⑥
翌朝、金曜日。午前六時にいつもどおりスマホのアラームが軽快なメロディーを奏でて、起床する。硬いデスクに頭を横向けにして載せていただけであるから、寝心地は最悪。首も肩も腰も凝ったみたいだ。
首をゴキゴキと曲げて回して、肩を叩きながら今後の活動計画を練り始める。
不幸中の幸い、昨日の朝自宅を出たままの姿なので一部教科が足りなく、授業には多少支障が出るけれど登校すること自体は可能。いや、そもそも死臭を我慢しながら授業に集中するなんて、手に余ることかもしれない。
昨日の怪奇現象について改めて確認しなければ気が済まない。
しかし、自分の形をしたナニカと遭遇してしまう可能性も考慮しなければ。制服や通学カバンをワンセットしか所有してないものの、そのあたりを物理法則なんかには期待できない。
一時間悩みながら知恵を絞った結果、二時間目の途中に登校することにした。こうすればきっと対面せずに確認出来る。もしいるようであれば、周囲に勘付かれないように立ち去ればいい。
その間は新しくTwet○erのアカウントをつくり、同じ高校の人たちをひたすらフォローしまくる。名前は適当に設定し、自己紹介欄には高校名と何期生かを明記する。あとはある程度の人数にフォロバされるまで待つのみ。
午前九時。一晩分の料金を支払い、漫画喫茶をあとにする。
通学中の電車に乗ってすぐ新しくつくったアカウントをチェックしてみたところ、フォローした約四百人のうち約三十人にフォロバされていた。理想よりは少ないがまあよい。
早速昨日の出来事について何回かに分けてツイ○ト。RTなりリプライなり、反応されることに期待する。それにこのアプリ及びサイトは世界中の人が目にすることが出来るため、オカルト関係の専門家の目に留まって何とかしてくれる、という奇跡が起こりうる。無為なことかもしれなくても可能性がゼロではないなら行ってみるべきであろう。
しばらくして学校に到着。周囲を警戒しながら下駄箱へ。おそるおそる板を持ち上げると……上履きは、あった。でも自分の形をしたナニカが来ていないとは限らない。しかし二年四組を見ずには来た意味がない。
授業中であるため学校全体の空気がピンと張り詰めている。ささやいただけでも数メートル先まで響きそうである。そんな雰囲気も相まって余計に気を引き締めさせられて、息苦しい。
二年生の階に到着したところで深呼吸。廊下まで生臭い。
いざ、問題の現場へ。
網の目をくぐるように三組の後ろまで来たところで立ち止まり、引き戸の窓越しに四組の教室を覗く。
――いた。
死んだ同級生の形をしたナニカがいて、授業を受けている。雰囲気は修学旅行前と差異がない。授業をしているのは他学年の教師だ。本来生きているのはその教師のみであるのに、違和感を覚えることなく平常心で教鞭をとっている。そして、生川の形をしたナニカは見受けられなかった。
そんな四組を無視して、ガクガク震える脚に力を込めて抑え、何食わぬ表情を一生懸命繕って三組の引き戸を開ける。果たしてどんな反応をされるのか――⁉
「ん、生川じゃないか。一体どうしたんだ?」
教鞭をとっていたのは、ちょうど三組の担任だった。
ホッ……。よかった。きっと遅れた生徒を気にかけたのだ。やっぱりおかしいのは四組の教室だけだった。
「すみません。その、病院に行っていたので……。連絡忘れていました」
殊勝そうに告げるべきではあるが、少し嬉しそうになってしまった。
「なにニヤけているんだよ。そういう意味で――」
「――あ、はい。すみません。……ん?」
自分の席へ進もうとして、異変に気づいた。生川のために新たに置かれたはずの、机と椅子が、ない。いったいどういうことだ。いじめ?
