第3課題 LADYBUG 第1問
二子玉川駅にて、発車寸前の急行押上行きに飛び乗る。
田園都市線、朝のラッシュアワーは世界トップレベルであるが、昨日から続くゲリラ豪雨の影響でダイヤが乱れており、今日の電車はいつもに増して混んでいた。
夜勤明けの俺にとっては、まさに生き地獄。
俺は昔から要領の良い男の部類でなかったが、何故だが運良く名の通った国立大学へ進学し、メガバンクに就職することができた。
だけど銀行独特の堅苦しい社風や上司が全てという企業文化に馴染めず、自由と実力主義を求めて、半年後に外資系コンサル会社へ転職を試みた。
しかし当然ながら外資系で戦える程の実力は無く、一か月もたずに解雇を言い渡されてしまった。
その後も転々と職に就いたり就かなかったりを繰り返して現在に至っている。
落ちぶれた自分の姿を直視さえしなければ、とても気楽な人生を過ごせている。
だが、さすがに俺も今年で33歳だ。そろそろ将来を見据え、地に足を着けた生活基盤を確立させる必要がある。
そんな中で志願したのは(俺なりの究極的解釈だが)、日給はそこそこ、福利厚生がまあまあ、人と話す事は極めて稀、営業活動的な要素は一切求められていない、警備員の仕事だった。
しかも勤務地はスーパーから、工場、工事現場、コンサート会場と多岐に渡る。
良い人生経験にもなるってもんだ。
ようやく2週間の試用・研修期間を終え、昨日、二子玉川駅前で建設中のオフィスタワーで警備員デビューを無事に果たした。
通常は日勤で経験を積み、より注意力が求められる夜勤へシフトされるのだが、俺の上司である主任(高校中退元ヤンキー25歳)からいきなり呼び出された。
「今度の日曜の二子玉のオフィスタワーの夜勤、元々俺が行く事になっていたが、君を代わりに配置させようと思う。君は新人だが、それなりに歳も取っているようだし、一早く難易度の高い現場を経験してもらい、そしてわが社の大事な歯車の一つとなるべく成長してもらいたいからね」
はぁ? 歯車になる気なんて毛頭ねぇよ。
カチンと頭にくる。
「はいはい、分かりましたよ。主任が待ちに待った、週末ナンパタイムが夜勤で丸潰れになったら、主任が生きている意味、無いものですね。『勃起したチンコがどうにも収まる様子が無いので、ナンパさせて下さい、馬鹿な女を抱かせて下さい。新人の貴方にお願いするのは大変心苦しいのですが、お願いですから、この私と週末の夜勤を変わって下さいませ』って正直に土下座して嘆願しろ、このバカ」
と言ってやりたかったが、大人の対応でぐっとこらえた。
そして、その夜勤を何とか無難にこなしたものの、やはり初めての夜勤ということで精神的にも肉体的にも流石に疲労困憊していた。
その矢先、この満員電車である。
しかも、
「うわぁ、ここ、女性専用車両かよ……」
本当についてない。
☆
次から次へ乗り込んでくる人波が、俺の内臓をプレスする。
初春にもかかわらずエルニーニョの影響らしく、南からの熱風が日本列島を襲い、気温は32度と、東京で観測史上2番目の暑さ。
加えて定員オーバーな乗客の体温が、車両の冷房機能を完全にマヒさせている。
しかも、ゲリラ豪雨の影響で、窓ガラスが完全に曇るほどに湿度がヤバい。
暑さと湿度のダブルパンチ。
更に乗客がこの不快指数100パーセントの環境下でため息を吐きまくるから、圧倒的な酸素不足となっている。
もちろん、周囲の女性陣からの異物を扱うような冷たい視線、そしてその女性陣から放たれる、化学反応するのではないかと心配になる程の様々な強烈な香水の薫りは、もちろん言うまでもない。
ただでさえ睡眠不足で弱っている俺に、容赦ない試練が続く。
急行が次に停車するのは、4駅先の三軒茶屋だ。
俺は命綱にも似た吊革に縋りつき、1秒でも早くこの時間が過ぎ去ることを、目を閉じながらひたすら祈り続けた。
そんな暗黒なる俺の意識を切り裂くモノがいた。
そいつは、隣の女性の肩の上で悠々とヴァージニアスリムの煙を燻らせていた。
偶然そのポジションになってしまっているとはいえ、俺の股間にその女性の左手がぴったり当たっていて、とても気まずくなっている俺を嘲笑うかのように、そいつはヴァージニアスリムに酔いしれていた。
カチンと頭にくる。
「おい、コウチュウ目テントウムシ科ナナホシテントウ。お前、電車内は禁煙だぞ!」
しかし、ナナホシテントウは俺の注意をガン無視し、ヴァージニアスリムを吸い続けていた。