40話 『ありがとう』
「はぁ……」
昼間のことを思い出してしまって、ため息をついてしまった。
はっと気付いた時にはもう遅く、正面に座るお父様が心配そうに私を見ていた。
やっちゃった……せっかくお父様がいいレストランを教えてもらったからって連れてきてくれたのに。
「食事中に申し訳ありません、お父様」
「いや、構わない。どうかしたのか?」
「いえ、大したことでは……」
と、答えはしたものの。
胸の内を聞いて欲しい気持ちと、本当に大したことじゃないのに聞いてもらうのもなっていう気持ちがせめぎ合う。
だって、今は領地や騎士団が大変な時期だしさ。今日の食事だって、王都に来てもおかしくない建前のためだし。
なんでもない――そう答えようとした時、コニーの顔が脳裏を過ぎった。
私が一人で魔物を倒したあと、怖かったって口にするまで、心配そうに私を見ていたコニーの顔が。
お皿の上に落としていた視線をお父様に向けた。
表情こそいつもと変わらないけど、お父様の目はあの日のコニーと同じ目をしてる。
父さんに頼って欲しかった私が、私に頼って欲しいお父様と向かい合ってるだなんて、なんか変なの。
「その、新しい訓練が始まったんです。でも、見せて頂いたお手本と私との差が大きすぎて……少し、落ち込んでしまって」
「なるほど。指導役はフーパー卿だったな。彼女はなんと?」
「初めてでここまで出来れば上出来だと。お手本が良すぎただけだから、気にする事はないとも」
「ならば気にする事はないと言いたいところだが……気にするなと言われても出来ないものだ。私にも覚えがある」
「お父様もですか?」
お父様はなんでもそつなくこなして来たんだろうなって、なんとなく思ってたから驚いて目が丸くなる。
そんな私を見たお父様が微笑した。
「ああ。あれは馬上槍の訓練でな。
お前が生まれた頃に引退した騎士だが、馬上槍の名手だった。今なお彼より完璧な突撃は見たことがない。
そんな彼の突撃を手本として披露され、見とれてしまったのを覚えているよ。
すぐに、私にこれが出来るだろうかと不安になったがな。
落ち込むことは無いと言われたが、あの高みに到達出来るのだろうかと悩んだものだ」
私が落ち込んだ理由と全く同じだ。
お父様の目が「お前もそうか?」と私に問いかけてる。
ああ、こういうところだ。
顔も声も全然違うのに、父さんの雰囲気を感じてしまうとどうしようもなく泣きたい気分になる。
泣かないけどね。だって、きちんと向き合ってくれてるお父様に、別人の面影を見て泣いちゃうなんて失礼すぎる。
父さんを思い出してもいい、恋しがってもいい。
でも泣くのは今じゃない。今は、絶対にダメだ。
キュッと唇を噛んで雑念を追い払う。
「お父様は、どうなさったんですか?」
「その時はひたすら鍛練を重ねるしか出来なかったな。気付けばそれなりの腕にはなっていたが」
お父様の指がグラスの足にかけられる。
食事中にワインを飲むことが滅多にないお父様のグラスの中身はただの水。
それなのに貫禄を感じるのは、やっぱり立場がある人だからなのかな。
「これは父ではなく、一人の先達としての助言だが」
思わず、居住まいを改める。
お父様の眦が柔らかく下がったのが見えた。
「お前に手本を見せた者だけじゃなく、他の一流と言われる者からも話を聞いてみなさい」
「一人だけではなく?」
「そうだ。同じ一流であっても見るところはそれぞれ違う。
若い騎士を見る時、私は剣先の動きに注目する。
これがサザーランド伯爵なら足捌きを、ハイアット公であれば視線を見る。
それらを合わせて考えてみることで、得られるものがあるはずだ」
給仕が空いた皿を下げ、また別の給仕が次の皿を運んできた。
このレストラン自慢の肉料理を飾るのは果物を使ったソースらしい。
添えられた野菜は彩り豊かですごく華やか。
スマホがあったら思わず写真を撮っちゃうような、そんなひと皿。
「ただし、話を聞くだけにとどめなさい。本格的な教えは受けてはならない。
その理由はわかるな?」
「はい。道が増えれば増えるほど迷いが生じてしまうからです」
「そのとおりだ」
船頭多くして船山に登る、だっけ。
指示を出す人が多くなると統率が取れなくなって変なとこに行っちゃうって意味のことわざ。
何年か前にカニンガム先生の腰の調子が酷い時期があって、その時に教師を変えるかカニンガム先生のままにするかお父様に意見を求められた。
私はカニンガム先生がよくなるまでの間だけを別の先生に見てもらうことはダメなのかって聞いたら、案内役が増えるのは好ましくないって言われたんだよね。
カニンガム先生と別の先生が綿密に打ち合わせが出来ないからなおさらダメだって。
あの頃はよくわからなかったけど、遥華の記憶がある今ならよくわかる。
そう、麻雀強くなりたくていろんなプロの指導配信を見まくった結果、自分がどういう麻雀を打ちたいのかわからなくなった経験があるからね!
「ありがとうございます、お父様。糸口が掴めた気がします」
「表情が良くなったな。力になれたなら嬉しい」
心なしか、さっきまでよりご飯が美味しく感じる。
お肉のソースは濃厚だけど、果物の酸味がほのかに効いてるから重くないのがいい。
ブラックカラントを使ってるって給仕の人が言ってたっけ。
……ブラックカラントって言われると違和感あるのは遥華だったころの名残だと思う。
どうしてもカシスって呼ばれるほうが馴染みあるんだよね。
ブラックカラントはカシス、カシスはブラックカラントでクロスグリ……うーん、ややこしい。
「そういえば、お前あての手紙を預かってきた」
「あら、どなたからですか?」
「少し前にお前が助けたという商人の親子からだ」
アイリスだ。
予想外の差出人で目が丸くなる。
「我が家への礼状と、お前あてのものが一緒にあったものだから、預かった王国騎士団が気を利かせて屋敷にまとめて送ってくれたようだ」
お父様はお肉を切り分ける手を止め、微笑んだ。
「誇りなさい、ヴィクトリア。お前の初めての勲章だ」
「くん、しょう……」
「そうだ。礼状には助けられたことだけではなく、お前の気遣いへの深い感謝が記されていた」
じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
お父様が褒めてくれた。アイリスとアイリスのお父さんがお礼の手紙をくれた。
ついさっきまでも悩んでたのが嘘みたいに、胸が暖かくて明るい気分になる。
「どちらも後で渡すから、よく読みなさい」
「はい!」
ああ、困っちゃうな。
お父様との食事も嬉しいのに、早く手紙を読みたくて仕方ない。
最後のひと切れを口に運ぶ。
そのお肉はさっきまでよりも贅沢で幸せな味がした。
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