4.ここどこ? 霧ヶ峰高原ぢゃないよね?
──なんだか懐かしい。
ヤバい。一気にオバサンになった気分だ。
世間的には、数年で50歳になる中年女はオバサンと呼ぶのかもしれない。
しかし、家族から独立して家庭を持った訳でもなく、仕事に邁進してキャリアウーマンを極めた訳でもなく、子供もいない、自分の生活に責任を重きに置かない生活を続けてきたせいでか、父、母共に、親戚一同が実年齢より若く見える血筋だからか、私の見た目は三十代なのだ。
父の10歳年上の姉が、父と同級生だった母とそんなに離れてないように見える。
むしろ着飾ってお出かけ仕様にすると、母より若く見えるのだ。
72歳より若い82歳、凄くない?
しかも、母だって72歳と言っても60代前半で通る外見なんだよ?
母の母、祖母は60を越えても、髪を染める必要がないくらい黒々としていた。上半身は丸々と肥っていたからかあまりシワもなかった。
それは父の姉や兄も同様で、そんなに太ってはいなかったが、顔や首などにシワは殆ど見られなかった。目尻の笑いジワがたまに目立つくらいだ。
私も含めみんな、ほうれい線も深くなく影が出来ないので(某作品で日本人が平たい顔一族と呼ばれる由縁か?)、それが若く見えるのにかなりのアドバンテージになっていた。
そんな見た目はアラフォー精神的には学生時代から変わらない実はアラフィフな私でも、仕事に疲れたりする。
毎日、誰がやってもそう大差ない繰り返しの仕事を、アルバイト学生とそう変わらない給料で、社員と同じかそれ以上の時間を働くだけの、楽しみは読書とスマホアプリゲームとたまの映画鑑賞という味気のない毎日。
最近じゃ時間もなくて疲れてるから、おやつ作りは月に数えるほどの休日のみだ。
このままスローライフやりたくなってきた。
もちろん、現状何も持たずに出来る訳ないんだけど…。
何かやりがいのある、私にしか出来ない仕事という訳でなく、淡々とこなすのが意外に疲れるし、同じ事の繰り返しが毎日に意欲が湧かないのだろう。
この森林の感じが、生まれ育った地の山に感じが似てて。歳と共にだんだん酷くなる花粉症も出なくて。空気が美味しい。胸いっぱいに吸っても咳き込まない。
益々、ここで暮らしたくなってきた。涙も少し滲んで来た。
疲れてるのか、この非日常な環境に影響されたのか、状況把握・現在地確認が出来ない不安からの現実逃避か。或いはそのすべてか。
あまり人の入った感じはない道なき道は、なだらかな下り坂で、時折離れた場所で小鳥が飛来したり飛び立ったり、こちらの様子を覗くようにリスっぽい小動物が、高い位置の枝と幹の叉から顔だけを出しては引っ込む。リス?モモンガ?ヤマネ?
リスやヤマネだったら仲良くなりたいなぁ。
どんどん現実逃避が激しくなっていく。
いや、マジでここはどこなのか。
改めて考えてみても、駅前から自宅までのたった8分少々の距離で迷い混んだ場所とは思えない。
勝手に妖精の環と呼んでいた、山犬から身を護ってくれた結界のようなものが、なんだかラノベ風に異界渡りの召喚魔法陣とか、SFチックに神隠し的なミステリーサークルとかに思えてきた。
でも、空気が、景色が、馴染む感じが、あまり危機感を感じさせない。
時々つっかけで歩きづらい所もあるが、元々里山歩きが苦にならないので、平気で下山(多分)しながら景色を楽しんだ。
太陽が、木々の上に来る頃、お腹がきゅるきゅる鳴き始めた。
ポケットからソフトクッキーを出す。
シナモン風味、マカダミアナッツ、アーモンド、チョコキューブ入り、ヴァニラの香りつきプレーンと、5つとも違う味が楽しめる。
元気を出そう!とマカダミアナッツ入りにする。
本当は二口三口で食べられるけれど、ゆっくり、少しづつ噛み締めて食べる。
この、柔らかい、やや乾き目のまるぼうろみたいな食感が大好き。
ポケットに無理やり突っ込んでたミルクコーヒーを、一口だけこくんと飲んだ。
その後も特に問題なくすすむ。
こういう時年かなと思うのが若い頃ほど食べなくなった事。
起きてすぐは食べても消化しづらくなってきて、次第に起きてすぐは食べなくなってきた。
数時間はそのまま活動し続けられるのだ。
たった一枚のソフトクッキーと一口のミルクコーヒーで、全然平気で山歩きが出来る。
喉が渇けば、川の水を掬って、口を濯いでからごくごくと飲んだ。
───── ◆ ◆ ◆ ───────
