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47話 焼けた腕

 瞼が重い。『鉛のよう』なんて比喩がよく使われる理由がよくわかるくらいには、重い。

 目を開けるという、単純で意識するまでもない行為がこんなに難しいなんて。

 気力を振り絞って開いた瞼の向こう、最初に視界に入ったのは素っ気ない天井。


「ここ、は……」

「お姉様!」

「お嬢さま!」


 けど、最初に耳に届いたのは、聞こえるだけでほっとしてしまう二人の声だった。


「フローレンス……コニー……」

「お姉様……よかった……よかった……!」


 包帯越しでも握られた手の温かさが伝わってくる。

 フローレンスの目から大粒の涙がぽろぽろと零れていく。

 泣かないで。

 涙を拭いてあげたいのに、体が重くて腕が上がらない。

 声をかけたいのに口が渇いて上手く動かせない。

 そんな私に気付いたように、フローレンスへすっとハンカチが差し出された。

 花の巫女だ。


「さあ、御令嬢。涙を拭いて。

 安心からとはいえ、涙で濡れた頬よりも輝くような笑顔を見せてさしあげなさいな」

「あっ、ありがとうございます……。申し訳ありません、お恥ずかしい姿をお見せしてしまいました」

「いいえ、いいえ。騎士の家の娘らしく気丈でしたよ、立派です」


 巫女はフローレンスの言葉に微笑みを浮かべ、私に視線を移した。


「ヴィクトリア嬢の容体について話していたところなんですよ。

 貴女さえよければ、このまま話を聞きますか? もちろん、一から説明しなおしますよ」

「ぜひ、お願いします」

「でしたら、今度こそこちらにお座り下さい。

 お姉様も近くでお話を聞かれる方が良いでしょうから」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて頂きますね」


 フローレンスが巫女に椅子を譲っている間にコニーが水を用意してくれた。

 喉が乾ききっている時に飲む水は本当に美味しい。

 口内に潤いが戻り、口が少し楽になった。


「ありがとう」


 お礼を言うと、コニーは静かに頭を下げて後ろにさがっていった。

 家の人間じゃない人がいるから、使用人としての弁えた態度に戻ったんだろうけど。

 コニーとしては、巫女の前で使用人らしからぬ反応をしてしまったのは不本意かもしれないんだけど。

 それでも、思わず声をかけてしまうくらいに心配してくれていたことが、申し訳ない半面嬉しくもある。


 あとちょっと、少し、ちょっぴり、フローレンスの手が離れたことが、寂しくもあり。

 まだフローレン分の補充が足りてないと思う。


「では、改めまして。

 アデライン・マイ=ブリットです。女神の巫女の任を預かっております」

「ヴィクトリア・アーデルハイド・テイラーと申します。

 この度は助けて頂き、誠にありがとうございます」

「花の女神の思し召しですよ。感謝は女神へ」


 花の巫女の治癒なんて滅多に受けれるものじゃないんだけどな……とりあえず、後で神殿に寄進しよう。


「さて、ヴィクトリア嬢の容体についてですね。

 まずは両腕の()()ですが」


 コンコンとノックの音が響く。

 巫女は苦笑と共に小さな声で「ずいぶんと気付くのが早い」と零してから、ちらりと私に視線を寄越す。

 ハイアット公爵かな?

