プロローグ
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「今日は来てくれてありがとう」
ぎこちない微笑みを浮かべる婚約者に、いつもとは違う離れのガゼボに通されたリリアンヌはモンテーニ伯爵家の庭を眺める。
伝統と歴史だけは国一番を誇る、モンテーニ家の庭園とはいえ、経済難により手入れにまで力が入っていないのだろう。
少しガゼボから離れた場所には細々とした雑草が初冬の風に揺れている。
まるで、別れの言葉に怯える今のリリアンヌのようだ。
「僕との婚約を破棄してくれないか」
ーーやはり、噂は本当だったのね。
リリアンヌは机の下で、震える右手を同じように震えている左手とギュッと握り合わせた。
精一杯の勇気を振り絞って声を出す。
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか……」
少し申し訳なさそうに、だが隠しきれない喜びに満ち溢れた顔で彼は言う。
「僕は……君よりも大切にしたい人が出来たんだ」
モンテーニ伯爵家の嫡男、シリウス伯爵令息とリリアンヌが婚約を結んだのは約半年前であった。
この婚約はリリアンヌの希望によるものである。だか、シリウスも喜んで承諾したからこその婚約であった。
リリアンヌは、初めての夜会で右も左も分からず俯いていた彼女に、優しく声をかけてくれた、金髪に青い目を持つ美貌のシリウスに一目惚れしたのだ。
リリアンヌの実家は元は平民であったが、大きな商会を持ち、国を跨ぐ数々の貿易により功績を残したことで男爵位を賜った新興貴族である。
彼女は、有り体に言うならば、国で一二を争う大金持ちのご令嬢だった。
そんなリリアンヌが望んだのは、歴史だけはあるが落ち目の伯爵家令息。
伯爵家にとっては、喉から手が出るほどありがたい婚約であった。
早くに妻を亡くし、忘れ形見である娘を溺愛していた男爵は、多大な援助と引き換えに、モンテーニ伯爵家と縁を結ぶことに決めたのだった。
シリウスも最初はリリアンヌに丁寧に接していたし、『未来の妻として君を尊重するし、好きになる努力をする』と言って、優しくしてくれていたのだ。
だが、最近では多くの男性を侍らせている一人の貧乏男爵令嬢に夢中になっており、彼女の取り巻きの一人として名前を挙げられる程、噂になっている。
「私を好きになる努力をすると仰ったではありませんか! 婚約してからたった半年でどんな努力をなさったと言うのですか……」
リリアンヌはその小さな瞳から涙が頬を伝うのを止めることが出来ず、グズグズと泣き崩れた。
「すまない……だが、恋とは努力するものではないことを僕は知ってしまったのだ。今日は彼女にも来てもらっているんだよ、ロゼリア!」
それまでリリアンヌは全く気が付かなかったが、ガボセのすぐ近くに一人の女性が立っていた。
ロゼリアと呼ばれた女性を見て、リリアンヌは驚きに目を見張った。
ロゼリアが、噂通りに派手なドレス姿で、ピンク髪にピンクの大きな瞳を持つ可愛らしい令嬢だったからではない。
彼女が薄っすらと化粧をしていたからだ。
リリアンヌ達の住まう国、モガリナ王国は別名、スッピン王国と呼ばれる程に女性がお化粧することを嫌う文化がある。
特に女性は本来の、素材の美しさが重視され化粧をするのは娼館で働く女性くらいであった。
「彼女が僕の大切な女性、ロゼリアだ」
「ねぇ、リリアンヌ様。シリウスのことは諦めて下さらない?」
ロゼリアは一本一本丁寧にマスカラが塗られた大きな目で、リリアンヌを伺うように見つめる。
眉尻をぼかしてはいるが、眉もしっかりと描かれておりロゼリアが化粧をしているのは明確だ。
リリアンヌは、なぜこんな娼婦のような女性に自分が負けたのか検討もつかなかった。
「なぜ……私ではダメなんですか」
思わずロゼリアを睨むようにリリアンヌが呟くと。
