48話 人として
「まずは謝罪と感謝を。すまなかった、ありがとう」
「あ、頭を上げてください! ハイアット公爵ともあろうかたが私などに頭を下げる必要なんて」
扉が閉まるなり、ハイアット公爵に深々と頭を下げられた。
目上の、しかも祖父ほどの年齢のかたにされたから慌ててしまう。
それに侯爵家の娘ではあるけど、言い換えれば貴族の娘でしかない私に、公爵その人が頭を下げるだなんて。
「いや、ヴィクトリア嬢。私はそなたに頭を下げねばならぬのだ」
「ですが」
「ヴィクトリア嬢。貴女はまだ家長の庇護下にある年頃で、それはつまり、大人が守らねばならない存在だということです。
そんな貴女を守るどころか、近衛は二人も団員を守ってもらったのです。
近衛の長としてもひとりの大人としても、貴女に頭を下げるのは当然のことですよ」
「……わかりました」
「とはいえ、ダグラス殿。少々押し付けがましいのも確かですよ」
「ぐっ」
巫女からさらっと釘を刺され、ハイアット公爵が変な呻き声を上げた。
うん、なんか、うん。今のやり取りだけでこの二人の力関係が見えた気がする。
「あの、ハイアット公爵。お二人は……フーパー卿たちはご無事なのでしょうか?」
「あ、ああ。怪我は酷いが命は拾えた。ヴィクトリア嬢の奮闘のおかげだ」
「良かった……」
「プレスコットの右腕はどの程度まで回復するかはわからんが、少なくとも日常生活に支障をきたすことはないそうだ。
フーパーについては……難しい。騎士に復帰できるかどうかは五分五分と言われた」
「そう、ですか……」
「だがな、ヴィクトリア嬢よ。そなたが魔物を引き付けねば、二人とも遺体すら戻らなかっただろう。
そなたが気に病む必要はない」
ふむ、と頷いたハイアット公爵が苦笑い。
どうしたんだろ。
「すまんな、かまをかけた」
「え……あっ!」
ビルのことだ!
そうだ、フーパー卿が『プレスコット卿』って呼んだのを覚えちゃってたけど……そもそも秘密にされてたんだった。
「どの道そなたには伝えるしかなかったことなんでな、確認させてもらった。
ビルが家名を伏せていた理由は、そなたにもわかるな?」
「はい。家督争い……ですよね」
「そうだ」
プレスコット家は伯爵家。
歴史ある家で、宰相や大法官も輩出してる名家でもある――んだけど。
現当主が女性関係でダメダメで、外に作った女性問題で揉めて刃傷沙汰。それで大怪我をした前妻は実家の支援を受けて離婚。
離婚後、すぐに後妻がきたものの……その騒動の渦中にいた浮気相手と後妻は別の女性で、浮気相手はいまなお囲われたままっていうね。
極めつけに全員に子供がいて……醜い相続争いに発展したっていう残念なお家デス。
「ビルは前妻の子でな。
近衛に入って身の安全を確保できたというのに、怪我で引退を余儀なくされての。
退団させるとどうなるかわかったもんではない。
そこで森番として近衛に残したわけだ」
「前妻の息子である長男が戦死した言われてるのは、その為ですか」
「そういうことだ。念には念を入れてな」
「なるほど。……ところで」
じろっとセオドアに視線を移す。
黙ってるとはいえ、まだいるんだよね。
「よいのですか?」
「ビルはフィリップ王子の剣指南役だったのでな。奴も事情は知っておる。
そなたに事情を明かした理由はビルを指南役の一人とするためだ。
フーパーは暫くは動かせんし、現状では他の影打ちの使い手をそなたの指南役にまわすわけにはいかん。
ビルは引退こそしているが、引退を強く惜しまれるほどに騎士としても指南役としても優秀だった男だ。得る物は多いはずだ」
「わかりました。訓練の期間は半年というお話でしたが、延ばしていただけますか?」
「無論だ。訓練の再開はそなたの復調次第で構わんし、そのための期間は最初に話した半年には含まん」
安心した。
