⑤
どこかで聞いた。自分と全く同じ姿形のものに出会ってしまうとその人間はーーッ
腰を抜かしそうになりながらも慌てて家のドアを開け放って飛び出す。それでも足はもつれてしまい、僅か三秒で転ける。
デコボコな尖ったアスファルトが皮膚に刺さる。ズキズキするけれどそんなのお構いなしで立ち上がる。傷口に引っついた欠片も払わずに、走り始めた。
右も左も後ろも車も自転車も気にせずとにかく突っ走る。
曲がり角の電柱と頭が激突。シェイクされたようにジンジン痛むのを歯を食いしばって耐えながら、駆け続ける。
ヤツと顔を合わせるわけにはいかない。こんなところで死んでたまるか。
奇妙な出来事の連続が、生川に迷信を信じさせた。今ならどんな迷信を伝えられても慌てて対策をとってしまうくらいには精神が追い詰められている。
五分後。息も絶え絶えし、いくつかの打撲や擦過傷がジンジン痛み、自転車に二度も轢かれそうになっている。正直体力の限界に近くなってきた。
そのとき、『二十四時間営業! 漫画喫茶』の文字が瞳に映りこんだ。
幸い二ヶ月分のお小遣い約一万円が財布に貯まっている。ここでなら今週末の夜をなんとか過ごせるだろう、多分。
即断し、雑居ビルの階段を駆け上がる。入店し、肩で息をしながら手続きを済ませ、そのまま狭い個室へ。カーテンで仕切られているだけで個室とは表現しがたいが、とにかく一人になれる空間へ。
はああああああ――と大きく息を吐くが、落ち着けない。一度、深呼吸してみる。もう一度深呼吸する。足りないように思えてさらにする。
それでも心臓はドックンドックン暴れている。十日くらいは寿命縮まった予感がしてきた。原因は言うまでもなくドッペルゲンガー。この鼓動は疲労を抜きにしても、さほど変わらず激しいはず。
さて、漫画を読み始めれば自然と意識しないようできるかな、と生川はスペースの外へ出たものの、急停止。そもそも漫画に夢中になった経験が少ないことを思い出したのだ。
かといって何もしないで引き返すのも悪目立ちするから嫌。とりあえずまっすぐ本棚まで進み、本に関して全く確認せずに、一冊手に取り自分のスペースへ。本棚付近にいた女性店員が一瞬ビクッとした気配を感じたが、一々いぶかしまなかった。
回転椅子に座ってから、面積の小さなデスクの端に持ってきた漫画本を置き、横に頭も載せると背表紙が視界を占めた。
『あおばら荘のペットな彼氏 十六』
「…………」
漫画本を六十度くらい持ち上げて表紙を覗き込む。
「……ぅぐっ」
表紙のイラストで吐き気を催し、動転しながらもお手洗いへ急いだ。そうかあの女性店員がビクッとしたのは、そういうことだったのか……ッ。
ちなみにその本は完全なる薄いBLだった。しかも偉大なる青春群像劇(個人の偏見)の名前をもじっている上に元の作品より巻数が多い。いろんな意味でふざけるな! 否定はしないが大の苦手なのだ。……さて、どうしよう。
またあそこへ行くなんてまっぴらごめんだ。持ってきたときは知らなかったから仏でいられた。けれど知ってしまった以上は空気に耐えられない。
かといって一晩ずっと個室に放置してそのまま店を出てしまえば明日以降肩身が狭くなるに違いない。
数分悩んだ末に本棚に戻しに向かった。ビクッとした店員はそっち系コーナーで書架整理をしていて、生川の姿を視界に捉えた瞬間ニヤっとした。マスクで隠れているつもりだろうが、なんとなく読み取れる。彼は心の中で彼女をフルボッコにしながら、居場所へと踵を返す。
その後ずっと悶々としながらうずくまっていたら、いつの間にかに夢の世界へと船を漕いでいた。本人は感知できなかったけれども、思いがけない黒歴史爆誕のおかげで心を蝕んでいたものからしばしの間、解放されていた。