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3 ゆずれないもの

「そうちゃん、待ってよ。置いてかないでよ、そうちゃん」

「お? たっくん、もしかしてビビってんの?」

「ちがうよ、はぐれると危険でしょ。……さっきから何を書いているの?」

「これは……いざという時のためにな、逃走用のルートを覚えておこうと……」

「そうなの? さっすが、そうちゃん。でもいざという時って? どんな目に遭うっていうのさ」

「……そう思うだろ? 出るんだってよ……アレが……」

「アレ?」

「ネットで話題になってるんだ。見たことないか? 『カイキスポット案内』ってやつ」

「……知らない。……先に教えておいてよ」

「先に言ったら、お前絶対に一緒に来なかったろ? ゆうが張り切ってんだよ。僕たち三人で謎の美少女を見つけて動画撮影するんだって」

「美少女って……ここ、空き家だって言ってなかった?」

「だから、美少女の幽霊だってば。四つの赤い瞳を持つ獣を連れているんだってさ」

「いやだよ、ボク。もう帰ろ。ゆうくんを探してさ。……どこ行ったの?」

「へ? 僕らの前を走って行って……あれ……どこ? ゆう!」

「ゆうくん!」

ふたり揃ってもうひとりの友人の名を叫んでいると、不思議となんだか楽しい気持ちになってきた。この現象は『お化け屋敷ハイ』とでも言うのだろうか。

 そこへ、前方の暗がりから飛び出してきた人物がいた。ゆうくんだった。膝小僧のあたりに血がにじんでいるのが見て取れる。

「……お前ら……」

「ゆう!」

「ゆうくん……けがしてるの? どうしよう、そうちゃん……」

「ゆう、歩けるか?」

「転んですりむいただけだ。ここから逃げるぞ、何かが追いかけてきた」

ゆうくんの言葉通りに軽い足音がトコトコと走ってくるのが聞こえた。

「……うっぐ……走れ、そう、たく。玄関まで全力疾走だ!」

 暗闇の中、闇雲に走った三人は、やがて大階段の下に出た。この先に三人が忍び込んだ玄関がある。玄関を出たところで、先頭を走っていたゆうくんが、ホッとしたように二人に向かって笑いかけた。が、瞬時にその笑顔は凍り付いた。三人の頭上後方、玄関の上部のバルコニーに小さな人影が立っていた。その傍らには四つの赤い瞳が獰猛に光っている。ちょうどその時、雲を押しのけ天から差し込んだ月光が、バルコニーを照らし出した。今宵は満月。幻想的な光景の中で、三人は呪文を掛けられたかのようにその場から動けなくなってしまっていた。

 バルコニーの小さな人影は、6歳ぐらいの少女だった。丁寧に手入れされた長い黒髪。大きな黒曜石のような瞳が侵入者たちを射抜くように見つめている。ふっくらとした小さな口が、モノ問たげに歪んでいた。少女がまとっている衣服は、三人の少年たちには想像もつかぬほどの複雑な工程で仕立てられたものだ。細い喉元からボディにかけて寄り添う沢山の襞。ふんだんに重ねられたレースとフリルがすそに向かって大きく波打っている。肘のあたりからゆったりと広がる袖の先からは、しっかりと握りしめた小さな拳が見え隠れしている。上質な素材で厳重に守られた少女に、護衛のように寄り添っていた四つの赤い瞳が、小さくうなり声をあげたかと思うと、玄関先で怯えている侵入者たちに飛びかかろうとした。

「レオ、ジン、待て!」

立ちすくんでいた三人は、ある者は目を覆い、ある者は耳を塞ぎ、ある者は精一杯の悲鳴をあげ……と、思い思いの形で身を守ろうとしていた。ちょうどその時、三人に向かってさらにまぶしい光が当てられた。懐中電灯とモップを携えた女性が、仁王像のような形相で三人の前に立ちはだかっていたのだ。根が生えてしまったかのように動けなくなっている三人を監視しながら、彼女はバルコニー上の少女に向かって叫んだ。

「ご無事ですか? お嬢様!」

「うん、大丈夫。警察を呼んでくださる? 柑奈さん」






<三日前 小料理屋『不知火』>

「柑奈さん、甘夏島事件の時は大活躍だったそうじゃないですか」

清見刑事にそう言われた。悪い気はしないけど。

「散々な目に遭いましたよ」

「紅面多院花音さんが助けてくれたんでしょ? ドラマみたいじゃない?」

青島さんがお品書きを吟味しながら口を挟んできた。

「おかげさまで助かりましたよ。……嫌な出会いもあったけど」

思い出したら気分が悪くなってきたので、手にしていた水のグラスを一気に飲み干した。

「何があったんです?」

「パーティでね、たまたま隣にいた男性に腕がぶつかっちゃったんです」

「あら、素敵な出会いの予感!」

「普通ならね。ところがそうじゃないんですよ、青島さん。すぐに謝ったのに、私のことを猿だのなんだのって罵って、ほんっとに嫌な奴だったんですよ。これっくらいの小さな出来事を大袈裟に言いふらして、被害者ポジションを死守したがるヤツっているでしょ。それですよ、それ。確か間尼とかいったかなその男。なんかの会社の社長だって」

