23話 幼い密談
執筆時間の確保が難しくなってきているため、
来週からは0時更新ではなく、土曜日中の更新とさせて頂きます。
「やあ、ヴィクトリア嬢」
廊下の向こう側から歩いてくるフィリップ殿下の歩みは、城の住人らしく迷いがない。もうスタスタ歩いてる。
それにしても、こうやって声を聞くとフィリップ殿下は朗らかだなぁってしみじみ思う。
ここ数日、ほんっっっとにいろいろありすぎたせいか、清涼感が心地良い。
たとえるなら仕事上がりに飲むビール。
乙女ゲーのメインヒーロー、しかも一国の王位継承者にしていい比喩じゃないのはわかってるけど、私の貧弱な語彙力では他に思いつかないから仕方ない。
「ご機嫌麗しゅうございます、フィリップ殿下」
廊下だとカーテシーは簡素で済ませていいから楽でいい。
カーテシーは貴族の娘として最初に教わる行儀作法の一つだから、身についてるし完璧に出来る。
でも、胸から腰にかけてコルセットで締め付けられてると、膝を落として深々と腰を曲げる正式なカーテシーって結構しんどいんだよね。
「ちょうど君と話したいと思っていたんだ。時間を少し貰ってもいいかな?」
フィリップ殿下が私と話したいことって、やっぱり婚約の話かな。
あとは一億分の一くらいの確率で麻雀の可能性も……いや、ないね、ゼロ。
「問題ありません。この後の予定もありませんから」
「ありがとう。今日は暖かいし、ヴィクトリア嬢さえ良ければ歩きながらでどうだろう? 案内するよ」
あ、これはピンときた。
歩きながらって言っても、城の中を歩きながらってことじゃない。庭を見ながらって意味。
つまり、中庭で散歩しながらってことで──。
「では、よろしくお願いします。どのような景色が見れるか楽しみです」
で、案の定。
「あんたもここで働くつもり?」
セオドアがいる中庭だったわけで。
顔を見るなり皮肉交じりのジョークが飛んでくるのも予想できてたから、ここはさらっと流そう。
「セオドア様は労働への意欲が高いようで何よりです。私にはとても真似出来ません」
「ははっ、ヴィクトリア嬢も言うね」
楽しそうに笑ったフィリップ殿下を、セオドアがじとっと睨みつける。
「お前、人の昼寝場所を逢い引き場所に選ぶなよ」
「セディがいるからここにしたんだよ」
原作をプレイしてるから知ってはいたけど、侯爵家の子息が自国の王子をお前って呼ぶって……。
それだけ仲がいいのは確かなんだけど、同じく侯爵家の人間としては物申したくなる。
「不敬だって言いたそうな目をしてる」
「当然でしょう」
「いいんだよ。人前ではきちんとしてくれてるしね」
ここにいる第三者の私はいいのか。ツッコミたいけど、ツッコんだところで意味が無さそう。
「ヴィクトリア嬢も予想してただろうけど、話っていうのは君と僕の婚約についてだね」
『僕』って、言ったね。
王子という立場があるから、フィリップ殿下は一人称を時と場合によって使い分けてる。
自覚があるのかどうかはわからないけど、『僕』を使うときはかなり親しい人に対して。ううん、違うな。自分の手札をさらけ出せる相手が正しいか。
少なくとも、『さきはな』ではそうだった。
「婚約者ではなくその候補ということは、君は婚約を断ったという認識でいいのかな?」
素直に返事をしていいのか悩む、けども。
嘘をつくメリットが思いつかないし、フィリップ殿下は悪く思ってる雰囲気じゃないから──うん、ここは素直に。
建前とかそういうのも無しでいこう。
「はい。私はテイラーの長として、騎士団を率いたいと考えております。
フィリップ殿下の妻となれば、テイラーを離れ王族に入らなくてはなりません。私にとって、それは蹄を潰されることと同義です」
「蹄が潰れた金羊が平原を駆けることはない。うん、なるほど。そういうことなら、心置きなく君に提案が出来る」
「提案、ですか」
ちらっと横目で見たセオドアは大きく欠伸をしていた。
こちらの話にまともに聞く様子がないのは興味が無いからかな。
フィリップ殿下が何を言おうとしてるか察してるか、知ってるかのどっちかな気がする。
「セディのことは気にしなくていい。聞かれてもいい、むしろ聞いてほしい話だから」
「俺を巻き込まないでくれる?」
「ここから離れなかったっていうことは、そういうことじゃないか」
「勝手な解釈やめろって」
そう言うセオドアだけど、立ち上がろうとしないあたり、フィリップ殿下の言葉が正しいのが私にもわかる。
フィリップ殿下はクスリと笑うと、私に向き直った。
「僕からの提案は単純だ。
しばらくの間だけでいい。ヴィクトリア嬢には婚約者候補のままで欲しいんだ」
ん?
私の頭上に疑問符が浮かぶ。
五年っていう時間があること、もしかしてエルヴィラ様は話してない?
