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3話 生き残る

 ヴィクトリアはたくさんのメイドに囲まれるのを嫌ってた。そのことに心からホッとしてる。


 貴族の子女ともなるとお風呂だってメイドに世話してもらうのが当たり前の世界。

 でもさ、そんなの現代の日本のごくごく一般家庭で育った人間にはキツすぎるでしょ。人に裸を見られるだけでも恥ずかしいのにさ、数人がかりで体や髪を拭いてもらうとか無理無理無理!


 父親の跡を継いで、騎士として国を守ることを志すヴィクトリアは身の回りのことはだいたい自分でやる。遙華(わたし)の感覚だと普通のことだけど、この世界の貴族──それも女子ではかなり珍しい。体を洗ったり、お風呂上がりに体を拭いたりね。

 とはいえ、室内着程度であってもドレスは自分だけじゃ着れないから、そこはコニーの手を借りる。稽古のときは簡単に束ねるだけだった髪も、香油をつけて編み込みやらあれやこれや複雑で華麗なハーフアップにしてもらったりね。


「お嬢様」

「なに?」


 今もしっかり結い上げるために、丁寧に髪を梳かしてくれてるコニー。身支度のときはリラックスしていてほしいからって、話しかけてくることはほとんどないから、こうやって話しかけてくるのはすごくレア。


「どうかなさいましたか?」


 鏡越しにコニーをうかがうと、いつも優しくヴィクトリア(わたし)を見守ってくれる顔に心配そうな表情が浮かんでる。

 すごいな、コニーは。普段どおりに振る舞ったつもりだったんだけど、お見通しみたい。


「大したことじゃないわ」


 正直にいえば甘えたくて仕方ない。けど、そういうわけにはいかないよ。

 だって言えるわけないでしょ。ヴィクトリアじゃない人間がヴィクトリアになっていて、この世界で生きていくことが不安で仕方ないんです──なんてさ。

 信じてもらえたら『じゃあお嬢様はどうなったの?』ってなるし、信じてもらえなかったらもらえなかったらで『お嬢様はどうしたんだろう』って別の意味で心配させるだけ。どっちにしたってコニーにも私にもいいことはない。

 だから、不安で仕方なくて本当は今も泣きたい自分に蓋をして、ヴィクトリアとして振る舞うしかない。


「毎日必死で訓練してきたけれど、心は伴ってなかったみたい。傲慢、いいえ、慢心ね。私の実力はすでに騎士に相応しいだなんて心のどこかで慢心していたみたいね。今日の稽古で気付かされたわ」

「ですが、お嬢様。ジェイク様は先日、騎士団でもお嬢様のお相手が出来るのはもう数人だけと仰っていましたよ」


 鏡の中のコニーに苦笑してみせる。

 コニーはずっとヴィクトリアに寄り添ってきた。そんな彼女を騙すみたいで胸が痛いけど、私じゃ他のやりようなんて考えつかない。


「少しだけ一人にして欲しいの。お願い」

「お嬢様……いえ、わかりました。お茶の用意をしたあとはさがりますね」

「ありがとう、そうして頂戴」


 コニーが部屋から出てくれたのでほっとした。

 納得は出来るけど、真に受けることは出来ないって顔してたな。

 ヴィクトリアが落ち込む原因としてはありえるけど、何か違うってわかってるんだろうね。


 コニーには悪いけど、私は私のことを考えないといけないんだ。

 だから、切り替えないと。


 現代日本じゃ大企業の社長室でもないとお目にかかれないんじゃないかってくらいに立派な机にノートを広げる。このノートだって、それこそファンタジーや海外の歴史モノくらいでしか出てこないようなハードカバーの装丁だ。

