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朝霧山遭難事故調査報告書

朝霧山遭難事故調査報告書・3~化け物になった女~

作者: 上野羽美

 この世界にはありとあらゆる禁足地というものがある。

 歴史的、宗教的観念から神の世と人の世を完全に分け隔て、中に踏み入れることを良しとしなかった土地。


 代表的なものとしては千葉県の八幡の藪知らず、対馬のオソロシドコロなどがある。


 これらは全ての人が立ち入ってはならない場所であるが、前述したように山岳信仰においては女性は山に立ち入ること自体が禁忌であった。


 例えば御嶽山、痛ましい噴火による事故も記憶に新しいこの山は山岳信仰を語る上では白山や出羽三山に並んで欠かせない山でもある。

 この山には女人堂という今でこそ山小屋ではあるが、かつてはお堂があり、ここから先を女性の禁足地としており、女性が参拝に来たとしてもここで祈りを捧げるほかなかった。

 こうした山は日本各地に存在し全く珍しいものではない。


 また前回でも触れた話ではあるがマタギは山に入る時は女性から離れなければならない。

 いわゆるマタギ信仰というものだ。女性の存在が大変嫉妬深い神の怒りに触れることを恐れたのだ。


 そして今回の話でもう一つ抑えておきたい語句がある。


「忌み地」というものだ。


 足を踏み入れてはならないというわけではないが、その地に入ることで自分の身や周りに何か不幸が起きる。

 同じようなものでは心霊スポットがあげられるだろうか。その地に足を踏み入れることで祟られるという場所だ。とくに山岳地帯においては「祟り山」という名称が使われる。


 この忌み地や祟り山が多くひしめく山域が実は日本に存在する。

雲取山、鷹ノ巣山、御岳山、三頭山、高水三山などで多くの登山者を有する東京都奥多摩山塊である。


 倉戸山を初め、今でこそ改名が為されてはいるがバケモノ山、位牌平、生首などおどろおどろしい地名がかつての山岳地図には残り、その土地に足を踏み入れたものや、その土地を購入した者に災いを降りかからせた忌み地が確かに存在するのだ。


 そんな奥多摩山域に勝るとも劣らない登山客と遭難者を有する朝霧山山塊にも似たような忌み地がないかと、前回紹介したマタギの今井義三氏に話を伺った。


 であるが、まず筆者自身で調べた結果ではあるが先に述べたいと思う。予備知識として頭に入れてもらえるとありがたい。


 朝霧山の山岳信仰についてだが、麓の朝霧神社里宮、もとい山頂の朝霧神社で祀っているのは伊奘諾(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)そして山の神である大山祇神(おおやまづみのかみ)である。


 ここは全国的に見ても珍しい本殿がない神社である。埼玉県の金鑚神社、長野県の諏訪大社同様、御神体が山そのものであるため、鳥居の向こうにある山自体を拝観する神社だ。


 これらの形態は日本古来のアニミズムがそのまま現代に残っているとされ、こと神道においてはこの御神体が自然のものであることこそ本来の姿であるとされる。


 かつては霊峰とされ数多くの修験者などがこの朝霧山で修行をしていた。今でも小さな祠など山岳信仰の名残は多く見られる。


 高野山のように明確な記述は残ってはいないが、明治に入るまではこの山もまた女人禁制であったとされるが、この土地に根差していたマタギ信仰と混同視されているのではというのが筆者の見解だ。


