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「先生、今日はありがとうございました」

「お疲れ様、おふたりとも。道中、気をつけてお帰り」

「はい、行きましょ、柑奈さん」

「ええ」

お茶のお稽古の帰り道、私と友人の小菜津さんは連れだって歩き始めた。小菜津さんは武家の娘さんだけど、私の祖父と小菜津さんの父親が顔なじみの上、年齢が近いこともあって、幼い頃から一緒に遊ぶことが多かった。

「今日のお稽古、いつも以上に厳しかったと思いませんこと?」

「そうね……でも……小菜津さんは、先生に褒められていらっしゃったわね? 『これでもうどこにお嫁に出しても恥ずかしくありませんね』って」

「やだもう……柑奈さんったら……そういう柑奈さんこそ……いつもにぎやかで、わたくしもいっしょにいて楽しくなりますわ」

「粗忽者なだけですけれどね、でも私も小菜津さんと一緒に過ごすのとても楽しいの。そうだ、ねえ、新しくできた甘味屋さんに寄っていかない?」

「ごめんなさいね。今日はやめておきます。また今度ね。……それよりも柑奈さん、今度の日曜のお約束、覚えていらっしゃるわよね」

「今度の日曜……何かありましたっけ?」

子々丸 新之丞ねねまるしんのじょうさんのお芝居ですよ」

「……そうでした。この前頭を打った後遺症かしら、時々思い違いをしてしまいますの」

「まあ、怖い……何かが飛んできたんですって?」

「ええ、私自身は覚えていないんですけれど、うちの者たちが言うには招き猫が一匹どこからともなく飛んできたって……」

「そっそんなことってあるのですね……」

小菜津さんは明らかに、吹き出すまいと必死の有様だ。

「……と、とにかく……忘れないで下さいましね。わたくし、指折り数えて楽しみにしておりますの。柑奈さんのお家までお迎えに行きましてよ」

「私も楽しみですわ。噂によると、新之丞様はご贔屓のお客様には、家まで行って唄や舞いを披露してくださるそうですわね。ああ、うらやましい」





「お帰りなさい! お嬢さん」

「お帰りなさいませ」

私の家は扇屋あげはを営んでいる。扇子を中心に、身の回りのこまごました装飾品を扱っている。

「そうだ、小菜津さん、(ひさ)さんのかんざし、見ていきますでしょ? 昨日新しいのが入ったばかりなの」

久さんという飾り職人があげはと専属契約をしていて、自分の作品をあげはの一角で売っている。比較的廉価なかんざしや帯留めも置いているが、特に久さん考案の一点ものは、財力のある趣味人たちに大変好評だ。それは装飾品だったり、奇術道具のようなものだったりと様々だ。その発想には毎回度肝を抜かれるが、私自身はいつも見せてもらうのが楽しみだった。

「あ、お嬢さんお帰りなさい」

「久さん、新しいかんざし、評判いいみたいですね」

「おそれいりやす」

「……他のも……あるんでしょ」

「お嬢さんにはかないませんな。ようござんす。後でお見せしますよ」

「どのようなものなの? 大体でいいから先に教えて」

「今回は扇子のように見えるが扇子でない。開くと円形に広がってちょっとした仕掛けで回転するんでさ。その回る勢いで向こうから飛んでくる石つぶてがはじき返されるんです。『晴明の空に散れ』とでも名付けましょうか……」






 近所の神社の境内には、大きな銀杏の木が植わっている。広く伸ばした枝葉は、人々の憩いの場となり、時には逢い引きの目印になる。そして……今は子供たちの遊び場になっていた。

