18話 自分に出来ること
「あんた、ホントにテイラーのご令嬢?」
嘘。嘘、嘘、嘘。なんで、なんで、なんで。
お父様でもフローレンスでもコニーでもなく、どうして、どうしてセオドアが疑うの!?
体からは血の気が引いていて、頭は真っ白だ。
声だって、言葉になってくれるかどうか怪しい。
どうしよう、どうすれば、どうしたら。
セオドアの皮肉な笑みと緑の目が私を斬りつけてくる。
逃げなきゃ。
悪手だとわかってるけど、一度考えてしまったら逃げる以外の手が思いつかない。
その考えに引っ張られるように後ずさりかけた──足が、止まった。
「無礼ですね、セオドア・ガーディナー」
私の口から、凛とした気高い少女の声が放たれた。
逃げようとしていた体が決闘を挑むように、セオドアと対峙する。
体が勝手に動いてるのに、全身に強くしなやかな芯が通ってるような感覚がする。
「私がヴィクトリア・アーデルハイド・テイラーでないのであれば、誰だと言うのです? テイラー家からガーディナー家への正式な抗議をお望みですか?」
私じゃ、ない。
ううん、私だ。ヴィクトリアだ。ヴィクトリアが喋ってるんだ!
「たとえさ。それくらい、君の様子が違うってこと」
「では、そう言ってください。わざと私を侮辱するような言いかたをする必要はないはずです」
「ははっ。テイラーのご令嬢は手厳しいな」
周回するたびに見た、綺麗で強いヴィクトリアらしい言葉だ。
「その呼びかたは嫌いです。控えてください」
「はいはい、わかりましたとも。ヴィクトリア殿。これでいい?」
セオドアが肩を竦めて言った。
けど、私の口から返事は出てこない。
ヴィクトリア……?
問いかける私に、返される言葉はない。
それどころか、さっきまで体に張り巡らされていた芯の感覚が無くなってる。
わざとらしくため息を吐いた。わざとらしく、ゆっくりと瞼を閉じた。
もう体は私が動かせる。さっきまでが嘘みたい。
ねえ、ヴィクトリア。あとはもう自分で戦えって、貴方はそう言いたいの?
当たり前のように返事は無い、けど。
それがヴィクトリアからの答えのように感じた。
「結構です。もとより、弁えない呼びかたでなければいいのです」
「はいはい、それは失礼しました」
「おわかり頂けたようで何よりです」
戦え。ここで逃げたら、逃げ続けることになる。
もうセオドアは手元の本を見る素振りがない。
ヴィクトリアがセオドアを戦場に引き込んでくれたからだ。
さっきまでの、ヴィクトリアだったときを意識しながら、私は切り出した。
「それで。さきのような戯言を口に出すにいたった経緯をお伺いしても?」
「簡単な話だ。あんた、じゃなかった、ヴィクトリア殿が俺に話しかけてるからさ」
「面識のあるかたであれば、挨拶とともに一言二言、なにか話すのは礼儀だと思いますが?」
「だからさ。ヴィクトリア殿は礼儀を守るために、俺に気付かないようにしてただろ」
「そんなことは……」
「ない?」
「とは、言えませんね」
紛れもない事実だからね。
ヴィクトリアはそうしてた。
セオドアのことは嫌いだけど、悪く言いたいわけじゃない。でも、顔を見たり会話をすると、どうしても腹が立つ。
だから気付かないようにしてた。
王城の中庭にセオドアがいても、中庭を見なようにして気付いてない、知らないふりを貫いてた。
「認めるってのは意外だな」
「事実ですから。ここで取り繕っても無様なだけです」
「潔いな。さすがはテイラーのご令嬢だ」
「その呼びかたは嫌いだと言ったばかりです」
「今のは見逃してもらいたいな。褒めてるのさ」
確かにさっきまでと違って厭味ったらしくはなかった。
「昨日、俺に出くわしたのは、あー、ヴィクトリア殿にとっては事故だったのかもしれない。
だが、今までなら俺が目を閉じてるのをいいことに、俺に背中を向けてたはず。それか、違うところを見ていて気付かなかったふりか。
とにかく、昨日は俺に気付いた。これが最初の『珍しい』」
セオドアは姿勢を崩した。昨日と同じくベンチの上での立て膝。
行儀悪いけど、妙にしっくりくる。なんでだろ。
「で、挨拶とちょっとの言葉だけで終わらせずにそのまま会話を続けたのが二つ目の『珍しい』」
「なるほど」
「最後の『珍しい』が、んー……」
まじまじと見られてる。
さっきと違って斬りつけるような視線じゃないけど、変なものを見てるような感じで、居心地が悪い。
「あんたの俺を見る目に苛立ちが無い、が」
「が?」
「さっきはいつもどおりっていうか、いつもよりも苛立ってたくらいなんだが、また無くなってるんだよな」
それはヴィクトリアだったからデス。
でも、良かった。
ヴィクトリアが助けてくれなかったら、逃げてた。
逃げ帰って、気付かれた、バラされたらどうしようって怯えて、不安になってたはずだから。
「私にも思うところがあったので」
「思うところって?」
「言葉で説明するのは難しいのですが……そうですね」
本当に説明するのは難しいんだよね。
ヴィクトリアの死因にセオドアはまったくの無関係。
だから、仲良くなったら死亡を回避出来るってわけじゃない。
ただなんとなく、ちょっとでも友好な関係になったほうがいいのかなって思っただけだし。
よし、決めた。リベンジだ。
「毎日、城に出勤する勤勉さを見直したので」
キュッとしかつめらしい顔を作って言ってみた。
セオドアは呆気にとられた顔をしてる。
それから、徐々に相好を崩していった。
「ははっ。なんだ、それ」
声を上げて笑うセオドアに皮肉っぽさは見当たらない。
今回はちゃんと受けを取れて、私は満足デス。
「あんた、そんな冗談も言えたんだな」
「『あんた』」
パラパラと、風に吹かれてセオドアの本のページがめくれていく。
「悪いな。こっちは癖なんだ。気をつけるが、多少は見逃して欲しい」
それが気になったのか、セオドアはパタンと本を閉じた。
自然と、私の目は本の表紙に向かう。
神話の本だ。同じものは屋敷にも、タウンハウスにもある。
「まあ、少し、な、ら」
待って。
神話、そう、神話だ!
『さきはな』と『シャドブ』だけたと共通点は見つからない。
でも、この世界の神話となら共通点がある!
ううん、他にもいろいろあるはずだ!
「どうした?」
「すみません、セオドア様。急用を思い出しました。失礼します!」
私はセオドアの反応も聞かず、早足で歩き始めた。
礼を欠いたことはまた今度謝る。
何か声をかけられた気もするけど、今はそれどころじゃない!
私はいつ走り出してもおかしくない気持ちをなんとかこらえながら、家路を急いだ。