そんな感じで、わりと気楽に川沿いを下る事数時間、ここは住んでた多摩地区じゃないらしい事が判った。…多分。
──霧ヶ峰
空気が美味しい自分でお掃除出来ます新型エアコン…じゃなくて、ネットで霧ヶ峰で検索すると出て来る、一面の、爽やかな空と緑の丘しか見えない光と風を感じられる景色。アレが、今、目の前に広がってます。
勿論、検索して出て来る画像には、遠くに街と、送電線と鉄塔、民家や施設が点在してますが、ここには何もない。
延々続く緑の丘と遠くに緑の山、薄い水色の空。
所々花が咲いているのだろう、鮮やかな色がついている所も在るけれど、民家が在りそうにはない。
さっきまでの懐かしさを感じて滲む涙と違う、帰れそうにない絶望の涙が零れた。
「ホンマに…ここはどこなんや~ぁ~!!」
山びこが返ってくるほど壁になるものもなく、私の絶叫は空に吸い込まれていく。
体力的にではなく精神的に歩く元気をなくし、芝生っぽいふさふさした下生えに寝っ転がり、涙を拭うように顔を覆った腕をそのまま庇代わりに目を閉じた。
───── ◆ ◆ ◆ ───────
疲れていたと思うし、気落ちもしてた。
結果、数時間くらい寝てたらしい。
風が冷たくなってきて冷えたのだろう、くしゃみをして目が覚めた。
「こんな状況でも寝れるんやなぁ」
涙の痕を擦りながら立ち上がり、体中の草を払って、改めてまわりを見た。
来た方角、林の先は下ってきた山が近い。
真正面は何kmも高原が広がっていて、遠くに見える山まで徒歩では何日もかかりそうだ。
右手も山が近いので、民家を求めて歩くのも、つっかけではツラいかも。
元居た場所の山から右手の山、遠く向こうの山まで繋がっていて、なんとか連峰とかいうやつかな。今この場に釣部さんが居たら、あの山は何山?って聞いてみたい。
うう~ん、太田蘭三さんの渓流シリーズ読みたくなってきたよ。一時期ハマったなぁ。
取り敢えず、深呼吸して、歩き始めた。
いずれ山が続いて移動が困難な、背後(多分北)から右手、更に正面の高原地帯(多分南)は避けて、林から出て左手、なだらかな丘が少しづつ下り坂の方へ。
草原の真ん中は歩かず、林沿いに。
少~し過去に、人が歩いた事があるらしい踏み固められたっぽい草の生えてない獣道があったので。
それに、草原の真ん中を歩いていて、鷲とか猛禽類に襲われたら困るし。
イヌワシとか大鷲とか、翼広げたら2m超えるものもいるし、子育ての時期は、羊とか鹿(!!)も捕まえるって聞いた事あるし。大昔、ヒトの子供も攫われたって本当かな?
林沿いになら木蔭にもなるし。
昨日の山犬にも遭わず、心配した猛禽類にも遭わず、勿論、人にも逢わない。
だんだん暗くなって来て、再びぐうと鳴いたお腹を、チョコキューブ入りのソフトクッキーと二口のミルクコーヒーで黙らせる。10秒飯ゼリー飲料かぐーぴた的なお手軽食べ物が欲しい。
足元はまだ見えるけど、林の中は見づらくなってきた。
ここで再びスマホを起こしてみるけど、今度は位置情報サービスが使えないどころか、遂にアンテナも小さい×がついてしまった。
時間はもうすぐ5時半。
昨日は妖精の環の中で夜明かししたけど、今夜はどうしよう…。
暖をとる為に焚き火をして、山火事を起こしたら怖いし。日本には居ないけど、犀なんかは火を消しに突入してきて踏み消すらしい。そんな獣がいないとも限らない。
第一、火を熾す手段がない。
太陽が高い時間帯なら、眼鏡のレンズで光を集められるかも?だけど、暗くなったしね。
板か何かに枝で摩擦熱で火をつけるヤツは子供の頃試したけど無理でした。
火が点くほどそんなに回せないし、同じ位置を擦り続けられなくて効率が悪かった。紐か何かあれば、結ばずに一周させて左右に引っ張り続けて回せるかも知れないけど、紐もないし、やはり窪みでもないと、巧く一点集中で擦れないと思う。
まぁ、少し離れた位置に、林の中を今朝見つけた川が、同じ進行方向に向けて流れてるのは助かる。
繁みを越えて、川の水を口を濯いでから飲んで、顔を洗う。泣いた痕や砂埃や花粉等も着いてるかもだし、スッキリ寝たい。
虫歯も怖いし、どうせ寝るだけだから、大事なソフトクッキーは食べずに、ミルクコーヒーのペットボトルと眼鏡を草の上に置いて、右手にスマホを握って、夕べと同じ三角座わりで眠る事にした。
明日はどこか人里に辿り着けるかな…。
次回、第5話 日本列島投げ矢の旅? 第一村人発見!