8 初めての化粧とアメリアの事情
「こんにちは。貴女がアメリアさんかしら?」
支部長代理となったリリアンヌは、数日かけて各部門に顔を出し、最後に美容部門を視察した。
美容部門を最後に選んだのは勿論、アメリアと個人的に話すためだ。
「お嬢様! いえ、支部長代理、アメリアと申します。お声掛け頂きありがとうございます」
アメリアは赤い髪に赤い目を持ち、目鼻立ちがクッキリとした美しい大人の女性だった。
「美容部門の発案者なんですってね。売上も好調だし素晴らしいわ」
リリアンヌは沢山の女性で賑わう売り場から邪魔にならないよう、アメリアを伴い隅の方に移動した。
ハリウス商会が始めた美容部門は、今までのように、ただ化粧品を並べるだけではない。
手に取りにくい高額商品を主に、美容部門の女性部員によってお客様が気になる商品を使った施術を無料で受けられるのだ。
自分の肌に合うか、似合う色か、他の手持ちの化粧品とどう組み合わせるか……
特に、値段の高い商品を購入しようとする時に誰もが気になる点を、経験豊富な女性部員と相談することで解消することが出来るのがウリだ。
同時に美しく化粧された自分を見て頂き、購買意欲を高めることも出来ると踏んでいる。
「お褒め頂き、光栄ですわ」
アメリアは小首を傾げ、はにかんでみせた。
「それでね、アメリアさん。今からお願いがあって……。支部長代理としてではなく、一人の客として何だけれど……」
急に今までの堂々とした態度から、年相応の少女のようにオロオロと振る舞うリリアンヌに、アメリアは可愛らしい小動物を見守るような眼差しを向ける。
「はい、お客様。どうなさいました?」
だから少し、からかうような口調になってしまったのも仕方ない。
「う……。あのね、私はお化粧というものを全くしたことがなくて。いえ勿論、商品としての知識はあるのだけれど……。実際に自分用に購入してみたいの。お手伝いして頂けないかしら?」
リリアンヌは必死に言葉を紡ぐ。
「さようでございましたか。はい、勿論お任せ下さい。私、初めてお化粧される方のお手伝い、大好きなんですよ?」
そう言ってアメリアは、お試し用の化粧品が並べられている棚から数種類を手に持つと、リリアンヌを顧客用の席へと案内したのであった。
リリアンヌが案内された席に腰掛けると、正面には大きな鏡が設置されており、椅子と鏡の間に置かれた小さな机には、化粧直しに使える小物がいくつかセットされている。
リリアンヌが座った椅子の斜め後ろから、アメリアは声をかけた。
「まずは化粧水をお選びしましょう。お嬢様のお肌は羨ましくなるくらいに、美しくていらっしゃるわ」
お世辞だと分かっていても、容姿を理由に婚約破棄されたリリアンヌにとってその褒め言葉は、嬉しいものだった。
「ありがとう、アメリアさん。私にはどれが合いそうかしら?」
「特に乾燥を感じたり、すぐに肌荒れを起こすタイプでなければ、オーソドックスなこちらでよろしいかと思いますわ」
「ファンデーションもごく薄付きがよろしいかと」
そう言って、アメリアはリリアンヌの肌を整えていく。
リリアンヌは、ただ肌を整えただけでも全体的な印象が明るくなるのに驚いた。
「次は、眉を書いていきますね。こちらは髪色より少しだけ明るい色が自然な印象が出るので、お勧めですわ」
アメリアはリリアンヌの黒髪よりも少し明るいグレー系で眉の足りない所を埋めるように書いていく。
「後は……マスカラや口紅、頬紅となってくるのですが、ご希望の色味はございますか?」
あまりに手際よくお化粧を施してくれるアメリアの手腕に圧倒されたリリアンヌは、ただ首を横にフルフルするのが精一杯だ。
「でしたら、今の流行カラーで仕上げさせて頂きますわね」
こうして、ものの十五分もしないうちにリリアンヌは、化粧済みの自分の顔を見ることが出来た。
アメリアの色使いは自然なのにどこか華やかさもある。
リリアンヌは化粧前よりも確実に美しくなったのにも関わらず、あまりお化粧感のない仕上がりに、思わず驚嘆の声をあげた。
「すごいわ……アメリアさんはお化粧のプロなのね! 全部購入するわ! あとね私、男性受けの良いお化粧を学びたいのだけれど、個人的に教えて頂くことってできるかしら?」
リリアンヌは感動のあまり立ち上がり、アメリアの手をとって続ける。
「勿論、謝礼は弾むし、お仕事に無理のない範囲でお願いしたいのだけれど」
だが、アメリアは少しだけ考え込むと、俯き加減でこう答えた。
「お気に召したなら嬉しいですし、私で良いのでしたらご教授させて頂きますが……私には男性受けの良い化粧、というものが分からないのです」
「まぁ。そうなんですの?」
「はい。どちらかと言えば流行に乗った、女性が好きな色使いでお化粧するのが好きですし」
「それに私事ですが、最近離婚したばかりで娘を一人で育ててますので、男性受けする化粧だと自信を持ってお教え出来ない、と言いますか」
それまで気さくで明るく、頼れる大人のお姉さんと言った様子のアメリアがどこかシュンと肩を落として話す様子を見てリリアンヌは深く反省する。
「ごめんなさい、アメリアさん。個人的なことまで話させてしまったわね。私の話は気になさらないで。娘さんはおいくつ? 貴女がお仕事の時はいつもどうされているの?」
リリアンヌは急いで話題を変えた。
「気にかけて頂き、ありがとうございます。娘は3歳で私の母が家で内職をしながら見てくれておりますわ」
アメリアにようやく笑顔が戻ったことで、リリアンヌはホッと安堵の息を漏らした。
「まぁ。可愛らしい盛りですわね。お母さまが居てくださるなら安心ですし」
それを聞いたアメリアは、少し悩んでから意を決したようにリリアンヌを見つめた。
「ええ。それと先程のお話で私に一つ、心当たりがあるのですが……。美の魔術士、と呼ばれている男性をご存知でいらっしゃいますか?」
「……すごいニックネームね。知らないわ」
吹き出しそうになるリリアンヌは、何とか堪えた。
アメリアも少し笑いながら説明を続ける。
「さすがに、ご自分で付けた名前だとは思いませんが……何でも巷で有名な踊り子達のプロデュースから、貴族の子女のデビュタントまで幅広く手掛けている方で」
「必ず満足行く出来栄えを披露するとして最近、美容業界では噂になる方なんですが、少し風変わりとの噂もありまして」
「それでも宜しければ、ウチで仕入れをしているので、連絡をとりましょうか?」
「まぁ。すごい方なのね。風変わりでも何でも構わないわ! 是非お願い!」
リリアンヌはこうして、沢山の化粧品と美の魔術士との伝手を手に入れることが出来たのだった。