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野良猫は真夜中に歌う

作者: 七瀬 夢

友人の実体験を元に書きました。短いのでよかったらサラッと読んでみてください。

@彼女はさそり座


これは俺の一つの小さな恋の物語。


俺は病気だ。所謂精神疾患というもので、重度の鬱病に苦しんでいる。自傷行為なんて怖くてできないが、何度も死のうと思ったことはあった。飛び降り、絞首、轢死、色々考えたが実行に移すことはできなかった。この苦しみから解放されたいと思った俺は、ある日地元の精神科に受診した。もっと大きな病院で入院する必要があることと、ある大きな病院で頭に電気を流す治療が鬱病に効果的なのか実験させてほしいと患者を募っていることを聞いた。俺はその実験の被験体になることを決めた。

入院と共に電気治療が始まった。電気治療は思わず声を出してしまいそうなほど痛みを伴うものだった。

入院してから数日後、俺はある少女と出会った。第一印象は「この子モテるな」といったところで、他の入院患者とも気さくに仲良くしているようだった。俺は谷口さんという入院患者が退院する時の記念撮影に呼ばれて混じった。俺はその人と大して仲良くなかったが、少女はかなり仲が良かったみたいだった。当たり前のように少女も一緒に写っていた。俺は新米だし大して仲良くなかったので一番端に、少女は真ん中にいた。お近づきになりたかったが、突然名前を聞くのは失礼かと思い、奥手な俺はモヤモヤしていた。

俺は入院患者のおばさんたちに可愛がられた。音大卒の俺はピアノとギターを弾く事が得意で、入院病棟の共有スペースで毎日のように俺の伴奏でおばさんたちは歌い、おばさんたちが読書をしている時には落ち着いた曲をギターで弾いた。少女もおばさんたちに気に入られていて、よく会話しているところを遠目に見ていた。

ある日突然チャンスはやってきた。共有スペースに俺とおばさん二人と少女がいた。おばさんたちはいつものように読書をしていて、俺はギターを弾き、少女は黙ってスマホをいじっていた。

「給湯室でお茶を汲んでくるわね」

「あ、私も」

おばさん二人は自分のコップを手に共有スペースを出て行った。話したことのない俺たち二人は気まずそうに目をあわせた。

「あの、名前なんていうんですか?」

先に訊いてきたのは彼女だった。

「狩野玲です。あの、名前は?」

俺は名乗り、彼女にもそれを求めた。

「村井桜です」

桜。容姿端麗な彼女に合う、綺麗な名前だと思った。

名前を知った俺たちは一気に仲良くなった。

「ギターうまいね」

「ありがとう。桜ちゃんはどんな曲を聴くの?」

「私はなんでも聞くよ。邦ロック、K-POP、洋楽、ボカロ。なんでも勧められたら聞くよ」

「そうなんだ、俺もなんでも聞くなあ」

俺たちは笑いあった。悪くない雰囲気だった。むしろ良いムードだったように思う。

桜ちゃんは歌えない子だった。良い声をしているのに、勿体無いと思ったけど、歌えないことを気にしているみたいだったから言えなかった。

俺と桜ちゃん以外にも同じくらいの歳の入院患者がいた。美月ちゃんと由奈ちゃんだ。由奈ちゃんは俺が桜ちゃんと仲が良くなってしばらくした頃に退院してしまったけど、美月ちゃんとは桜ちゃんと同じくらい仲良くしていた。最初にSNSで連絡先を交換したのは美月ちゃんだった。美月ちゃんと俺はLINEでもたくさん話した。美月ちゃんとも良いムードだったと思う。

ある日俺と桜ちゃんと美月ちゃんの三人は廊下で立ち話していた。

「そういえば私、谷口さんとハグしたんだよねー」

桜ちゃんの言葉に美月ちゃんと俺は、ええっ、と驚いた声をあげた。なにそれ。純粋に谷口さんを羨んだ。

「いや、退院したらもう二度と会えなくなるじゃん?私もう二度と会えないなーっていう人とは最後にハグをするんだよね。高校の部活の時の先輩としたのが最初かな。お別れの挨拶みたいなもんだよー」

桜ちゃんは少し寂しそうに笑った。

その日だった。美月ちゃんと俺は共有スペースにいた。適当にギターを弾いてた俺に、美月ちゃんは「ハグしたい」と言った。俺は美月ちゃんのことをそういう目では見ていなかったけれど、男としてハグはしたかったからした。美月ちゃんは嬉しそうだった。

そのあとLINEで「玲君が好きです」と言われた。なんとなくそんな気がしていた。

「でも俺、美月ちゃんとは付き合えないです」

俺ははっきりと自分の気持ちを伝えた。

「そっか。玲君は桜ちゃんが好きなの?」

「いや、俺たちは普通の友達だから。付き合うとか付き合わないとか、そういう対象には見てないよ。特に桜ちゃんは」

「私たちは普通の友達だもんね」それは桜ちゃんが俺によく言うセリフだった。言われるたびにそうだ、と思ったが、その一方で告白してもないのにフラれているような気持ちにもなった。

