ことあるごとに俺に絡んでくる美少女JKの後輩が、缶コーヒーの中に何か怪しいものを入れたらしい。
西沢奈央は、超端的に一言で表すなら俺の後輩である。
もう少し詳しく言えば、ことあるごとにやたらめったら俺に絡んでくる後輩である。
元々は中学時代の部活の後輩で、俺が1年先に高校に進学した後、西沢も同じ高校に入学してきた。
西沢は「先輩を追いかけてきてあげたんですよ」なんて言っていたが、それはただ単にちょっと俺をからかおうとしただけだと思っている。
実際、俺と彼女の学力からすれば、今の高校は妥当なラインにあるし。
彼女は俺にたくさん話しかけてくれるし、俺から話しかけることもある。
メッセージアプリとかでやり取りすることも多い。
そして西沢とは、かなり話が合うから喋っていて楽しい。
家の方面が同じということもあって、タイミングが合えば2人で下校することもある。
周りからは付き合ってるのなんのと言われるけど、そんなことはない。
俺と西沢は付き合っていない。
好きかどうかといえば――
「何をぼーっとした顔で立ってるんですか?」
「ん? ああ、おつかれ」
校門の前に立っていた俺の顔を、腰の後ろで手を組んで、約15cm下から覗き込む黒髪の制服JK。
中学時代から目を惹くような美人の雰囲気があったが、高校生になってよりあか抜けたように感じる。
その見た目の良さと明るい性格でたくさんの男の気持ちを惹きつけては、見事に玉砕させてきた。
今まで一度も、恋人の類はできたことがないそうだ。
ちなみに俺もできたことがない。すごくどうでもいいけど。
「遠くの方を見てなんか考え事ですか?」
「あー、ちょっとな、うん。パンはパンでも食べられないパンはな~んだってなぞなぞの答えが、いい加減フライパンやらピーターパンでは飽きてきた頃だからな。新しい答えを探してた」
西沢はどれだけ付き合いが深くなっても、先輩には敬語というスタンスを崩さない。
出会ってから1回も、俺にため口で話したことはないんじゃないだろうか。
「そうですね……。カレーパンとかどうです?」
「いや、カレーパンは食べられるだろ」
「私は食べれませんけど」
「知ったこっちゃねえ……。西沢限定の解答じゃないか」
「女の子の好みはちゃんと把握しといてください。というか、どうでもいいですよそんなこと。どうせ、なぞなぞのことなんか考えてなかったんでしょうから」
「バレてら」
「何年の付き合いだと思ってるんですか」
4年。4年だ。
まさか「その4年間で積み重ねてきた俺とお前の関係性について考えてた」なんて言えるはずもなく、俺は適当な言い訳でごまかしたのだった。
「それじゃ行くか」
俺が今日、ここで西沢を待っていたのは、彼女から放課後のお誘いがあったからだ。
近所に新しくできた大型ショッピングモールに行きたいらしい。
俺としても気になっていたスポットだったので、快くオーケーした。
「あ、ちょっと待ってください」
西沢は歩き始めようとした俺を制止すると、体の後ろに隠していた缶コーヒーを差し出した。
俺がお気に入りのメーカーのやつだ。
すっかり好みを把握されている。
いや、それはありがたいんだけど……
「今日遊んでくれるちょっとしたお礼です」
「何で開いてんだよ……」
差し出された缶コーヒーは、こともあろうに開栓済みだった。
受け取るのをややためらう俺の手に、西沢がぐいっと缶を押し付ける。
「大丈夫ですよ。毒なんて入ってませんから」
「そりゃそうだろうけど」
俺は一瞬だけ、缶に描かれたパイプをくわえたおじさんと見つめ合うと、口をつけてぐっとあおった。
いつもと変わらない美味しさ。
からかってくる小悪魔的な一面もある西沢だけど、度を越えたいたずらをしないことは分かっている。
どうせ缶を開けただけで、何か入ってるんじゃないかと俺が警戒する様を楽しもうという魂胆……
「くふっ」
俺が缶から口を離すと、西沢はにやっといたずらっぽい笑顔を浮かべた。
怖い、ものすごく怖い。
「先輩、飲みましたね?」
