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やさしい悪霊  作者: ヒコヤハルカ
1/9

木曜日、午前八時半一分前。


「ヤッベェェェェェ――――」


「俺の足よ間に合ってくれえええええええぇぇぇぇぇぇ――――」


「これ以上指導されてたァまるかァァァァァァ」


「何で起こしてくれなかったのおおおおぉぉぉぉぉ――ママぁぁぁぁぁああああああ」


 廊下では熾烈な逃走劇が繰り広げられている。目に見えぬそいつに捕まったら最後、自分がどうなってしまうのか分かったものではない。こってり絞られるのか、ズタボロに抉られるのか。故に爆走する彼らの表情は必死そのもの。


 生徒たちは皆、『遅刻』という烙印を押されるわけにはいかない。この高校の生活指導部はやたら厳しいのだ。


 一方、教室内からは昨日のドラマの話、最近発表された国民的なバンドの新曲の話、ソシャゲのフェスについての話、はたまた駅の階段でズッコケた武勇伝などが飛び交い、数えきれないほどの笑顔が咲き乱れている。自分の担当クラスへ向かうべく廊下を進む教師からすればさながら動物園のようだ。


 そんな慌しくて騒がしい朝の日常のなか。かつて二年四組だった男子生徒が一人で動物園のように騒がしい二年四組の教室の前で、ポカーンと突っ立っていた。荷物は背負ったままだ。


「ん? どうした? 早く入らないと遅刻になるぞ」


「……………………………………………………」


 自身の教室へ向かう五組担任の教師に話かけられても、微動だにせずにポカーンとしている。無視したというよりも声が届いていなさそうな雰囲気だ。


 五組の担任は教室入ってすぐの席に座る女生徒に、

「あいつはどうしたんだ?」

と尋ねてみたが、十分くらい前からあんな感じであるとのこと。

「そうか……」

と頷いた教師は廊下へ引き返して再度話しかけてはみるけれど、無反応。十二分に開けられている虚ろな双眸の前で、手をひらひらと振ってみても何も変化しなかった。さらに身体を軽く揺さぶってみてもダメ。


 結局、「あ、そういえば八方さん(四組の担任)が二ヶ月ぶりに登校する生徒がいると仰っていた気が……」などとつぶやきながら五組の教室へと入っていった。


「おい! 突っ立ってんじゃねぇぞ邪魔だあああああ」

 遅刻寸前の生徒の数メートル先からどやし口撃! しかし、何も起こらなかった。


「フ○ック!」

 すれ違いざまに叫ばれても、放心状態をキープ。


 まるで、電源の切れたアンドロイドのようでもあるし、彼の時だけが止まってしまったようでもある。


 ――と、そこへいかにも気前がよさそうな恰幅の良い五十代前半の男性が階段を上りきって二年生の階へと現れた。


「…………⁉」


 制止していた秒針が再び時を刻み始めた。脳天から胴体、腕、下半身、指の先へと急速に、だが僅かにエネルギーが行き渡る。瞳が光を、耳が聴力を、鼻が嗅覚を、肌は皮膚感覚を、脳が思考を取り戻す。元二年四組の男子生徒はピクリと反応した後、眼球が丸いことが誰にでも分かるよう証明するが如く目を見張り、顎が外れてしまいそうなほどあんぐりと口を開ける。


 現れたのは件の八方先生だ。


 そして八方先生の方から異臭がした。それは近づけば近づくほど強くなってくる。日常生活を送る上では絶対につかないような、滅多に嗅がない強烈なにおいだ。


「よぉ! 久しぶりだな生川! ついに学校に来てくれたんだな!」


 八方先生のバカでかい声によりビクッとした四組の面々が教室前方の扉へと視線を集中させた。


「あ……!」


「生川くん!」


「来れたんだね⁉」


「ゃ…………んせぃ…………み……、どぅ……て……?(八方先生……皆、どうして……?)」


 約十分の時を経て、ようやく微かな声を漏らすことに成功した生川。


それでも意識はまだどこか遠くにあるようで、傍目からすればレギュラーな世界にポツンと存在するイレギュラーそのもの。


「ガハハハハ! 何をそんなに驚いているんだ? せっかくだからもっと元気だせ」


 八方先生に見えるナニカがドンッと生川の背中を叩く。得体の知れないのに、力強い。そして動けなくなっているがために、マダムタッ○ーのロウ人形を運ぶ作業のように教室内へと押し込まれてしまった。