「おい! ここ見ろよ!」

「何かが埋まっている?」

「おっおっおっ! もしかしてお宝発見か?」

「早く開けてみようよ」

「なあな、何が入ってた?」

どこかの家の図面が入っていた。図面の一カ所に朱で大きくばつ印が入れてある。

「おおおぅ!」

子供たちはどよめいた。この地域に言い伝えられている盗賊『霧の丑之助(きりのうしのすけ)』が残したお宝のありかかもしれないと、大いに盛り上がったのだ。子供たちのうち、いつも先頭に立って皆を引っ張っている少年、寅三(とらぞう)が代表してこの宝箱を自宅へ持ち帰ることに、全会一致で決定した。もうじき夕餉の時刻。子供たちは家に帰らねばならない。明日またここに集まって、箱の中身を吟味しよう……そう誓い合って、子供たちは三々五々家路についた。





「橘様! 橘様はおられますか?」

「どうした、清見。騒がしいぞ。鬼でも出たか?」

「おお、そこにおられましたか。ある意味、鬼のようなものです。また盗みです。今度は紙問屋卯六(うろく)だそうで……」

「店の奉公人および周辺の家々に聞き込みに行かせろ。どんなことでもかまわん、いつもと変わったことがなかったかを調べるんだ」

「はっ!」

「清見、それからな……今年になってから大店がやられたのはこれで3件目だ……いずれも似たような手口でな。強引に押し入った形跡もなければ人死にも出ていない。まるで邸内の様子をよく見知った人間が一味にいるかのように……。貴重な品が置いてあるところへまっすぐ向かっているんだ。今回も同じ犯人かどうか、よぉく観察してこい」

「はっ、承知しました」







「では、ご主人、これまでの出来事を整理いたしましょう。蔵にしまってあった貴重な品がごっそりと消えているのに、今日まで気がつかなかった……と」

「へえ」

「賊に入られた痕跡はなかったのですね? どこかが破壊されていたなど……」

「そうですよ、お役人さん。だから蔵の掃除をするために中に入らなければ、盗まれたことにはずっと気づかないままだったでしょうよ」

「……見慣れない人物をこのあたりで目撃されたとか……あるいはここ最近雇った奉公人……などはいませんか?」

「……そんな……彼女が……」

「誰かいなさるんですね」

「……三ヶ月程前にお銀という者を雇いました。ですが、西の方の大店で働いていたそうで……紹介状も持っていましたし……」

「そのお銀さんは今どこに?」

「……先月辞めていきました」

「どこへ行くか言っていましたか?」

「昔の知り合いがこの町に来ているから、一緒に商売を始めると言っていましたが……」

店の主人はがっくりと方を落とした。

「お銀が……盗賊の一味だと?」

「その可能性はあります」

「そんな……新之丞さんもよくほめて下さったほどの、気働きのできる女でしたが……」

「新之丞さん?」

「新之丞さん、ほらあの、子々丸新之丞さん、役者さんですよ。女形もこなすほどの美貌と、辰見流剣術たつみりゅうけんじゅつの冴えた腕前で近頃大層人気なんですよ。我が家でもやっと新之丞さんをお招きすることができましてね……」

「我が家……でも?」

「へえ、ここらの商店の主人たちの間で、新之丞さんを家に呼んでおもてなしするのがはやっているんです。お隣の巳羽屋(みぶや)さんに先を越されましてね、ずいぶんと悔しい思いもしましたが、先月、家でもとうとうご招待させていただきまして、宴には奉公人たちも参加して……ええ、私はうちで働いている者達を閉め出したりなんぞしません……大変盛り上がったんですよ」