 本だけじゃなくてノートですら何年、何十年と残すのが当たり前だからこそこうなんだろうね。


 ヴィクトリアお気に入りのペンで、少し考えて最初のページに『高薙遥華のこと』と日本語で書く。

 なんかちょっと書き辛い気がする。ペンや紙が遥華(わたし)に馴染みがないせいなのかなんなのかよくわかんないけど、とりあえず無視して続けていこう。


「えっと……」


 つらつらと、遥華のことを片っ端から書き出していく。


 まず、しがない会社員。OL。結婚どころか彼氏も無し。

 母さんは私が赤ん坊の頃に亡くなって、それからは父さんに男手ひとつで育ててもらった。その父さんも、私が大学卒業してすぐに死んじゃった。


 えー、好きなことはゲームと料理、かな。

 料理は父さんが美味しいって食べてくれるのが嬉しくていろんなレシピを開拓したっけ。

 でも、父さんが死んで私だけになってからは自炊なんてほとんどしなくなったから、そうなると趣味って言えるのはゲームだけか。

 あ、あと麻雀。アプリでもリアルでもよくやってた。

 最近やってたゲームは『さきはな』と死にゲーの『シャドウ・ブリンガー』。毎日交互にやって、どっちもじっくり周回中だったんだよね。


 パタンと扉が閉まる音がした。それにつられて顔を上げたら、花の匂いを纏ったような紅茶の香りに鼻をくすぐられた。

 後ろを振り返ると、テーブルには雪みたいに綺麗な白磁のティーセットが置かれてる。コニーが入ってきたことに気付かなかった。

 一人にして欲しいって言ったから、そっとしといてくれたんだね。それでいて、お茶に気付くように部屋を出る時だけ物音を立ててくれたみたい。


 せっかく用意してくれたんだし、冷めちゃったら悪いよね。作業はいったん止めて、お茶にしよう。

 あんまり中は見られたくないので、ノートはしっかり閉じてからテーブルに移動する。見られたときに備えて、この国の言葉じゃなくて日本語で書いてあるけど、念の為ね。


 草模様が浮かぶ真っ白なティーカップが、紅茶の飴色をより綺麗に強調してる。ティーセットも茶葉も、遥華が日常使いするにはとても手が出せないお値段のはず。


 そう、いえば。遥華(わたし)って何が原因で死んだんだろ。

 絶対になにかあったはずなんだよね、思い出せ思い出せ思い出せ。


 ティーカップに口をつけ、記憶の海を掻き分けてみる。


 記憶上の最後の日は、会社の飲み会があった。

 うちの会社の飲み会、美味しくてちょっとお高めのお店に連れてってもらえるんだよね。

 社長は美味しいご飯屋や居酒屋の新規開拓が趣味で、年に二回の会社の飲み会では社長が毎度ドヤ顔でオススメのお店に案内してくれる。

 忘年会ではビンゴがあってクルージングのペアチケットみたいないい景品から、ウケ狙いのおもしろ食品サンプルなんかが当たるんだよね。

 飲み会自体の雰囲気もよくて楽しいから毎回必ず参加してて、今回も例に漏れず。


 華やかな茶葉の香りのおかげで思考がスッキリしてるのかな。たくさんの思い出の中から、関係ある出来事がぽこぽこ浮かんでくる。


 よし、順番に思い出していこう。

 あの日のビンゴは、大手通販サイト『manten』のギフトカード一万円分が当たって……専務からギフトカード五千円分を二枚と、伊達メガネも一緒に渡されて。で、ピンと来て、テープでメガネにカードを貼り付けて「mantenカードマーーーン!!」ってやってバカ受けしたんだよね。

 酒が入った場って笑いの沸点が低いのがいいんだ。思いっきり笑えて楽しくなれる。専務なんか自分で仕込んどいて「そう、そう! これが見たかった!!」ってお腹抱えて笑い転げてたっけ。


 いい感じに思い出してきた。

 盛り上げたご褒美ってことで、社長がポケットマネーで私と専務に一合(いっぱい)で千円する日本酒を奢ってくれたんだ。

 それがもう、ほんっと美味しかった! まろやかで上品で、でもちゃんと主張があってさ! お酒は命の水って言う人もいるけど、このお酒はまさにそれだった。舌から体中に恵みが与えられてるような感覚があったもん。