 だがそれを否定するように今井氏はこんな話を語ってくれた。


 今でこそ山岳地図にその表記はないが、昭和初期の山岳地図をあたると今でいう神在山道の一部がかつてメマヨイ尾根と呼ばれていたのが分かる。

 漢字に当てると女迷(めまよ)い尾根であろうか。


 いつの時代か定かではないが、この付近の集落にある一人の若い女がやってきた。女は幼い子供を二人連れていた。


 女と子供はそれぞれやつれ切っていた。顔色も悪く集落の住民たちは心配して様々な施しをしてやったという。


 そのうちに女と男の子は元気になっていたが、もう一人の幼い女の子は一向に良くはならなかった。虚弱だった彼女らに対して女の子は病にやられ回復は見込めなかったのだ。


 母親は毎日のように麓から朝霧山に向かって祈りを捧げたが、娘は回復せず死の間際にいた。


 そんな山に祈りを捧げ、看病をする毎日であったが、ある日息子が川で足を滑らせて呆気なく溺れ死んでしまったというのだ。


 度重なる不幸が相次いだ母は娘だけはなんとしてでも生かしてあげたいと女人禁制であった山に踏み入れ、直接その地で祈りを捧げることにした。


 集落の住人は反対したが、それを止めることは出来なかった。

 だが彼女はその山が女人禁制の地であることは重々承知であり、女が立ち入ったらどうなるかを分かっていたのかもしれない。


 山の神の怒りに触れれば娘の命は無くなってしまう。


 そこで彼女は山の神を騙すことにした。




 ここで少し話が逸れるが山の神を騙すということはよく行われていたことを補足しておく。

 主にマタギ信仰においては12という数を忌み数にしていた。もちろん12人で山に入ることはなかったものの、たまたま出会った他の人間を合わせてその場にいる数が12人になってしまった場合、マタギたちはその場で人形をつくり、合わせて13人として忌み数を避けていた事実がある。


 だが、彼女の取った行動はあまりに狂気じみていた。


 彼女はまずさらしをきつく巻いて胸を隠し、白装束に身を包んだ。髪を短く切ったあとで亡くなった長男の顔の皮を剥ぎ、それで仮面を作って入山したのである。


 メマヨイ尾根は地図を参考にすると標高700メートル地点になる。

 この場所までどうにか何事もなく歩いてきた母親だったのだが、石につまづいてその拍子に仮面を落としてしまったのだ。


 その瞬間滝のような雨が降り注ぎ、雷鳴が轟き、風が唸りを上げて吹いた。


 山の神の怒りに触れたのだ。


 その雷鳴を麓から集落の住人が聞いていた。その時誰もがあの母親が怒りに触れたのだと思い、朝霧山に手を合わせて怒りを鎮めようとした。


 その時集落の長の家に預けられた娘は布団の上で突如として泣き叫んだ。


「おっかぁ!おっかぁ!おっかぁ!」


 娘は母親が山に行ったとは聞かされていなかったのだが、雷鳴とともに泣き叫んだとなれば母親の最期をどこかで分かっていたのかもしれない。


 娘は喉から血を吐くほど泣いたあとで事切れてしまった。


 それから数週間経って、穏やかな天候が続くと住民は母親の遺体を確認しに行った。しかしどこを歩いても彼女の姿は無かったという。


 しばらくして朝霧山に入った一人の木こりが脂汗を流しながら集落へ駆け込んできた。


「バケモンだ!あの若い女!山の神様にバケモンにされちまった!」


 ガタガタ震える木こりの話を聞くと、山を登っている時に女のすすり泣く声が聞こえたという。

 気になって辺りを見回すと白い装束の人がこちらに向かって歩いてきた。


「おおい、なにやってんだこんなとこで」


 そう木こりが声をかけても女のすすり泣く声が聞こえる一方だった。

 不気味に思ったものの、その人物に近づいていくと人だと思っていたものは何やら人の皮を仮面のようにくくりつけ、白装束のような肌をした四つ足の化け物だったことに気づいた。


 何を言っているのかわからなかったが、朝霧山を仕事場にしている住民からすると気味の悪い話だった。


 そこで何人かのマタギが猟銃と槍を手に朝霧山へと向かった。


 午後には木こりの言っていた場所についたが、それでも鹿の1匹も現れない。

 そこでマタギはその場で簡易的なマタギ小屋と呼ばれる簡易的な小屋を作り、獲物を待つかのように夜を待った。


 深夜、浅い眠りについたころ、尾根の方からすすり泣く声が聞こえた。虫の一匹も鳴かないということはマタギにとっては授かりものを与えてもらえない、山の神の怒りに触れているという状況だった。


 許しを得るには過ちを犯して化け物になった女を撃ち殺すしか他ない。


「だれかぁぁぁ……だれかぁぁぁ……助けてくださいまし……」


 すすり泣く声は確かに近づいてきている。紛れもなく、あの女の声だった。

 やがて暗闇から白装束が見えた。


 一人のマタギが猟銃を構えて撃つ。


「首だ」


 確実に首に被弾した。数多くの獲物を仕留めてきたブッパである弥吉は感覚としてそれを覚えていた。

 その手応えは確かに四つ足のクマや鹿といった大型の動物を撃った感覚に似ていた。


「ぎゃあああああああ!!」


 甲高い悲鳴が夜を裂いた。その時けたたましい足音が地面を揺らしながらこちらへ向かってきた。

 仕留め損なったのである。


 弥吉に襲い掛かったその四つ足の首の辺りを仲間の一人が槍で突き刺した。

 体は白く、四つ足ではあったが足は人間の手足そのもので、自らの息子を仮面にしたその眼孔の奥にある目はギラギラと輝いて、弥吉たちを睨みつけると急峻な尾根へと転がっていった。


