幕間 ヒューバート・レナード・テイラー
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×金狼騎士団
○金羊騎士団
初期設定の名称を使ってしまいました
伯爵家の門をくぐると、ヒューバート・レナード・テイラーは愛馬の速度を落とした。
本来であれば閉ざされたままの門扉が開け放たれており、エイミス伯爵家が異常事態に晒されたことを表している。
幸運なことに死者は出ていないようだ。ヒューバートの不安が少しだけ軽くなる。
屋敷は慌ただしくはあるが、不安に満ちてはいない。命を落としたものがいたなら、もっと重苦しい空気だったはず。
ヒューバートはそのことをよく知っていた。
使用人や領民、伯爵家の兵たちがあちらこちらを行き来して騒がしい中、馬で乗り付けたヒューバートのもとにエイミス伯爵夫人のルシンダが執事と共に駆け寄ってきた。
「テイラー侯爵、お待ちしておりました」
「無礼な真似で申し訳ありません、エイミス伯爵夫人」
「いいえ、いいえ。このような事態です、誰が無礼と咎められましょうか」
馬で屋敷に直接乗り付けるなど、よほど親しい間柄でもなければ許される行為ではない。
しかし、他ならぬ娘の身が危険に晒されたのだ。一刻も早く娘のもとに辿り着かねばと、無礼を承知でヒューバートは馬を走らせた。
「ご案内いたします。詳しいことは道すがらお話しますわ」
ヒューバートのはやる気持ちを察したらしく、ルシンダは早足で歩き始めた。
長身であり、騎士ゆえに体を鍛えているヒューバートからすると、決して早い足取りではないがその心遣いがありがたかった。
「まず、ヴィクトリア様はご無事です」
その言葉にヒューバートは胸を撫で下ろした。いち早く知りたかったことだった。
生きているとは思っていた。
しかし、このような状況下での『生きている』と『無事』は同じ意味にはならないとヒューバートは嫌というほど知っている。
だからこそ、無事という言葉が嬉しかった。
「当家の兵が駆けつけた時にはすでに意識はありませんでしたが、医師は極度の疲労が原因だろうと申しておりました」
「怪我は?」
「大きなものは、ないと。擦過傷が、いくつか、あるそう、です」
足を緩めることなく階段を上ったものだから、ルシンダの息が上がっている。
貴族は優雅さを重視するうえ、女性はドレスを着ているため、急いで歩くことがまず無い。
普段のヒューバートであれば急がなくていいと言うところだが、今は少しでも早く娘の無事をこの目で確認したい気持ちが勝る。
「打撲や骨折が無いので、擦過傷も、ヴィクトリア様自身が地面を転がって、ついたものではないかとの、見立て、です」
階段を上り切ると、ルシンダは一度足を止め、数度深く呼吸を繰り返した。
けれど、すぐに「失礼しました」と詫び、また足を進める。
「私に報せが来ておりませんので、今はまだ、お眠りかと思います」
視線の先では執事が扉を開いて待っていた。
玄関で立ち止まっていた僅かな時間を利用して、ルシンダより一足早く行動していたに違いない。良い執事のようだ。
扉の脇にはコニーが控えていた。すかさず頭を下げるコニーへ鷹揚に頷きを返す。
しかし、ヴィクトリアの横顔が目に入った途端、取り繕うことを忘れ早足で枕元へ向かった。
ルシンダの言葉通り、ヴィクトリアは眠っていた。苦しげな様子がないことに、心の底から安堵する。
それから、ヒューバートはベッドのそばで控えていた少女に目を向けた。
少女は礼儀正しく頭を下げ、大人たちの言葉を待っている。
「カロライン。ご挨拶なさい、テイラー侯爵です」
「お初にお目にかかります、テイラー侯爵。カロライン・ローレッタ・エイミスです」
「初めまして、カロライン嬢。ずっと娘のそばについていてくれたのですか?」
「はい」
「ありがとう、一人の父親として貴女に感謝します」
「いえ、私は……」
フローレンスと同じぐらいの歳だろうか。
年頃に対して不相応なまでの沈痛な面持ちは、少女が受けた衝撃を物語っている。
「カロライン、私はこれから侯爵とお話をしなくてはなりません。部屋に下がりなさい」
「……はい、お母様。テイラー侯爵、失礼いたします」
カロラインがギュッとドレスを握りしめるのが見えた。
何か言いたい、部屋に残りたい。そんな気持ちを覗かせたが、カロラインは母親の言いつけに従い、部屋を出ていった。
「申し訳ありません、テイラー侯爵。娘の態度をお詫びいたします」
「お気になさらず。カロライン嬢も恐ろしい目にあったのですから」
「娘は、ヴィクトリア様だけにすべてを背負わせてしまったと思っているのです」
「そのようなことは」
「いいえ、テイラー侯爵。これは紛れもない事実です。そしてその責任は、私にあります。誠に申し訳ございません」
「娘が自分の意志で決めたことです。カロライン嬢はもちろん、夫人が責任を感じることではありません」
ルシンダの顔が歪んだ。
泣きそうなのをどうにか堪えているような表情に、ヒューバートは戸惑った。
「領主の妻としての私は、正しかったと思います。ヴィクトリア様の判断のおかげで、私も娘たちも、我が家の使用人も無事でいられました。
先に襲われた我が家の兵も、そうです。私達を逃してもらえたからこそ、医師の手配が間に合い、一命をとりとめたのですもの」
ですが、とルシンダは続ける。
彼女の言葉を止めてはならないと、理由はわからないがヒューバートは感じた。
