7 男性は女性の変化に疎い
「ご覧になった? お父様! ガドル国の女性は本当に皆様、お化粧をされてるのね!」
リリアンヌと父のハリウスが、ガドル国に入国してから早くも一週間がたった。
二人は、別荘の一つを借りの住まいとし、生活が落ち着いてきたためガドル国にあるハリウス商会の支部に顔を出したのだ。
二人は、支部をこれからの拠点とすべく支部長を伴い、支部長室で帳簿や使用人の履歴書等を確認している。
ハリウスは支部長席に座り、リリアンヌはと支部長は客用テーブルに向かい合いながら、立ったまま資料を眺めていた。
なぜなら入国してから、ほとんど屋敷の中で過ごしてきたリリアンヌは、商会支部で働く女性達の上品で自然な化粧に興奮しっぱなしで座る気配がないからだ。
「お前はガドル国に来るのは初めてだからな。だがね、リリアンヌ。あんまり人の顔をジロジロ見るものではないよ」
優しく宥められたリリアンヌはシュンと肩を落として、ごめんなさい、と頭を垂れる。
そんなリリアンヌを慰めるように支部長は声をかけた。
「はははっ。お嬢様にお褒め頂けたなら、彼女達も喜んでおりましょう。ですが、お嬢様はやはり女性ですな。儂には彼女達が化粧をしていてもいなくても、分かりませんのでな」
ハリウスも同意するように頷いてみせた。
それを見て、リリアンヌは目を見開く。
婚約破棄騒動の時も、ロゼリアに夢中の男性達は化粧に気が付かないのかと思ったが、それは男性全般に言えることなのかもしれない。
「まぁ。本当に? 本当に分かりませんの?」
驚きで溢れているリリアンヌをからかうように支部長は答える。
「失礼ながら。儂は真っ赤な口紅でも付けて貰わなければ、何がどう違うのか分からんのですわ。いつもそれで妻に叱られております」
「まぁまぁ。そうなんですの? 男性とはそういうものなんですの?」
「男でも敏感に気が付く者もおりますが……少数派でしょうな」
それを聞いてリリアンヌの頭に浮かぶのは、シリウスの隣でこちらを蔑むように見ていたロゼリアだ。
彼女の化粧は全体的に稚拙だし、頬紅や口紅の色も薄付きながらしっかりと出ていて、ガドル国の女性達と比べてたら、はっきりとお化粧してます感が出ていた。
それでも分からない男性がいるくらいだ。
ならば、化粧に馴染みのないモガリナ王国で、ガドル国のナチュラルな化粧を見抜ける男性はかなり少なくなるのではないだろうか。
「面白いことを教えて頂いて、ありがとう支部長さん。ところで、支部長さんが知る中で一番美容に詳しい方って誰かしら?」
リリアンヌの質問に、支部長は鼻の下のちょび髭を弄りながら、少し考える仕草をする。
「そうですな……やはり最近立ち上げた美容部門のリーダー、アメリアですかな」
リリアンヌは支部長と夢中に話すあまり、背を向けていた父にクルリと振り返る。
「アメリアさんね! ねぇ、お父様! アメリアさんをお呼びしてもいいかしら?」
いつもは大人しく、どちらかと言えば落ち着いている印象の強い娘のはしゃぎっぷりに、ハリウスは苦笑した。
「分かった分かった、リリアンヌ。だが、今はアメリアさんにも仕事があるだろう。後でこちらから会いに行こう」
そう言ってハリウスは、軽くウインクし、リリアンヌに帳簿の束を差し出した。
「そして、その前にコレを片付けて貰えると助かるんだがな」
「そ、そうでしたわね、お父様。頑張りますわ」
★
「これとこれと、ここ。恐らく経理担当者のミスだと思われる不備がありましたわ」
「ありがとう。さすが早いな」
帳簿を指差しながら、リリアンヌはまとめた指摘事項を父に報告していく。
その様子に支部長は舌を巻いて、若干焦ったように汗を拭きながら驚きの声をもらした。
「三年分をこんな短時間で……お嬢様がこんなやり手でいらっしゃったとは」
リリアンヌはニコリと笑顔を返す。
「お褒め頂き、ありがとう。ただね、少し気になる点もあったのよ。こちらはミスではなさそうなのよね」
リリアンヌはそう言って、先程話題になった新しく立ち上げたという美容部門の帳簿を取り出した。
「予算と仕入れに矛盾を感じるわ。それも一桁違う程度のね。ねぇ、支部長さん? 予算を付けたのは貴方よね? 裏帳簿でも持っていらっしゃる??」
リリアンヌは笑顔を決して崩してはいないのだが、むしろそれが怖いと感じるような笑みを浮かべている。
「も、申し訳ございませんでした!」
支部長の謝罪の言葉にハリウスは思わず立ち上がった。
「支部長! 何故そんなことを? 儂は君を長年信頼してきたというのに……」
支部長は流れる汗も拭わずに固まって動くことが出来ずにいる。
「お父様。私は毎年、抜き打ちで各国の支部の帳簿は確認しておりますの。ですので、少なくとも彼がここまで大きな不正に手を出したのは今年に入ってからだと思いますわ」
リリアンヌの言葉を受けて少し冷静さを取り戻したハリウスは、再び支部長席に腰を下ろした。
「ありがとう、リリアンヌ。支部長、弁明があるなら話を聞こう」
石像のように頭を下げた姿勢のまま、支部長はポツリポツリと話始めた。
今年に入ってからギャンブルにハマってしまったこと。
借金を返せず、妻や娘に気付かれそうになったこと。
だが、美容部門を立ち上げることになったため、その予算を使い込めば借金を返せることに気が付いたこと。
そして返済後も、チマチマと不正を重ねてしまい、後戻り出来なくなったこと。
「お前という奴は……今回だけは大目に、」
「ダメよ! お父様ってば甘すぎますわ。支部長の使い込みは、言い訳出来る類いのものではありませんわ」
リリアンヌは急いで父の言葉を遮る。
ハリウスは優秀な経営者だが、リリアンヌと同じで身の内に入れた者を甘やかす癖があるのだ。
「……そうだな。確かに、その通りだ。儂は冷静さを失っていたよ。今回のことはリリアンヌに一任しよう」
その後、リリアンヌの的確な指示のもと、不正に関しての全額返金と支部長の降格を決めた。
本来ならば、紹介状もなしの解雇にしてもよかったのだが、彼の妻子の心配をしたことと、父の長年の信頼関係を思い、リリアンヌなりに配慮したためだ。
こうして支部長不在となったため次期支部長が決まるまでの間は、リリアンヌが代理支部長として、定期的に商会に顔を出すことになったのであった。