ハイアット公爵ならそう言ってくれるとは思ってたけど、ちゃんと聞くまではやっぱり、ね。
自分の進退に影響があることを、『多分、おそらく』なんて甘い期待のままにしとくのは良くない。
数年の社会人経験で得た大事な教訓デス。
「さて……次の話だが」
「公爵、できれば怪我の話を聞かせてもらえませんかね。
さすがにこのまま居座るのは気が引けるし、早くフィルに報告したいし」
「怪我って……その話ならさっき聞きましたが」
「いや、まだあるだろ。ですよね、巫女様?」
「ずいぶん察しの良いお子だこと」
「そりゃどうも。察しの良さで世渡りしてるんで」
「どうしますか、ダグラス殿」
「……お願いします」
「わかりました」
巫女はこちらに体を向け、小さな声で手をお借りしますねと言って、私の手を取った。
黒ずみ、酷くただれていた手はさっきと比べるとかなり綺麗になっている。
何も無かったことになってるわけじゃないけど。
「この傷は本来であればここまで回復することはなく、私が駆けつけたからだと言いましたが……これは、少しばかり言葉が足りていません。
貴女だから助かったのですよ、ヴィクトリア嬢」
私だから助かった……?
意図がわからない。意味も、見えてこない。
巫女が私の手をゆっくり優しく撫でる。
その感触がどこか遠くに感じる。
「それは、どういう……」
「魔力にはそれぞれ違いがあります。各々の特色が――いえ、色があると言ったほうがいいでしょう。
例えば青い色水に赤を足せば、どうなりますか?」
「紫になります」
「そう。つまり、元の色から離れてしまいます。
元の色水が入っていた器が、青ではない色水を入れてしまうと壊れてしまう器だとしたら?」
「……それは、魔力と肉体のことですか?」
「ええ、そのとおりです。
『無垢なる魔力』とはよく言ったもので、治癒術に適したこの魔力は無色。
色がないからこそ、元の色を維持しつつ水を足し加えることができます。
とはいえ、青は青でも水を足せばその分だけ色が薄くなってしまいます。
ただ水を足すだけでなく、元の色をどれだけ維持できるかが術者の技量にかかっているわけですね。
当然、加える水の量が多ければ多いほど術者の負担も大きくなります」
撫でていた手が止まる。
「さて、皆さん。ここまでの話を踏まえた上で、今の私はどうでしょうか?」
言葉どおりに捉えれば、巫女が不調を抱えているようには……疲れてるようにも、見えない。
本来であればここまで治せないような怪我を治癒したにもかかわらず。
「ご覧のとおり、私はなんともありません。
魔晶などの触媒は器――つまり、被術者と治癒術の馴染みを良くしてくれますし、被術者の負担も和らげもしてくれます。
しかし、術者の負担は軽減されることはなく、術者のみが負います。
特に今回のヴィクトリア嬢は魔力の流れが大きく乱れていて治癒術の効きも悪い状態でした。
それなのに、私はこのとおり」
「義姉う……巫女殿、まわりくどい言いかたはやめて頂けないか」
「……そうですね、遠回しが過ぎました。率直に言いましょう。
ヴィクトリア嬢は、治癒術の効きが異常に良いのです」
「異常に、ですか?」
「ええ。今回のヴィクトリア嬢の怪我は、言い換えれば魔力の乱れがなければ痕も残さず治せたのです。
……ヴィクトリア嬢は、ガーディナー侯爵の怪我についてはご存知?」
「はい。見せていただきました」
「それならば話は早いですね。貴女の怪我とガーディナー侯爵の怪我の原因は同じ。
流れ込んだ魔物の魔力と貴女の魔力が絡み合い、激しく反発した結果です。
……先ほどまでの例えを用いるなら、魔物の魔力は油。油と水が交わることはなく、元の色の水しか許容できない器は壊れます。壊れた器は元には戻りません」
「だが、ヴィクトリア嬢は治せた」
「そのとおりです」
巫女とハイアット公爵の顔は真剣そのもの、だけど。
そんなに深刻になるようなこと?
