4 シリウスサイド
リリアンヌが旅立ってから二日目。
「シリウス! リリアンヌとの婚約を破棄したとはどういうことだ! 儂は認めた覚えはないぞ!!」
夕方まで平和にロゼリアとデートを楽しんでいたシリウスは帰るなり、モンテーニ伯爵に掴まり空き部屋に押し込まれた。
シリウスの起こした婚約破棄騒動が噂となり、世情に疎い伯爵の耳にもようやく入ったからだ。
「父上、僕の話を聞いてください!あんな地味でブスな女は僕には相応しくないと気がついたんです! 相応しいのはロゼリアみたいに可愛らしい美人だ」
シリウスは悪びれる様子も見せず、飄々とした態度をとる。
「バカ息子! リリアンヌは華やかさはないかもしれないが、普通に可愛らしい顔立ちだろう。そもそもどれだけハリウス商会に援助してもらったと思ってるんだ。こんな恩を仇で返すような真似を勝手にするなんて……」
モンテーニ伯爵はソファに倒れ込むように座り、頭を抱え込んだ。
だが、心底分からない、と言った表情でシリウスは言う。
「勝手にしなければ反対するでしょう? それに伯爵家もだいぶ持ち直してきたではありませんか! 僕がリリアンヌの機嫌をとってきたからですよ! もう開放してくれてもいいでしょう」
シリウスの言葉に伯爵は、口をあんぐりと開け固まった。
ーーいったい、何が息子をここまで愚かにしたのか。恋心とはこんなにも恐ろしい物なのか。
理解し難い状況に置かれ放心中だ。
だが、そんな時間は長くは続かなかった。
コンコンコン
「旦那様、お坊ちゃま。お話し中に申し訳ございません! 緊急事態でございます、入室してもよろしいでしょうか!」
モンテーニ伯爵家の執事が、走ってきたように息を切らして部屋のドアを叩いたからだ。
伯爵は嫌な予感がする。出来れば執事の話を聞きたくはないが、そんな訳にもいかず入室を許可した。
「はぁはぁ。失礼致します。旦那様、大変なことになっております! ルチア公爵令嬢様が、この度の婚約破棄騒動について、リリアンヌ様及びハリウス商会には全くの非がないと発表されました!」
伯爵の全身から冷汗がつたってくるのを感じた。
ルチア公爵令嬢と言えば、祖母を元王女に持ち、現王太子の婚約者でもある。
彼女は、その人懐っこい性格で人望を集めており、若き社交界の第一人者とまで言われていることは、貴族なら誰でも知っている常識だ。
「な、なんだと!? 何故、ルチア様がそのようなことをなさるのだ。おい、シリウス! まさかルチア様がいらっしゃる前で婚約破棄をやらかしたのか!?」
思わず立ち上がり、愚息の胸元を掴みながら伯爵はツバを飛ばす。
だが、当本人は全く覚えがないようだ。
「いいえ。あの時は僕とロゼリア、リリアンヌしかいませんでしたよ。確かリリアンヌはルチア様と親しくしていたはずですから、頼んだんじゃないですかね?」
「あり得ん! ルチア様程、影響力のある方がいくら友人のためとは言え、そんな不確かな状況で動く訳ないだろう……」
八方塞がりの状況に、伯爵は絨毯に手をついた。
今までの状況であれば、身勝手な婚約破棄をしたことで、リリアンヌやハリウス商会の顔に泥を塗ったことにはなった。
だが、世間一般は普通、破棄された方に問題があったとみなすだろう。ハリウス商会が撤退したこともそれを後押しするはずだ。
しかしながら、ルチア様がその影響力を持ってして、リリアンヌ側に非はなかったと言えばどうなるだろうか。
状況は一変し、モンテーニ伯爵家は圧倒的な加害者となるのではないだろうか。
「旦那様、お気を確かに! ルチア様は明日の午後に公爵邸のサロンにてリリアンヌ様に代わり事情を説明なさるそうです。希望者は出席出来るとか……」
執事はあまりの状況に、思わず主人の肩に手を添えた。
伯爵は絨毯についた、自身の手が震えているのを初めて見る。幼い頃から伯爵家令息として、良くも悪くも凡庸に育ってきた彼の心と体は、恐怖に耐えられないのだろう。
明日、公爵邸に行けば何と言われるか分かったものではない。だが、行かなければ事態がさらに悪化することもまた、明白だ。
ふと、立ち尽くしたままの息子を見上げると。馬鹿なりに、さすがに大変なことになったことには気が付いたようで顔が真っ白になっていた。
伯爵は腹に力を入れて立ち上がり、肩に添えられていた執事の手を礼を込めて強く握る。
「そのサロンに参加したいと公爵家に連絡してくれ。私と息子でだ。妻は……体が弱い。倒れるかもしれないから自宅で待つように伝え……」
ダッッ
その言葉が終わらない内に、シリウスは部屋を飛び出した。伝統と歴史を誇るモンテーニ伯爵家は広大ではあるが、財政難のため使用人も最小限しかいない。
仕方なく伯爵と執事が必死に追いかけたが、若い男の脚力に年配に差し掛かった二人が叶うはずもなく。
シリウスは、あっという間にモンテーニ伯爵家を出て、どこかへ逃亡したのであった。
後から、事と次第を聞かされた伯爵夫人は、自分もサロンに行ってせめて息子の代わりに、頭を下げると言ってきかなかった。
だが、彼女は心労がたたりその晩に高熱を出して倒れてしまう。
これは、もしもの話だが。
もしも国王が最初からシリウスとロゼリアを罰していれば、リリアンヌの個人的な復讐は別にして、ハリウス商会はモガリナ王国を拠点としたままだったかもしれない。
もしも宰相が国王を見限らず国を立て直すために奔走していたら、混乱を避けるためにルチア公爵令嬢の発表を止めていたかもしれない。
だが、運命の歯車は伯爵に手厳しかった。
結局、彼はたった一人で公爵邸に向かうこととなったのである。