第2話「対照的な2人」
枯れ果てた荒野を進む二つの影
ネメシスは無表情のまま、ただ前を見据えて歩いていた。
その隣を歩く少女――ミリア・ブレイクは、時折不安そうな様子を見せながらも、必死に足を動かしている。
「ねぇ、あんたって何者? どうしてこんなところを一人で歩いてたの?」
ミリアは少し躊躇いながらも、勇気を出して話しかけた。
黙って歩いているのも気まずかったし、何より自分を助けてくれたこの男が何者なのか気になっていた。
「……ただの旅人だ」
ネメシスは淡々と答える。
その声には感情の欠片すら感じられない。
「本当かな? だって、あんな魔物を簡単に倒しちゃうなんて……普通じゃないよ」
「……」
ネメシスは沈黙する。
この少女に自分の本当の役割を語るつもりなど毛頭なかった。
「まあ、助けてくれたんだし、それ以上は聞かないけど……ありがとうね」
ミリアは笑顔を浮かべるが、その笑みには少しだけ無理が見えていた。
――――――
荒野の中、ネメシスとミリアは足を進め続けた。
時折吹きつける冷たい風が、二人の頬を撫でていく。
「ねえ、どうしてあたしを助けたの?」
ミリアはふと疑問を口にした。
目の前の男は、ただ黙々と歩いているだけで、一度も自分を振り返ろうとしない。
「邪魔だったからだ」
淡々とした答え。それだけで会話を終わらせるつもりだった。
「……それだけ?」
「……」
ネメシスは答えない。感情を持たない彼にとって、それ以上の意味を持たせる必要はなかった。
しばらく沈黙が続いた後、ミリアは自分から話を切り出した。
「まあ、いいや。あたしの話を聞いてくれる?」
「話す必要があるのか?」
「……ううん、ただ、黙って歩いてるのも気まずいしさ」
ミリアは無理に笑おうとしているようだった。
「……仲間に見捨てられたんだったな」
ネメシスの言葉は冷淡で、突き放すような響きがあった。
「……あはは……うん、そう」
ミリアは少しだけ肩をすぼめ、視線を落とした。
「セントリアの冒険者ギルドでパーティを組んでたんだ。みんな、いい人たちだと思ってた。だけど……」
彼女の声は次第に震え始める。
「依頼を受けて森の中に入った時、魔物に襲われて……。その時、あたしだけを囮にして逃げたんだ。自分たちが助かるために、あたしを……」
涙が彼女の頬を伝う。悔しさと悲しみ、そして裏切られた痛みが言葉に滲んでいた。
「それで、この辺りをさまよっていたわけか」
「うん……。」
ミリアは静かに頷いた。
――――――
夜が更け、二人は小さな焚き火を囲んで休息を取っていた。
火の揺らめきが、ネメシスとミリアの影を不規則に照らし出す。
「ねえ、あんたはどうして旅をしてるの?」
ミリアが尋ねた。好奇心というよりも、ただ話題を続けたかったのだろう。
「……目的がある」
「目的って?」
「自分の故郷を探している」
「故郷……?」
「記憶を失っている。俺は、自分が何者なのかを知るために旅をしているだけだ」
「そっか……記憶喪失ってこと?」
「そういうことだ」
ネメシスは淡々と語る。
もちろん、それは真実ではない。
彼の正体がWPKの「番外席次」であることなど、この少女に話すつもりはない。
――――――
数日後、ようやくセントリアの城門が見えてきた。
高く聳える白亜の壁と、賑わいを見せる商人たちの声が遠くからも聞こえる。
「ほら!あそこがセントリアだよ!」
ミリアは嬉しそうに指をさし、無邪気に笑う。
「ようこそ、セントリアへ!」
笑顔で迎えるミリアとは対照的に、ネメシスの瞳は冷たく光っていた。
彼の中にあるのは、任務を遂行するというただ一つの使命のみ――。
―――ミリアside―――
血の匂いと泥の感触が、肌にまとわりついていた。
体中が痛みで軋み、まともに立ち上がることすらできない。
森の中で仲間に見捨てられ、囮にされて捨てられた。
逃げることもできず、ただ絶望の中で膝を抱えて震えていた。
「助けて……誰か……」
声にならない叫びが、喉から絞り出される。
しかし、この場所で誰かに助けを求めることなど無意味だと理解していた。
――ああ、もうダメかもしれない。
目の前には、鋭い牙と血走った目を持つ魔物――「ハウンド」が三体。
彼らはじりじりと距離を詰め、今にも襲いかかろうとしていた。
恐怖で涙が溢れそうになる。
どうしてこんなことになったのか。
仲間だと思っていた人たちが、どうして自分を見捨てたのか。
「いや……いやだ……!」
震える手で短剣を構えようとするが、力が入らない。
絶望が心を蝕み、視界がぼやける。
その時――。
風が、変わった。
何かが周囲の空気を切り裂くように動いたのだ。
「グルル……ッ!」
次の瞬間、ハウンドの一体が血を撒き散らしながら地面に倒れ伏した。
何が起こったのか、ミリアには理解できなかった。
だが、目の前に立つ存在を見た瞬間、言葉を失った。
黒髪の青年が、無表情で剣を構えていた。
その目は、まるで感情を持たない冷たい氷のように輝いていた。
彼は何の躊躇もなく、次々とハウンドを倒していく。
その動きには無駄がなく、全てが効率的に洗練されていた。
「……処理完了」
呟かれた言葉は淡々としていて、助けた相手に対する興味も感じられない。
しかし、それでもミリアにとって彼は間違いなく命の恩人だった。
「……ありがとう、助けてくれて……」
震える声で感謝を告げると、彼はただこちらを無表情に見下ろすだけだった。
その瞳には感情が宿っていない。まるで人ではない何かのような、そんな印象を受けた。
しかし、彼が背を向けて去ろうとした瞬間、本能的に声をかけてしまった。
「ま、待って……!」
逃げられたくない。
このまま一人でここに取り残されることに耐えられない。
「どうして……どうして助けてくれたの?」
「任務の妨害になりかねなかっただけだ。助けた理由はそれだけだ」
冷たく突き放すような言葉。
だが、それでも彼の存在は、今のミリアにとって唯一の希望だった。
――――――
それから幾日かが過ぎ、ミリアはネメシスと共に旅を続けていた。
彼はどこか無機質で、感情というものを欠如しているように思えた。
会話をしても返ってくるのは短い答えだけ。
彼はただ、自分の目的のために歩みを進めているだけなのだと分かる。
だが、不思議と彼の冷たさを嫌だとは思わなかった。
むしろ、その無感情さが逆に安心感を与えていたのかもしれない。
誰かに裏切られることもない。
自分を見捨てるようなこともない。
彼は感情ではなく、ただ目的に従って行動するだけの存在。
だからこそ、今のミリアには居心地が良かった。
「ねえ、"ルーク"。あなたってどうしてそんなに冷たいの?」
何度も聞いてみた。だが、彼の答えはいつも同じだった。
「……冷たいとは思わない」
その無機質な返答に苛立ちを覚えることもあった。
けれど、不思議と彼と一緒にいることが嫌ではない。
むしろ、もっと知りたいと思っていた。
自分を助けてくれた理由。
感情を持たないと言いながらも、彼がなぜ自分を見捨てなかったのか。
いつか、その答えを見つけたい。
そして、彼の中にある何かを変えられるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、ミリアはネメシスと共に歩き続けていた。




