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辿る辿る白黒奇譚 緋目の人形  作者: 春夏冬帷
1/1

僕の話

 冬が春になろうとしていた日。

 今日は朝から体の調子が良かったので、朝食を軽く食べてから人形作りの作業に没頭していた。

 僕、八代士呂(やしろしろ)は成形した人形の頭を額から後頭部にかけて斜めに切り取った。予め作っておいた青いグラスアイを目の裏側に嵌め込んで、人形の顔を見ながら位置を調整していく。

「こんなもんか…いや、もう少し目は正面を見て欲しいな」

 一人で作業中ブツブツ言うなんていつものことだ。誰にも作業を見られる事なんてないのだから。

 粘土でグラスアイを仮固定しながら、グラスアイをグリグリ動かす。

「……よし」

 時間をかけてやっといい場所を決めると、粘土を足してガッチリと固定する。

 息を詰めながら細かい作業をしていたものだから、やっと長い息を吐き出した。後は、グラスアイを固定した粘土を乾かして、後頭部を貼り付けてまた乾かす。そして全部品の着色、組み上げ、植毛、髪の散髪、服などの装飾品の作成。…まだまだやる事は沢山ある。

 時刻は十五時を少し回ったところだった。遅めのお昼ご飯を食べようと、ひとまず纏っていたエプロンを脱いで手に付いた粘土を落とすために作業用台の椅子から腰を上げた。洗面台でしっかりお湯とハンドソープで粘土を落としてから手をタオルで拭う。

 そう云えば作業中は無視してしまったが、電話が鳴っていた。そう思ってスマートフォンを作業台から持ち上げると着信を知らせるランプがチカチカしている。開いて見ると、それは母から2件来ていて、溜め息を吐くと折り返しの電話をかける事にした。

 呼び出し音が5回続き、そろそろ切ろうと思っていたところ、6回目の途中で「もしもし?」という母の声が聞こえた。

「…もしもし。母さん?」

『士呂?やっと電話に気が付いたのね』

「……作業中だったから。で、何の用事?」

『…お父さん、亡くなったのよ。今朝の日付が変わった頃よ。お式の準備とかあるから、できるだけ早くこっちに帰ってこられるかしら?』

「…分かった。夜には行くよ」

『よろしく頼むわね』

 プツッ ツーツーツーと電話が切られた。溜め息をもう一度吐いて、スマートフォンを作業台に伏せて置いた。

 冷蔵庫から朝に握っておいたワカメおにぎりを取り出して、電子レンジに入れた。少し温まったところで取り出して、ソファーで齧り付く。美味しくないが、食べないと薬を飲んだ時に胃が荒れてしまう。それに食事を取らない日が続いて倒れてしまったこともあるので、できるだけ取るようにしている。食事なんて僕からすれば『仕方なくやっている事』だ。

 僕は機械のように咀嚼をしながら電話の内容を反芻していた。

 …思えば実家に帰るなんて、何年振りだろうか。

 正月もお盆もまるで帰っていなかった。一年に一、二度位の頻度で電話が来ていた位のもので、親の近況などはまるで知ろうともしていなかった。それは僕の心の状態を保つための自衛のひとつだったからだ。僕の病気は小さい頃からのもので、最初は所謂『自家中毒』と呼ばれるものだった。父に「精神が弱いせいだ」「甘えに過ぎない」と罵られ続け、遂には酷い鬱病も発症してしまった。それを見た母の勧めで、ひとり暮らしを始めたのが、通信制の高校を卒業してすぐの事だった。

 そして僕は職業として人形師になった。もともと手先は器用な方で、通信制の高校に通いながら独学で造型を学び、自己満足で球体関節人形をはじめとする粘土造形を作っていたら、それがカメラマンをしていた母の知り合いに見せたところ、その人に大層うけた。

 今はギャラリーで行われる合同展に出展して、そこで人形を買ってもらって存在を広めてもらったり、芝居の小道具なんかでの用途や個人の収集家からオーダーなんかも受けていたりする。母の知り合いからは「お教室を開いてみてはどう?」なんて言われるけれども、そもそもこの小心者の人間不信に教室の講師など務まる訳がない、と断り続けている。