「もしかして間尼怜斗!」

 この時、ちょうど私たちのテーブルの隣を通りかかった春海さんが、トレーを取り落とした。

「春海さん、大丈夫?」

片づけるのを手伝いながら、私はたずねた。春海さんの顔は真っ青だ。

「えっええ、ちょっと……つまずいてしまって……」

春海さんはトレーを元通りに拾い上げると、そそくさと店の奥に引っ込んだ。

「誰ですその間尼怜斗っていうのは?」

「もう、清見ちゃん、みかんちゃんの話ちゃんと聞いてた? 財力を笠に着たすっごく嫌なやつよ。」

「へえ、柑奈さんも苦労してるんですね。……それはそうと、幽霊屋敷の噂を知っていますか? ここの前の通りを5ブロックほど行って、左に曲がった先にある西洋風の家ですけど……」

「怪談とか苦手だから……」

「ねえねえ、清見ちゃん、ウチはオカルト探偵じゃないのよ、わかってる?」

「僕だって知ってますよ、もう。ただの愚痴だと思ってくださっていいです。橘のおやっさんがこの件に興味を持っちゃってましてね。ただでさえ山ほど書類仕事が残ってるのに……」

『橘のおやっさん』というのは、以前にも出てきたけれど祖父の刑事時代の元相棒、そして小奈津ちゃんのパパ、さらに清見刑事の上司の上司の……ぐらいの人だ。

「まだ住んでいる人間はいるんですがね、忍び込む輩が結構いるんですよ」

「……そこって、もしかして……ムッシュマシューの家?」

「ああ、やはり青島さんはご存知でしたか。そうです、ファッションデザイナーの何故島 摩舟(なぜじま ましゅう)氏の家です。確かに日本の住宅街ではちょっと目立つ感じの家ですからね、怪談話にはちょうどいい舞台でしょうけど……ネットでも話題になってしまっているようです。この前も若者グループを捕まえたんですが、たいそう怯えていましてね。事情をたずねても要領を得ないんです」

「なにがあったんですか?」

「彼らの話によると、幼い少女と四つ目のモンスターに襲われたんだそうです。……四つ目のモンスターっていったい何なんですか? もう。警察をからかうのはやめてほしいものです」

『この世に説明のつかないものはない』が信条の、超現実主義者、清見刑事があきれたように溜息をついた。

「ムッシュマシューは亡くなっているものの、確か……お子さんがいらしたはずだけど……」

「そうです、摩舟氏のお子さんは、今でもまだ使用人と一緒にその家で暮らしています。妙な噂が立ってしまったせいで、ずいぶん嫌な思いをされているようですよ」

「それで、何で清見ちゃんのところが出張ってくるの? 清見ちゃんのところの部署って確か、詐欺とか脱税が専門でしょ?」

「実は……ですね、その家、ある詐欺事件に巻き込まれたことがありましてね、件の屋敷は他人の手に渡りかけたんです。すんでのところで阻止されましたが、使用人の話から推測するに、今でもあの屋敷を狙っている人物がいるのではないかと」

「何故島摩舟さんってどんな人だったの?」

「う……ん、みかんちゃんくらいの世代だと知らないか。ワタシも直接の知り合いだったわけじゃないからな……。ムッシュマシューの『メゾン・ド・ホワイト』……ゴシックスタイルをベースにしたクラシカルでロマンチックなラインナップは、当時のファッショニスタたちの間で注目の的だったんだから」

「そんな人気だったのに、閉店しちゃうこともあるんだね」

「人々の瞬発的な熱意で築かれた楼閣は、ちょっとしたきっかけで崩壊してしまうものよ。それをどうやって長引かせることができるかが、流行の世界に身を置く者にとってのひとつの命題だわ……。『メゾン・ド・ホワイト』閉店の最大の原因は、ムッシュマシューが病気になってしまったことかな。あと、さっき清見ちゃんが言っていた詐欺事件も関係あるのかもね。……女性服のブランドだったけど、カッコよく着こなす男性ファンもいてね……そういうワタシもショップに通い詰めたものだわ。ああ……店内にギッチリと詰め込まれた素敵な服の中から自分だけのお宝を見つけ出す喜び……あなたたちにもわかるでしょ」






 車はツタ模様の鉄製の門扉を通り抜けると、滑るように屋敷の正面玄関に着けられた。車を降りて屋敷を見上げる。手前に大きく張り出した玄関口の上部はバルコニーになっている。そこからさらに視線を上にやると、建物の東側の屋根がとんがり屋根になっていて、壁には大きな時計がついていた。何故島摩舟氏が海外留学中に、気に入って通い詰めていた建物に似せて作ったそうだ。一緒に来た万田さんも、大層関心した様子で見上げている。