「その……新之丞さんとお銀さんが元々顔なじみだった可能性は?」

「ないと思いますね。特に親しくしているそぶりも見かけませんでした」

「そうですか。おい! あげはまで行って丈吉さんを呼んでこい」

部下にそう言いつけると、清見は店の主人に向き合った。

「お銀さんの人相書きを作りますから、協力して下さい。今、絵描きを呼びにやりましたから」







 あげはの店頭で樹太郎が客の相手をしていると、何か気がかりな様子の南町与力橘 文三重衛たちばなぶんぞうしげもりがやって来た。

「おや、橘様……どうなすったんで? ため息なんぞ、あなたらしくもない」

「樹太郎さん……今回の騒動、なかなか骨が折れてな」

「連続盗難事件ですか? また起きたんだそうで……ほぼ一月おきに起こっていますね。うちの丈吉が似顔絵描きで呼ばれて、いろいろ聞いてきたんでさ」

「だったら話が早い。またいつものように助力を頼みますよ」

「ここではなんです。中へどうぞ。……で……どこから手を付けましょう」

「被害にあった店の主人の話には、共通点が二つほどあった。ひとつは、新しく雇った女の存在だ。大抵一ヶ月から二ヶ月ほど働いては事件が発覚する前に行方をくらましている。被害に遭った店で似顔絵を見てもらったが、どうやら同じ女のようだ。今回の卯六では、お銀と言う名だったそうだが、他ではお初だのお梅だのの名を使っていた。まあ、全部偽名だろう。もう一つの共通点は、子々丸新之丞だ」

「今、大人気だそうですね。うちの柑奈も橘様のとこの小菜津お嬢さんと見に行くんだそうで……」

「ああ、そうだってな。いまいましい。あの男は……よくない。だが、娘に忠告したところで、『殿方の嫉妬は見苦しいですわ』と言われる始末だ。今まで盗難被害にあった家は、全て彼を招いて宴会を開いていた。然しながら、招いた家全てが盗みに入られたわけではないんだ。現時点で彼が事件に直接関係したとは断言できない、だが、奴さんがこのあたりをうろうろし出した途端に、一連の事件が始まったんでな。樹太郎さん、あんたに頼みたいのは、新之丞の周辺を洗うことだ。手始めに役者仲間に話しを聞いてみてくれ」

「お安い御用でさ。あっしらにおまかせを」

「いつも悪いね」

 橘を見送って店先へ戻ると、丈吉が呼び止めた。

「旦那、ちょいといいですかい?」

「どうした? 丈吉」

「この……およねさんのとこの寅ちゃんが……」

「樹太郎さん……どうか、うちの息子を捜してくれ」

「どうした? 帰ってこないのかい? いつからだい?」

「昨日から。神社の境内で友だちと別れてからどこかへ行っちまった。その子たちの話じゃ、夕餉の時刻に間に合うように帰ったそうだ。長屋の連中も一緒に捜してくれたんだが、見つからなかった……。うちのは人足の仕事で遠出していて当分帰ってこない……このまま寅がいなくなったら……わしゃどうしたらいいんだよ……」