要約すると『人よりも怪我の治りがいい』ってことでしょ?
便利だと思うんだけど……二人はそうは思ってないよね。
「あの、何が問題なのでしょうか?」
ゆらと、巫女の目に哀れみが浮かんだ。
包帯で覆われた手を、巫女の両手が包む。
「ヴィクトリア嬢。貴女は……いえ、セオドア殿もですね。貴方たちはまだとても若い」
「は、い……?」
それは、うん、そうなんだけど。
遥華もまだまだ若者扱いされる歳だったし……。
巫女の手が私の頬にそっと触れる。まるで、今にも割れてしまうガラスにそうするような優しい手つきで。
「誰よりも治りが良いということは、誰よりも傷付いても回復するということ。
それは貴女が粗略に扱われる大きな要因となりえます」
「無論、このことは限られた者にしか話さぬ。それを普段から利用しようも思わぬ。
しかしだ、いざとなれば話は変わってくる。
国が危機に見舞われれば、我々はそなたを何度でも立ち上がらせ、何度でも戦場に追い立てねばならんのだ」
それの、何が問題なんだろう?
騎士は――騎士団の人間は国を守ることが義務だ。
「それは、当然のことでは……?」
巫女の顔が歪む。
眉間にできた皺、萎れたように下がった眉尻、引き結ばれた唇。
青とも紫とも言える深い色の瞳からは、さっきよりもはっきりと憐憫が伝わってきた。
「いいですか、ヴィクトリア嬢。
騎士とて体と心を癒す時間は与えられるのです。
けれど今、ダグラス殿が述べた扱いは人が受けるものではありません。それは、武器と呼ばれ、兵器と呼ばれるものです」
「兵器、ですか?」
「よくよく覚えておくのですよ。
貴女は人だということを。
そして、貴女が兵器であると受け入れてしまえば、貴女を取り巻く人々も傷付くことになるだと。
そのことが貴女自身をも傷付けるのだと」
兵器。
知ってはいるけど馴染みのない響き。
いまいちピンとこない。
巫女はそんな私を優しく抱きしめると、話は終わりとばかりに席を立った。
ハイアット公爵も当たり前のように巫女に従って部屋を出ていく。
ベッドから二人を見送る私の心境はといえば、腑に落ちない、と言うべきかな。
巫女の言葉を、巫女の意図どおりに理解できてるとは思えない。きちんと咀嚼しようにも、ぼんやりしてて噛みごたえはないし味もしない。
「あー」
傾げていた首をそのまま横へ向ければ、セオドアが居心地悪そうに頭をかいていた。
「まだいたんですか」
「出るタイミングを逃がした。あんた、あの二人と一緒に出て行けるか?」
「あそこに混ざるのは少し、遠慮したいですね」
「だろ」
あの二人が並ぶと、姐さんとその舎弟――みたいな雰囲気があるし。
「とはいえ、長居する理由もないしな。俺ももう出ていきますよ」
「私も疲れているので、そうしてくださると助かります」
ひらひらと手を振り、開いたままの扉へ向かうセオドアだったけれど、部屋を出る前にふと、足を止めた。
「なあ」
「なにか?」
「俺はさ、まだ十年ちょっとしか生きていない、若造とも呼んでもらえないガキだ」
「それは、私もですね」
「だからあの婆さんが――巫女がなんであんなこと言ったのかはわからない。推測だって出来やしない」
「それも、私もです」
「だろ?
でもな、あの手の――並の人間じゃ見えない景色を見てる人間の言葉は、礼儀作法の教本のように覚えておくべきものだってことは知ってる」
言い終えた頃にはセオドアの顔は扉の向こうに消えていた。
扉を閉じたセオドアはどんな表情をしていたんだろう。
ひとり部屋に残された私はぼんやりと扉の向こうに思いを馳せた。