それまで穏やかに、どちらかと言えば申し訳なさそうに話していたシリウスが激高した。
「しつこいな、君は! ロゼリアを見ても分からないのかい? 僕は君みたいに地味でブスな女と結婚なんてごめんなんだよ!」
その心無い言葉にリリアンヌは固まった。
ーーシリウス様は控えめな女性が好ましいと仰ったではありませんか。
リリアンヌは自分の容姿が人目をひくものではないことを知っていた。
肌だけはいつも綺麗だと言われたが、目も鼻も口も全てが小さいし、黒目黒髪で華やかさに欠けることはリリアンヌ自身が一番よく分かっている。
だからこそ、いつも綺麗な色のドレスを着るようにしていた。
だが婚約後は、シリウスに『次期伯爵夫人として控えめな女性が好ましい』と言われたため、ドレスも宝飾品も地味にしてきたと言うのに。
それにしても、顔立ちは平均的な部類だと思っていたのに、ブスだと思われていたなんて。
あんまりだ。
ロゼリアも愉悦に目を光らせながら自慢気に言う。
「リリアンヌ様。シリウスは私のように何もしなくても綺麗な女性が好きなんですよ」
ロゼリアが胸を張って言う。
リリアンヌは何を言われているのか、さっぱり分からなかった。
ロゼリアは明らかに化粧をしているではないか。
まさか、シリウスや彼女に夢中の男性は分からないのだろうか。
ーーもう、いい。こんな人達と関わりたくない。
「では、シリウス様から婚約解消を申し出て下さいませ」
「分からない人だなぁ。君の実家から援助を受けている以上、僕から解消なんて出来ないだろう。それに君から解消だ言っても、話し合いが必要になる。僕の両親が反対するに決まってるじゃないか」
ーーつまり、何がどう転んでも私と結婚せずに済むように婚約破棄なんですわね。
ーーええ、よく分かりましてよ。
婚約破棄なんてスキャンダル、私がどんな醜聞にさらされても関係ない、と。
ーーそして、私のスキャンダルは引いては我がハリウス商会のスキャンダル。私、商会に弓引く相手は絶対に許しませんの。
……それにやっぱり地味ブスだと言われたことも、腹が立っていますわ。
シリウスは、恐らく伯爵家の許可は取らずに持ち出したであろう婚約誓書を破り捨てる。
リリアンヌは、ハラハラと散る紙吹雪に、崩れ去るように散る恋心を重ねた。
同時に、胸に誓う。
ーー私を裏切り、誠意の欠片もないシリウスと多くの男性を侍らせている尻軽女、ロゼリアをどんな手を使ってでも必ず地獄に落としてやる、と。
リリアンヌはその外見から大人しく、人畜無害のように思われやすいが、中身は大商会の娘らしく敵認定した人間を決して許さない。
誰にでも優しい人間がトップに立った組織など、どれ程大きくても三日と立たずに潰れてしまうのだから。
「承りましたわ。ロゼリア様を選ぶなんてシリウス様は私が思っていたより、随分とオツムが悪いようです。そんな方との婚約等、こちらこそ御免被りますわ」
リリアンヌはわざとらしく鼻で笑ってみせた。
彼女は念の為に袖口に隠し持って来ていた、まだこの国には入って来ていない小型録音機のスイッチを入れる。
「な、リリアンヌ! やはり婚約破棄して正解だな! この地味ブス女! ロゼリアに嫉妬したからと言って性格まで醜いのだな!」
「ほんと! シリウス様の仰る通りだわ。これだから地味ブスは嫌だわ〜〜」
案の定、二人はさらなる暴言を吐いてくる。
これで証拠はとれた。
もうこの二人に用はない。
リリアンヌはそっとスイッチを切る。
「さっきから地味ブス、地味ブスと。辞めて下さいませ。シリウス様の好みではないことは分かりましたけど。私を相手にスキャンダルを起こそうというのですもの。覚悟は出来ていて?」
「私とハリウス商会を敵に回したこと、必ず後悔させて差し上げますわ」
リリアンヌは優雅に踵を返すと、伯爵家を後にしたのだった。
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