およねさんはその場でオロオロと泣き崩れた。

「樹太郎さん、わしらからも頼みます」

「樹太郎さん、寅を捜してやってくれ」

「……おじいちゃん、私に寅ちゃんを捜すお手伝いをさせていただけない?」

「柑奈? お前が……か?」

「ええ、なぜだか私、この事件を私が調べるべきなんじゃないかと思いますの。それに、子供たちに話を聞くなら、男の方より、私の方が適任かと……」

「それはそうだが……しかし、ひとりでやらせるわけには……」

そのとき、人混みをかきわけて進み出てきた女がいた。

「お嬢さんの付き添いなら、私に任せておくんなさい」

「あなたは?」

「確か、瓦版屋の……お(りん)さんと言ったな。瓦版の仕事の方はいいのかい?」

「かまいませんとも。男の子を捜すついでに事件の取材もちょちょいとすませて……一石二鳥です。お嬢さん、よろしくお願いしますね」






「ここでその箱を見つけたのね」

「うん、そうだよ」

「おいらたち、ついに見つけたのさ。丑之助の埋蔵金のありかを!」

子供たちは我先にと、自分たちが目撃したことを教えてくれた。

「丑之助って?」

「おそらく霧の丑之助のことですよ、お嬢さん。そうだよね?」

「うん。お姉ちゃん丑之助、知らないの?丑之助はね、悪い金持ちをこらしめておいらたちみたいな普通の人たちを助けた伝説の男なんだ」

「そうなんだ……箱の中身は、一体なんだったの?」

「ん……っとね……何か四角い線がいっぱい……」

「おいら知ってるよ、間取りっていうんだ。おいらの父ちゃん、大工だから……見方を教えてもらったことがあるんだ」

「……そう……どこの家の間取りだったか……」

「そんなの知らないよ。部屋の一つに朱で『ばってん』がつけてあった。きっとそこに財宝が隠してあるんだよ」

「わたし、見たよ。『駿河屋(するがや)』って書いてあった」

「うそつけ、お前にそんな難しい字読めるのかよ」

「うそじゃないもん……本当に読めたんだもん……」

「そっか……教えてくれてありがとね」

その子が泣き出さないうちに慌てて言った。

「お嬢さん、駿河屋と言えば……」

「知っているわ。うちとも取引がある呉服屋のことよね。ねえ、あなたたち、その箱が埋まっていたのは、どのあたり?」

箱が埋められていた大銀杏の根元は、何度も掘り返されたらしく、土が軟らかくなっていた。箱を捜している人物が子供たちの他にもいたようだ。






 同じ頃、樹太郎は丈吉を伴って新之丞の役者仲間に話しを聞きにきていた。

「新之丞さんというお人は、ここではどれくらい働いているんだい?」

「さあ……いつからだったかねぇ」

「たしかほら、正午郎(しょうごろう)さんが大怪我した翌日……」

「……そうだ……一年ほど前だったか……」

「正午郎さんというのは?」

「新之丞さんが来る前にここの小屋の二枚目をやってなさった人でさぁ。あん時は確か……酒に酔って大乱闘したとかで……」

「あっしら、真夏に降る雪くらい、珍しいことがあるもんだと話してたんだよ」

「正午郎さんというのは、酒を飲んで暴れるような人ではなかった……と?」

「へぇ、わたしらが知る限りでは、どんなに飲んでも毛筋一本も乱れることはなかったです」

「……あっ、座長!」

「お前さんがここの責任者かい? 新之丞さんについていろいろと教えてもらっていたところだ」

「お前さんたち……余計なおしゃべりはそれくらいにして、さっさと午後の舞台の準備をしてこい。……新のやつが何かしでかしましたかい?」

「いや……なかなか興味深い若者ですな。新之丞さんがここで雇われたきっかけを聞いていただけですよ」

「ある日突然やって来て、ここで雇ってほしいと言ってきたんです。役者と剣術の経験があると言っていました。ちょうどひとり、大怪我をして舞台に出られなくなったばかりだったので、渡りに舟とばかりに雇ったんです」

「ずいぶんと都合よく代わりの役者が現れたもんだ」

「へぇ、今思えば……おかしな話かもしれません。ですが、伊達男にもたおやかな美女にもなりきれる役者です。あれよあれよという間に人気者になって、雇ったきっかけなんてどうでもよくなりましたんでさぁ」

「座長さんも助かったでしょう。風の噂に聞きましたよ。新之丞さんが来る前は、小屋をたたむ寸前だったって」

「……お客さんに楽しんでいただくのが第一です」

「新之丞さんにも直接話を聞きたいのだがね、今どこに?」

「それならもうじき……ああ、やって来た」





「おまえさん、ここでの仕事の他にお客の家まで出向いて芸を披露しているそうだね。結構な実入りになっているんだろ?」

「ええ、おかげさまで。あたしの芸が好きだっておっしゃる方がいなさるところへは、どこだろうと参りますよ」

「そうかい……ここ最近盗難事件にあっている商店が、お前さんの訪問先ばかりというのは知っているかい?」

「……いえ、全く気づきませんでした。……もしかして旦那、あたしを疑っていなさる?」

「話を聞きに来ただけだよ。何かの争いごとに巻きこまれたり、怪しい人物を見かけたりといったことはなかったかい?」

「あたしを誰だとお思いで? 泣く子も黙る看板役者 子々丸新之丞でさぁ。いつもあたしの周りには誰かしらがおりますし、あたしをめぐって女達が争いあっているなんて日常茶飯事だ」

