⑨
翌日、月曜日の放課後。
さすがに三日目となれば、ナニカに囲まれ続けるのも多少は慣れてくる。さらに、今日で解決できるかもしれないという希望もある。嗅覚は犠牲になってしまったけれど。
今は人もまばらな校舎内の壁に数メートルおきにお札を貼る作業をしているところだ。こうすることで、御札から御札へ霊的なチカラが伝染し、校舎全体を範囲に術をかけられるらしい。
こんなことをしても大丈夫なのかと訊いたら、これもツテでなんとかなるそうだ。ツテって何だろう。
「よし、始めようか」
矢代は経を唱え始めた。経には独特のリズムがあって、漢字の羅列であるのにも関わらず、全く聞き取ることができない。
二分後、ずっと唱え続けている。まだ終わる気配はない。それどころか何も起きていない気がする。
さらに三分後、ようやく変化が現れた。近くの御札の文字から順々に、やがて校舎中に貼られた御札の文字が輝く。
二分後、二年四組だった生徒の形をしたナニカたちが吸い寄せられるように集まり、それらは一点へと向かう。
唱え始めてから十分。ようやく終わった。廊下のある一点に吸い寄せられたものはバケモノとなっていた。天井に届きそうなほど背は高く、シルエットは幼稚園児のお絵かきのようだ。さらに全方面から手足や首、一部には胴体も突き出ていて立体的であり、各々が意思を持っているのか様々な方角へとうねうねと蠢いている。死者全員が結集して一つの塊と化した結果だ。
直視できないような異形を前に、生川が金縛りに遭ったが如く動けなくなってしまう。
矢代が短く経を唱えると、手の中に青白いオーラにうっすらと包まれている薙刀が虚空に現れ、それを掴む。
彼は慣れた手つきで薙刀を振り回し、バケモノに斬りこむ。
「「「「あついあついあついあついあついあつあつあつあつあつあつ――」」」」
「「「「ヴゥゥゥゥゥァァァアアアア――――――ッ」」」」
ナニカたちの荒れ狂う叫びが鼓膜を揺らした瞬間、生川の心身全体余すところなく電撃が貫き、たかが外れる。
「――く、あああああああーーッ」
――一緒だ。あのときの地獄絵図と。バケモノの唸りは事故直後の、彼らがまだ生きていた頃に発した最期の命の叫びと。
激しい想いが滲み出てくる。二ヶ月近くかけて心の深淵へと押し込んだ、悲しみ、傷み、絶望感、喪失感、そして罪悪感。今、再び葬ろうとしていることが相まって、特に大きいのが罪悪感。
滲み出た想いはだんだん増していき、やがては激しく渦巻きながらちっぽけな理性を飲み込まんとして襲いかかってくる。
悪霊とはいえ、見た目や声などはやはり生前の彼らと等しいのだ。
だが、矢代はそんな様子の生川に気付くことはない。スイッチが入ったかのような鬼気迫る表情で淡々と、遠心力を活かしながら斬る。斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬る。
そして突然、塊が三十八つ――生川以外の二年四組の人数と八方先生の分――に分裂し、もとのナニカの形になる。傷だらけの状態、というよりも所々破れてしまったビニル人形のような状態で。リアリティなど欠片も感じることができない。
昨日受けた説明によると、『この世に存在するためのチカラ』をまとめて削るために一回悪霊を一箇所に集め、ある程度済むと再び分散する、という術を用いたらしい。
「よし。――あと少し」
矢代は息を弾ませながらつぶやき、新たに御札を一枚取り出す。
「ま、待て!」
スイッチを切り替えそうに見えたタイミングで声を絞り出して制止させる。
「どうしたの? 辛いかもしれないけどお別れだ。成仏させてあげなきゃ」
未練たらたらな幼子をたしなめるような優しい口調で反応する矢代。
「最後に……話すことって、できる?」
「分からない。霊ごとに異なるよ」
「りょーかい」
「――なんで、こんなことをしたの?」
生川はボロボロのビニル人形と化した悪霊、もといクラスメイトと先生に問う。応えてくれることを祈りつつ。
