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5話 平和な顔

 貴族の朝は遅い。

 夜は遅くまで夜会や晩餐会があるから、起きる時間も当然遅い。

 早すぎると使用人達の起床時間がとんでもないことになるから、そのほうが都合はいいんだろうけどね。


 テイラー侯爵家はちょっとだけ事情が違う。

 朝食の時間は貴族らしい時間だけど、起床時間はかなり早い。

 日の出前に起きるのはヴィクトリア(わたし)だけじゃなくお父様もいっしょ。三歳年下の妹はそれよりも少し遅いけど、それでも日が出てすぐくらいには起きてる。


 各々、自習なり訓練なり仕事をこなしてからの朝食だから、用事がない限りは食卓に家族は揃う。

 社交に熱心な貴族のご婦人になると、「朝は無理。寝る」で朝食はすっぽかして寝てるらしい。すごい差だ。

 遥華(わたし)と同じく、ヴィクトリアも数年前に母親を亡くしてるけど、女丈夫だとか女傑だとか言われる人で、そんな生活とは無縁だったらしい。


 それはそれとして。


「あら、お父様はいらっしゃらないんですね」


 空の家長の席を見て、妹のフローレンスが残念そうに息を吐いた。かわいい。

 フローレンスは原作でも設定資料集でも、立ち絵どころか名前も出てこないけど、ヴィクトリアとの会話でたびたび妹の話が出てくるんだよね。かわいい。

 濃いグレーというかやわらかい色合いの黒髪は父親譲りで、背中まである髪の毛先は少しだけ内側に巻いてる。かわいい。

 ヴィクトリアと同じ緑色のつぶらな瞳は、ばっしばしの長いまつ毛で覆われてる。かわいい。


 フローレンスはヴィクトリアの記憶の中にもいるから、どんな姿をしてるかは知ってはいたんだけどね。かわいい。

 知識と体験は違うからさ。かわいい。

 あ、首を傾げないでかわいいから。かわいいが溢れてるヤバい。 


「お姉様?」

「なに?」

「じっと私の顔を見てらっしゃるけれど、どうかされましたか?」


 妹がかわいすぎてガン見してました、とは言えな─や、言えるな。

 記憶の中のヴィクトリアも、女たらしかってくらいにフローレンスに「かわいい」って言ってる。

 新しいドレスを見せに来た時だとか、自分で刺繍したリボンをプレゼントしてくれた時だとか、ヴィクトリアが差し出した手をはにかみながら取った時だとか、フローレンスが魔術で的を吹き飛ばした時だとか。

 最後はシチュエーション的におかしい気もするけど、かわいいから仕方ないね!