翌日、美月ちゃんは退院した。

「元気でね。また会おうね」と言ったら、「もう二度と会うことはないでしょう」と返ってきた。

「そう言われたのが悲しかったんだよねー」

気づけば俺はことの一部始終を桜ちゃんに話していた。

「私が谷口さんにハグをした話をしたから影響されたのかな」

桜ちゃんは言った。

「多分そうだと思う」

俺は言った。

「でもなんで断っちゃったの?美月ちゃん可愛かったじゃん」

「いやー、俺の好みじゃないし」

それに、

「俺は桜ちゃんが良い」

「え?」

桜ちゃんは驚いているようだった。でも俺の本心だった。俺は桜ちゃんを抱きしめ、そしてキスをした。

「拒むかと思った」

「びっくりして体が動かなかったの」

桜ちゃんの顔は引きつっていた。それでも俺はまた二度、三度キスをした。やっぱり桜ちゃんは拒まなかった。

その日から俺の猛アタックの日々が始まった。電気治療の痛みに慣れてきた頃だった。

桜ちゃんには涼介という元彼がいた。その人のことが忘れられないようだった。

「俺が忘れさせてあげるから」と言っても、「別に忘れたくないし好きなままでいたいの」と返ってくる。

「本気で桜ちゃんのことが好きなんだ」

「わかったって」

「本気なの」

「知ってる」

俺たちは何度もキスをした。共有スペース、食堂、給水機の陰、みんなが寝静まった廊下。

「監視カメラがあって、そういう事をしているの見えてるから。もうやめてね」

一度看護師さんに注意された時、桜ちゃんはとても恥ずかしそうに謝っていた。そんな姿も可愛くて。「もうやめよう」と桜ちゃんは言ったけど、「俺はやめるつもりないよ」と言った。桜ちゃんを困らせるかもしれないけど、俺はそうしたかった。

ある日電気の点いていない共有スペースの窓枠に座ってキスをしていた時のこと。桜ちゃんは不意に左腕を見せてきた。そこには無数の自傷跡があった。俺はとっくの昔に気づいていたけど何にも言わなかった。重度の鬱病の俺は、自分を傷つけたい気持ちは痛いほどわかっていた。

「痛かったね」と俺は言った。「痛みはないの」と彼女は言った。

「引かないの?」

恐る恐る尋ねる彼女に、「引かないよ」と言った。

「じゃあ、こっちは?」

彼女は今度は左肩を露出させた。彼女の左肩には、左腕とは比べ物にならないほどの傷跡があった。大きな幼虫がへばりついているようにも見える、ひどいミミズ腫れのようなケロイドだった。

「引かないよ」とさっきと同じように俺は言った。

「心の傷の方が痛かったでしょ」と言ったら、彼女は泣きそうな顔でこくりと頷いた。

「泣いても良いんだよ」

「泣かないよ。絶対泣かない」

桜ちゃんは強がりだった。そんなところも俺は好きだった。

「俺、好きでもない人と付き合ったことがあって」

今度は俺のカミングアウトが始まった。

「いっぱい傷つけちゃったんだよね。でももう同じ過ちはしたくないから、本当に好きになった人としか付き合わない。桜ちゃんのこと、俺は本気で好きだよ」

「そっか。ありがと」

桜ちゃんは微笑んで言った。俺は続けた。

「俺のポリシーがあって、音楽始めてからずっと考えてるんだけど、どうしても愛の意味がわかんなくて。だから人に愛してるって言ったことないの。言えないの。これが唯一のポリシー。かっこ悪いでしょ」

「良いポリシーだと思う」

「桜ちゃんは俺がどんなに良い男でも揺るがないもんね。涼介のこと愛してるもんね。そんなに誰かを想えるなんて素敵だと思う」

「そうだね、私は涼介を想ってる」

桜ちゃんはまっすぐ俺を見て言った。

「まさか入院生活でこんな本気の恋するとは思わなかった」

俺のつぶやきに、桜ちゃんはごめんねと謝った。

見回りに来た看護師さんに「何してるの?」と声をかけられるまで俺たちは一緒にいた。

看護師さんだけじゃなく主治医にまでキスを咎められた俺たちだったけど、もうやめようという桜ちゃんの言葉を振り切って、俺は辞めるつもりなんてなかった。彼女が俺に振り向くことはないとわかってても俺はキスをやめなかったし、彼女もそんな俺を否定することはなかった。お互い利用していたんだと思う。桜ちゃんはスリルと甘えと刺激を求め、俺は性欲を満たした。俺は理性でなく感情で生きていた。

「一度やめるよう注意されてるよね。お部屋に戻りましょう、ね」

いつも優しい看護婦さんが優しい口調のままで二度目の注意をした。桜ちゃんが退院する日のことだった。最後のキスを堪能していた俺たちはそれぞれの病室に戻された。桜ちゃんは時間が来るとそのまま病院を去った。俺の一つの恋が終わった。本当に本気だった。

桜ちゃんを見送った後、看護師さんは俺の病室に来て言った。

「一度注意されたことをやめれなかったのはこの病棟のルール違反です。もうこの病棟にはいられません。荷物をまとめてください。今日退院です」

主治医にも同じことを言われ、俺は二ヶ月早く退院をした。そのことを桜ちゃんに伝えると、責任を感じたようで何度も謝ってきた。

「キスは俺が一方的にしただけだから。桜ちゃんからしたことなんてないから。俺の責任だから。入院費用が少なく済んで良かったよ」

我ながら優しい言葉だと思った。実際、俺の電気治療はあまり意味をなしていなかった。このまま二ヶ月間続けていてもなんの成果も得られなかったと思う。

そうして俺は一つの恋を終え、音楽活動に精を入れた。

最後まで読んでくださってありがとうございます。嬉しいです。もしよかったら感想書いていってくださいな。

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