 そんな生活ももう5年ほどで、今では一人暮らしも慣れた。僕は自分を守る為に人と接触は最低限しかしない。食材や生活必需品の買い物、メンタルクリニックへの通院、合同展でギャラリーに来る人の相手をたまに少しする、それくらいだ。オーダーはネットを介してだし、人形作りの材料はほぼほぼネット通販に頼っている。あとは部屋に篭って一人黙々と制作を行う。遊んだり連絡を取る友達もいないから、遊びに外に出る事だってほとんど無い。たまに地方のギャラリーへ出展する事もあるが、大体は人形達を送るだけで、作者の僕が現地まで赴く事はない。

 僕がこの部屋を外出したら、部屋に居る人形達が寂しがるだろうから、葬式のためにこれから暫く実家に帰るのだって本当は嫌だ。

「ごめんよ。暫く留守にするけど、待っていてくれるかい?」

 僕は棚に鎮座している人形達に声を掛けた。

 …もちろん声に出しての返事は無い。でも僕には聴こえる気がするのだ。「無事に帰ってきてね」「待っているね」「頑張って」と。

 僕は一人では無い。人形達が一緒にいてくれる。それだけで良いのだ。

 おにぎりはとっくに食べ終えてしまっていて、処方されている薬6錠を一気に飲んでからノロノロと寝室に入って支度をし始める。クローゼットから黒のスーツ一式を取り出し、洋服を二日分出し、ベッドにバサリと置いた。旅行鞄も取り出すと、ベッドの近くに行って座りこみ、洋服を詰める。

「ああ、寝巻きもか…」

 実家に帰ることもなければ旅行にもいかないので、荷造りの段取りが悪い。結局何日実家に滞在するのか分からないし、何が必要なのかよく分からない。実家の洗濯機で洗えば良い、そんな考えで洋服も二日分あれば十分と思ったくらいなもので。

 ハア、と溜め息が思わず零れた。今日何回目の溜め息だろうか。

 たかが葬式。されど葬式。父が関わっていることであれば何であっても気が重くなる。それが例え父が死んだと言う事であっても。僕の心の傷はそう簡単には癒えることは無い。

「…帰りたくない」

 この言葉が口から出たところで、何も変わる訳でもないのに、ついポロリと零れてしまった。まるで駄々をこねる子供と同じではないか。

 ふと、一体の人形と目が合った気がした。

「…カメリア、僕は帰りたくないよ。ここにはお前達もいるし、まだ作り途中の子だっているんだ。ほんの数日だけとは言え、父さんに会うなんて嫌だなあ」

 赤いガラスで出来た冷たい瞳は、僕を映して哀れんでいるようにも見える。『カメリア』は僕の作った人形の中では最高傑作の部類に入る。僕が母の知り合いに初めて見せたのがこの『カメリア』だった。棚に鎮座している人形は展示会待ちの新作の子やオーダーで制作した子、それと『カメリア』だけだ。今まで作った子達は軒並み売れてしまって手元には居ない。なので『カメリア』だけは僕の事をよく知っている、唯一の戦友のような存在だった。

『カメリア』と言う名前なだけあって、椿をモチーフに制作していて、椿柄の着物を身に纏っている。髪は着物と合わせて黒髪のロングヘアだ。僕の作風は西洋人形のような容姿が多いので、茶髪か金髪の西洋服を纏った子が多い中で、あまり居ない和服の子だった。母の知り合いに初めて見せたときに「名無しなんて可哀想よ」と、その人が付けてくれたもので、それ以来僕も『カメリア』と呼んでいる。なぜ和服なのに『カメリア』なのかと訊ねた事があるが、「秘密よ」と言われてしまった。別に僕もこの名前は嫌いじゃないし、今ではすっかり呼び慣れてしまったが。

 そう思い出していて、一瞬、『カメリア』を連れて行こうかとも思ったが、いやいやと頭を振った。…何をしに行くんだ僕は。

(荷造りが進まない…)