「……みんな、声出るか?」
塚地の形をしたナニカが掠れかけた声で他のナニカ達に呼びかける。多くのナニカが頷いた。
「せーの」
「「「「「「「「「ハッピーバースデー!」」」」」」」」」」
「…………え? 俺の、誕生日?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。その言葉を欠片も想像していなかったし、あまりにも場違いな台詞だから。
「おう。二日早いけどな。これでもあの世から抜け出すのは大変だったんだぜ?」
「そうだねー、この世に舞い戻るなんて向こうの法規では重罪だよ」
「しかも塚地と八方先生が調子に乗って余計な罪も犯してくれちゃったもんねぇ」
数名が塚地の形をしたナニカや八方先生をじと目で睨む。
「地獄行きは免れないかも」
「ドッペルゲンガー現象とか絶対に仕掛ける必要なかったっしょ?」
「い、いやー……ははは。せっかくだから盛大に一泡吹かせたかっただろ? な、塚地」
八方先生は生徒からの怨み言を受け止めつつも、笑って誤魔化そうとする。
「えぇー、焚きつけたのは先生じゃないっすか。いざとなれば先生が漢らしく責任とってくれるのかと……」
「…………え? ……は? 何でそんなことで……? クソどーでもいいよ俺の誕生日なんて」
「クソどうでもいい、じゃねーだろ?」
「一年に一度の大切な誕生日なんだからさ」
「だとしても別に……」
「そこまでする価値なんてない、とでも言いたいの?」
「十分に価値あるよ。春休みの宿題の作文、確かもう経産省だかなんだかに飾られているんだっけ?」
「それに事故で生き残ったのが誰であっても僕たちこうしてたと思うし」
「みんな大切」
「というか先生。こういうのはむしろ止めるべきなのでは……?」
温かでやさしい想いに触れて、なんだか照れくさいようなむず痒いような気分になって話を転換させようとする。
「何言ってんだよ! 俺は感涙にむせびそうになったぞ。全力で応援するに決まってるだろ? ガハハハハ」
「――ごめんなさい。もうそろそろいいかい」
これまで様子を見守ることに徹していた矢代が申し訳なさそうに口を挟む。
「この状態があんまり続くと成仏すらできなくなるからさ」
「了解です」
「もうここでお別れだな」
「七十年後くらいに会いに行くよ」
「馬鹿野郎。あと百年くらいはコッチ来るな。世界一の長寿が同級生ってあの世で自慢させろよ」
「ちなみに誕生日当日にネタバラしするつもりだったんだ。じゃあね」
「では、そろそろ」
矢代は御札を握ったまま経を唱える。手を離すとひとりでにやさしい悪霊――四組の皆のもとへ流れる。すると彼らの身体がみるみるうちに透明化し、ミストのような光の粒子へと変化していく。
すると光一粒一粒ごとに何かが映ったかのような気がした。目を凝らすとそこにはささやかな日常が、楽しかった思い出が、描かれていた。彼らの走馬灯のように。
中には皆でふざけあった思い出もあり、クスッと微笑んでしまう。
キラキラと淡く輝く光は昇っていき、天井に到達する前には消え失せてしまう。
窓から冷ややかな風が吹き抜け、髪の毛をサーっと揺らす。ふと気付けば、あの死臭はもうしていなかった。
もう怖くもないし、寂しくもない。負の感情は一切取り払われ、ただただ穏やかな気持ちである。
夕暮れの、二人きりになった廊下は音を失い、静寂に包まれていた。余韻に浸っているのか、遠慮しているのか。二人は言葉を交わすことなくじっと佇んでいる。
しばらくしてグラウンドからのカキーンとボールを打つ軽快な音、上の階からのリードを震わす低音が微かに響き渡った。
今、ここにあるのはありふれた日常のみである。
初挑戦のホラー系でしたがいかがでしょうか?
個人的にやさしい結末が好きなのでそうしてみました。そもそもこれが怪談の枠組みに入っているか不安なのですが(笑)
低くても今後の参考になるため、評価や感想をくださると大変嬉しいです。