「なるほど、ここだけ異世界風の空間になっていますね。それにしても、ずいぶんと静かですね」

庭は手入れされているし、家の外観も特にボロくなっている場所は見当たらない。が、活気がなく、なんとなく寂れた空気が漂っていることは否めない。

 玄関のドアに手を掛けるか掛けないかのうちに扉は開き、一人の男性が現れた。

「ようこそ、お待ち申し上げておりました。わたくし、何故島家の執事、天草(あまくさ)と申します。本日はわざわざご足労頂き、ありがとうございます」

「はじめまして。馬弓探偵事務所の万田と馬弓です」

「ささっ、どうぞお入りください」

キビキビとした流れるような挙動で、執事さんは私たちを家の中へと案内してくれた。







 紙のように薄いティーカップを目の前にして、私は途方にくれていた。

「どうぞ、召し上がってください」

うっかり手を滑らせたりしないよう、ガッチガチに緊張して最大限の注意を払った上で、ティーカップに手を伸ばした。ルビー色の紅茶の底には、カップの内側に描かれた花模様が透けて見えた。

じきに緊張もほぐれ、カラカラだった喉も潤ってきたところで、万田さんが口を開いた。

「……天草さんは、いつ頃からこちらに?」

「3年ほど前、摩舟様が病で亡くなる直前くらいから働いております」

「その前はどちらに? うかがってもよろしければ……」

「海外におりました。摩舟様に呼ばれてこちらに参った次第です」

「呼ばれた……?」

「……実はわたくし、摩舟様とは幼馴染なんです。一人娘の紅お嬢様のことをたいそう心配しておりましてね。紅様のお母さまは早くに亡くなっていたこともあり、自分に万が一のことがあったら娘のことを頼むと、ずっと以前から頼まれていたのです。ご自身の病が発覚したことでわたくしを呼び寄せる決心がついたとおっしゃっていました」

「……そうだったんですか」






「本日こちらにお越しいただいたのは、調査のお願いをしたいと存じまして……。どうしたらよいものかと迷っておりましたが、橘警視正から馬弓様の事務所に相談してみるとよいとアドバイスをいただいたものですから……」

「どういったご事情でしょうか?」

「摩舟様は生前、なかなかに人気のあったファッションデザイナーだったのはご存知でしょうか?」

「はい、『メゾン・ド・ホワイト』のファンから話を聞いたことがあります」

「今でも覚えてくださっている方がいらっしゃるのですね。ありがたいことです。摩舟様が病に倒れたころから『メゾン・ド・ホワイト』は営業を中止しておりましたが、来年のブランド創立20周年を記念して『メゾン・ド・ホワイト』を復活させるプロジェクトが立ち上げられました。その、復活イベントの目玉として、摩舟様が残した未発表のデザイン数十点を形にする計画がございます」

「それは楽しみですね」

「ええ。ですが、未発表のデザイン画の所在が不明なのです。わたくしどもの屋敷のどこかにあるのは間違いないのですが……それを見つけ出してほしいのです。復活プロジェクトのスタッフによると、できれば来月の頭にはデザイン画を見せてほしいと……それより後ですと、今回の企画には間に合わないとのことです。従いまして、誠に勝手ながら来月8月1日を締め切りに設定させていただきます」

「……あと10日ほどですね。デザイン画の在処について何か心当たりは?」

「遺言書と一緒に、紅お嬢様宛のこの手紙が残されておりました」

『宝探しゲームの始まりだよ。このヒントを元に見つけてごらん。

 大きい魔女はあわてんぼう

 小さな魔女はのんびりや

 今宵もはりきり ダンスの稽古

 息が合わないふたりでも

 3周まわればおのずとピタリ

 やがて現る確かなサイン

 固く閉ざした扉も開く』

「摩舟様はいつもこのように、お嬢様と屋敷内で宝探しゲームをして遊んでおりました。これが未発表のデザイン画の隠し場所とは限りませんが、20周年記念の大事なイベントです。プロジェクトを成功させるため、わたくしどもにできることはひとつ残らずやっておきたいのです。ですから、ぜひともこのメッセージを読み解いていただきたい。お願いできますか?」

「よくわかりました。当事務所も可能な限りの尽力をお約束します」

「それから、もうひとつ。この屋敷、わたくしどもが生活しているにもかかわらず、空き家だとかお化け屋敷だとか噂をたてられています。胡乱な者たちがこの近辺をうろついていたり、夜中に敷地内に侵入されたこともございます。ですから、デザイン画を探す間だけでも、どなたかそちらのスタッフの方にお嬢様の警護を兼ねて滞在していただきたいと存じます」

「ええ、問題ないでしょう。こちらの馬弓柑奈が担当させていただきます」

天草さんは私を見てニッコリ微笑んだ。

「では、メイド……いえっ、家庭教師として滞在していただくことにいたしましょう」

「私、勉強教えるとかガラじゃないんですけど……」

「『ふり』だけですよ柑奈さん、『ふり』だけ」







 鏡の前で、今回の任務の服を着て映してみた。一瞬、黒と見間違えそうなほど暗い光沢のあるネイビーブルーの生地がカッチリと肩を包み込む。トップスの裾は、ギュッと絞ったウエストからスカートに沿うように、ふんわりと広がっている。鎖骨の上までキッチリ留められた喉元のボタン。しっかりと覆われた胸元には、ボリュームのあるリボンがあしらわれている。膝上丈のスカートは、ギャザーたっぷりのパニエを土台にしているせいか、それほど短かさを感じさせない。青島さんの教えの通り『鏡に向かったら前から見た姿、横から見た姿、後ろ姿を確認。その後、鏡からは少し離れて、遠目にどう見えるかをチェック』した。うん、ダークファンタジーの主人公……の家で働く家庭教師のような服装だ。