 また溜息を吐いて窓の外を見ると、もう真っ赤な夕暮れになっていて、僕は少し慌てた。母に「夜には行く」と言ってしまったのを思い出したからだ。自宅から実家までは自宅の最寄り駅から下りの電車で三駅。そこからバスで十五分。大体一時間あれば着くような距離なので大して遠くはないが、そろそろ支度を済ませなければいけないだろう。

(ええい、足らないものは買えば良い。実家にもあるだろうし…)

 僕は旅行鞄のチャックを閉めると、外に出かけられる服に着替えた。洗面台で髪を整え、歯を磨く。薬を五日分ほど準備すれば足りるだろうとそれぞれ小分けにラップで包んで準備した。頓服薬も忘れず準備する。スマートフォンと財布、小分けにした薬や頓服薬の入ったポーチをショルダーバッグに詰めて、厚手のトレンチコートを羽織ると家を出た。



 最寄駅までは歩いて二十分とかからない。駅までの道の途中にメンタルクリニックがあり、スーパーがある。それを超えて閑古鳥が鳴いている寂れた商店街を抜けて、目的の駅まで辿り着くのだ。駅の反対側には大きなショッピングモールがあるが、どうしても買わなければいけないもののために行ったくらいで、片手で数えられる程しか行った事がない。僕には全く縁がない場所だ。

 猫の額ほどしか無い狭いロータリーを半周して、駅の改札口へ向かう上りのエスカレーターに乗った。

「…う、わっ」

「おっと、大丈夫ですか?」

 動いているエスカレーターに乗るタイミングを間違えてしまい、バランスを崩して思わず落ちそうになっていたら、真後ろに並んでいた男の人が、僕の背中を支えてくれた。

「すみません、ありがとうございます…」

「いえいえ、怪我しなくて良かったですよ。ここで落ちたら大変だからね」

 すぐに体勢を立て直してエスカレーターのベルトを左手でしっかり握った。振り向いて礼を言うと、やっとそこで僕は支えてくれた男性を見た。

 ニコリとした男性は、僕より歳が五歳ほど上に見える。…もっと上かもしれない。二十代後半から三十代に見えた。黒のウールジャケットの下はノリの効いた細いストライプのシャツにセンタープレスの黒いパンツ姿。ネクタイこそしていないがサラリーマン然としており、キャリーバックを引いていて、そのキャリーバッグにはスーツの袋が掛けられていた。…こんな時間から出張でも行くのだろうか。ご苦労な事である。

 改札口階に到着すると、僕は男性に礼を言い、背を向けて歩き出した。少し恥ずかしかった。

 切符発券機で切符を買って、改札に通す。下り電車のホームへの階段を下りたが、小さい駅で学校なども近隣に無いため、駅を利用する人もあまりいない。

 腕時計を持ってくるべきだったな、と思いながら電車のホームに掛けられている電光掲示板を見上げて、今の時間と電車の来る時間を見上げた。十七時半を少し過ぎた頃で、電車は後十分程しないと来ないようだった。

 キンと冷えた風がホームに吹き抜けるのを我慢した十分後、時刻表通りにやって来た電車に乗り込んだ。疎らな乗客に近付かない様に少し離れた適当なボックス席に座ると、窓の外をボケッと見ながら出発まで待った。電車内は少し暖かい。電車が来たことに慌てて走って乗り込む女性、疲れた様子で乗り込むサラリーマン達。ウールジャケットのあの男性の姿もあった。あの人もこの電車に乗るのか。

 口を開けて乗客を待っていた電車の扉がシューと音を立てて閉まり、ゆるりと滑るように発車した。


 田舎とはいえ、3駅なんてすぐだった。

 実家の最寄駅に降り立った僕は大きな溜息を吐いた。もう何回目かなんて考えたくもない。旅行鞄を右手から左手に持ち替えて、切符をポケットから出すと、改札階への階段を重い足取りで歩き出した。切符を通して、ロータリーへの階段を降りて少し懐かしい道を歩き出した。バスを使わずに歩いて行こうと思ったのは、家に帰る時間を少しでも遅らせるためだった。無駄な足掻きと言われてもいい。帰りたくない。それでも夜までには行かなくては。…ああ嫌だ。

