③
最初の数日間は入院中の病院で。
バス事故を本当のことだと信じられずに、信じたくなくて、というか受け入れたら自分の中の何かが大きく崩れ去ってしまうような気がして。それに耐え切って見せる自信が欠片もなくて。
呆然としながら事故に関する記事を読んだり、ニュースを眺めていた。
『次のニュースです。二十三日の大型トラック追突事故について、志田容疑者が新たな供述をしました。四日前、東名高速道路で発生した修学旅行帰りの高校生らを乗せたバスに大型トラックが追突しました。この事故によりこれまでに三十九名が死亡、一名が重体、二名が命に別状はないものの重傷です。これに関して志田容疑者が「ボーッとしてしまっていたのは会社のせいだ。あの会社は労働基準法なんて全く気にしていなかった」と供述していたことから、本日家宅捜索が ――』
というよりもむしろずっとそれに関するニュース映像を見せられていたし、その記事が書かれた新聞はずっとそばに置かれていた。
後から思えば、現実をなんとかして受け入れさせなければ。そうしなければ今後の人生に関わるかもしれない……とでも家族たちは考えてくれていたのかもしれない。
そこへ看護師が様子を窺うために病室のベッドに近づいてきた。
「生川さーん、調子はいかがですか〜?」
「……………………」
「今日はよく晴れていて、空が綺麗ですね~」
「………………」
生川は脳内で無の世界を作りだし、引きこもっていた。
無の世界では余計なことは何も考えなくてもよかった。事故のこと、学校のこと、勉強のこと、受験のこと、将来のこと、友達のこと、家族のこと、社会的地位のことも、何もかも。今あるしがらみ、生きていくうちにどんどん増えてゆくしがらみ全てを、脳内で引き剥がした。
『楽しい』という感情とは無縁ではあったが、それはそれは甘美なものであった。
そのため、おそらく医師にも、看護師にも、お見舞いに駆けつけてくれた人にも、誰もかも、生川を廃人としか思えなかったであろう。
しかし、現実とはやはり残酷なものだった。退院から数日後の、ふとした瞬間、実感してしまったのだ。
『死』を。
直後、何もないが故の甘い世界は一瞬にして一蹴された。代わりにやってきた――否、襲ってきたのはとても抑えきれないような、悲しみ、苦しみ、傷み。圧倒的な絶望感、圧倒的な喪失感。それだけでなく、自分だけ生き残ってしまったことに対する、圧倒的な罪悪感。
こんな激情、僅か十六年しか生きていない少年には相当耐えがたくて。……だから、発狂するしかなかった。ただただ叫び続けることしかできなかった。そういう方法でしか処理できなかった。近所迷惑を気にしていられる余裕なんてもちろんなかった。
三日三晩人間であることを忘れて哮った。その期間だけではまだまだ足りないぐらいであったが、身体の方が保たなかった。
それはそうだろう。家族たちは、時には腫れ物に触れるように優しく接したり、時には猛獣を押さえつけるようにしながら、食料を与えようとした。
しかし何も喉を通ることはなかった。固形物も半固形物も、液体でさえ。それでもカロリーを消費し続けたのだ。体の調子は衰退するに決まっている。
心身ともにぐったりとした状態で数日ぶりに病院へ連れていかれ、点滴を受けることによってやっと歩けるくらいの体力を取り戻した。
それからは涙を流し続けた。毎日毎日流し続けた。泣き止めたとしても、ふとした瞬間にまた込み上がってきた。
そんな日々を送りつづけて二ヶ月。ようやく、学校へ行こうと思えるくらいに精神も回復できた。
クラスはどうなっているのか。一番の疑問はそこだった。まさかの独り授業だろうか?
おそるおそる、緊張しつつ学校に連絡を取ったところ、三組に編入する形がとられたようだった。
その後、両親も交えて色々相談をして、今週の月曜日から登校し始めた。
月曜日、火曜日、水曜日の三日間は三組で過ごした。嬉しいことに誰もが変な遠慮をしなかったため、想像した以上に隣のクラスで過ごすことは苦ではなかった。
そして、木曜日――つまり今日。怪奇現象が発生し、泡を吹いて気絶して、今に至る。