青島さんは、まるで自分が何故島家にお泊りするみたいにはしゃいでいた。

「ムッシュマシューの家に住み込みで働くんだからこれくらいしなくちゃね。どんなおウチだったか、あとで詳しく教えてね。できれば写真も」

 ここは何故島家の一室。今日からしばらくの間、私はこの部屋に泊まることになった。

淡いブルーと白を基調にした壁紙と家具で統一された部屋。ところどころに配置された赤い小物が差し色になっている。

遠慮がちに部屋のドアをノックする音がした。

「馬弓様、紅お嬢様が学校から戻られましたので、ご紹介いたします。リビングルームまでお越しください」






「あなたが探偵さん? ずいぶん若いんだね」

紅お嬢様は、私を見るなり開口一番そう言った。少しばかり華美ではあるものの、通学には問題なさそうなトップスとスカート。ランドセルを背負っている姿は普通の小学生みたいだ。ただ一つ違和感があるとすれば、腕に巻いた包帯が痛々しくて印象に残るくらいだ。

「明日から、こちらの馬弓様が学校の行き帰りに付き添って下さいます」

紅ちゃんはそれを聞くと、キッと天草さんを睨みつけた。

「天草さんっ! 付き添いは要らないといったでしょ!」

「ですが、お嬢様、昨日起こったことを考えますと……」

「こんなの全然たいしたことなんかないんだから……とにかく、学校まで付いてくるのはやめてください!」

そう捨て台詞を吐くと、紅ちゃんは部屋を出ようとした。

「どちらへ行かれるのですか? まだお話は終わっておりませんよ」

「自分の部屋! 宿題がたくさんあるの!」

 ドアがバタン! と閉まった。こうしてリビングルームには私と天草さんが取り残された。

「申し訳ありません。せっかく来ていただいたのに……。普段はもっと聞き分けがいいのですが……」

「あの年齢のお子さんにしては、十分大人びて見えますよ。……昨日のできごとというのは?」

「下校中、知らない者に無理やり車に乗せられそうになったのです。幸い、たまたま近くにいた同級生の男の子が大騒ぎして、周囲の注意を惹いてくれたおかげで、犯人はそのまま逃げだしたのですが……」

「腕の包帯はその時の?」

「はい。犯人が逃げる際、つかんでいた手を急激に離したものですから、反動で転んでしまって……犯人はまだ見つかっておりません」

気の毒に……相当怖い思いをしたに違いない。

「あのっ、よろしければ紅さんには見つからないように、家と学校の間をこっそり付いていきましょうか? 私、これでも尾行は得意なんです」

そう言ってはみたものの、突如として甘夏島事件の時の記憶が蘇った。今回はさすがに、万が一見つかっちゃっても、小学生に監禁されたりはしないよね……ハハハッ……ハハハハ……。






 その日の夜のこと。階下で人の話し声がしたような気がした。現在、午前3時。部屋の外に出てみると、叫び声が聞こえた。急いで声がしたほうへ駆け出した。ここに来て1日しか経っていないものの、フリルとリボンと行儀のよい振る舞いで疲れた身体を癒したいと思っていた。渡りに舟である。体力は満タン。途中で柄の長いモップと懐中電灯も手に入れた! 目的地は玄関だ。裏側の通用口から庭を通って、玄関先にグルっと回るルートを選んだ。到着すると、先ほどの騒ぎはすっかり静まっていた。バルコニーの上では紅ちゃんが蒼い月の光を浴びて佇んでいた。その冷たい視線の先には3人の少年たちが呆然と座り込んでいる。

「ご無事ですか? お嬢様!」

「ええ、大丈夫。警察を呼んでくださる? 柑奈さん」







「毎度ありっ、『フラワーショップ ゆず』です。お花の取り換えと、お届け物に参りました!」

今回の連絡係は青島さんだった。家の中に招き入れるや否やいつもの調子に戻った。

「あら、みかんちゃん、なんだか元気がないわねえ。うまくやってるの?」

「……紅ちゃんにあまり歓迎されていないみたいで……、子供の相手なんてしたことないし……」

「学校の宿題を手伝ってみたら? 『将を射んと欲するなら先ず馬を射よ』ってよく言うでしょ」

「?」

「……知らない……か。『大阪城を落とすならまず外堀を埋めよ』みたいな意味よ。……と、とにかく、目標を達成するためには、比較的容易な周辺の物事から解決しなさいってこと」

「勉強教える……のはちょっと自信ないなあ」

「じゃ、じゃあ一緒に遊ぶのは? デザイン画探すのを手伝ってもらうとかいいんじゃない?」

「う、うん。そうできたら。デザイン画探しより紅ちゃん攻略の方が難攻不落のような気がしてきた」

「がんばるのよ。……ところで、甘夏島ホテルの事件について報告があるの。あの時、逮捕された男がいたでしょ」

「バラ協会の審査員になりすましていた男のことだね」

「その男の銀行口座を調べたところ、事件の一週間前、とある会社から500万ほど入金があったんですって。それがあの仕事の手付金じゃないかって」

「とある会社って?」

「なんて言ってたっけ……そうそう『ラスカル・ジャム』っていう名前だわ、確か。どういう会社なのかは、万田ちゃんのチームが今でも調べている。それから、湊博物館にいたのと同じ男が甘夏島にもいたんですって?」

