1話 嘘だと言ってよ
『やあ、高薙遙華』
誰かの声が聞こえる。聞き覚えはないのに、妙に馴れ馴れしい声音。
『──だよね。でさ、本物の──が──ね。ちょうどいいから──』
なに、なんて言ってるの? ところどころノイズが入ってて、何を言ってるか聞き取れない。
『ちょうどいいって何よ!? 大事な前提とかいろいろすっ飛ばしすぎじゃない!? っていうかなんで私!?』
あ、これは私の声だ。ということは、これは誰かと私の会話? 何を話してるの?
『あはは。だって君は──』
『あれは! ネタで!』
『君はそのつもりでも──。君の国だと『瓢箪から駒』って言うんだったかな?』
視界もやたら白飛びしてて相手の顔も見えないけど、一つだけわかる。
こいつ、すごくムカつく奴だ。対戦ゲームとかで自覚してんだかしてないんだかわかんない感じで煽ってくるタイプのやつ。
キレかけてる私を軽く、かる~~~~~~~く流して自分の言いたいこと言ってるんだろうな。
『じゃ、そういうことでいってらっしゃい』
しゅたっ! と片手を挙げたのが見えた。顔は見えないのに、ムカつくその動きだけはとてもよく見えた。
いや、顔は見えてたとしてもどうせあれでしょ。胡散臭い系キャラがよくやる、無駄にキラキラした笑顔で会話を終わらせるやつ!!
『いつかぶん殴ってやるーーーーーーーー!!』
「いつかぶん殴ってやる……」
むこうの私と傍観者の私の意見が完全に合致したところで、視界が真っ白に染まっていった。
チ、チチチと可愛らしい小鳥の鳴き声で目が覚めた。
ここに陽光が加わればマンガやゲームなんかのテンプレ的な朝の目覚めだけど、分厚いカーテンの隙間から見える外はまだ太陽が顔を出し始めたばかりの暗さだ。
体を起こしていつものように大きく伸びを一つ。
今日は体が軽いな。ずっと悩まされてきた肩こりを微塵にも感じないし、二度寝へと誘う布団の誘惑にも心惹かれない。
こんな気持ちの良い目覚め、いつ以来だ。
「さて、と」
いつものようにサイドテーブルの上から水差しとグラスを取って水を飲……いや、待って。いつものように? 違う違う違う!
朝起きたら水を飲む、うん、それはいつもやってた。けど、それは冷蔵庫に入ったペットボトルの水であって、こんな高級家具ですって顔したサイドテーブルの水差しからなんて飲んでない!
「待って待って待って」
周囲を見回せば、薄暗くてもわかるほどに私の部屋とは程遠い雰囲気。でも見覚えがある、馴染みがあるっていう意味がわかんない状況。
着てるものだってパジャマ代わりのTシャツじゃなくて白い袖付きのワンピース──いわゆるところのネグリジェだ。
着たことは勿論、実物を見たことすら無いっていうのに体はしっかり馴染んでる。
それに、さっきからチラチラ視界に入る髪が……銀色っていう。私は銀どころか髪を染めたことなんて一度もない。高校の学祭でピンクのウィッグを被ったくらいだ。
何よりも私はこんな豊かなメロンを胸に引っ提げてない。重いよ、これ!
ぐるぐる渦を巻く頭を抱えながら私は真っ直ぐ化粧台のもとへ。どこに鏡があるのかを体が覚えてるのが怖い。
恐る恐る鏡を覗き込む。
「嘘だと言ってよ……」
これは、この顔は。なんかちょっと雰囲気が違うけど、わかる。
絶賛周回中の学園ファンタジー乙女ゲーム『咲き誇る花のごとく』の登場キャラである侯爵令嬢──『ヴィクトリア・アーデルハイド・テイラー』の顔だ。少しだけ幼く見えるけど、間違いなくヴィクトリアだ。
そのまま椅子に崩れ落ちる。
嘘だと言ってほしい。頼むからだれか嘘だと言ってくれ。
だって、だってさ。
ヴィクトリアは主人公のライバルでもあり、ルートによっては親友にもなるキャラクターだだけどさ?
高貴なる義務を地でいくカッコいい女の子だけどさ? ユーザー人気も高いしなんなら私も好きなキャラだけどさ?
悲しいことに、ほとんどのルートで死亡する。
ストーリーの中盤。
主人公たちは魔物を退治すべく森に入り、近くの村の子供が魔物に襲われるところへ出くわす。咄嗟に主人公は子供を庇い、そんな彼女を守るべくヴィクトリアも魔物と二人の間に体を滑り込ませ、魔物と相打ちに。
その魔物はただの魔物ではなく呪いの塊で、ヴィクトリアは傷口から呪われ、治癒も出来ないまま命を落とす──という流れ。
主人公が魔物討伐に参加しないルートもあるけど、ヴィクトリアは魔物討伐に向かって死亡する。
ほら、どれだけ好きなキャラでも喜べるわけが無い。
ていうか元々の私どこいった。本来のヴィクトリアもどこいった。
確かに高薙遙華としての意識はここにあるし、ヴィクトリアの記憶もここにある。
でも、本当なら別々で一緒になるわけがない!
これは、いわゆる転生ってやつ? それとも憑依?
