いつかあの人たちに負けないくらい強くなる。絶対に」


 ミリアの目にはかつてないほどの決意が宿っていた。


 彼女の声は震えていない。


「そうか」


 ネメシスは無関心を装うように短く答えた。


――――――


 ギルドでの手続きを終えた後、二人は街の通りへと出ていた。


 ミリアは、以前とは違う何かを手に入れたように見えた。


「……ここで別れる」


 ネメシスは突然そう告げた。


「えっ……?」


「俺は俺の目的を果たすために行動する。お前を守るつもりはない」


「まって……!」


 ミリアは思わず彼の腕を掴んだ。


 その手は小さく震えている。


「お願い、ルーク。あたし、あんたの力を見て確信したんだ。あたしはまだ弱い。だから、もっと強くなるために――」


「俺について来る必要はない」


「違うの。あたしも力になりたいの! だって、ルークは自分の記憶を探してるんでしょ? だったら……あたしにも何かできることがあるかもしれない」


 その言葉に、ネメシスはわずかに目を細めた。


「……自分を過大評価するな」


「過大評価なんかしてない。あたしはただ……少しでも力になりたいだけ」


 ミリアの言葉には、明確な意志が宿っていた。


 彼女はただの無力な少女ではない。


 見捨てられ、傷つき、それでも前へ進もうとする強さを持っている。


「……好きにしろ」


「ほんと!? ……やった!」


 ミリアの笑顔は、まるで子供のように無邪気だった。


 ネメシスは無言のまま、彼女を見つめていた。


「それじゃあ、早速……あたしに出来ることはあるかな?」


「情報を集める。ある人物が俺の記憶に関係しているという情報を得た」


「誰について?」


「フレアエルドを統治する……エリアス・グレイブという存在についてだ」


「エリアス・グレイブ……って、伝説の魔女のこと?」


「……知っているのか?」


「うん、小さい頃に絵本で知った程度だけど…。セントリアの図書館にいけばその文献があるかも」


「なるほど」


「あたしが、案内するから、着いてきて」


 こうして、ネメシスとミリアは新たな目的を共有することとなった。


 彼らの旅はまだ始まったばかりだ。


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