「うん、博物館で見たときは警備員の制服で、甘夏島の時は小型機のパイロットみたいな恰好だった。彼がただのコスプレ好きのおじさんって可能性よりも、ふたつの事件は関係がある可能性のほうが高いよね」

「ええ、おそらく。同じ人物、組織が関わっているだろうとウチの連中は考えているわ」

帰り支度をしようと荷物を整理していた(花を届けにきたのは本当だった)青島さんだったが、最後にこう言った。

「そうそう、忘れるところだった。これを渡しておかなければ」

厚み10センチほどの円盤状の物体を箱から取り出した。

「Qから預かってきたの。充電する場所は……キッチンでいいかしら?」

ふたりでキッチンに移動すると、そこにいた天草さんも私たちに加わった。

「ロボット掃除機なら当家にもございますが」

「そんじょそこらの掃除機とはひと味ちがうんです。……何せ、Qが作ったものだから……。ゆうべ、また侵入事件があったそうですね。そういう時にこれはきっと大活躍しますよ」

青島さんが私に腕時計型の装置を渡した。

「音声で操縦するタイプよ。みかんちゃんの声は登録済だから。そのコントローラーに向かって『お願い! 平ちゃん』って呼び掛けてから指令を出して」

「……」

「何よ。変な顔しちゃって」

「……あの……どうしてもそれ必要? ……『平ちゃん』って誰?」

「ただの愛称よ。あとは取り扱い説明書を読んでおいてね」







 今日で紅ちゃんの登下校を見守るのも3日目。下校時間の小学校の周囲は、ちょっとした喧噪で溢れていた。絶え間ないおしゃべりや小さな靴が駆け出す音。急に立ち止まってしゃがみ込む者もいる。あれではいつまでたっても家にはたどりつけないだろう。自分自身の小学生時代を思い出して私は苦笑した。

 不規則に動き回る小さな人の群れを見て、この通りを走る車は、皆警戒モードで進んでいる。そんな中、見覚えのある車が数メートル先から走ってくるのが見えた。

「あらやだ、柑奈ちゃん? こんなところで何をしているの?」

鍛えぬかれたよく通る声が、矢のようにまっしぐらに私に向かって飛んできた。

「うげっ……か……花音さん」

女優の紅面多院花音。甘夏島事件の時に知り合ったのだ。そこにある車に乗せてもらったし、事件にも首をつっこん……解決の助けにもなってくれた。にぎやかな女性の登場は、すっかり周囲の注目を集めてしまった。ちょうど校門から出てきた紅ちゃんも、あきれたような笑みを張り付けた顔でこちらを見つめていた。場違いなところへ無理やり引きずり出されたあげく、スポットライトを嫌というほど浴びてしまったような気分だ。

「あ……ごめんなさいね。お邪魔だったかな?」

「いっ……いま……仕事中で」

「そうなんだ。私も仕事にいく途中なの。もう行くわね。遭えてよかった」

そういうと花音さんは愛車でさっそうと立ち去った。

ひとりポツンと取り残された私の傍にいつの間にか寄ってきた紅ちゃんが、私の服の袖をひっぱった。

「ねえ、探偵さん。せっかくだから一緒に帰ろ」

「紅ちゃん! 見つかっちゃったか……えへっ」

「……最初から……」

「……へっ?」

「最初の日から見えてたから……」

「あっ……そうなの? いやあ、参ったなあ」

「探偵さん、尾行下手なんじゃないの?」

 その時ひとりの少年が、紅ちゃんの周りを衛星のようにグルグル回りながら手を振ってきた。

「バイバイ、紅ちゃん。」

返事をする暇もなく走って行ってしまった。

「あの子は?」

「同じクラスの……」

「ふうん、仲良しなんだ」

「うん、ときどき一緒に帰る」

「もしかして、さらわれそうになった時一緒にいたのって……」

「うん、あの子」

「ちょっとここで……校門の中で待ってて。あの子に話を聞いてくるから」

猛烈ダッシュした。さっきの少年は、それほど遠くに行ってなかったものの、私が走ってくるのを見ると自分も加速して走り出した。

「ちょっ……っちょっと待って!」

「お姉さん、誰?」

「紅ちゃんの……おうちの者です。怪しい者じゃないよ」

「おうちの人の知り合いだって嘘ついてひどいことしてくる悪いやつがいるって、先生が言ってた。……あっ……さっき紅ちゃんと一緒にいた……」

「そう! 紅ちゃんがさらわれそうになった時のことを詳しく聞きたくて。キミが助けてくれたんでしょ?」

「うん! 変な恰好した人に腕をつかまれたんだ。無理やり車に乗せられそうになってて……。それで僕が助けたんだ、『ソードマスター・ウルフ』みたいにね」と言って、持っていた定規を振り回して実践してみせてくれた。

