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隠しごと

作者: 山原 倫

 店内にひしめく笑い声や話し声、食器のぶつかる音に遮られながら、微かに聞こえたその名前は、心の奥底に眠って今の今まで忘れてしまっていた記憶を蘇らせた。

「誰って?」

 俺は思わず、その名を口にした小学校の時分の級友に聞き返した。

「小沢だよ、小沢」

「誰?」

「ほら。不登校の」

「あー、何かいじめられてた子でしょ」

「え、だれだれ?」

 俺は周囲の会話を聞き流しながら、頭の片隅に残った当時の出来事を少しずつ手繰り寄せていく。ともすれば、もう二度と思い出すこともなかったであろう、数十年も前の出来事。あやふやではあるけれど、それは確かに記憶の中に刻まれていた。


 小沢は何をするにもトロくてのろまなやつだった。勉強も運動もできず、デブで不細工でいつもおどおどとしていて臆病で、見ていてイライラさせられるやつだった。そう感じていたのは俺だけではなかったようで、クラスの目立つグループの連中に目を付けられるようになるまで、そう時間はかからなかった。彼らは、小沢を様々な方法で揶揄い、笑いものにしていた。体育の時間にはみんなの前で無理矢理ズボンを脱がせたり、女子更衣室に小沢を押し込むこともあった。小沢を女子トイレに入れ、扉を塞いで閉じ込める、なんてこともあった。それもあって、小沢は女子たちからも嫌われ、疎まれていた。

 俺はといえば、特段いい気味だとも、かわいそうだとも感じず、クラスの大多数と同じように何とも思ってはいなかった。それがいじめってやつだと頭では分かっていたが、それ以上の思考には至らなかったのだ。小沢にもいじめって現象にも、無関心だったのだろう。だから、校庭の隅にしゃがみ込む小沢を見かけたときも、大して興味は引かれなかった。そのときは昼休みで、俺は友達とサッカーをやっていた。遠くへ飛んで行ってしまったボールを友達が取りに走った隙に、俺は何となく気が向いて、小沢の方へ近づいていった。足音に気が付いたのか、小沢は後ろへ振り返ると、慌てた様子で立ち上がり、口の中で何かもごもごと言葉を発した。後ろ手に何かを隠しているのに気が付いた俺は、「それ、なに隠してんの」と小沢に問い質した。小沢はまたもごもごと口ごもりながら、「べつに……」と蚊の鳴くような声を口の端から溢した。「おい、蓮!」と後ろから呼ばれて、俺はそれ以上小沢に詰問することもなく、友達の元へと駆けていった。その日はそれ以降、小沢について考えることもなかった。

 別の日。その日の昼休みも、俺はいつものように校庭でサッカーをしていた。すると、以前と同じ校庭の隅に、小沢がしゃがみ込んでいるのが目に入った。足を止め、しゃがみ込む小沢をしばらく眺めていると、その背に近づいていく一団があった。いつも小沢をいじめている連中だった。彼らに気が付くと、小沢は蒼白になり、後ろ手に何かを隠しながら、彼らから離れようとする。「どこ行くんだよ小沢ぁ!」と怒鳴られると、小沢は身体を震わせてその場に立ち竦む。蛇に睨まれた蛙ように小沢は身動ぎ一つせず、彼らが目前に来るまで大人しく待っていた。どうなるんだろう、と俺は気になって、一部始終を見届けようとじっと見つめていた。「蓮! パス!」という声で試合に引き戻され、俺は小沢たちから目線を外して、ボールを貰いに走っていった。

 試合が一段落つくと、俺は不意に小沢のことを思い出した。先程まで小沢たちがいたところに目をやってみると、そこにいたのは小沢だけで、他の連中はもういなくなってしまっていた。目を凝らしてみると、小沢は地面にうずくまり、泣いているようだった。その腕の中には、何かを掻き抱いているようにも見て取れた。チャイムの音が鳴り響き、俺は急いで校舎へと駆けていった。途中、後ろを振り返ってみると、まだ小沢はうずくまったままだった。その昼休みを境に、小沢は学校に来なくなり、二度とその姿を目にすることはなかった。

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