「うぐぅ……そうかい、それは難儀なことだね。では、この女に見覚えがないか?」

そう言うと懐から丈吉の描いた人相書きを出して見せた。

「いや……あたしのとりまきにはいやしませんぜ。これは誰なんです?」

「知らないのならそれでいい」

「事件に関係のある女……なんですね。やっぱりあたしを怪しんでいなさるんで? ここいらで新顔はあたしだけだからですかい? わかってます、わかっていますよ、新参者がこういう憂き目に会うっちゅうことは……」

「そうじゃない。必要な情報を集めているだけだ」

「それで……真っ先に容疑者扱いだ……流れ者になっても必死で生き延びて……やっとここの座長に拾われて……これからっちゅう時に……ぐすっ……」

「旦那、もういいでしょう? 新のやつは悪さできるような性分じゃない、それに見ての通り、どこにいても目立つ男ですからね。闇に紛れて盗賊のまねごとなんぞ不可能でしょう?」

「わかった、わかった……騒がせて悪かったな」

芝居小屋を出て充分離れたところまでくると、それまで押し黙っていた丈吉が口を開いた。

「ねぇ、旦那……あの野郎……」

「ああ、わかっとる。自分は悪くないと必死すぎて、かえって何か隠しているように見えるな。丈吉、あの男の後をつけてみてくれ」






「おお、柑奈、帰っておったか。寅ちゃんの行方はつかめたか?」

「それが……」

子供たちの話を伝えた。神社の大銀杏の根元で掘り当てた箱に、『駿河屋』と書かれた図面が入っていたこと。寅ちゃんはそれを持って家路についたこと。翌日また集まって、その箱の中身について語り合う予定だったこと。箱が埋めてあった地面は、何度も掘り返して柔らかくなっていたことも伝えた。

「おじいちゃん、寅ちゃんが遭ったのは神隠しなんかじゃなく……」

「ああ、人間に拐かされたんじゃろう。ひょっとしたら……ひょっとするぞ、柑奈。連続強盗事件と関係があるやもしれん」

「箱を使って盗賊仲間と連絡を取り合っているのね」

「そうじゃ。よく気づいたな。きっと子供達が箱を掘り出したところを仲間のひとりが見ていたのだろう」

「だから箱を持ち帰ろうとした寅ちゃんをさらった……」

「あとは犯人たちの根城がわかれば……な」

そこへ丈吉さんが戻ってきた。蜘蛛の巣やほこりを体のあちこちにつけたままで。

「庭から失礼しますよ。だいぶ汚れちまったもんで」

「丈吉、ご苦労だったな。何かわかったか?」

「へぇ、あっしは芝居小屋から数人の女どもとじゃれ合いながら出てきたあの男を追いました。大通りを抜けたすぐのところで女どもとは別れて、ひとりで自宅に入っていきました。近所の連中の話では、誰かが訪ねてきたことは一度もないそうで。半時ほど後に、目立たない着物に着替えて出てきました。今度はすごく周囲を気にして、海岸そばの漁師小屋へ入っていきました。小屋へ入る前にぐるっとあたりを見渡していましたから、あっしはあわてて打ち捨てられた小舟の残骸に身を隠す始末です」

「その漁師小屋は……誰かが住んでいる小屋かい?」

「いえ、長年雨風にさらされて修繕した跡もなく、窓ははずれているわ、板壁ははがれおちているわで、とてもじゃないが人が暮らせる状態じゃありゃしません。ですが、今日は新之丞の他に2,3人男の声が聞こえました」