「変な恰好の人?」

「黒い服で、黒いマスクしてたんだ。スキーするときの帽子みたいのをグウィーンと下に引っ張ってつけたようなやつ」

「犯人はその人ひとりだけだった? 車はどんなのだったか覚えてるかな?」

「車の中にもうひとりいたみたい。なんか叫んでいたから……黒い箱みたいなやつに乗ってた。」

「ありがとう、よく助けてくれたね。偉いぞ」







 キッチンの入り口の前を通りかかったら、ちょうど天草さんがお茶のセットを運ぼうとしていた。紅ちゃんの部屋へ行くというので代わりをひきうけた。紅ちゃんの部屋のドアをノックした。ここは、勇敢で意地っ張りな少女が守っている、要塞への入り口だ。

「はい?」

「紅ちゃん、3時の休憩にしませんか?」

レバーハンドルがクルッと動いてドアが少しだけ開いた。

「おやつ、持ってきた? ……じゃあ、入って」

砦の扉が大きく開け放たれた。

「うっわあ、今日のもおいしそう」

艶やかなレモン色のクリームの上に、花の形に成形されたふわふわとしたメレンゲが乗っかっている。

「今日は天草さん特製のレモンメレンゲタルトだよ。いつも天草さんがお菓子を作ってくれるの?」

「うん、たいがいね。天草さん、お菓子作りすっごく上手なんだよ」

 トレーを置く場所がないかと部屋の中を見渡した。部屋の主の名前『紅』色を基本にコーディネートされた室内には、大小のぬいぐるみが散らばっている。そんな中、小さなテーブルがあったので、持ってきたものを並べた。並べ終えて視線を上げると、テーブルの奥にドールハウスが飾ってあるのが見えた。近くに寄ってまじまじと眺めていると、紅ちゃんが傍に来た。

「気に入った? それね、パパが作らせたの。この家と同じなんだよ」

「言われてみれば……」

玄関上部のバルコニーや、東棟のとがった屋根と壁に埋め込まれた大きな時計も、この屋敷とウリふたつに作られている。

「へええ、この時計の針、人間みたいに見える」

「スカートをはいてるみたいでしょ。ふたりの魔女ってパパが言ってた……」

「ふうん、そうなの。この時計、動く?」

「手で回せばね。灯りも点くんだ」

灯りを点けると同時にドールハウスから軽やかなワルツのメロディが流れ出した。

「……くっ……」

紅ちゃんが顔をしかめた。包帯を巻いた腕の痛みからか、それとも……。

周囲の大人に心配をかけまいと、精一杯背伸びして強がって、それでも零れ落ちる不安に押しつぶされそうになっている少女の姿だった。さらに痛めつけようとしている人物がいるのなら、ぜひとも正体を暴いてやりたいものだ。紅ちゃんのパパ、摩舟さんもきっとそれを望むだろう。どうにも進退極まった時、外部からの針の一刺しで、それがたとえ僅かな刺激にすぎなくても、事態が動き出すことがある。今回の私は、『針』の役割を全うしたい。

 まずは、デザイン画の捜索だ。ドールハウスを眺めていて、気づいたことがある。ヒントにあった『大きい魔女と小さな魔女』とは、時計の長針と短針のことではないか。摩舟さんもそう表現していたそうだし。指でクルクルと針を回転させてみたところ……2本の針が3回目に12時のところで重なった時、小さくカチッと音がした。ドールハウスを隅から隅まで調べると、ちょうど時計の裏側の壁に小さなフラップドアが付いていて、それが開いていた。指で中を探ってみる。当たりだ! 金色に光る鍵が隠されていた。