 大通りを抜けてポツポツと街灯の灯る住宅街に入り、小学校の前を通り過ぎて、公園を突っ切るように入った。

 暗くなって人っ子一人居なくなった公園を通れば、黒猫に前を横切られた。

(昔、何処かの家の年上の男の子と隠れて仔猫の世話をしたっけ…)

 小学生くらいの時の話だ。一緒に世話をしていたあの子は一体誰だったのだろう。そして突然居なくなったあの猫は、結局何処に行ったのだろうか。誰かに拾われたのだろうか。僕達は結局、あれ以来会っていない。

 公園から出て、また住宅街を歩く。何処かから夕飯の良い匂いがする。

 父から逃げる様に出て行った町だが、帰ってきたら帰ってきたで、思い出す事はあるものだな、とぼんやり思った。義務教育の間通った通学路、誰かと猫を育てた公園、家に居たくなくて通った図書館、よく買い出しに行かされた地域密着型のスーパーマーケット、よく自家中毒になる度に担ぎ込まれた大きい病院。

 そうこうしている間に実家に着いてしまった。二階建ての何処にでもある様な白い外観の一軒家。僕はインターホンを鳴らした。

『…あら士呂。普通に入ってくれば良いのに。鍵、開いてるわよ』

 インターホンのカメラで確認したらしい母は普通に言ってのけたが、僕にそんな勇気があれば元から実家嫌いになんてなっていない。溜息を吐いて僕は家の玄関ドアを右手で開けた。

「……ただいま」

 玄関で靴を脱ぎ、リビングのドアを開けて中に入ると、リビングのテーブルに広告の裏紙に走り書きしたメモと葬儀社のパンフレット、客が来たのかお茶も出しっぱなしになっていて片付けられていない。綺麗好きの母らしくないと頭の片隅で思った。

「お帰りなさい、士呂。…ごめんね、ちょっとグチャグチャしていて落ち着かないわよね。片付けるわ」

 そう言ってキッチンの入り口にかけられた暖簾から顔を覗かせた母は、テーブルの茶器をお盆に乗せ、裏紙にしていた広告用紙とパンフレットを端に寄せていた。

 母は暫く見ない間に少し疲れて歳を食った様に見えた。染めていない黒髪にもちらほら白髪が混じり始めている。セミロングの髪は後頭部で一つに束ねられているが、飛び出ている後れ毛を気にする余裕もない様だった。

 パタパタと片付けをする母を横目に、僕は無言で二階の自室に旅行鞄を置きに行った。高校卒業以来入っていなかったが、換気と掃除は母がかかさずやっていたのだろう、部屋に埃っぽさは無かった。ベッドの横に荷物を置き、コートを脱いだ。

 一階まで降りて、溜息一つ吐いて僕は顔をあげた。何処かから線香の香りがしたのだ。何処の部屋からだろうか。

 廊下に出て匂いのする方へ向かった。その白檀の匂いは玄関のすぐ横の和室で、幼い頃は両親の寝室だった部屋からだった。少し扉を開けて中を覗くと、白い布が膨らみを持って敷布団に横たわっていた。顔の部分にはハンカチサイズの白い布が掛けられている。

 …父だと言うのがすぐに分かった。

 部屋は月明かりと街灯の光が窓から差し込んでおり、何とか何が置いてあるか視認できるレベルの明るさだった。布団の近くに小さな枕机があり、巻き線香と短くなった線香が煙を細く立てていた。白い菊の花が一輪生けてあり、鈴と、水の入ったコップ、火の消された小さい蝋燭が置かれている。