「子を持つ一人の親として、決してするべきではない選択でした。未だ守られるべき年頃の子供を、たった一人で魔物と戦わせてはなりませんでした。
仮に娘がヴィクトリア様と同じく騎士を目指していたとしても、我が子が同じことを言い出したのなら、私は断固として反対したはずなのです。
だからこそ、私はテイラー侯爵に謝らなくてはなりません。本当に、本当に申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げたルシンダに、ヒューバートはなんと声をかけるべきか咄嗟に思いつかなかった。
代わりに、亡き妻の姿が脳裏をよぎった。
儚げな見た目とは裏腹に、貴族として領主の妻として、どこまでも強く、毅然と生きた妻。
彼女が生きていたら、なんと言っただろうか。
「顔を上げてください、夫人」
ヒューバートは娘の寝顔に目を向けた。
ヴィクトリアの髪は妻と同じ色だが、妻はヴィクトリアと違い、騎士の素養はなかった。けれど、人間としての芯はよく似ている。
「一人の人間として、貴女に敬意を表します」
テイラー侯爵家は国王より騎士団を任されている家の一つだ。
その当主は騎士団の長も兼ねる。代々の当主は騎士となり、騎士団を率いて魔物という驚異から国を守ってきた。
男子が生まれなければ分家から養子を、あるいは有望な騎士を娘婿として迎え入れ、血を繋いできた。
女が騎士となるのは難しく、これまで女の当主が立ったことはない。
そんな中、ヒューバートの娘は最初の一人になりうる素質を持っていた。
騎士となり、侯爵家を自分が継ぐとヴィクトリアが言い出したときは苦悩した。いや、今でも悩んでいるかもしれない。
伯爵家からの報せを受けたときは生きた心地がしなかった。こんなことになるなら娘に剣を取らせるのではなかったと悔いた。
しかし、調子のいい話だが、ヴィクトリアが無事生き延びた今は、間違いではなかったと思う。
騎士としての教育を施したからこそ、娘の命がある。大きな怪我もせずにすんだ。
「貴女のように言える人間がどれだけいましょうか。娘が貴女とご令嬢たちを守れたことを、私は誇りに思います」
「お心遣い、ありがとうございます」
「気遣いなどではありませんよ、夫人。そうですね、では言い換えましょう。娘が守ったのが貴女がたのような人であったことを、心より嬉しく思います」
ルシンダは返事をしようとしたが、やめた。代わりに苦笑いが浮かんだ。
ヒューバートにはその笑みの意味を読み取ることは出来なかったが、追求はしない。
夫人もそれを望まないだろう。
「テイラー侯爵、本日はいかがなさいますか?
ヴィクトリア様は当家の恩人です。私どもとしましては、このまま当家で数日ゆっくり休んで頂けたらと思います。ただ、少しばかり慌ただしくはあるかと」
当然だろう。
エイミス伯爵領は魔物が少ない地域だ。街中はおろか、農村部でさえ魔物の被害にあうのは稀だ。
そんな場所で、よりによって伯爵邸が魔物に襲われたのだ。
被害の全貌の把握、魔物の移動経路の調査や建物の修繕の手配など、すべきことは山ほどあるはず。
「このあたりは青狼騎士団の管轄でしたね」
「はい。すでに到着なさっております」
侯爵家に預けられた騎士団はテイラー侯爵家の金羊騎士団の他に二つあり、青狼騎士団はそのうちの一つだ。
団長であるダンフォード侯爵はまだ三十になっていない若さで、血気盛んであるかわりに柔軟で融通が利く性格だ。
ヴィクトリアの聴取をひとまずは簡単に済ませ、詳しい話は後日としてくれるだろう。
ヒューバートは馬で来てしまったが、ヴィクトリアが乗ってきた馬車がある。眠ったままでも連れて帰れる。
「では、聴取が終わり次第、ヴィクトリアを連れて帰ります」
「本日の聴取は必要ないとダンフォード侯爵が仰っておりました。近日中にテイラー侯爵領に向かうので、聴取はその際に行うとのことです」
話が早くて助かる。
もしかすると、ヴィクトリアを連れ帰ることを見越したルシンダが確認しておいてくれたのかもしれない。
「そういうことであれば、我々はこのままお暇させて頂きます」
「それがようございます。馴染みのない屋敷で休まれるよりも、少しの帰路を馬車に揺られるほうがまだ良いでしょう」
馬車を手配してくると言って、ルシンダは執事を伴って部屋を出ていった。
もしかすると、馬車に乗るまでの間だけでも落ち着いてヴィクトリアを見守れるようにと、気を遣ってくれたのかもしれない。
ヒューバートはベッドのそばに置かれた椅子に腰掛け、ヴィクトリアの手を取った。
指先が少しばかり冷たいが、脈は規則正しい。命に異常がないのだと改めて実感が湧く。
「コニー、ご苦労だった。お前も気が気ではなかっただろう」
「はい。お嬢様が一人で魔物と戦っていると聞いたときは……心臓が止まったかと思いました」
「そうだろうね」
ヒューバートもそうだった。
全身から血の気が引き、騎士でありながらも情けないことに頭が真っ白になってしまい、咄嗟に取るべき行動が思いつかなかった。
フローレンスの叱咤で我に返ったなど、今は言うまい。
「無茶をするなと言ってやりたくもあり、よくやったと褒めてやりたくもある。複雑な心境だ」
ぽつりとヒューバートが呟いた言葉にコニーが苦笑した。
パトリシアは来客対応中の母親の分も、事後処理のためにあれこれ動き回ってる最中。
エイミス伯爵は王都から爆速で帰還中。王都は遠い。