「……ッ」


 教室内は先生のものと比べることが愚かであるくらいに異臭が濃く、強烈で、鼻が曲がりそうになる。吐き気の前兆症状すら表れた。


 実際に嗅いだことはないが動物的に直感する。これは――死体のにおいだ。


「そーだよ! 二ヶ月休んだからといって俺らとの友情は何も変わらないぜ!」


「お、カッケーこと言うじゃねぇか塚地っ」


「ふっ」


「何が『ふっ』だよ。塚地キモ」


「ちょっ、キモは酷くね⁉」


「「「「「「…………」」」」」」」


「……ってなんで皆無視するのぉー⁉」


 そんな日常感溢れるやりとりの中心で、生川は驚きと共にもう一つ大きな感情に支配されている。――恐怖感だ。

人間、閾値を超えてしまうと金縛りにあったかのように、動けなくなってしまうのは本当らしい。現在身をもってそれを経験している。


 「動かせ! 動かせ!」と何度も頭の中で願っても、一向に動く気配がない。頭の片隅で、自身がフリーズしたパソコンかなにかのように思えてくる。


 「何で動かない!? 動け動け動け動け動け」とずっと願い続けても器官はピクリとも反応を示さない。しまいには人の動く仕組みと電化製品は紙一重なのでは? とさえ感じられてきた。


 それどころか身体は震えることすらなく、今すぐにでも腰が抜けそうな感じがするのに抜けることはない。


 何故、何も変哲のないどこにでもありそうな日常に恐れを抱いているのか。それは彼が二ヶ月もの間学校を欠席していたことに起因する。


 二ヶ月前、彼ら四十三期の二年生は奈良・京都へ赴いて修学旅行をしていた。


 二年ぶりに見る日本古来の街並み、テレビでしか見たことのないような観光スポットの数々を訪れて感動を覚え、普段はお値段が高くて食べられないような絶品料理に囲まれて舌鼓を打ち、級友たちとのレクリエーションや就寝前のトーク大会で心踊らした。


 修学旅行とは、それはそれは楽しい行事である――――――はず、だった。


 天国のような三日間を一変させる、絶対に起きてはならないことが、起こってしまったのだ。


 高速道路を走る帰りのバスで。


 最後の、最後に。



 ――――大規模な交通事故、だ。



 修学旅行帰りの二年四組を乗せて走る観光バスに、大型トラックが時速百キロオーバーで追突した。大型トラックの制限速度は時速八十キロであるのに。


 この事故で乗員乗客計四十二名のうち四十名が死んだ。


 生き残ったのは…………生川と旅行会社の添乗員のみ。


 事故当時の凄惨な状況を彼は未だに鮮明に記憶している。



 つまり、ここにいる者は全員死んでいる。


 二ヶ月も前に。



 四組の教室はもぬけの殻であるべきはずだ。現に彼は月曜日から登校しているのだが、昨日までのここ三日間は空き教室状態であった。


 それにも関わらず、現在、クラスメイトと担任の先生が以前のように朝っぱらから大いに騒いでいる、ようにしか見受けられない。


「同級生相手に何固まってんだよ!」


「遠慮なんかいらないよ」


 クラスメイトに見えるナニカ達が励ましたり元気づけようとして、矢継ぎ早に声を掛けてくる。


 もう二度と聞こえないはずの声で。


 もう二度と味わえないはずの四十三期の二年四組の雰囲気で。


 違うところいえば嗅覚を失いそうなほどの刺激臭のみ。


 こんな状況、精神異常者ならともかく、凡人には耐えられるわけがない。間違いなく後者である生川には泡を吹く以外に選択肢などなく…………。


 意識がプツリと途切れ、バタッと倒れ込む。


「ちょっ、大丈夫⁉」


「どーしたん⁉」


「生川〜〜!」


「ほ、保健室に連れていかなきゃ!」








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