 あれだけ怖くて、自分より体の大きな、恐怖の対象でしかなかった父は、白い布の下で大人しく横たわっている。父を大きく感じたのは、恐怖と自分が小さかったからかも知れない。今見ると、僕と対して身長が変わらない…いや、僕より小さいかも知れない。僕は気が付いたら部屋に入って、顔に掛かっていた掌大の布を両手でゆっくりめくって見ていた。

 痩けた頬、落ち窪んだ目元、瞑った目。硬く結ばれた口、眉根や口元に刻まれた、不機嫌そうな濃い皺。

 僕はヒュッと息を飲んだ。

(…ああ、死んだんだ。)

 僕は生まれて初めて見る遺体に恐怖を感じながら、父が亡くなった事実に茫然として、そう思うしか出来なかった。覚えている限りの生前の姿からすっかり変わってしまったが、何とか父と分かる。その姿を見て心に芽生えたのは、言葉にし難いもの。敢えてそこに言葉を当て嵌めるのであれば、心の一部が空洞になったような。

 母から連絡をもらってから、『長年の恐怖の対象が死んで安心する』と思っていたが、実際目の前にして、そんな気持ちが微塵も無いことに自分で吃驚した。

(僕は、この人が死んで悲しいのか?僕をこんなにした男なのに。)

 これ以上見ていると心が掻き乱されてぐちゃぐちゃになってしまいそうだったので、僕は白い布を元通りに被せ直して、逃げるように部屋を後にした。

 リビングに戻ると、キッチンから肉が焼ける匂いがして、母が料理をしているのが分かった。僕は暖簾を潜ってキッチンに入り、シンクの蛇口を捻って水を出し、手を洗いながら母に声を掛けた。

「…手伝うよ」

「あら、ゆっくりしていて良いのよ」

「ううん、何かやるよ。何すれば良い?」

「そう?じゃあ、サラダ作ってくれる?」

「分かった」

 野菜室からレタスとトマト、キュウリを取り出してキッチンの作業台に乗せた。レタスを何枚か千切って水道で洗う。キュウリもトマトも水洗いした。レタスを千切って小鉢に入れる。まな板を借りてキュウリを輪切りにするとそれも小鉢へ。トマトも8等分して小鉢に飾った。冷蔵庫からクラフトチーズを取り出すと、それも小さくちぎって小鉢へ散らせた。

 …こんなものか。僕はこれで良いか母に訊こうとして母の方を向くと、母は心ここに在らずと言った表情で空中を見つめ、菜箸を握ったまま手が止まっていた。折角焼いた肉は焼き過ぎて黒く焦げて縮んでいた。

「…母さん?」

「…あ。や、やだわ。お肉焦げちゃった。お肉やめてお魚にしましょ。ブリのカマがあるから、それに―――」

「いいよ、僕がやるよ。母さんは疲れてるだろうから、リビングで休んで」

「でも…」

「別に普段から自炊してるから、なんて事ないし。ほら、休んできて」

 僕は半ば追い出す様に母の背を押してキッチンから追い出した。『自炊してるから』なんて言ったが、自分が死なない程度の料理だから、適当なものしか作れないけれども。それでも、現時点では心身共に疲れきった母が作るより何倍もマシだと思った。

 僕は溜息を吐いて焼き過ぎて縮んだ肉を捨て、適当に何か一品作ることにした。冷蔵庫を開くと、マイタケとモヤシ、豚のバラ肉があった。焼肉のタレもある。僕は野菜炒めの様なものを作ることにした。

 適当に切ったものを全てフライパンに突っ込んで火を通す。適当に塩と胡椒を振って、最後に焼肉のタレを掛けて絡める。

 なんとか名前のつけ難い炒め物を完成させた僕は、フライパンから大きな皿に移した。それを持って僕は暖簾を潜ってダイニングテーブルに置くと、リビングに顔を向けた。

 …母が居ない。

 多分この部屋だろう、と、僕は父の寝ている部屋を覗くと、部屋の電気がつけられており、母が正座して手を合わせていた。目を閉じていたので、僕に気づいたかどうか、僕からは分からなかった。