「丈吉さんが追跡した男って、新之丞さんだったの?」

「柑奈、その話は後でしよう。丈吉、続けてくれ」

「中の話し声をよく聞くために、あっしはさらに漁師小屋のそばの薪小屋に移動しました。長いことつかわれていなかったせいで、ほこりまみれの蜘蛛の巣だらけで……くしゃみをこらえるのに必死でした。そこへひとりの女がやってきたんです。その顔を見て、あっしはもう少しであっと声を上げちまうところでしたよ。……人相書きの女、その人がそこにいたんでさ」

「やはり、仲間だったんだな」

「女が酒と食料を持ってきたらしく、しばらく宴会が続きました。新之丞は仲間達から『目利きの新佐』と呼ばれてました」

「組織的に窃盗を繰り返していると見て、間違いはないだろうな」

「しばらくして女と新之丞はそれぞれ別々に帰っていきました。残った奴らが静かになったんで、壊れた窓から中を覗いたんでさぁ。酔い潰れて寝ちまったようで、その中にひとつだけちっこい体……たぶん子供がいました。中へ入ろうとしたんですが、ひとり、目を醒ました者がいましてね、あっしは這々の体で逃げ出したというわけでさ」

「それが寅ちゃんだったかも……」

「うむ、橘様に報告しておこう。丈吉、ご苦労だったな。汚れを落として今日はゆっくり休め」






「いらっしゃいませ、そちらのお嬢様。新作の反物が入りましたよ。ぜひご覧になっていって下さい。」

次の日、祖父と私は駿河屋(するがや)を訪問した。到着したとたん、なじみのない店員に声をかけられた。主の光茂(みつしげ)さんも店頭にいた。

「お邪魔してるよ、光茂さん」

「おお、樹太郎さんか、久しぶりだね。そちらのお嬢さんは……柑奈ちゃんかい? どちらのお姫さんかと思ったよ」

「おじさん、褒めてもなにも出ませんよ」

「光茂さん、今日は仕事で来たんだよ」

「おきぬ、こちらのおふたりは私がお相手するからいいよ。他のお客様の相手をなさい」

光茂さんがそう言うと、先ほどの見慣れぬ店員は他の客の方へと歩み去った。なんとなく人相書きの女性に似ていたような気もするが……ほくろとか傷とかもっと印象に残る特徴があるといいのに。昨日、祖父から連続盗難事件について詳しく聞いて、人相書きも見せてもらった。それ以降、周囲を歩く人物の顔を過剰に気にするようになってしまった。寅ちゃん誘拐事件にも関係しているかもしれないのだから、無理もない。