「お前……もしかしてまじで何か入れたのか?」
「さあて、どうでしょう。『クイズ、正解は数時間後』です」
「年末特番バラエティみたいな言い方はやめろ。何入れたんだよ」
「まあまあ、効き始めるのには少し時間がかかりますから。とりあえず今日の目的地に向かいましょうよ」
「効き始めるって、その言い方は何かしらの薬物確定だからな? せめて合法のやつで頼むぞ?」
とはいえ、繰り返しにはなるが、西沢が俺の身体に害をもたらすようないたずらをするとは思えない。
絶対に大丈夫だ、きっと、多分、うん。
少し疑心暗鬼になりつつ俺を尻目に、西沢は「行きますよ」と言って歩き始める。
俺は慌ててその隣を歩き始めた。
※ ※ ※ ※
やってきた大型ショッピングモールは、夕方という時間帯もありかなりの賑わいを見せていた。
これまでは近所の商店街がこれに近い賑わいを見せていたが、目新しさに釣られて客がこっちへ流れてきた感じがする。
これがいつまで続くかは分からないけど、とにもかくにも現代日本の縮図だな……なんて考えながら歩いていると、隣の西沢がとある店を指差した。
「先輩、あそこ行ってみましょうよ」
彼女が興味を示したのは、ガチャガチャの専門店だ。
商店街にもゲームセンターはあって、そこにガチャガチャコーナーは設置されていたが、ここまで大規模なものはなかった。
「いっぱいありますね~!」
アニメや漫画系のガチャガチャから、アイドルコラボのもの、戦隊ものや怪獣もの、なんだかよく分からないキャラクターのものまで、多種多様なガチャガチャがある。
店の中の客層も、子供ばかりではなく、俺たちのような高校生や、もっと上の会社帰りの社会人らしき人たちまで、みんな楽しそうに店内を眺めていた。
「どれかやってみましょうよ」
「まあ、せっかくだし1回くらいやってみるか」
「やった! じゃあこれで!」
西沢が指差したのは、SNSから人気に火が付いたキャラクターのヘアバンドが出るガチャガチャだ。
値段は1回500円と少しお高めだが、西沢がこのキャラクターが好きなことは知っているし、まあ良いだろう。
「さっき先輩が私を待ってる時の顔、よく見たらこのキャラにそっくりですね」
西沢が指差したのは、眠そうな目をして口元からよだれが垂れているキャラクター。
俺の名誉のために言っておくが、俺は断じてこんな顔で公衆の場には立っていない。
「あのな……」
西沢のことを細い目で見ながら、俺はガチャガチャに500円を投入する。
そしてハンドルを回し出てきたのは……
「うわ、先輩自引きじゃないですか。さっすが~」
「何が自引きだよ」
こともあろうに、カプセルの中に入っていたのは、先ほど西沢が俺に似ているなどと言いやがったよだれキャラだった。
ヘアバンドは実用性があるから良いとして、よりによってこのキャラなのはしゃくだな。
そんなことを考える俺の横で、西沢も500円を入れてガチャガチャを回す。
「うわあ、先輩だ」
「うわあってなんだよ、喜べよ」
よりによって、西沢が引いたのも眠目よだれ垂れ流しキャラだった。
こういうの、連続で同じの出ることもあるんだな。
「先輩こそ、私とおそろなので喜んでください」
「うわあ、おそろか」
「はあ? ひど」
「どっちがだよ」
軽口をたたき合いながら、俺たちはカプセルを捨てて店を後にする。
それからいくつか店を見てまわった後、俺たちはフードコートにやってきた。
「結構歩きましたね」
「そうだな。いろいろあって面白かったわ」
「ですね。先輩、何か食べます?」
「うーん、がっつり食べる気分でも時間でもないしな。何か甘いもの……」
「アイス屋さんありますよ。ほら、あそこに」
「本当だ。アイスくらいがちょうどいいな」
店を決めたところで、俺はフードコートの様子を見渡す。
わりと満席に近いため、2人そろって席を離れると、誰かに取られてしまうかもしれない。
「俺、買ってくるよ。何がいい?」
「じゃあ~、先輩のチョイスにお任せで! センスを信じます」
「じゃあコーヒーのやつな」