 いつか絶対、自分で一升瓶買おうって心に誓ったんだ。


 あの味を思い出してほうっと溜め息を吐いた。今はどうあっても埋められない心の隙間を紅茶が埋め──れるわけない。そのくらいあのお酒は美味しかった。


「いや、そうじゃないでしょ」


 脱線が過ぎて思わず一人ツッコミ。こんな情けないことはそうそうない。

 パッパッと手を振って邪念を散らして。実際に散ってくれるわけないってのはわかってるけど、切り替えのためということで。


 えーっと、そう。

 久しぶりの飲み会でドカンと笑いが取れた上に、美味しいお酒を飲めてテンション上がりまくったせいか、いつもより酔いが回ってた、らしいんだよね。私からしたら全然平気のつもりだったんだけど。

 忘年会恒例、社長の家での麻雀二次会にも参加したかったのに「酔いすぎだから帰れ」ってタクシーに詰め込まれて、自宅までドナドナ。

 道中はもちろん、タクシーを降りてからも何事もなく家に着いたのは間違いない。

 だって玄関上がるなり「ひゅーーー! 今ならどんなクソボスでもパリィ出来ちゃうぜーーー!!」なんて酔っ払いらしく脈絡なく言い放ったのも思い出しちゃったし。

 それからはさっさとお風呂を沸か、し、て──。


 ぶわっと。ぶわーっと全身から汗が吹き出たのを感じた。


「待って待って待って」


 指先がかすかに震えてきた。そのせいでソーサーとカップがぶつかってカチャカチャと残念な音楽会が開催されてる。


 いつ死んだのかなんてわからない。階段から落ちただとかトラックに突っ込まれてだとか、そんな覚えは一ミリもない。

 ないんだけど、一つだけ、死因に、心当たりが出てきた。

 何かというと──。


「お風呂で溺死なんて、まさか、まさか……まさか」


 お風呂を沸かしてる間、水分を摂るわけでもブドウ糖を摂るわけでもなく、雑にメイクを落として缶チューハイを開けて綺麗に飲みきったところでお風呂が沸いてそのまま浴室へ行きマシタ。

 シャワーで汗をサッと流してさっさと湯船に浸かりマシタ。

 しかも「はぁ~、ここが私の温泉地~」とかクソデカ独り言も言いマシタ。


 遥華の記憶(セーブデータ)、以上!


「嘘だと言ってよ……」


 ……お風呂で溺死じゃん、どう考えてもさ。


 人間、お風呂で寝るとなかなか起きられない。ちゃんとした理屈はあるんだろうけど、そんなのどうでもいい。

 で、お風呂で寝てしまってそのまま湯船で溺れて死んでしまう事故は意外にも多くて、年間の死亡者数は交通事故の倍以上にものぼるらしい。当然、お酒が入ってるとそのリスクはドンと跳ね上がる。

 思ってるよりも身近にある事故だから気をつけろって、ネットニュースで見た覚えはあるんだけど、まさか、自分がなんて。


 この歳で死んだことも、お酒を飲みすぎて溺死なんてしたことも、父さんに対して申し訳が立たない……。

 片親だけでも寂しくないように、男親だけでも不自由がないようにって、父さんは私を大切に育ててくれたのにさ。

「お前は九蓮宝燈あがるんだぞー」なんて、遠回しに長生きしろって言われたのにさ。

 あんまりにも情けなさすぎて涙は出ないけど、代わりに溜め息が何度も何度も繰り返し出てくる。


「ほんっとごめん、父さん……」


 テーブルに突っ伏して自己嫌悪に陥りたい心境だけど、そんなこと言ってられない。

 遥華で情けない死に方をしちゃった以上、少しは父さんに顔向けできるように今度はしっかり生きるんだ。

 なにより、魔物に殺されるなんて絶対に嫌だ!


 決意も新たに、ぬるくなった紅茶を一息で飲み干して机に戻る。

 死なずにすむ方法を見つけ出すためにも、『さきはな』のことちゃんと振り返って思い出さないと。

 ぐっと拳を突き上げて、私は再びペンを手に取った。

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