「エルヴィラ様は僕に全てを話さないけれど、どういうつもりでヴィクトリア嬢を僕の婚約者として推してきたかくらいは聞くまでもなくわかる」
「あの」
「確かに僕は第二位の王位継承者だけどね、継承順なんて目安でしか無い。
はっきり言って、王太子に子供が出来ないままその身に何かあったとしても、僕が王太子になるとは限らない。
むしろ」
「フィル、信用が欲しいならそこまでにしとけ」
フィリップ殿下の言葉を遮ったセオドアに視線が集まる。
やれやれと言いたげな態度とは裏腹に、苗色の目は真剣そのもの。
「手を組むにしたって手札は見せないと始まらない。
けどな、全て見せるのはダメだ。少なくとも今はそういう状況じゃない。
このままだと、手に入るのは信用じゃなくて疑いだ」
私じゃフィリップ殿下の話を止められなかったから、ホッとしたよ。
表面上は穏やかだけど、私を引き込もうって必死さが先立ってて、ちょっと危うげな感じがしたんだよね。
「というか、お前さ、ヴィクトリア殿が何か言おうとしてたの気付いてたか?」
「……気付いてはいたけど、まず話を聞いてもらわなければと焦って、無視をしてしまった」
「それで提案に乗ってもらおうってのは都合が良すぎるだろ」
フィリップ殿下がしゅんってなってる。
垂れ耳の大型犬が叱られて落ち込んでる姿が重なって見えちゃうくらいに、しゅんってなってる。
「そう、だね。うん、君の言う通りだ」
そう言って、顔を上げたら落ち込んでる犬じゃなくなってる。
毅然と、それでいて柔らかい表情。上に立つ人間の顔だ。
少しだけ申し訳無さがあるのは、隠せなかったんじゃなくて私に見せるためなのかもしれない
「ヴィクトリア嬢、礼を欠いた真似をしてすまなかった」
「大丈夫です、気にしておりませんから」
「だからといって謝らない理由にはならないよ」
当たり前のことのように返ってきた言葉に、私の唇が緩んだ。
ああ、やっぱり。『さきはな』のフィリップなんだなって、思って。
ゲームでのフィリップは本当に誠実なキャラだった。
偉い立場の人らしい腹黒さっていうかしたたかさも見せてたけど、ちゃんと相手と向き合って話してた。
「改めて、君が何を言おうとしていたか聞かせてもらってもいいかな?」
「もちろんです」
もう一度、ちらっとセオドアに視線を向ける。
少しホッとしてるように見えた。私とフィリップ殿下がちゃんと話が出来そうだからかな。
こういうところでちゃんと王子の側近をやっちゃうあたり、貴族のバカ息子の真似は向いてない気がするんだけど。
まあ、それはそれとして。
「私はエルヴィラ様から五年という時間を頂きました。
その間、私がフィリップ殿下と婚約を結ぶことはありませんが、婚約者候補からおりることもありません」
「五年?」
「先日、このことについてエルヴィラ様とお話をしましたが、私がお断りしても王命を持ち出され、拒否権を奪われる可能性が見えておりました」
「そうだろうな。
継承順位の高い王子の妃に相応しい身分と人格をもった貴族の娘で、結婚も婚約もしてないってなると、あんたくらいしか残ってない」
セオドアの横槍に頷く。
あの話し合いの時にエルヴィラ様が「もう貴方しかいない」って言った理由が、まさにこれなんだよね。
フィリップ殿下の元婚約者であるシルヴィアが引き止められていた理由も、これ。
他国の王女や高位貴族の娘ならもしかしたら見つかるかもしれないけど、かなり年上の女性になると思う。
うちのフローレンスだって婚約してるんだもんね。
いや、私みたいに婚約してないのが珍しいんだけども。
「有無も言わせず婚約させられるくらいならばと思い、時間を稼ぐことにしました。
そして頂いた時間が五年です」
「五年となると、僕らが卒業するくらいか」
「はい」
苦し紛れで出た賭けだけど、勝算はそれほど低くないと思ってる。
なぜなら、五人の攻略対象の中でフィリップだけは、どのルートでも主人公のアイリスに好意を寄せてたから。
他の攻略対象と恋のライバルになるわけじゃなく、幸せになってほしくて見守ってるってスタンスだったけどね。
そんなフィリップだったから、フィリップ殿下もアイリスには惹かれると思ってる。惹かれてくれ、マジでお願いだから。
「詳しい内容は伏せさせて頂きますが、五年の結果によって、私がどのような形で婚約者候補というお役目から解放されるか変わる──そのようにお約束いただきました」
「差し支えなければ、なぜ五年なのか聞いても?」
「騎士科で学べるからです。
幼い頃からの夢が叶わなくても、騎士になれる資格があるだけで私の気持ちが違うでしょうから」
「なるほど」
「ですから、殿下から提案頂くまでもなく、数年は婚約者候補のままです」
そうかと、フィリップ殿下が安心したように零した。
殿下にはいいことだったみたいだけど、うーん、これ、理由を聞いてみてもいいのかな。
悩む私を見て、フィリップ殿下とセオドアが視線を交わした。
無言のままセオドアが顎をしゃくると、フィリップ殿下がこくりと頷く。
「君にはきちんと話をしたほうが良さそうだ。このまま話を続けてもいいかな?」
言葉を返す代わりに、私はベンチに腰掛ける。
柔らかな微笑みと、面白がるような笑みが私に向けられた。
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