 巫女の苦笑が濃くなる。またなんで。


 来客の対応に向かったコニーが少し困った顔で戻ってきた。


「ガーディナー侯爵の御令息が、容態の説明なら自分も聞きたいと仰られています」


 お嬢様は目覚めたばかりなので遠慮頂くよう申し上げたのですが。

 そうつけ加えたコニーは巫女に指示を仰ぐ。


「ヴィクトリア嬢はセオドア殿が同席しても構いませんか?」

「大丈夫です。恥じらうほどの姿でもありませんから」


 どうせフィリップ殿下とエルヴィラ様にも伝わるなら、信用できる人から確実に伝えてもらうほうがいいし。


 招き入れられたセオドアが私の顔を見てホッとしたような顔を一瞬だけ見せたのを、私は見逃さなかった。

 多分、巫女も気付いていたとは思うけども。

 でもわざわざそれを指摘するほど私は幼くはないつもりデスよ。


「ずっと部屋の前で待っていたようですよ」

「他にすることもありませんからね。殿下に頼まれてますし」

「そういうことにしておきましょう」


 では、改めて。今度は横槍が入っても止めませんからね。

 優しい声音なのに、背筋を正してしまうような圧があった……気がする。

 気のせいかもだけど。横になったままだから姿勢良くなんてできないけども。


「両腕の火傷ですが、きちんと回復しますよ。

 日常生活はもちろん、()()()()()()()()()()()ほどにね」

「本当ですか!?」


 私よりもセオドアのほうが反応が早かった。

 どんな瞬発力してるんだ。


「嘘は言いませんとも。ですが、少し時間はかかります。

 こちらから迎えを寄越しますから、来週に一度神殿で様子を見させてもらいますね」

「はい」


 よかった……治るんだ。

 ガーディナー侯爵のように影打ちできなくなるのを覚悟してたんだけども。

 拍子抜けしたというかなんというか。


「ですが、これは私が駆けつけることができたという、本来であればありえない……いわば奇跡が起きたものだと認識しておいてくださいね」

「……はい」

「次に、ヴィクトリア嬢の体内における魔力が大きく乱れています。

 こちらで多少は流れを整えたので今は落ち着いていますが、油断はできません。

 とはいえこれ以上手を出すと、本来の魔力の流れと違うものになる危険性が大いにあります。

 あとは時間薬のみですね。しばらくは魔力を使わないように」

「どのくらいでしょうか?」

「さて……魔力については人によって大きく違うため、おおよそさえ言えません。

 二週間より早くなることはまずないとは思いますが、それ以上のことは」

「いえ、じゅうぶんです。ありがとうございます」


 最低二週間。

 腕の怪我があるから斧槍はもちろん剣も振れないのは覚悟してたけど……魔力も使っちゃいけないなら、文字の読み取りも出来ない。

 身体強化抜きとなると、腕がもう少し良くなってから体力作りの基礎訓練がせいぜいかな。

 もどかしい。


「それと、こちらも多少は手を加えていますが、筋肉の損傷がまだ残っています。

 魔力の乱れているので悪く作用するでしょうから、魔法薬も控えてくださいね」

「わかりました」

「ヴィクトリア嬢のことでお伝えすべきはこのくらいですね。

 なにか聞きたいことはありますか?」

「いえ、大丈夫です」


 そう答えた私に対して、フローレンスが小さく挙手をした。


「アデライン様、わたくしからよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん」

「外部からの魔力にも触れないほうがよいのでしょうか?」

「と、言いますと?」

「我がテイラー領はこの国でも特に魔力が濃い土地です。

 普段ならともかく、今は……」

「土地の――外部からの魔力の影響を受けるのでは、と?」

「はい」


 考えもしなかった。

 そっか、確かに有り得る話。

 たとえば深海の水圧に耐えられる潜水艇があったとして、その外殻が激しく損傷していたとしたら――普段よりもはるかに、沈没のリスクは高いもんね。

 魔力でもそれはありえるんじゃないかってこと。


「そうですね……その可能性は大いにあるでしょう。

 テイラー領に戻るのはやめておいたほうがいいでしょうね。

 三大侯爵領の特性をすっかり失念しておりました。

 ごめんなさいね」

「いえ、気付くことができて良かったですわ」

「ありがとう、フローレンス」


 ということは療養もこのまま王都で、か。

 訓練をあまりできないなら、テイラーに戻ってカニンガム先生の座学を受けたかったんだけどな。

 あ、でも暖かくなってきたし、一週間くらいならカニンガム先生も来てくれるかも?


 コンコンと、またノック。

 取り次いだコニーがハイアット公爵の名を告げた。


「ちょうど良かった。近衛のかたを混じえて話さなくてはならないことがあるんです。

 申し訳ないのですが、フローレンス嬢とメイドのかたは席を外してもらえないかしら」

「わかりましたわ。屋敷で片付けなくてはならないこともありますし、これでお暇しますわ」

「コニー。フローレンスの見送りをお願い」

「かしこまりました」


 ハイアット公爵と入れ替わりで出ていくフローレンスたち。

 怪我にさわるからって挨拶だけで別れたのが辛い……ハグしたかった。

 フローレンス分が足りない………。

 手をのばすことも手を振ることもできない体が恨めしい。

 扉の向こうに消えてしまうまで、私は未練がましくフローレンスの背中を見送った。

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