「母さん、料理出来たけど」

「…ありがとうね」

 閉じていた目を開いて、母は顔を父に向けたまま礼を言った。その礼は、僕に向けてなのか、父に向けてなのか。

 母は、自分の隣をポンポンと叩くと、僕に隣を座るよう促した。僕は息を吸って意を決すると母の隣に正座して座った。

「父さんと母さんね、士呂の人形展行った事あるのよ」

 …知らなかった。

 母は続ける。

「『綺麗なお人形さんね』って私が言ったら、あの人なんて言ったと思う?『こんな特技があるなんて、お前に似て士呂は手先が器用なんだな』って感心してたのよ」

 その話をする母はとても嬉しそうだった。

 『お前と似て』―――確かに、昔から母は裁縫や絵が上手だった。造形を学んでいた頃、人形サイズの服を作るのに手間取っていた僕に型紙の取り方やミシンなど、裁縫の技術を教えてくれたのは母だった。

「私ね、それを聞いてすっごく嬉しくなっちゃたの。私も褒められた気がしてね。あの人、滅多に人を褒めないでしょう?」

「…僕は、褒められた事、無いよ」

「口下手だし、言葉を選ぶのが下手な人だったからよ。だからこそ、士呂を褒めたあの言葉は、父さんの本心だったと思うの」

「…そう」

 僕の『恐怖の象徴』は、僕がいない間に随分カドが丸くなったらしい。それでも、今までの言葉の暴力と取れるような言葉の数々を帳消しにするにはまだまだ足りなかった。許しはできない。ただ、まだ五十余歳で妻を残して亡くなるのは可哀想だとは少し思う。

「…母さん、そろそろ夕飯にしよう。冷めちゃうよ」

「そうね。折角士呂が作ってくれたんだもの。父さんにも少しあげないとね。士呂の作ったご飯、初めて食べるんじゃないかしら。あの人、喜ぶわ」

 僕と母はダイニングに行くと、母はニコニコしながら小鉢に僕の作った炒め物を少し入れ、もう一つの小鉢には自分のサラダから少し取り、それぞれにラップをすると、いそいそと父の寝ている部屋に運んでいた。

 やっとダイニングの席に着いた母は、僕の作ったものを「美味しいわ」としきりに言いながら食べていた。

 母は食べている間に「最近はどんな人形を作っているのか」「展示会はの様子はどう?」など色んな事を聞いてきた。

「別に対して変わってないよ。最近は劇団の小物を作ることも増えて、人形以外もやってるけど。なんか人形師と言うか『造形師』に肩書きを変えた方がいいんじゃないかとか思う」

「そうなのねえ。人形師と造形師、士呂はどちらが良いの?」

「そりゃ……人形師だよ。今もメインは人形なんだから」

「なら肩書きは変えなくても良いんじゃない?」

「うん。いや、その…律さんの発案で僕の今まで作ったものの写真集を出すことが決まって…」

 律さんとは母の知り合いのカメラマンの事だ。本名を真柄律(まがらりつ)。僕の人形師の道を猛プッシュしてくれた恩人で、新作ができると、わざわざ写真ステジオを借りて一体一体素敵な空間で撮影してくれるのだ。

「あら、そうなの?凄いじゃない!りっちゃんったら、私にそんな大事な事一言も言ってなかったわ」

「まだそんな話が出たばかりだから…それでまあ、肩書きを『人形師』にするか『造形師』にするか悩んでる訳なんだけれど…。…母さん、落ち着いて」

 僕は写真集を出すことに舞い上がっている母を苦笑いで宥めた。母は嬉しそうに「何冊買おうかしら」なんて言っている。まだ話が出たばかりで何冊作るかも決まっていないのに、気が早すぎる。