「ちょっと! 私がコーヒー飲めないの知ってますよね!? このカフェイン中毒! 一生眠れなくなっちゃえ!」
ぎゃーぎゃー言う西沢を背に、俺はアイス屋へと向かう。
西沢は本当にコーヒーが苦手だ。
逆にイチゴ系のフレーバーは大好き。
それくらいの好みは把握しているので、俺はイチゴ系を2種類買って戻った。
「イチゴですか。さすがですね、先輩」
「そりゃどうも」
「先輩のそれは何ですか?」
「これはチョコとコーヒー」
「うわ……アイスまでコーヒーなんですか……」
理不尽にドン引く西沢と向かい合いながら、アイスを口に運ぶ。
苦みのあるコーヒーと甘めのチョコ。
フレーバーの組み合わせとしては、なかなかに良い。
「そういえばさ」
「どうかしましたか?」
「コーヒーで思い出したんだけど、ここへ来る前の缶コーヒーに何か入れたってやつ。結局あれは何だったんだ?」
「いや~、まだちょっと効き始めるのにもう少し時間が。それと発動条件がありまして」
「魔法か何かかよ……」
「あんまり人の多いところだとあれかなと。もし先輩が他に見たいところなければ、これを食べたらここを出ませんか?」
「西沢が満足したんなら、俺は別に出てもいいぞ」
「じゃあ、これを食べたら出ましょう」
そう言うと、西沢は残りのアイスをすくって食べ始める。
少し体が冷えたのか、カップを持つ彼女の手は、わずかに震えているようにも見えた。
※ ※ ※ ※
俺と西沢の家は同じ方面にある。
高校の最寄り駅から電車に乗り、3駅先の駅で降りて、5分くらい歩くところまでは一緒だ。
道中も2人で何気ない会話を交わしていたのだが、西沢はどこか上の空のような気がした。
俺の気にしすぎかもしれないが。
「……」
「……」
電車を降りて、駅から少し行ったいつもの分かれ道。
一緒に帰ってきた時は、ここで「じゃあまた」などと言って別れるのが常だ。
しかし今日は、2人して足を止めると妙な沈黙が流れてしまった。
「ええっと」
いつになく気まずそうな雰囲気で、西沢が口を開く。
こんな彼女の様子を見るのは、出会ってから初めてかもしれない。
「どうですか、先輩。体に何か異変とかは」
「いや……特に何もないけど」
「そうですか。じゃあ、心の調子はどうですか?」
「急にどうしたんだよ。まあ、今日は楽しかったし心の調子は良好……かな?」
「そうですか! 楽しかったですか……良かったです」
明らかにいつもと違う雰囲気で、なんだか調子狂う。
いつもは何の遠慮もなしにズバズバ言葉を放ってくる西沢が、何かを避けるような、遠回りするような話の進め方をしているのだ。
「ちなみに今日の私ってどうでした?」
「えーっと、ショッピングモールにいる時はいつも通りだったかな」
「そ、そうですよねぇ……」
俺としては“いつも通り”楽しかったということを伝えたかったのだが、西沢はなぜかがっかりした表情を浮かべた。
それに、どうにもさっきから、話の調子だけでなく目線も合わない。
「あの、全然話が変わるんですけど」
「うん」
「先輩がどうかは分からないんですが、私は先輩と付き合ってるのかと聞かれることが度々ありまして」
唐突に放り込まれた話題に、俺はドキッとする。
それはちょうど、西沢と合流する前に俺が考えていたことだ。
――周りからは付き合ってるのなんのと言われるけど、そんなことはない。
俺と西沢は付き合っていない。
好きかどうかといえば――
「……ああもう! 単刀直入に言います!」
急にパッと顔を上げた西沢。
吹っ切れた表情で、盛大に暴露する。
「先輩の缶コーヒーに入れたの! 惚れ薬なんですよ!」
「え?」
「惚れ薬を入れた缶コーヒーを飲ませて! なんかいつもとちょっと違う雰囲気で遊べば! 先輩も私を意識するかなと思って! でも結局先輩の前だとふざけちゃうしいつも通りになっちゃうし!」
「お、おう……」
勢いよくまくし立てて俺を圧倒する西沢だが、その顔はみるみる真っ赤に染まっていく。
惚れ薬? あのコーヒーに?
西沢が俺に惚れ薬……?
