6・一進一退
不機嫌な顔をしたユベールは乱暴にひとの手首を掴んだ。だけど、
「何をしている」
と言葉を向けたのはアルバンへだった。
「話していただけに見えなかったか?」
アルバンは不快そうに眉を寄せた。
「往生際の悪い。お前は選ばれなかったんだ、諦めろ」とユベール。
「まだ変更はできる」
「あり得ないな」
ユベールは行くぞと私に言い、だけど視線を合わせることはなく手首を引っ張った。
「エルミ。修練の話、また聞かせてくれ」
アルバンが私にだけ笑みを向ける。迷ったものの、うなずいた。
「それからユベール。もっと彼女を丁寧に扱え。手首が痛そうだ」
「負け犬は黙れ」
侍女を下がらせ私の手を掴んだままユベールはずんずん進み、アルバンが見えなくなったところで適当な小部屋に入った。
「何が修練の話、だ。忘れてないだろうな」とユベールは刺々しい声を出し私を睨んだ。「お前の夫になるのは俺だ」
「分かっているわよ。野心しかない乱暴者様」
ユベールの顔が歪む。だけど手を離してくれた。見ると赤くなっている。どうしてなのか、それがひどく悲しかった。私の知っているユベールは、こんなことをしなかったからかもしれない。
「分かっているなら、なぜあいつと話す。聖女の夫の座を狙っているやつだぞ」
「あなたと同じね」
「俺で決まっているのに横槍をいれる卑怯者だ」
「交換条件を出すのは卑怯ではないの?皆を騙して聖女になることは?私も狡いことをしているわ」
「……」
ユベールは口をつぐみ視線を反らした。
「最近のアルバンには困ることもあるけど、元々は友人よ。知っているでしょう?同世代で祭礼の経験があるひとなんてほとんどいないのよ。アルベールは近頃会わないし、修練の話をできるのは彼ぐらいだわ」
「アルベールに恋人がいるからって、アルバンを頼るのか」
「他に誰かいるの?」
本来ならもっとも話が弾む立場のはずのユベールは、私と会話しようとしなかったではないか。
「母上がいるだろうが」
「同世代ではないもの」
王妃は私に聖女の全てを教えてくれる師だ。尊敬しているし敬愛してもいるけれど、気軽にお喋りする仲ではない。
「同じ聖女だろう。母上にしろ。いいな?アルバンには近づくな。話すな」
高圧的な物言いだ。
「嫌よ。どうしてそんなことをあなたに決められなければならないの?」
「それは、」
ユベールが言いかけたとき、
「ああ、ここにいたか」
との声が扉のほうから聞こえた。アルベールだった。
「ユベール、聞いたぞ。アルバンと険悪なやり取りをしたそうだな」
「そうなの。ユベールは私に彼と話すなと命じるのよ」
すかさず良識派王子に訴えると彼は、うん、とうなずいた。だけど部屋に入ってこない。
「詳しくは話せないが今、私たち兄弟とアルバンとは微妙な関係なんだ。できればエルミにはユベールの味方についてほしい。話すな会うなとは言わないから、そのようなときは私かユベールを同席させてくれ。ダメかな?」
「それならいいわ」
私とて二人きりで話したいわけではない。不機嫌なユベールに強制されるのが腹立たしいだけなのだ。
「良かった。ユベール、冷静にな」
では、とアルベールはさっさと去って行く。
とたんに部屋は静まり、気まずい空気になった。ユベールは変わらず他所を向いている。何を考えているのか、その横顔からは分からない。
こんなに良くない関係で、聖女と最高司教として力を合わせてやっていけるとは思えない。
ただ最近学んだことによるとそれぞれの役割さえきちんと果たしていれば、実際の関係がどうであっても問題はないらしい。多分ユベールは、それを知った上で交換条件をだしてきたのだろう。
交換条件。それの元は、聖女の矢はリアーヌに向かっていて私は事故という秘密だ。
私はそれが事実だと思っているけれど、もしリアーヌが言う通りに事故ではないのだとしたら。そうしたら秘密を守ってもらうための条件なんてなくなる。
私が本物の聖女だったなら、ユベールは野心を叶えるためにもう少し優しく接してくれただろうか。
だけどそんな仮定の話を考えたって仕方がない。
「交換条件はきちんと守るわ。アルベールのさっきの提案ものむ。約束するわ」
ユベールは答えない。
「自業自得だけど、今の私は聖女の責任の重みでつぶれそうなの。その上、あなたにキツク当たられるのは参るのよ。あなたも聖女が私でがっかりしたのでしょうけど、もう少し態度を柔らかくしてもらえると助かります」
言いたいことを言って、膝を軽く折り辞そうとしたら、またしてもユベールに手首を掴まれそうになった。思わず払いのける。
私の夫になる人は一瞬驚いた顔をしたけれど、すぐに不機嫌な表情に戻った。
「痛いのは嫌いなの」
そう告げるとユベールは私の手首を見た。まだ赤い。
「……それは悪かった。お前があいつと話すから」
ボソリとした声に耳を疑う。二人だけのときは必ず機嫌が悪いユベールが、私に謝ることなんてなかったのだ。
「そんなにアルバンと仲違いをしているの?」
思わず尋ねたけれど、アルベールが『詳細は話せない』と言っていたことをすぐに思い出した。
「事情は分からないけれど、これからは気をつけるわ」
「……花束も受け取るな」
「それは難しいと父様に言われているの。婚約の変更はまだ可能な期間だし、アルバンのお父様との関係もあるからって」
でなければ、とうに受け取らないで返送をしている。
「こっちが直系なのに」ユベールが不満そうに言う。「まあ、いい」
そしてまた口をつぐみ、沈黙がおりる。これで話は終わりだろうか。
「それでは失礼するわね」
今度こそ辞するために踵を返した。部屋を出ようとしたところで、
「聖女の責任は殊更重く感じなくていい」
と背後から声がして、思わず振り返った。
「水盤に女神の怒りは現れなかった。身代わりでも構わないということだ。だがこの秘密は墓場まで持っていけ。いいな」
ユベールの顔は見えない。どんな表情をしているのか分からないけれど、声は明らかに強ばっていた。
交換条件の念押しをしているのか、励ましてくれているのか、判断がつかない。もやもやする。
「リアーヌは最初から矢は私に向かっていたと言うの。そんな可能性があると思う?どう考えたって聖女に相応しいのはあの子なのに」
……こんな質問をして、私を嫌っているユベールになんて答えを期待しているのだろう。
しばらくの間のあと、ユベールの声がした。
「知るか、そんなこと」
振り返りもしなかったし、冷たい響きの声だった。
「そうよね。ごめんなさい」
声を絞りだした。
私はまだ、ユベールに優しさを期待しているらしい。自分のした質問に自分で傷ついて。バカみたいだ。