「……母さん、少し元気出たみたいでよかった」

「そう?…そうね。士呂の近況を聞けて元気出たわ。母さん、ホッとしたもの。父さんに安心して顔向けできるわ」

 食後のお茶で口を潤した母は、しみじみとそう言った。

 食事を終えた僕と母は、僕が式について訊ねた事を皮切りに父の話になった。

「父さん、胃癌だったの。長く闘病しながら生活してたんだけれどね、他のところにも転移してからは早かったわ」

「そう」

「だんだん弱っていく父さんを見るのは辛かった。でも父さん、ずっと『まだ死ねない。死ぬわけにいかない』ってずっと言っていてね。私も、『そうよ、頑張って』って言い続けた。でも…最後は寝入るみたいにコトンと亡くなっちゃって。私はまだ夢を見てるんじゃないかって…狸か狐に化かされてるのかなって思うのよね…」

「…そう」

「お式の事だったわよね?お式はね、明後日の夜にお通夜で明々後日に告別式。ウチは特にお付き合いのあるお坊さんとか居ないから、無宗教葬って言うのかしら、そんな感じよ。今日、お昼過ぎにお葬儀屋さんとそういう話をしたの」

 ほら、パンフレットがあったでしょう?と母はリビングのテーブルを指差した。成る程、パンフレットを持って葬儀屋が来たからお茶が出ていたのか。僕は納得した。葬儀屋の名前を聞いて、たしか駅前にあったな、とも思った。

 僕は思い立ってポケットに入っていたスマートフォンを取り出して、『無宗教葬』を調べた。献花や焼香をして、故人の好きだった音楽などを流して最期を送る近代葬儀の様式の一つ。…ふむ、お坊さんがお経を読むのでは無いのか。僕は一つハテナを浮かべた。果たして、あの人の好きな曲なんてものはあるのだろうか。

「…母さん、父さんの好きな曲とか分かるの?」

「…それなのよね。母さん、父さんの好きな曲知らなくて…明日、父さんのお付き合いのあった人に電話して亡くなった事をお知らせするから、その時に聞いてみようと思っているところよ。思い返せば、全然父さんの好みって知らなくて。父さんの遺品見ても、全然音楽関係のもの無かったから…」

 遺品か。亡くなったら、その人の物は『遺品』と一括りに呼ばれてしまうのだ。人が亡くなるとは、酷い事だとものづくりに関わっているものとして、一つ心に留める事にした。いつか、僕の作ったものも、持っている誰かが死ねばその人の遺品になる。僕が死んだら、僕の家にある人形たちは『人形』ではなく僕の遺品になるのだ。

 遺品は、どうなるのだろうか。誰かに受け継がれるのだろうか…それとも廃棄されるのか。人形たちにも命はある。僕が吹き込む。いや、吹き込んでいるつもりで造っている。廃棄は、その子達の【死】だ。そんなの、僕は身を裂かれるような思いになってしまう。きっと耐えられない。

「士呂?どうしたの?難しい顔してるわよ?」

 母さんの声で我に返った。『遺品』という言葉一つに考え込んでしまった。

「あ、いや…。ごめん。……その遺品…って、どうするの?」

「遺品?父さんの遺品よね?もちろん取っておくわ。だって父さんの大切なものが入っているかもしれないでしょ?父さんの許可無しじゃ簡単に捨てられないわ。もう許可なんて貰えないけれど…」