「これは? 知ってた?」

「ううん、そんなの見たことない」

この鍵が合う扉が見つかれば……もしかして……。

「んん……ふふっ」

「ん? どうかした?」

「何か探偵さんっぽい」

「これからも努力します」






  鍵を手に入れたので、もう一度摩舟さんのヒントを読み返してみた。

『大きい魔女はあわてんぼう

 小さな魔女はのんびりや

 今宵もはりきり ダンスの稽古

 息が合わないふたりでも

 3周まわればおのずとピタリ

 やがて現る確かなサイン

 固く閉ざした扉も開く』

 この鍵が合うドアがどこかにあるに違いない。

「ねえ、紅ちゃん、この鍵が合いそうな場所、どこか知らないかな?」

「あたしが知ってる場所だと思うの?」

「うん、そうだと思う。鍵が紅ちゃんの部屋に隠してあったのは何故だと思う? 紅ちゃんにならデザイン画を見つけられると信じて、パパが任してくれたんだよ」

『固く閉ざした』ってあたりがヒントかも。

「普段は使っていないような部屋はある?」

紅ちゃんはしばらく沈黙したのち、何か思いついたような顔をした。

「来て! こっち!」

私の手をつかむと走りだした。

紅ちゃんの部屋を出て、バルコニーとは反対側に向かって進むと、突き当りにドアがあった。大人の身体だと屈みこまなければ通れないような小さなドアだ。

「あたしが小さかった頃には、よくこの辺で遊んでいたんだ」

ドアを開けると、上の階に上がる木製の階段があった。

「こっち、ついてきて!」

紅ちゃんは、軽快な足どりで階段を上っていった。私はといえば、頭をぶつけないよう、ソロソロと付いていった。階段を上がりきると、ドアがもうひとつ現れた。

「ここね、いつも鍵が掛かってるんだ。ずっと前に天草さんに開けてって頼んだけど、鍵を持ってないって言われた。あの鍵、差してみて」

 少しばかりガタついたものの、ドアは開いた。この部屋は、ちょうど壁時計の裏側の位置にあたる。紅ちゃんのドールハウスで例えるなら鍵が隠してあったあたりに相当する。

ほこりっぽい内部には古い家具が詰め込まれていた。ミシンやトルソーも置いてある。どうやってあの狭い通路からこれらを搬入したのかと……考えるのはやめておこう。ほこり除けの布がかぶせてある家具があったので、思い切って払いのけてみた。木製のクローゼットだった。

「あっ、これ知ってる。パパの仕事場にあったやつ」

クローゼットを開くと、商品見本らしき衣装が何点かとデザイン画を収めたファイルが数冊入っていた。ファイルのうち一冊の表紙に『紅へ』と書いてあったので、紅ちゃんに渡した。あとはメゾン・ド・ホワイト復活プロジェクトのスタッフに渡せばいいだろう。それまでは元通りにクローゼットに閉まっておこう。鍵がしっかりかかったことを確認してから、私たちふたりは階下に降りて行った。これでデザイン画探索の任務は終了だ。天草さんに報告しておこう。






 夜中に喉が乾いたので、部屋を出た。キッチンに行けば何かしらあるだろう。任務がひとつ終了したのでちょっぴり浮かれ気分でいた。2階にある私の部屋から階段を降りて、玄関を背に屋敷の奥へ進むと、右手側がキッチンだ。階段を降りると、家探ししているような音がした。キッチンの向かいにある書斎が音の出どころだ。

「誰かいるの?」

書斎に飛び込んだ。覆面をした人物がふたり、慌てて窓から脱出しようとしていた。

「見つけた!」

窓を開けようとしたが上手くいかなかったふたりは、今度は窓を割ろうとしていた。ケガをしないように腕に布をグルグル巻きつけて割ろうとしたものの、頑丈な窓はびくともしなかった。

「その窓はね、簡単に割れないようになってるの」

「わああああ……」

犯人のひとりがやけくそになって私に飛びかかってきた。……少し力を入れすぎたみたいだ。飛びかかってきた犯人を押しのけたら、廊下に飾ってあった大きな花瓶に当たった。花瓶は砕けなかったものの、犯人のプライドは無残に砕け散ったようだ。

 未だに、もうひとりの犯人は窓から脱出しようとしていたが、窓の外に何かを見つけて悲鳴をあげた。赤く光る瞳が2組、こちらを睨みつけていたのだ。紅ちゃんのペットのレッサーパンダ、レオとジンだった。

「あああ、もうなんだってこんな目に」

今度は踵を返して玄関から脱出しようと駆け出した。ちょうどその時、キッチンから滑り出てきたロボット掃除機と衝突しそうになった。人間の話し声で急に騒がしくなったので、掃除の時間と判断したようだった。躓いてよろめきそうになったものの、素早く体制を整えて走り出す犯人。腕につけた腕時計型コントローラーに私は命令した。

「お願い平ちゃん。あいつを追いかけて」

「承知」

ロボット掃除機=平ちゃんはそう答えると、胴体の半分を浮かせてその場で回転し始めた。その勢いを利用してジャンプすると、回転しながら飛んで行った。

「あっ痛ったた。何すんの?」

ふくらはぎに衝撃を受けた犯人は、何が起きたか理解できないでいるようだった。

「お願い平ちゃん。第二形態!」

「承知」

今度は、胴体を床に対して垂直に立ち上げ、格納されていた手と足を出現させた。

まだ逃げるのをあきらめていなかった犯人の足を、平ちゃんは手を使って引き倒した。

騒ぎを聞きつけた他の住人たちも次第に集まってきた。

「ねえ、何が目的で忍び込んだの?」

「べ……別に……何かカネ目の物があるんじゃないかって思っただけ」

「偶然この家に目つけたって? その上初めて入った家の書斎で書類を漁っていたって? スッゴイ偶然!」

 犯人は着けていた覆面をかなぐり捨てて白状し始めた。

「わかった、わかったから。こうしてつかまっちまったんだ。洗いざらいしゃべるよ。この家のヤツには何のウラミもないしさ。依頼してきたヤツの方は、なんだかこの家にこだわっていたけどね!」

「依頼してきた人物ってどんな人? 名前は聞いた?」

「……ただ『ミスターR』とだけ名乗っていたよ。この家の主人と知り合いだってさ。自分はこの家を買い取る約束をしたのに反故にされたってさ。あんたずいぶんむごいことをしたねえ」

