百三十五話 エリクフォルトの砦攻防戦 柒
神妙なる面持ちでエリクフォルトの砦がある方向を見つめていた。
ぬるい風が吹く朝に、いつもならまで寝ているであろう人物は起きていた。
日が昇り始めてまだ間もない。
ついにこの時を迎えたのだ。
頭にはアリアスの言葉が今も鮮明に残っている。
「あんたでも朝起きられるんだぁ~」
能天気な声で言ったのはクロエだ。
「うるせぇ、起きようと思えばできるんだ。やらないだけで」
「それをできないって言うの。知らなかった?」
「……」
人がいいことをしているときに水を差すとはなにごとだ、と言おうと思ったがクロエが続けた。
「でもそれほど大切な日なのね、今日は」
つぶやくように言った言葉はどこかさみしげだった。
「ああ、今なら手が届く。そこまで来てるから。あの砦に入って、牢を壊して、助ける、それだけだ」
どこまでもまっすぐな目をして、クロエを見た。
ロイの目を見て安心したのか、クロエは目を閉じて空を仰ぐ。
そして少しの間をあけてから静かに言う。
「あんたって変わってないようで変わってるのね」
首をかしげて炉いは聞き返す。
「変わったってどっちの意味?成長のほう?」
「さあ?」
クロエはいたずらに笑う。
「さて、みんなそろそろ起きてくるころだろうな」
砦がある方向に背を向け、張られたテントへと歩みを進める。
いくつも張られたそれらを縫うように進んでいくと、不意に一つのテントから人影が現れた。
「ロイさん、ですかぁ?」
いたのは寝起き直後で、髪がぼさぼさしており、目をこすりながらロイの名前を呼ぶラーシャだった。
「お、おはよう。って……」
驚いたのは完璧超人だと思っていた人がそんな状態をさらしていたからだ。
寝癖がつかないようにでも寝られるのではないかと疑ってかかるほどの人物であったために、その衝撃は計り知れない。
「んん、どうしました?」
大きく伸びをしてから尋ねる。
だが本人にそんなことを言っていいのかわからずにただただ困惑しつくしているだけだった。
「今日もいい天気ですね」
「そ、そうだな……」
「最終日、絶対にアリアスさんを助けましょうね」
「ああ……」
握りこぶしを作って気合を入れ、ロイに力強く言うラーシャ。
「では、準備をしますので。中に戻らせてもらいますね」
「うん……」
ロイはもう一度テントの中へ入っていくラーシャを、無言で見送るしかなかった。
その後、ロイ、ラーシャ、セシリア、フランカの四人は司令部がある一番大きなテントの中に集まっていた。
三人は緊張の面持ちで向かい合うように座っている。
ロイも同じく座っているのだが、三人とは違い、緊張というより闘志から来る硬くなった表情で待っている。
ロイとは逆にここに入ってきたときからがちがちに固まっているのがフランカだ。
そわそわして尻尾を左右に激しく揺れている。
少しでもそれを和らげようとしてか、ロイに小さく耳打ちをする。
「ねえ、今から何が始まるの?」
「さあ、最後の確認程度だろ」
思うように確信が得られず、一層不安が募る。
と、奥からクラインがやってきた。
表情からは何も読み取れない。
上座に座り、肘をテーブルにつき、手を組む。
そしてゆっくりと、低い声で話し始める。
「今日が何の日かは、わかっているな?」
誰もがぴりりとした雰囲気に気圧された。
いつも会っている、それにクラインとて上官ではあるものの話しにくいわけではない。
なのに黙ってしまう理由がそこにはあった。
慣れない環境、戦の真っただ中、そして最後の日。
いろいろな条件が重なり、自然と口は動かなくなる。
しかし返事をした者が一人だけいた。
「アリアスを助けに行く日だ」
全員がロイを見た。
希望がすぐそこにあると感じさせるような、そんな目をしていた。
言うだけならだれでも簡単に言える。
だが実際にできるかは非常に難しい。
けれどもこの人ならあるいは、と思わせられるような目だ。
「そうか。わかった」
煌びやかな目をしたロイに、安堵するように笑うクライン。
「ではお前らに命令を出そう。四人全員でアリアスを救って来い!」
命令を下された者たちは全力でそれに応答した。