 かわいいは正義だ。


「フローレンスは今日もかわいいと思って」

「もう、お姉様ったら」


 顔を赤くしたフローレンスもかわいい。

 小声で「ありがとうございます」って付け加えるフローレンスさらにかわいい。

 でも、お父様の話になるとフローレンスはプリプリと怒り始めた。かわいい。


「お父様は今朝の訓練にもお見えにならなかったから、騎士団のほうでしょうね」

「あちらできちんと朝食を摂られているならいいのですけれど」

「お忙しいときほど食事を疎かにされる悪癖があるものね」

「本当に、お父様ったら」


 席に着いて食事が運ばれてきてからも、フローレンスはご機嫌斜めのまま。


「騎士が食事を疎かにするだなんて、民を守らなくてはならない時に力が出ないなんてことになりかねませんのに」

「お父様も、そこはわきまえていらっしゃるわよ」

「だからこそ心配なんですわ。……お姉様は、お父様みたいなことをなさらないでくださいね?」


 あ、やめて、上目遣いはかわいすぎる。心臓が持たない。かわいい。


「そんな言いかたされたら、聞かないわけにはいかないじゃない」

「ふふっ、よかったです」


 私がそう返したら、にこって! フローレンスがにこって笑った! かわいい通り越して尊い……。

 遥華(わたし)が一人っ子だったからかもしれないけど、ヴィクトリアの記憶よりも四割増しでかわいく見える。


 そんなフローレンスはソーセージを切り分けるのもかわいいし、口に運ぶのもかわいい。

 でも、かわいいだけじゃないのがフローレンスのかわいい──じゃない、すごいところだ。


「ところでフローレンスにお願いがあるのだけれど」

「まあ。お姉様が私に頼み事なんて珍しいですわね。私に出来ることでしたらなんなりと。他ならぬお姉様からの頼み事ですもの。私、全力をもってお応えしますわ」

「そこまで気負わってもらうことじゃないわ。わかりやすい魔法具の本を何冊か教えて欲しいだけなの」

「魔法具の本、ですか……?」


 魔法具っていうのは、書いた字のごとく魔法をこめられた道具のこと。

 この世界、ややこしいんだけど魔法と魔術が別物なんだよね。

 魔法は道具に魔力で働きかけるもので、魔術は体の外に作用させるものって感じで分かれてる。

 どれだけ高い魔力を持ってても、ほとんどの人はどちらかの才能しかない。

 だから学園でも、魔術科と魔法科で分かれてるってわけ。


 ところがなんと! フローレンスは両方に高い素質があるすごい子なのだ!

 本人は魔法のほうが好きで興味もそっちに偏ってるんだけどね。

 魔術はやれる範囲ではやるけど、熱意はあんまり無い。『文系志望の高校生が共通テストのためだけに勉強する数学』みたいな感じ。


「お姉様も、魔法具に興味が!?」


 フローレンスの目がキラキラと輝いてる。

 この目にはすごく覚えがある。自ジャンルの布教が成功しそうな時のオタクの目だ。

 遥華のときによく見た。


「まず『魔法具の歴史』は外せませんわね。『魔法具大全』は名著ですが現代に即してはいませんから、また後日がいいでしょう。ああ、『魔法具の可能性とその限界』は言い回しこそ難解な点がありますけれど、そこを乗り越えさえすれば得るものがとても多い一冊ですから、ぜひ読んで頂きたいですわね。あと──」


 フローレンスのマシンガントークがピタッと止まった。

 前のめりになってた体をすすっと引いて、気まずそうに目を逸らしつつも、ちらちらとこっちの様子を窺ってる。


「ご、ごめんなさい、お姉様……。お姉様が魔法具に興味を持たれたと思うと、嬉しくて嬉しくて、つい……」


 これも、見覚えある。

 自ジャンルに人が来る嬉しさのあまり全力で語っちゃったけど、ふとした拍子に冷静になって「や、やっちまったー!」ってなるやつ。

 それで、「大丈夫かな、ドン引きされてないかな……?」って焦るやつ。


 私はもともとアクションRPGっていうか死にゲーの界隈がメインだったから、自ジャンルに人が来そうな時は「この人はいい悲鳴を上げてくれそうだな」「いい考察を期待してるよ」ってニヤニヤするだけだったんだけども。

 SNSの『つぶった~』で「『さきはな』気になる」って投稿したら、乙女ゲージャンルに住んでるフォロワーがすごい勢いで食いついてきたのはよく覚えてる。

 私が乙女ゲーやったことないの知ってる人だったから、引きずり込もうっていう圧がすごかったもん。


「いいのよ、フローレンス。じゃあ『魔法具の歴史』と『魔法具の可能性とその限界』から読んでみるわ。ありがとう」

「お姉様のお役に立てたなら何よりです」


 顔を赤くして恥ずかしそうに、でも愛らしく笑うフローレンスのかわいさがヤバい。

 ただでさえ美味しい朝ごはんがさらに美味しく感じる。


 自分が今こうなってることにはいろいろ思うところあるけど、フローレンスが妹だってことはバンザイして喜べる。

 新しい(?)人生にもいいことはあるんだね。










 朝食のあと、お茶で一息ついてからまっすぐに図書室へ向かう。

 長い廊下にも絨毯が敷かれてるのがいかにもお金持ちって感じ。

 いいとこのホテルじゃないとこんな綺麗な絨毯張りの廊下なんて見れないもんね。

 土足文化だから絨毯を敷いてないと足音とかうるさいだろうな、なんて考えちゃう。


 逆に、図書室はフローリングのまま。といっても、床板はピッカピカの綺麗な状態だけどね。

 絨毯を使わないのは湿気対策。現代日本よりも紙の質がよくないから、湿度が高くなったときの本の痛み具合が全然違う。

 もしかしたら、ヨーロッパの分厚い装丁のハードカバーって、石の建物が多かったから湿気で曲がったりしないようにするためだったのかも?


