4・作戦
「そのようなお言葉はお止めなさいと、何度も忠告してさしあげているのに」
サロンの空気が重苦しくなりかけたところで、壁際に控えていたドニが声を上げた。珍しい。
「婚約を解消されてしまいますよ。あなたよりずっとスマートな夫候補はいるのですからね」
「うるさい」ユベールは相変わらず不機嫌に答える。
そうなのだ。ドニの言うとおり、私は婚約を解消できる。しかも一存で。聖女就任と王族との婚姻が拒否できないせいなのかどうなのか、これだけは聖女の意思が尊重され、秋の例祭までならば何度でも夫候補を変更してよいという。
とはいえユベールとの結婚は、私がリアーヌの身代わりとの秘密を守ってもらうための交換条件だ。
「心配しないで、ドニ。そのようなつもりはないから」
「そうですか。お心の広さ、主に変わって感謝申し上げます」
「お前は黙っていろ」
ドニはまだ何か言いたそうだったけれど、サロンに侍女が入ってきたからか、口を閉じた。
彼女は銀の盆を手にしている。それに載っている小箱は私が持ってきたものだ。
受けとり卓に置くと、ユベールの方へと押しやった。
「ユベール。たまには、手土産」
胸がドキドキしている。いつまでもこんな微妙な状態は嫌だから、関係を変えたい。そう願って、ユベールが好きなお店の林檎のタルトを買ってきたのだ。
だけれど小箱を開けたユベールは眉間のシワを更に深くした。
「……好きじゃない」不機嫌な声。視線も上げずに呆れたようにため息をつく。「これを好んで食べていたのは随分昔だ。お前は何も知らないのだな」
何も知らない?
だってそれはあなたが私を避け始めたからじゃない。昔はよく知っていたもの。
身体の奥からムカムカとした気持ちが湧いてくる。
「殿下は煮林檎の食べ過ぎで、かえって苦手になってしまいまして」主のそばに来たドニが言う。
私のリサーチ不足は否めない。手土産をと考えたときにドニに確かめれば良かったのだ。
だけれどそう言うユベールだって私の好みを知っているの?私が今一番好きなスイーツは?ドレスの色は?アクセサリーのモチーフは?
どうせ知らないに決まっている。
「……失礼しました。どうぞそちらは処分して下さいな」
「いえ、お気持ちは嬉しいのです。本当です。ね、殿下」
ドニが繕うけれどユベールはやはり私を見ない。
やっぱりダメなんだ。私との関係を改善する気持ちはないに違いない。
私は淑やかに立ち上がった。
「お互いに無理はやめましょう。ストレスになるだけだもの。体裁を整えてくれるのは有難いけれど、お茶の時間はもういいわ。明日から私は自邸で嫁入り勉強があるということにしておいてね」
「エルミ」
ユベールが顔を上げ私の名を口にした。視線も合う。
不愉快だった気持ちがやるせないものに変わる。膝を折って挨拶をすると、さっと部屋を出た。
たった一度目が合い名前を呼ばれたことが、泣きそうなぐらいに嬉しいのだ。プライベートの時間ほとんどで無愛想な態度をとられているのに、私は全然ユベールを嫌いになれないらしい。
こんな気持ちで彼と結婚をして、私は大丈夫なのだろうか。
廊下を暗く落ち込んだ気持ちで進む。侍女が心配そうな表情をしているけど、何も言わないでくれているので助かる。
「お待ち下さい!」
掛けられた声に振り向くと、ドニだった。走ってくる。
「お呼び止めして申し訳ありません」
「いいえ。あなたに気遣いさせてばかりね。ありがとう」
ドニは首を横に振った。
「エルミ様。私からは主の態度の非を詫びることしかできません。お許し下さい。お気に障るでしょうが、どうか、婚約はこのままで。ユベール殿下と結婚をなさっていただきたいのです」
「ドニは主思いね。先ほども言ったでしょう。大丈夫よ、婚約解消はしないわ」
「ですがアルバン殿下は未だ諦めないで、あなた様に毎日花束を送っていると聞いています」
「よく知っているわね」
思わず苦笑がこぼれる。夫候補のひとりであるアルバンは、ユベールの従兄だ。彼は最初の夫選びの時から激しくアピールをしていて、私がユベールを指名した後も抗議するし、今も頻繁に翻意を促してくる。
彼は稀に見る美貌の持ち主で、とてつもなくモテる。だからきっと自分が選ばれないとは露ほどにも思っておらずプライドが傷ついてしまい、躍起になっているのだろう。
元々はリアーヌの周りに集まってくる人たちのひとりだ。
容姿も性格も素晴らしく、社交的でもある可愛い彼女はいつでもどこでもたくさんの人に囲まれる。その人々の中には気を遣って私にも話かけてくれる人もいて、アルバンもそうだった。
悪い印象はない人だったけれど、最近はちょっとばかり辟易している。
「心配しないで。アルバン殿下は嫌いではないけど、夫にしたいとも思っていないから」
「ならばよいのですが」ドニの表情は全く良さそうではなかったけれどそう言って「できることならばお茶の時間も継続をお願い申し上げたいのです」と続けた。
「それは断ります。私も毎日の勉学でくたくたなの。その締めにユベールとのお茶の時間は辛いわ」
「……承知いたしました」
ちょこっとの努力が報われなかったぐらいで大人気ないとは思うけど。好きな相手にお前など嫌いだとの態度を取られ続けるのは堪える。
ユベールはいくら野心のためとはいえ、よく嫌いな相手と結婚する気になったものだ。もしかしたらリアーヌの結婚を知って自棄になったのかもしれない。
だって私を避けながらも、リアーヌのそばには絶えずいたのだから。