 その同時刻、弥吉たちの幼子が原因不明の高熱を発症し、夜が明ける前に亡くなったという。


 化け物になった女はどうなったかというと弥吉たちの努力も虚しく、時折その尾根ですすり泣く声を聞いた者が後を絶たなかったという。


 その地で彼女を見た者は不幸に見舞われると集落という狭い中ではあるが忌み地として語り継がれてきた。


 これが今では神在山道の一部として知られるメマヨイ尾根の由来だと今井氏は語ってくれた。


 筆者は何気なく通っていたメマヨイ尾根だが、その場所には確かに祠があり、山岳会によってお酒や花が添えられていたが、彼らはこの祠を朝霧山の山岳信仰由来のものであると思っていたようだ。


 日本は非常に狭い国土であり、大部分を山岳地帯が占めている。だがそんな国にはこのように今では忘れ去られたような伝承が今も至る所で眠っている。


 そのまま忘れ去られ消えていくのが最良か、こうして今になって揺り起こし語り継ぐのが最良か、私には判断しかねるところがある。


 それが歴史というものだ。なんにせよ、人の思いはともかく、土地というものは半永久的に残り続けるものだ。


 もしかするとあなたがこの話を読んでいるその場所が、実はかつて忌み地と呼ばれていた場所であるのかもしれない。


 それを知るのか知らずに過ごすのか、あなたならどう判断を下すのだろうか。


 今回は朝霧山で忘れ去られた怪異についての話をお送りさせていただいた。周辺山塊の調査は今も続行中である。

令和になりました(あまりにも遅すぎる報告)。

僕の中ではもう幽霊とか、UMAだとか、そういうものは平成の時代に追いやられたような気がしています。それはやっぱり、誰もが高性能なカメラを持っていたり、或いは誰もが写真や動画を加工できるという前提が平成の後期に訪れたからではないでしょうか。


いつから付いてるのかは知らないですけど、心霊番組の終わりには「この番組は心霊現象を肯定するような番組ではありません」みたいなテロップがつくようになったんですね。あれ、誰に向けて書いてるんでしょ。まぁいいや。


とにかく、そんな時世ともなると幽霊なんてちゃんちゃらおかしいし、妖怪なんて言うともう完全にフィクションの中の話です。それでも一昔前までは狐火を見たとか、河童がいただとか、狸に騙されたなんてのは当たり前の話だったそうです。


でも令和の時代になっても僕はそれらがまだ生きてるんじゃないか、いてもおかしくないんじゃないかと思うのがやっぱり山の中なんです。

そういえば最近ワイドショーで奥秩父にて100年前に絶滅したはずの狼の鳴き声が収録されたなんてのがやってたみたいです。本当かどうかは分かりませんが、三峯神社を中心とした狼信仰があの山域にある以上は「いてもおかしくないんじゃないか」とか「まだ生きてくれていたらロマンがあっていいんじゃないか」とかおもったりもします。


でもこれ、考えてみたら100年前に絶滅したはずの生物が生きてるかもしれないってなんで思えるんでしょう。それらしき遠吠えが録られたとして、それだけじゃネッシーだとか、ツチノコだとかと同じようなもんです。

でもそこには狼信仰という信仰がその山域に根差していたこと、そしてやっぱり奥秩父という広大で山深い山域で確認されたという前提があり、そこにこそ説得力があると僕は思います。令和の時代になっても山という場所は完全に人間のものにはなり得ないのです。


この話の朝霧山山塊は全くのフィクションですが、山塊を形作っていくにあたっては説得力というものを意識して書いてます。今回は妖怪チックなものを出しましたが、それでもこの朝霧山山塊がこの日本のどこかにあってもおかしくないと(少なくとも僕には)思えるというのには一つとして「山というフィールドならなにがあってもおかしくないんじゃないか」という令和になっても拭い去れない前提があるからだと思ってます。


こうして考えると山ってのは面白いし、山ホラーなら需要はともかくまだまだ伸びしろあるんじゃないかって思います。需要はともかくね。


久々のあとがきらしいあとがきでした。

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