「そっか」

 僕は一口お茶を飲んでから、一つの疑問を口にした。

「父さんって、何か大切にしていたものってあるのかな…」

「そうねぇ…。古い小さなオモチャが一つ、触ると怒られたわね。『これ何?』って聞くのも許されなくて、聞くととっても怒られたの。それがどうしたの?」

 …そんなものがあったのか。

「いや、なんでもない。父さんもそんなのあったんだって思って」

「父さんだって人間よ?大切な物の一つや二つあるわ。きっと思い出深いものなのね」

「そう、だね…」

 死んでからの方が父のことをいろいろ聞いている気がする。今の今まで父を人間と思っていなかった僕は、死んでからやっと『この人も人間だったのか』と思い知らされる。

「明日、父さんの付き合いのあった人達に電話するから、士呂も手伝ってちょうだいね。母さん一人だと何時間掛かるやら…」

「分かってるよ、手伝うよ」

 僕は溜息を吐いた。

 食事を終え、疲れているだろう母に先に風呂に行くように言うと、僕はキッチンで洗い物をした。

 父の知り合い。会った事がない。そりゃ、学生時代の友人やら、個人事業をしていた頃にお世話になった人もいるだろう。(事業をしていた事は知っていたが、出勤するのをあまり見かけた事はないが)まあ、人並みに付き合いはあっただろうから、年齢に比例して連絡する人数はそこそこいるだろう。実家に帰ってから数時間。この時間だけで新事実がわんさか出てきた。今まで父のことなんて考えたこともなかったから、尚更だ。一般的な父子関係であったならば、知っていて当たり前の事を僕は知らない。知りたくもなかった。だって僕は、あの人が嫌いだったのだから。

 僕はキッチンの水道の水を止めて、タオルで手を拭くと、逃げ出すように二階に駆け上がった。もつれる様に部屋に入り、鞄を漁る。頓服薬を口に含んで、また部屋を出て階段を駆け降りた。キッチンの水をコップで受けて、一気に煽った。

 動悸が止まらない。手が震える。目の前がグラグラする。冷や汗が出る。キッチンの床に座り込んで、コップを握りながらジッと薬が効くのを待った。

 何分座り込んだだろうか。母が呑気に風呂を出た事を伝えにキッチンまで来た。

「…士呂?あら、座り込んで……大丈夫?またいつもの発作かしら?落ち着いて、ね。大丈夫よ」

 僕が座り込んでいるところに駆け寄ってきた母は、僕の背中をあやす様にポンポンと二度三度リズム良く叩いてから、僕の手元の水をゆっくり飲むように言った。

「大丈夫、大丈夫よ…。落ち着いて」

 母は、この言葉をしきりに繰り返した。

 母は基本的に、僕の発作のトリガーを聞かない。何故かと尋ねたことはあったが、『誰しも聞かれて嫌な事はあるわ。たとえそれが身内であってもね』と笑っていた。

 薬が効いてきて、落ち着きを取り戻した僕は少し横になると言って自室に篭る事にした。『今日のうちにお風呂には入るのよ』と一言言われただけで、僕は首肯して自室のドアを閉めた。

 ベッドに横になって、目を閉じた。

 実家を離れてから、母と父は二人だけになったこの家で、どんな生活をしていたのだろうか。僕が幼い頃、母はよく父に叱責を受けていた。なんでこの人はこんなに母を叱るのか、家事育児を一切何もしていない父にはいう権利が無い癖に。そう思って最初のうちは止めに入っていたが、その後は必ず僕に矛先が向く。僕が成長していくにつれ、だんだん標的が僕になっている事に気がつく頃には、僕は自家中毒になっていて、それを責められることが多くなった。坂を転がる石に勢いがつく様に、僕が鬱病の症状を発症するまで時間は掛からなかった。

 なんで僕が、彼奴なんかに、彼奴のせいだ。呪いの様な言葉を布団に包まりながらずっと唱えていた。起き上がる事すらできなくなった僕を、父は部屋まで来て叱責をする。手までは出されたことはないが、その追い討ちが辛かった。僕は母に『何をしたら良いかわからない』『辛い』『生きてても意味が無い』『死にたい』そんな言葉ばかり零した。母は僕を病院に連れて行った。問診の結果、診断はやはり鬱病だった。病院の帰り道、母は『何か手を動かしたら良いのよ。気が紛れるし、きっとそれを楽しいと思えたら、良いと思うの。何か【士呂】という形を残してから死んでも、遅くはないのよ』そう言った。『死ぬ』なんて言葉を息子から聞くのは辛かっただろう。それでも死を否定するのではなく、『死ぬまでに何をするか』を提示してくれた母は僕にとって光を与えてくれたし、死にたがりだった僕に“猶予”を持ってもいいとそう提案してくれた母を、人形や造形を生きがいにしている今ではありがたいとすら思っている。今、父の死を目の当たりにして、自分の死が怖いと感じる。僕の人形を『遺品』と呼ばれたくないから。僕はまだ、【士呂】という形を残せていないから。僕は人形達が寂しがるのを見たくないから。


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