「最後まで言わせろよ、な? 生川。君ここ何組か分かっているか? 三組だぞ? 君は四組だろう? な?」
「……………………え? や、先生……お戯れは、それぐらいに……はは」
「お戯れってなんだよ?」
「冗談きついっすよ……皆、もうとっくに……」
「はい? まあいいや。今さ、授業中なんだよ。邪魔はしないでもらえるかい? な?」
「え、なら……俺の席、は……?」
「だーかーらー、君の席は隣の教室にあるよね? な?」
「はい?」
「とにかく妨害しないでくれますかね?」
「だから四組の皆はバス事故で――」
「――うるさい‼ なぁにが事故だ! あ⁉ さっさと自分の教室に行け!」
「……ッ」
三組から追い出されてしまった。それでも、三組の担任教師は廊下へ出た生川をまだ鋭く睨めつけている。『四組に入れ』という無言の重圧が生川にのしかかる。
仕方がないと必死に自分に言い聞かせ、彼は産まれたての子鹿以上に脚をガクガクと震わせながら、四組の引き戸を開いた。
もわっとしたにおいが鼻を強く刺激する。それを我慢して足を踏み入れる。
「あ、おはよう。昨日大丈夫だった?」
後方の席に座るクラスメイトが小声で気遣ってくれた――と普段であれば少し嬉しくなるような場面ではあるが、喜べない。むしろ息が詰まってしまい、まるで突然水を張った水槽に頭をねじ込まれたように苦しい。
「ぅ……ぁ……――はぁはぁはぁはぁはぁ」
その光景を目にした別のナニカも、
「ホントに大丈夫?」
と気遣う言葉を発する。もう二度と、聞こえないはずの声で。
「あ、ああ」
と反応を示しつつも二人から視線をそらす。
「……あ」
あった。一つだけ、空席が。
そこへキリの良いところまで解説を終えたのか、授業をしていた他学年の教師が「どうしたんだ」と今度は本当に心配してくださり、三組で告げたのと同じ内容を伝えた。
「じゃあ、早く席につきなさい。授業を進めるよ」
空席につくように促され、不覚にも三組で揉めたばかりであるために抵抗せずに席につく。今やっている教科は幸い木曜日の時間割にもあるので、この二時間目は凌げそうだ。
しばらくして休み時間が訪れた。幸い何も起きなかった。
廊下にあるロッカーから物を回収しに行くフリをし、教室という名のほぼ密室から逃れる。
数秒後、塚地の姿をしたナニカがお手洗いへ行ったのを確認し、追う。
震えそうな声をいつもどおりの声に聞えるようにするためと、自身に入魂するために、わざと声を張って話しかける。
「なあ!」
「おぉ。何ー?」
「修学旅行最終日にさ、事故、あったじゃん?」
用を達しながら単刀直入に尋ねることにしたのだ。あの日のバス事故について。
「事故?」
「悪い、惚けないでくれるかな」
「え、それ酷くね? 俺が常にふざけているように聞こえまっせ」
「あっ……サーセン」
「生川の真剣オーラが伝わってきたから真面目に応えたぞ」
「ごめんごめん。なら覚えてないってことかー」
「うむ。帰りに何かあった気がしなくもないけれど、細かくは覚えてないな」
「そっか。ありがと」
頑張ったのに成果は特になし。無念。
「それよりさ」
「う、うん」
「お前ホントにだいじょーぶ? 昨日と同じくなんだか様子が変だし、話しても少し違和感あった」
「そうかな」
「そうだよ。無理するなよ? また泡吹かれちゃあ心配だぜ」
ゾクッとした。お調子者な態度とイケメン発言のギャップに、ではなく裏に何か深い闇があるかもしれないという恐怖に。
震えも大きくなって、力むだけでは抑えられなくなった。正直にいえば精神的に多少無理していることは確か。また保健室の世話になるのも一理ある。
「なら保健室行ってみるか」
「先生には言っといてあげるよん」
「よ、よろしく」
お手洗いから教室に移動し、荷物をまとめてから保健室を訪ねる。
保険医は不在だった。それどころか無人だ。長椅子に腰掛けて戻ってくるのを待つことにした。
……一人になれるとなんだか安心感に包まれるようになった。誰も正常とは信じられなくて、ずっと気を張り詰めてしまうからだろう。
何がどうなっているのかいい加減に知りたくなってきた。でないと一寸先は闇のまま。せめて一尺先くらいは見通したい。
この断続的に発生し続ける怪奇現象――あるいは認識の違い? はパラレルワールドによるものなのか。
ちなみにパラレルワールドとは過去のある時点で分岐して併存するとされる世界のことである。漢字では『並行世界』や『多次元宇宙』と表記される。
例えば、Aという少年が『幼児が車に轢かれる』という事故現場に居合わせたとする。このときAが助けに飛び出した場合の世界と見て見ぬフリをした世界に分かれる、ということだ。
前者の世界ではA少年は命の恩人となって、感謝され、周囲に勇気を称えられるであろう。
後者の世界ではA少年は見て見ぬフリをして、幼児を死なせてしまったことに対して、一生チクッとする罪悪感を抱えて生きていくことになるだろう。
と、まあそんな感じのものである。きちんと知りたければ検索してください。
けれども、図書館で読んだ新聞では生川の記憶通りの記事が書かれていた。
……うーん。情報が少なくて、仮定を立てることですらままならない。もっとメディア以外での別の手段で調査することは不可能であろうか。
……。
…………。
………………あっ。
出来るかもしれない。あのバス事故での生存者は生川以外にたった一人だけ存在する。たしか、旅行会社からきた添乗員さんだ。どんな人だったかは残念ながら覚えていないけれど、その人の話も聞けば、きっとある程度の状況は明かされる。今は藁にも縋りたい。
ただ、問題があってその会社が不明である。修学旅行のしおりには明記されているはずであるが、家にあるため生憎入手できない。
ダメもとで教師に訊いてみるしかなさそうだ。
しばらくして、保険医がやってきた。ナニカたちと離れていたおかげで、調子はそこまでは悪くないけれども、形だけ具合を診てもらう。その後旅行会社について尋ねたところ、割とあっさりと教えてもらえた。さらにそこから、不安になってくるほどトントン拍子で話が進み、生き残りの添乗員さんと明日面会することになった。
深夜十一時ごろ。夜の帳が下り、闇に包まれた高校の校舎の壁面に、闇より黒き一つの人影が浮かび上がった。
「この臭いはやはり……。でも学校自体が憑かれるなんてこともあるのか……? あ、そういやこの高校の名前どこかで聞いたことがあるような。ちょっと調べてみるか」
人影は爽やかそうな声でつぶやいてから、侵入したとき同様、監視システムをかいくぐって敷地から離れるのであった。