「はあ、もう! そもそも惚れ薬とか頭おかしいですよね! やばいでしょ! 普通に考えて正気じゃないですもん! いくら変人の先輩といえど……」
「おい」
「いくら変人の先輩といえど、こんなやばい女相手にしたくないですよね! ああ、もう殺してください……恥ずかしい……死にたい死にたい死にたい私は何でこんなことを……」
ジェットコースターのごとく、怒涛の勢いで上昇させたテンションを、これまた怒涛の勢いで急下降させた西沢。
そのまま頭を抱えて、地面にうずくまってしまった。
「あの……」
「……何ですか」
ここまで彼女にまくし立てさせておいて、俺も自分のことを話さないわけにはいかない。
俺は地面にしゃがみ込むと、西沢に視線を合わせて言った。
「惚れ薬が効いてるのかどうかは分からない。それでも、そんなもの使わなくたって、俺は西沢のことが好きだよ」
「……へ?」
顔を上げて、ぽかんとした表情を浮かべる西沢。
――周りからは付き合ってるのなんのと言われるけど、そんなことはない。
俺と西沢は付き合っていない。
好きかどうかといえば――
――好きに決まっている。
これだけ話していて楽しくて、かわいい彼女のことを、好きにならないわけがない。
でも西沢がどう思っているか、分からなかった。
めちゃくちゃ仲の良い友達、のようなポジションだったらどうしよう。
ベタだけれど、一歩を踏み出してこの関係を壊してしまうのは怖い。
そんな風に思っていたのだ。
「ごめん、西沢の方から踏み出させちゃって」
「……」
「俺は本当に西沢のことが好きだから。もし西沢もそう思ってくれているなら、それはすごく嬉しい」
「むぅ……」
「何だよそれ、ほら」
俺は自分でもびっくりするくらい優しく微笑みながら、右手を差し出す。
西沢がその手を取ると、俺たちは2人で同時に立ち上がった。
立ち上がっても、右手は握り合ったままだ。
「もし良かったら、俺と付き合ってくれませんか」
数年にわたって、怖くて言えなかった言葉を、すんなりと言うことができた。
きっかけを彼女に作らせてしまったのは、情けないところではあるけど、ある意味、俺ららしいといえばらしいのかもしれない。
「惚れ薬の効果が切れたから、後でやっぱりなしっていうのはなしですよ」
「惚れ薬なんてする前から、西沢のことが好きだって」
「いつまで名字で呼ぶんですか、奈央って呼んでください」
「いつまで敬語なんだよ、タメ口でいいよ」
「分かった、先輩」
「先輩はそのままなんだ」
「先輩は先輩だから」
「なんだそれ」
西沢……奈央と、しっかり目が合う。
少し見つめ合った後、2人はそろって「ふふっ」と笑いをもらした。
「先輩、ぎゅってしてもいい?」
「……ああ」
触れていた右手をほどくと、奈央はふわっと抱きついてきた。
俺は優しく、一回り二回り小さな体を抱きしめ返す。
「大好き」
胸元で、奈央がそっと囁いた。
不意に、心臓のバクバク鳴っている音が聞かれていないかと不安になる。
でもすぐに、幸せなこの瞬間にそんなことを心配しなくてもいいやと思えた。
「ひとつだけ、聞いてもいいか?」
「うん、何?」
「惚れ薬って、本当にあるのか?」
「……あるわけないじゃないですか。頭おかしいんですか?」
わずかに奈央の腕に力がこもったような気がする。
えらい言われようだし、敬語に戻っているし。
でもきっとこんなやり取りが、俺にとっては心地よいんだと思う。
「じゃあ、惚れ薬なんて最初から入ってなかったんだな」
「いや、その、入ってなかったというと間違いというか……。一応それらしきものは入れてみたというか……」
「それらしきもの?」
「笑わないでよ? その……本当に恥ずかしくて死にたいんだけど、先輩が私のことを好きになるように念じたラムネを……」
「んふっ」
「あー! 笑った! 最低! ひどい!」
「折れる! 力込めすぎで折れるって!」
一気に奈央の腕の力が強まり、文字通りに俺の身体を抱き“締める”。
「ごめん! ごめんって!」
俺が慌てて謝ると、一気に奈央の力は弱まった。
俺たちはもう一度、抱き合ったまま見つめ合う。
2人の顔には、すっきりした幸せそうな笑顔が広がっていた。
お読みいただきありがとうございました。