「新人さんかい? おきぬさんっていうのか」

「ええ、先月から入ったんです。働き者でね。とても助かっていますよ」

「へえ、そうかい」

「あっ、樹太郎さん、引き抜きは辞めて下さいよ」

「いやいや、そんな無粋な真似はせんよ」

新しい奉公人……か。連続盗難事件の共通点その一を達成してしまいましたね、駿河屋さん。

「今日はずいぶんと人の出入りが多いね……討ち入りかい?」

「ご冗談を。今夜、あるお人を招いて酒の席を設けたんで、その準備ですよ。そうだ、よかったら樹太郎さんも来なさるかい?」

「どこのお大尽をお呼びしたのか聞いてもいいかい?」

「今をときめく子々丸新之丞さんだ。樹太郎さんも知っていなさるだろ?」

共通点その二も、見事に達成しました。

「新之丞さんか……わしも色男の顔を拝んでみたいものだな。時に、光茂さん、今日時間をとってわしの店まで来てくれぬか。ここでは、話しづらいことでな」

「では後ほど」






「さあ、こっちだ……この家の者は寝ちまっている、が、もの音の一つも立てるんじゃないよ」

おきぬが通用口を開けて男たちを屋敷に招き入れた。

「なあ、新さんは?」

「お宝部屋の前で待っていなさる。急ぐんだよ」

屋敷の一番奥の部屋の前で、新之丞が待っていた。

「ここだ」

木製の引き戸に鍵がついている。

仲間の一人が進み出て道具を取り出した。音を立てないよう注意を払いながら鍵を外した。部屋の中は駿河屋の主人が趣味で買いそろえた掛け軸や茶器であふれかえっていた。

「この家、呉服屋だろ? お値打ちもんの反物もあるんじゃないのか?」

「店の商品は、こことは別な場所にある。それに商品に手をつけたりしたら、賊が押し入ったことにすぐ気づかれちまうじゃないか。欲張るんじゃないよ」

「あたしが事前にどれをいただくか決めておいた。それだけいただいてずらかるんだ。発覚が遅れれば、それだけ逃げのびる時間も稼げるってもんだ。さあ始めな」と、新之丞が言うと、まるで合図を待っていたかのように天井からスルスル、ガッチャンと音を立てて鋼の格子戸が落下してきた。部屋の外に一人残ったおきぬは、あせって格子戸をつかんで揺らしてみたが、びくともしない。おきぬは早々にあきらめて、その場から逃げ出した。

 一方の、部屋の中に閉じ込められた新之丞と仲間たちは、壁を破壊しようとしたり、床をはがして出口をつくろうとしていた。格子戸の外へ人影が差したのを見て、新之丞は安堵した。

「よう、お前さん戻ってきたのかい? 他に出口はあったか?」

「あいにくと、お前達の出口は監獄の入り口へ続いているんでな」

「……うげっ……お役人……」

そこに立っていたのは、おきぬではなく、橘文三重衛とその部下たちだった。

「これなるは南町与力 橘文三重衛たちばなぶんぞうしげもりである。子々丸新之丞およびその一味、強盗4件および強盗未遂の咎で拘束する。神妙に縛につけ!」






 駿河屋から飛び出したおきぬは、溜まり場だった漁師小屋へと急いだ。仲間たちはつかまるだろう。これであの小屋に隠してある財宝をひとりじめできる。前のりで店に雇われて、疑われないために事件後もしばらく働いてからひきあげるという、一番危険な役割を果たしてきたんだ、これくらいもらってもバチは当たらないだろうよ。それに、あの子……どうにかして家に帰さないと……。人殺しだけはしないとこの仕事を始めたときに心に誓ったんだ。いろいろな思いをめぐらせながら夜の町をひた走った。追いかけてくる人物には気づきもせずに。

 駿河屋の前で待機していた丈吉は、女を追った。途中で行き先が漁師小屋だと見極めると、近くにいた男に使いを頼んだ。漁師小屋に到着すると、先日使用した壊れた窓から中の様子を見張った。女はいろいろな場所に隠してあった小袋を持てるだけ懐にしまい込んでいた。次に、すやすや寝ている囚われの寅三をたたき起こした。

「さあ、お家に帰るよ」

「お家って……おいらんちか?」

「他にどこがあるってのさ。早く支度なさい」

やがて丈吉の連絡を受けた清見がやってきた。

「そこの女、子どもを放してこっちへ来るんだ。おとなしく従った方がいいぞ。お仲間はみんなつかまった。お前さんたちが何をやったか、こちらはすっかり解っているんだ。」

「何のことです? わたしは今日、ずっとこの子とここにいたんですよ」

「駿河屋にいただろ?」

「証拠でもあるんですか?」

「手を見せてみな」

丈吉が言った。女の手のひらは染料で真っ青に染まっていた。

「この染料はな、南蛮渡来の貴重な染料なんだ。ちょっとやそっとじゃ落ちないようにできている。このあっしが自ら駿河屋の格子戸に塗っておいたんだ。その手の染みが、お前さんがあの場にいた証拠だ」

こうして、子々丸新之丞とおきぬ、それから盗賊団の仲間たちは、全員捕縛、寅三少年は無事に保護された。これにて一件落着!