 カツコツとヒールの音を図書室に響かせながら目当ての本を探す。

 半分司書みたいになってる侍従がいつもならいるんだけど、今日はいないみたいだから自力で探さないとね。

 その彼が蔵書の分野をしっかり分けてくれてるから、見当さえついたら見つかるのは早いはず。


「あった、『魔法具の歴史』。これなら近くにもう一冊もあるは──」


 カツコツと二人分の足音と、話し声が聞こえてきた。たぶん、司書とお父様だ。

 このままこっちに来る感じかな。

 とりあえず、先に見つけた本を取ってっと。


 気配はやっぱり近づいてきてる。

 娘として挨拶は必要だし、二人の姿が見えるのを待った──んだけど。

 視界に入った姿に、私は固まってしまった。


「ヴィクトリアじゃないか。このあたりの本を見てるのは珍しいな」 


 フローレンスと同じ、やわらかな色合いの黒髪。赤みがかった薄い茶色の瞳。

 背は高くて、騎騎士らしく引き締まった体。

 ヒューバート・レナード・テイラー。

 テイラー侯爵その人で、ヴィクトリアの父親。


 そして。


「とう、さん……」


 父さんと似ても似つかないのに、笑顔がすごく似てる人。

 私が『さきはな』をプレイし始めたのは、テイラー侯爵の雰囲気が死んだばかりの父さんに似てたから。


 図書室は薄暗くて、そのせいでテイラー侯爵(おとうさま)に父さんの姿がチラついて見えて、胸がいっぱいになる。


「ヴィクトリア、どうかしたのか?」

「いえ……大したことではありません。その、目になにか入ったみたいで……」

「ああ、目に物が入るとなかなか取れなくて厄介だ。大丈夫か?」

「はい、もう取れました」

「ならよかった」


 こんな当たり前みたいな気遣いが、さらに父さんみたいで。

 黙ると泣いちゃいそうになる、なにか話さないと……。


「お父様が朝食にいらっしゃらなかったので、フローレンスはずいぶん怒ってましたよ」

「それは怖いな。あとで顔を見に行くとしよう」

「そうしてあげてください」

「旦那様」

「ああ、すまない。助かった」


 私たちが話してる間に、司書がお父様の目当ての本を確保してたみたい。素早い。


「魔物の本……騎士団で、なにか?」

「うちではないが、他領で何度も目撃されている魔物がどうも誰も見たことがない種のようでね。注意するよう言われたんだが、ついでに情報提供を求められたんだよ。誰も知らないだけで古い本になら載っているかもしれないから、急ぎ探してくれとのことだ」

「被害が出てからでは遅いですからね」

「そういうことだ。おかげで今朝は騎士団の蔵書と睨めっこだ」

「では睨めっこ二回戦というわけですか」

「二回戦で済めばいいんだが」


 お父様はやれやれと苦笑いすると、司書が集めてきた本の山に目を向けた。

 その途端、眉間に小さな皺が寄る。


「多いな」

稀覯本(きこうぼん)に絞りましたが、なにぶん、魔物についての図書は代々の当主様がたが集められてますので」

「夕方までに片付けるなら、数人動員する必要があるな。せめて一冊は当たりがあってほしいものだ」


 八冊の本は、どれも日本なら辞書くらいの分厚さがある。

 表紙がハードカバーだってことを抜きにしても、かなりページ数がありそう。


「騎士団へお戻りに?」

「ああ。早めに終わらせて、フローレンスの機嫌をとらなくてはな」


 先に顔を見せていけばいいのにって思うけど、仕事の途中だから、わざわざ部屋まで行くのはは公私混同するみたいで嫌なんだろうね。

 私と会ったのはたまたまだから、ギリギリセーフってとこか。

 長話するつもりはなさそうだしね。


「ではな、ヴィクトリア。夕食は皆で摂ろう」

「期待してお待ちしております」


 お父様と司書の背中を見送って、自分の作業に戻る。

 でも、本を探そうとしても妙に落ち着かないせいで上手く探せない。

 心乱れまくってる。

 悪い感じじゃなくて……擬音で表すと、ざわざわってよりも、ふわふわって感じ。


 遥華は死んじゃって、命の危険性が日本と比べ物にならない世界で新しい人生を始めたばっかっていうのにね。なんか変な感じ。


 ふと思い立って、窓から外を見下ろす。

 今まさにお父様が四頭立ての立派な馬車に乗り込むところだった。


 私が見てるのに気付かないまま、馬車はそのまま行っちゃった。

 別に気付かれたかったわけじゃないから、いいんだけどね。ただ見送りたかった、それだけだから。

 こんなふうに誰かを──父親を見送れる日がまた来るなんて、考えたこともなかったからさ。


 馬車を見送る私は、なんとも言えない幸せな気持ちでいられたのだった。

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