ちょうどそこに来ていた天草さんに向かって言った。

「この家の主人は私ではありませんよ。それに、主人がこの家を誰かに売却するはずがないんですよ」

「パパはそんなことしないもん。この家はね、パパがあたしにくれたの」

天草さんの背後に隠れるように立っていた紅ちゃんが反論した。

「あなた方はそのミスターRに騙されたんですよ。」

「でもっ……でもっ、そのわりにはこの家のことをよく知ってたよ。重要な書類が置いてある部屋も知っていたし……」

「きっと亡き主人と交流があったのは事実でしょう。ひょっとしたらこの家にお越しになったことがあるのかも知れませんね」

「ところで、いったい何を探していたの?」

「……デザイン画だよ。ミスターRは自分に所有する権利があるって言ってたな。最初はこの家を空にしてからゆっくり探そうとしたようだがね。なかなか出てってくれないとこぼしていたよ。あいつったら幽霊屋敷のウワサをばらまけって言ってね。そうすれば騒ぎになって出ていくんじゃないかって。いくらなんでもそんなの信じるやついるかい? まったく笑っちまうよ。娘さんをちょっとだけ誘拐して、身代金代わりにデザイン画をもらう計画も立てたんだ。邪魔が入っちまってうまくいかなかったがね。だから方法を変えたんだよ」






「うわああああ!……」

先に倒れたほうの犯人はいつの間にか起き上がっていた。最後の悪あがきとばかりに、私たちの横をすり抜けて逃げようとした。

「お願い平ちゃん。犯人確保!」

「承知」

 平ちゃんは走る犯人の前に回り込み、じわじわと壁際に追い詰めた。そして犯人の両手両足をガッシと自身の四肢で押さえつけた。例えるならば、巨大な蜘蛛によって壁に貼り付けにされたような姿だ。

「はぁ……あんたさあ、もうやめなよ。この状況見てわからない? 私たちは失敗したんだ……」

私たちと一緒にいたほうの犯人がそう言った。

「そうかい……ここのご主人、亡くなっているのかい。そりゃ悪いことをしたね。あたしらすっかりミスターRの言うことを信じ込んじまって……。お嬢ちゃんにも怖い思いさせたね、すまなかったよ」

「やけにしおらしいじゃない」

「私らは確かに小悪党だけどさ、それなりに良心の欠片くらいはあんのさ。ここのご主人みたいに反論する機会がない人のことを、好き勝手言うヤツはイケ好かないからね。それに私らは幼い子供にひどいことをしたんだ。言い訳のしようもないさ」

 誰にとってもゆずれないものはある。生きていく上での指針とか屋台骨のようなもの。私や天草さんにも、そしてもちろん、紅ちゃんのように幼い子にも……。人によってその強度は異なる。堅牢だったり柔軟だったり……。今回の犯人にも、それなりに骨はあったようだ。





「うっ、んん……」

玄関から出ると、私は力いっぱい伸びをした。デザイン画も見つけたし、嫌がらせの発端もわかってきた。ここでできることはすべてやりつくした。

 屋根裏部屋の捜索の後、紅ちゃんが自分宛てに残されていたファイルを見せてくれた。すでに病床にいた摩舟さんが、人生の節目節目の娘の姿を想像して描いたものだ。愛娘が美しく成長していく姿を、実際には見ることがかなわなくて、どれほど口惜しかったことだろう。最後のページに描かれていたのは、たっぷりの白い布を使用した衣装を着て、はじけるような笑顔の大人になった紅ちゃんの姿。そこには摩舟さんからの最後のメッセージが書かれていた。

『パパはもうじき遠くへ行かなければならない。お前をひとりきりにしてゴメンな。パパももっとお前と一緒に過ごしたかったよ。少しのあいだならパパのために泣いてくれてもいいよ。でも、いい子だからいつまでも悲しみ続けないで。たとえお前の瞳が涙で曇る日があっても、どうか心までは曇らせないで。必ず立ち上がって、今を精一杯に生きるんだ。そしてこの絵のように、人生がもたらす実りを思う存分味わってほしい。パパとの最後の約束だ。お前ならきっとできるね』

そう、きっと紅ちゃんならできるだろう。

 後ろを振り返ると、玄関口に並んだ紅ちゃんと天草さんが力いっぱい手を振っていた。私も手を振り返した。傍らでは平ちゃんがウキウキと飛び回っていた。結構な高さで……。






<同時刻 何故島家の近く>

「まさか見つかるとは思わなかったよな。しかも罰として夏休み中ずっとバイトしろって……鬼かよ」

「仕方ないよ、ゆうくん。知らなかったとはいえ人が住んでる家に入り込んじゃったんだもん」

「適当にやりすごそうぜ」

「でもあの工場にいたおばあちゃん、なかなか手強そうだったよ」

「じゃあ、仕事はちゃっちゃと済ませて、残った時間で遊ぶか」

「僕は結構楽しみだけどね」

「そう は、機械イジリ好きだもんな。……ん、あ? なんだありゃ?」

 ゆうくんが指さした方角には、円盤状の物体がフラフラ飛んでいた。

「ねえねえ、あれはもしかして……」

「未確認飛行物体!」

「あれはエリア98タイプU.S.O.だね」

「追いかけてみようぜ!」

「やめなよ、ゆうくん。何かされたらどうするの?」

「たく、お前はほんっと怖がりだな」

「やめておいたほうがいいかもね」

「そう、お前もか?」

「だってよく見て、あそこはこの前の幽霊屋敷のあたりだよ」




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