②
「……た、すけ……てぇ」
「あついあついあついあついあついあつあつあつあつあつあつ――」
「ヴゥゥゥゥゥァァァアアアア――――――ッ」
高速で降下しているジェットコースターから投げ出されたかのようなとてつもない浮遊感。それに伴うのはプレス機に押しつぶされた衝撃で血管が沸いたのかと錯覚するほどの激痛。
すぐにでも飛んでしまいそうな意識を全力で繋ぎ留めながら、微かに視線を巡らすとバス車内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
透明で鋭利な刃に貫かれ、べったりとした紅い体液を淀みなく噴出しながら悶え苦しむ人達。
体中が潰れてしまった人達。
糸の切れた操り人形のように全身の関節が有り得ない方向に折れた人達。
自身の背中が枕代わりになってしまった人、本来真逆を向いているはずの頭のてっぺんと足先が同じ方向にある人、百八十度どころか二百七十度も開脚してしまった人、肩が回転してしまった人、首がももに挟まれている人。
その他にも言葉では到底表現できないような、凄惨な光景の数々。
成人も学生も関係なく皆、呻き唸っている。
すぐに叫び出したい衝動に駆られるが声などロクに出やしない。
すぐにここから逃げ出したい衝動に駆られるが一ミリも動かせやしない。
「ぁ……ぁ、ぁ、ぁ、ぁぁ、ぁぁぁぁぁぁ――――」
「……く……う、うぅ…………………………………………………………………………………………ハッ」
覚醒と共にバサッと上体を起こす。冷や汗のせいでシャツが肌にべったりと張り付いている。少し気持ち悪い。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………また……この夢、か……」
あの日以来、事故直後の夢ばかり見るようになった。
目覚めた後、過呼吸に近いような息遣いがしばらく続き、次に冷や汗による寒さに震える。
最近は朝夕非常に冷えるため、余計に寒気が強く、きつい。
睡眠が心身を癒すものではなく、凄惨な光景をより頭に植え付ける為の作業か何かに変わってしまった。そのせいか寝るという行為にも日ごとに億劫するようになってしまっている。
「――ん?」
ふと周りにまなざしを向けると、保健室のベッドで寝かせられていたことに気付いた。何故なのか、咄嗟には思い出せない。
………………!
記憶を巡らした瞬間、今朝の光景がフラッシュバックする。それが夢で見せ付けられた凄惨な遺体とリンクして……
「ぅ、ぅ、ぅ、ぅ、ぅ、ぅぅぅうぅうぁああああああああ」
体内に仕込まれた小型爆弾が爆発したかのように、一瞬で全身に衝撃が奔り、所々の筋肉が攣られる。
「……く、ああああぁぁぁぁぁ」
じっとしていられなくなり、布団の中で転げ回る。
これはいったいどうなっているのか……?
……ダメだ。恐怖と衝撃と筋肉の痛みを堪える以外のことをできない。その上オーバーヒートした脳も悲鳴を上げ始めた。
もう、何か考えることなど出来やしない。
どれくらいの時間を要したのか不明だが、ある程度は回復できた。
とにかく先生とクラスの皆が蘇っている、なんて長い夢の中での出来事でないと困る。
常識的にはそうであるし、その場合が一番穏便だ。だが、幽霊やゾンビの類がこの世に存在しないと言いきれない。
それに夢にしてはクオリティが高すぎる気がしなくもない。
もし夢でなかったらどうなっているのだろう。周りの人はギャーギャー喚いていただろうか。…………記憶を手繰ってみても何も引っかってこない。呆然としたあまり、なにも感じられなかったらしい。
生川は懐からスマートフォンを取り出し、久方ぶりにTwi○terアプリを起動させてみる。自分が狂ったのか、心霊現象か。胸が騒ぐ。
数十分もかけておよそ二ヶ月分のタイムラインをスクロールして、今朝の投稿を確認した。そういうツ○ートはまったくなかった。……成果なし、か。
つまり誰も異変を感じていないということであろうか。そうか夢か。そうだよな。夢だよな。うんうん。と、非日常的な恐怖体験から意識を逸らす。
……あ、でも。受け入れがたいが、幻視したこともありえるかもしれない。ゾンビに怯えながら学校で暮らすという某作品の某少女のように。
だとしたら死ぬほど恥ずかしい。穴があったら入りたい。むしろ土葬して?
無人の教室の前で呆然とし続けた挙句に倒れたなんて。さすがにそれをネタにしてからかうような、最低な奴はいないかと思うが。裏では笑い話にされているのだろうな……。黒歴史が誕生したことに溜息を漏らした。
いやでも、本物の幽霊でした……よりはましであろう。まだ現実的であるに違いないし。
――ガラッと扉の開く音がし、白衣を着た保健医がやってきた。
「お、調子はどうですか? 急に倒れたみたいですね。二―四の子たちが慌てて君を運んできましたよ」
「――え」
頭を殴られるどころかドロップキックを食らったかのような衝撃に見舞われる。
「……もう一度、言ってくれます?」
「ん……二年四組の子たちが五人くらいでかな? 慌てた様子で泡吹いた君を運んできましたよ」
「……マジっすか?」
「マジです」
「本当ですか?」
「そうですよ」
「本当の本当に、四組の人たちがここまで運んできたのですか?」
「だからそうですってば。先生が病人に嘘つくと思いますか?」
「い、いえ……そういうわけではなくて……」
確かにぶっ倒れた生徒に嘘をつくメリットなんてないし、理由も思いつかないけれど、腑に落ちない。
「ならどうしたの? 困ったことがあったのなら教えてくださいね?」
さて、どうする。
……どうしよう。
…………ホントにどうすればいいんだ? ここで思い切って二ヶ月前の話をふってみてもよいだろうか。バスは違えども、保健医も同行していたし。
あるいは何でもないと伝えて茶を濁すか。大事にされるのも十分ありえる。
「あ、あの……修学旅行の帰りって事故、起きましたよね……?」
逡巡の末、尋ねてみることを選択した。
「えっと……あぁ、大型トラックとの接触、でしたっけ?」
「はい」
「……それが?」
「へ……?」
「それがどうしたのです?」
「――それがって……!」
あんな大事故を……「それが?」の一言で済ますなんて、彼女の正常性を疑える。血も涙もないのか。たしかに交流は少なかったかもしれないけれど、自分の学校のとあるクラスがほとんど亡くなったのに。その担任である同僚の教師も亡くなったのに。
しかもその旨の返事を僅か二人しかいない生き残りの片割れにすることか……! 仮に内心でそうとしか感じられなかったにしても、仮面被ってもっと違う感じに接せられるのでは?
こちらがどんな想いでこの二ヶ月間を過ごして、登校できるようになったのか想像すらできないのか?
目を吊り上げながら、生川はあの日から今日までの日々に思いを馳せる。