2 大丈夫ですわ、お父様。報復は自ら行う予定ですもの
「リリアンヌ、不甲斐ない父を許してほしい」
国王に啖呵を切った男とは思えないほど、眉をハの字にして、ハリウスは娘を抱きしめる。
そんな父をリリアンヌは優しく抱きしめ返した。
「どうしてお父様が謝りますの? むしろこの国を離れられるなんて、清々しい気分ですわ」
「そうは言ってもな……確かに儂等が国を離れれば、国に入る税収は減るだろうが。シリウスやロゼリアに直接被害があるわけではないしな」
リリアンヌが傷つけられたにも関わらず、彼等を罰することが出来なかったハリウスはやり切れなさに頭を垂れる。
だが、リリアンヌは微笑みを浮かべて続けた。
「私ね、お父様。恋に浮かされてハリウス商会を出て、伯爵夫人になろうとしていたでしょう? それを今更ながら後悔しておりますの」
「だって、自分が貶められることより商会に傷が付くほうが嫌なんですもの」
リリアンヌは婚約破棄された時のことを思い出す。
ーー百歩譲って、シリウスが誠意ある態度で婚約解消をして欲しいと謝ってきたなら許していただろう。女を見る目がないとは思うが、恋心を優先し、男を見る目がなかったのは自分も同じだ。
ーー千歩譲って、シリウスやロゼリアに罵倒されたとしても、婚約解消を選ぶなら、多少の嫌味でも言って終わりにしようと思っていた。
ーーだが、万歩譲っても婚約破棄は許せない。
解消ならば性格の不一致等でよくあることだが、破棄は相手が不貞や犯罪でも起こさない限りとらない手段だ。
あっという間に、リリアンヌとその背後にある商会まで醜聞に晒されるだろう。何かしら不正を起こしたと疑われれば、商会の信用問題にも関わってくる。
リリアンヌが回想にふけっていると、父であるハリウスは困った子供を見るような目で娘を見つめ、苦笑した。
「お前にハリウス商会より大事なものが出来て嬉しかったのだがな。そうだな、今はまだ儂と商会の娘でいておくれ」
そう言って優しく娘の頭を撫でたのだった。
リリアンヌはその優しい手付きに、傷つけられた心までも労られているようで嬉しかった。
そのため、彼女はいつもより少し甘えた口調で父に話しかける。
「ええ、お父様。それで私、移住するならお父様の祖国、ガドル国に行きたいんですの」
「ほぉ。それはなぜかい?」
「だってね、ガドル国は流行の最先端でしょう? 商会のためにも勉強になることも多いと思うの」
ハリウスは、含むところがありそうな娘の物言いに眉をひそめる。
「本当にそれだけかい?」
「ウフフ。私ね、シリウス様とロゼリア様への復讐のためにお化粧を勉強したいのよ。ガドル国では女性のお化粧は当たり前だと耳にしたから」
いたずらを思いついた幼子のように、リリアンヌは笑う。
「なんだって?」
「それに男性が好むドレスのセンスや、髪結いの技術も学びたいわ。今までは侍女任せだったけれど。令嬢としての基準ではなくて、あくまで男性目線に合わせた知識が欲しいのよ」
虚をつかれたような顔をするハリウス。
彼は、ようやく娘がどんな手段で復讐しようとしているかを悟った。
娘は自らを男性受けする女性に作り変え、その上でシリウスを篭絡し、ロゼリアから奪い取るつもりなのだ。
「リリアンヌ、お前はまだあの男に未練でもあるのか?」
リリアンヌは首を横に振る。
「まさか、そんな訳ありませんわ。私を好きになったシリウス様にロゼリア様を捨てさせた上で、私がコテンパンに捨ててやれば、気分が良さそうでしょう?」
「辞めなさい、リリアンヌ。危険だ」
「辞めないわ。私は商会に傷をつけた彼等を自分の手で報復しないと気が済まないのだもの。勿論、私の尊厳が損なわれるようなことはしないと約束します。お願い、お父様」
娘を溺愛しているハリウスは頭を抱えてしまう。
リリアンヌが一度決めたことは、やり通す性格だと言うのは知っている。今回の事はそれだけリリアンヌを怒らせたのだろう。
だが、父として危ない目に合わせたくはない。
「……分かった。ただし、その際には護衛を増やすぞ」
「ありがとう! お父様!」
胸に飛び込んでくる、リリアンヌの黒髪を撫でながら、自分も国王のことを言えないくらい甘い父親だな、とハリウスは遠い目をしたのだった。
こうして、婚約破棄の当日中に、ハリウス商会のガドル国への移転が発表されることとなる。
そして、その翌日には、ハリウス親子は異国の地へと旅立ったのであった。
ただし、リリアンヌはちょっとした仕掛けを残して行く。
社交に力を入れたおかげで親友となった、王太子の婚約者、ルチア公爵令嬢に小型録音機を託しておいたのである。