どっちにしろ、高薙遥華という人間は死んでしまってる……可能性のが高いよね。
だってそれがお約束じゃん。
でも待って、何が原因で死んだの? すぐに思い出せないんだけど!
ココンと、混乱する私を落ち着かせるかのように小さくノックの音が響いた。
「入りなさい」
自分でもびっくりするくらい慣れた口ぶりで言葉が出る。さらにいえば誰が来るのかもわかる。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、コニー」
メイドのコニーだ。十年近く屋敷に仕えていて、幼い頃のヴィクトリアがよく懐いたから、事実上のヴィクトリア専属メイドになってる。
コニーは運んできた洗面器を私の前に置くと、部屋のカーテンを片っ端から開けていく。束ねたカーテンはどれもドレープが綺麗だ。
「今朝も朝食前に剣のお稽古を?」
「ええ。入学までに出来る限りのことを学んでおきたいもの」
「入学まで2年もありますのに」
「2年しか無いのよ、コニー」
なるほど、ゲーム開始まであと二年。ヴィクトリアが死ぬのは三年目を目前にした春のことだから……つまり、約束の日は四年後か。
頭の中の情報量が多すぎてまとまらないけど、会話だとスラスラ出てきてくれるのは幸いだね。
コニーが持ってきてくれた洗面器はぬるま湯が溜められていて、肌寒い朝にちょうどいい。
パシャパシャと顔を洗い、渡されたタオルで顔を拭く。ふかふかだ。
室内が明るくなったところで改めて鏡を見ても……うん、やっぱりヴィクトリアだ。ちょっと緑が乗った長いストレートの銀髪、ガラスのように透き通った碧眼はややツリ目気味。
私が顔を洗う間、顔を拭く間、服を脱ぐ間、シャツを着る間。それぞれの間々にコニーは私の次の行動に必要なものを用意してくれる。うーん、プロフェッショナル。
「ですがお嬢様、本日の授業の時間はゆっくりなさってくださいね」
「何を言ってるの。今日はカニンガム先生がいらっしゃる日でしょう」
「そのカニンガム先生から昨晩、本日はお休みを頂きたいと連絡がありました。なんでもお腰の魔物が目覚められたそうで」
「ああ、なるほどね……」
カニンガム先生はテイラー侯爵領の学校で長年教鞭を振るってきた名教師だ。今はヴィクトリアの家庭教師だけど、ご高齢なので腰が、うん。ぎっくり腰がね、うん。
ヴィクトリアはやったことないけど、お父様が冬になるたびにぎっくり腰をやっては悲鳴を上げて──や、違う。ぎっくり腰をやってたのは遙華の父さんだ。
これはちょっと、記憶を整理しないといけない。ごちゃ混ぜになってる可能性がある。
ちょうどいい、一度ちゃんと記憶の仕分けをしてみよう。
「じゃあ、そうね。午前は部屋で過ごすわ。先生にはお大事にと伝えてちょうだい」
「きちんと休んでくださいね」
コニーの念押しに思わず苦笑いがこぼれる。
相手がヴィクトリアだから、そうだよね。休むと言って休まず自習や剣の自主練習をしてばかりだから。
「心配しないで、ちゃんと休むから」
「本当ですね?」
「約束するわ。稽古をつけてもらったあとは、部屋で大人しくしてるから」
「約束を破られたなら、次に仕立てられるドレスは私が監督させてもらいますからね」
やわらかな笑顔なのに、コニーから感じる圧がすごい。空気が重くなったのは気のせいだろうか。
「お似合いになるのに避けてこられた、お嬢様がお嫌いなピンクの生地に、お嬢様が苦手でいらっしゃるフリルも、たーっぷり使うようにしましょうね。いつもの仕立て屋もきっと喜びます」
ヴィクトリアとコニーのドレスを巡る過去の攻防──もとい、コニーの攻勢が脳裏を過る。
コニーは自慢のお嬢様を可愛く華やかに着飾りたいんだけど、ヴィクトリアが可愛らしいデザインを好きじゃないから本人の意向を大事にしてきた。
ヴィクトリアがいいと言ったドレスに少しだけフリルやレースを足して華やかさを出すように指示したり、ハンカチなんかの小物を使ってヴィクトリアが許容できる範囲を探ったり。見る目を養うっていう名目でたくさんの布地を見せ、その中にヴィクトリアが好きじゃない色も混ぜて抵抗感を無くそうとしたり。お抱えの仕立て屋が『ヴィクトリア様にはこういったものもお似合いです!』って描いたデザイン画の束をたまーに机の上に広げておいたり、などなど。
例をあげれば山ほどあるし、ヴィクトリアが意図に気付いてないものもありそう。
今までの休む休む詐欺に思う所ありまくりっていうのがわかる脅し方だ。
私もヴィクトリアには可愛いドレスも似合うと思うけど、体の中心というか、胸がぞわぞわと拒否反応を示してる。体が拒絶してるじゃん!
「……絶対に守るわ」
心配してくれてるコニーの為、なによりも体の為にも、私は改めて約束を守ると誓うのだった。
2月6日、誤字を修正。
『侯爵令嬢』なのに『公爵令嬢』というかなりダメな誤字やらかしてました。