「号外! 号外! 世間を揺るがす大騒動、連続強盗事件の顛末だよ。とある子どもの神隠し、関与があったと暴かれた、神をも恐れぬ大悪党。その人の名は……皆が知ってるあの人だ。夜闇に隠れて欺くも、おてんと様にはお見通し。……お嬢さん、一部いかがです?」

お稽古事の帰り道、お鈴さんの威勢のよいかけ声にのせられて、思わず受け取った。一緒にいた小菜津さんに事件のあらましを説明した。

「新之丞様が盗賊の一味だったなんて、私まだ信じられませんわ」

「ご自分が人気者で目立つのを逆手に取ったのでしょう。簡単によそのお家に入り込めるんですもの。宴会の客として招いた人物がまさか盗賊だなんて誰も思わないでしょ」

「おきぬさん……でしたっけ……彼女はどんな役割ですの?」

「前もって商店に奉公人として入り込んで、内部の情報を集めるんですって」

「おお怖い。私だったらそんな役割とても務まらないわ。仲間への連絡手段が、神社の大銀杏の根元に埋めた箱だったのですね」

「ええ、運悪く寅ちゃんたちが掘り当ててしまいましたけれどね」

「駿河屋さんの格子扉とか特別な染料などどうやって仕掛けましたの?」

「駿河屋さんが狙われているってわかった時点で、おじいちゃんが一計を案じたの。天井からおちてくる格子戸は久さんがうちの店用に作っていたのを大急ぎで移設したのよ。南蛮渡来の落ちにくい染料は、丈吉さんが扇の絵を描く用途でいろいろ集めていた染料の中にあったのですって」

「それで……駿河屋さんの家のお宝って何でしたの?」

「掛け軸や器もあったのですけど、中でも最も重要なのは……招き猫の置物なの。商売繁盛を願って、創業以来毎年新しいのを買い足していったからそれはそれは膨大な数で……」

会話するのに夢中になっていて、前方の人混みが騒がしくなったのに気づくのに遅れた。

「どけどけ! 暴れ牛だ!」

「逃げろ!」

あっと気がつくと、荷車を牽く鼻息荒い牛がすぐ目の前に迫っていた。

「柑奈さん!」

「お嬢さん、危ない!」

私自身は叫ぶ暇もなく宙を舞った。……でも、あれ? ……これ、前にも似たような経験があるような……。そう思いながら私は重くなったまぶたをそのまま閉じた。






「柑奈! おお、目が覚めたか!」

目をあけると蛍光灯がこうこうと光る天井が真っ先に見えた。

「……じいちゃん、私……」

「自動車に追突されてな、なかなか目を覚まさないから、じいちゃん心配したぞ」

病室には小菜津ちゃんと青島さん、万田さんもやって来ていた。青島さんは枕元のテーブルにおいた招き猫をポンポン叩いている。

「青島さん……それは?」

「これ? デ=コポン捜査官がクニへ持って帰るっていってたんだけどね、みかんちゃんの事故のニュースを聞いてこれを僕の代わりに置いて下さいって渡されたの。幸運のお守りにって……」

「ねえねえ、みかん、意識がない時って何か夢を見たりするの?」と小菜津ちゃんがたずねた。

「うん……夢っていえるのかな……かなりリアルだったけど。江戸時代で生活していてね、ある事件が起きて……私ちょっとだけ活躍したんだ。小菜津ちゃんも出てきたよ」

「えっへぇぇ……」

「ワタシは? ワタシと万田ちゃんは?」

「青島さんは似顔絵描きの丈吉さんで、万田さんは……たぶん、瓦版屋のお鈴さんがそうだと思う。Qは飾り職人の久さんで……」

「じいちゃんは? じいちゃんは出てこなかったかね?」

「じいちゃんは、あの世界でもじいちゃんだった」

「そうかそうか、俺はいつも完璧なじいちゃんだからな」


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